偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

文化祭の夜みたいな

いつからだろうか、なんとなくネガティブな感情が、常に頭の片隅から多い時には半分程度を占め続けているようになってしまった。

いつからだろうか、なんて誤魔化したけど、シャカイジンになって1週間くらい経って当時好きだったとされる子に振られたことがキッカケに違いないことを私は知っている。


(ちなみに私は大学の時に文章の講義で「君は文法とかはある程度わかってるけど結論がないよね」ってセンセーに言われたくらいなので当然この駄文にも結論はないのでどうか読まないでください)

それは今思えば、というよりは当時既に気づいていたように歌詞にもならないありきたりな出来事だったのだが、恋愛経験のなかった私には自分の存在を否定されたに等しい出来事ではあった。
それからの日々は、夜に近所を徘徊しながらsyrup16gを聴いて過ごした。私の家の近くの少し小高い場所から、隣町にある観覧車が夜になると光っているのが見える。その場所に立って、「結局俺はニセモノなんだ」とツイートした。
ツイッターがあるから捌け口が出来て良かったのか、ツイッターのせいでより鬱々の沼に落ちたのかは分からないが、とにかく私はツイッターsyrup16gの歌詞を写経し続けた。なぜなら私は歌詞が鬱いと言われるバンドをsyrup16gしか知らなかったのでとりあえず形から入ろうと思ってメンヘラになるために聴いてた。
でもメンヘラにはなれなかった。

そして、そんな日々を過ごすうちに、人生の真実に気付いてしまったのです。

「恋愛」も「人生の意味」もないんだ!!

そりゃ当たり前ですけど、私は嫌になるくらい純粋無垢な人間だから、恋に恋して、いつか君こそが人生の意味だと言えるGirlに出会うんだって憧れながら毛皮のマリーズジャンカラで歌いまくってた。
でも私より私と呼ぶべきGirlなんていないし、私以外私じゃないし私は私のことしか愛せない人間未満の棒人間とか犬人間みたいなものなんだと気付いた。

ともあれ、毎日死にたい死にたい生きているよりマシさなんてことだけをぐるぐると考えて、たまにエターナルサンシャインとか観てまた死にたくなったり人間失格とか読んで「俺は太宰治なのではないだろうか」と真剣に考えたりしているうちに、ついにネガティブなことを思っていることが常態と化してしまったんですな。

ただ、私は元々ひどく楽天家ではあるので、人生エンジョイしてる部分と習慣化したつらさとが分離して、例えばオシャレミュージック聴いてノリノリで踊りながら頭の片隅では早く死にてえと思ってたりして、いっそ鬱側に振り切ってしまえたらなんて不謹慎なことを考える自分が嫌なようなどうでもいいような感じに囚われる。

眠くなってきました。
大学生の時、私には部活の友達が文字通り全てで、なぜなら部活以外に挨拶する程度の友人すら1人もいなかった。
3年生の時、文化祭の最終日の夜にそのまま打ち上げ兼3年生の引退式というのをやるのが通例でした。
引退とは言っても翌日からも別に普段通り部室に行くし形だけのことで、でもなんかエモさを感じたり、単にみんなで集まって喚き合うのが酷く楽しくて、その夜たしかに私の脳内メーカーは全て「楽しい」で埋め尽くされていた。

今、どれだけ楽しいことがあっても、いや、楽しいことがあればこそ、「この幸せは終わる」という気持ちが同じくらいに頭角を現してくるため100%になれません。
たぶんもう死ぬまでなれないと思いながら、失くした青春のことを思ってBaseBallBearとかいうクソみたい(に最高)なバンドを聴かなきゃいけないこともつらい。
文化祭の夜みたいなあの気持ち