偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

宇佐見りん『くるまの娘』感想

宇佐見りんの3作目。


17歳のかんこたち一家は、久しぶりの車中泊の旅をする。思い出の景色が、家族のままならなさの根源にあるものを引きずりだす。

(Amazonの作品紹介より)


前2作ももちろん良かったんですが、本作はまた、ひときわ物凄かったです。なんかもう私如きが本作の感想なんか書くのがつらいんですけどそうも言ってらんないので、上手く書けないと思うけどよろしくお願いします。

さて本作の主人公のかんこは現在両親と3人で暮らす高校生で、兄と弟は家族を忌避してそれぞれ恋人と同棲したり祖父母の家にいたりする、という設定。
タイトルの「くるま」というのは、彼女ら家族が昔から車中泊旅行をしている車のことを指し、作中でも祖母の葬儀のためにその車で長距離を旅する過程が主に描かれていきます。
加えて、車というものの密閉性だったり、回る車輪からくる輪廻や「火車」みたいなイメージも作中でモチーフ的に扱われる「地獄」にも通じたり、後半に顕著な異界へと向かう感覚もあったり、シンプルながら重層的なイメージが重ねられる良いタイトルだと思います。

物語は、そんな車に乗って祖母の葬式に行くという話が主軸になりつつ、その中で飛び飛びの回想などが入ってきたりもして、この旅自体がどこか走馬灯のようにも感じられる不思議な読み心地があります。
全体には淡々とした語り口なところからシームレスに読んでいて苦しくなるような暴力のシーンに移行したりして、この作品を娯楽として消費している事実を後ろめたく思いながらも「面白くてページを捲る手が止まらない」作品でした。
そして、デビュー作『かか』では母親の存在感が圧倒的だったのに対して本作は父親がフィーチャーされています。この父親という人が家族への暴力やモラハラが激しい一方で、自身もまた親から虐待されていたり、彼なりの子供への愛情もあったりと非常に複雑な人物として描かれていて、最初はその多面性に彼の顔が見えないような不気味さを感じましたが描き込まれるにつれてだんだんその実在感が増していくあたりが凄かった。これがタランティーノの映画なら父親がクズ野郎で最後にみんなでフルボッコにして終わるところですが、そうはならないんですね。そしてそこからさらに主人公かんこ自身もまたただの被害者ではなく、被害と加害はあざなえる縄の如きことが描き出され、「虐待する親は悪である」というただしさや「自分を守るために逃げ出すべき」という正論に完全に背を向けてそういう正しい世の中をこそ糾弾する様には、差別はいけない暴力をやめろとお題目を唱える自分の薄っぺらさを突きつけられるようでとても恐ろしかったです。

かんこもまた、この地獄を巻き起こす一員だ。だからかんこが、ひとりで抜け出し、被害者のようにふるまうのは違った。みんな傷ついているのだ、とかんこは言いたかった。みんな傷ついて、どうしようもないのだ。助けるなら全員を救ってくれ、丸ごと、救ってくれ。

生きているということは、死ななかった結果でしかない。みな、昨日の地獄を忘れて、今日の地獄を生きた。

ちょっと、私みたいな青二才には感想を書くのも難しかったので印象的だった言葉を抜き出してお茶を濁します......。しかしこの著者が5歳も歳下なのは信じられない......どんな人生送ってたらこんなもん書けるんだ......。