偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

『100万分の1回のねこ』感想

佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』という絵本のトリビュート作品集。
絵本の方は子供の頃に読んだことがあったので、トリビュートなんてあるんだと気になって買いました(といっても私のお気に入りは『ぐりとぐら』や『はらぺこあおむし』や『ぐるんぱのようちえん』だったので当時はそんなにハマってなかった。というか好きな絵本全部食べ物の話だ......)。


一応元の絵本の内容を紹介しておくと......。


100万回死んで100万回生き、船乗りや王様など色々な人間に飼われながら誰のことも愛さず自分だけを愛したトラねこ。
ある時、彼は誰にも飼われないのらねこになった。彼は美しい白いねこに出会って彼女に恋をする。
やがて白ねこは死に、初めて悲しみを知ったトラねこも穏やかに死んで、もう生き返ることはなかった......。

というお話。
愛することの幸福を描きつつ、愛を知ったから本当に死んでしまうという愛の業のようなものも描かれた絵本で、大人になって読むとまた染みるものがあります。
で、本書はそんな名作と言い切って良いであろう絵本のトリビュート。
主に「ねこ」と「愛」を主題とした作品が揃い、原典の絡め方も、直接的なものからモチーフだけを借りた別物みたいな作品まで多様。また短編小説だけでなく詩も入ってたりして幅の広さが面白かったです。
個人的には綿矢りさ以外はあまり読んだことのない作家さんばかりだったのでそこも新鮮で良かったです。

以下各話の短い感想。




江國香織「生きる気まんまんだった女の子の話」

愛を知って死んだねこちゃんになぞらえて誰も愛さない=生きる気まんまんという発想が最高ですね。
構成といい内容といい原典を綺麗になぞりつつ、結末はちょっとシニカルな感じもしてトリビュート集の一編目として完璧だと思います。
「コッコロから」「あり得ないわね」みたいな女の子の喋り方が可愛すぎる。



岩瀬成子「竹」

単身赴任中の父、酒飲みの母、しっかり者の姉と「わたし」という家族の空気感が好き。
そして近所の嫌なおっさんや、気になる男子の寺山くんのキャラもなんか良い。「イエイ」が良いよね。
失踪中でほとんど出てこない猫の竹が物語の真ん中にちゃっかり居座ってるところに猫の気ままさを感じてそこも好きです。
あと最後から2行目がめちゃくちゃ好き。



くどうなおこ「インタビュー あんたねこ」

タイトルの通りねこにインタビューする詩。
ねこの声がはっきりと想像できるようなリズミカルな口調が良いですね。
幻想的な世界観とねこの口調のギャップとか、最後の1行の切実さとユーモラスさと可愛さと同居したような余韻が好き。



井上荒野「ある古本屋の妻の話」

ここまでの3編はわりと可愛い感じだったけどいきなりエグいな。
冷え切った夫婦のエピソードが淡々と描かれていって「もう十分だ」という言葉がもうグサっと刺さります。細かい描写の一つ一つがすごいリアリティ。著者自身が古本屋の妻らしいのでなんか私小説みたいな雰囲気もあります。
チクチクした感じなんだけど、最後でああなるのが優しい......のかな......?
ハッピーエンドのようにもバッドエンドのようにも取れるけどハッピーと思いたい......みたいなところが原典に通じる気がします。



角田光代「おかあさんのところにやってきた猫」

良い子ちゃんの猫がグレて家出する話。
猫の話だけど人の一生を描いているように感じられて、短い話なのに永遠を感じさせるような密度があります。
特に外の世界を知った時の全てがキラキラして見える感じが好き。
切なくて儚いんだけど優しい。角田さん、穂村との対談くらいしか読んでないけど気になってきちゃいました。



町田康「百万円もらった男」

100万回生きたねこ』のトリビュートって言ったら普通は「ねこ」に焦点を当てると思うんだけど、本作は「100万」の方にフォーカスしてて面白かったです。
もらった100万円がすり減っていく様がスリリングでありつつ、『100万回生きたねこ』と、1円単位で金が減っていくこの話とのギャップに笑えてきます。
ダメ人間と呼んでも良さそうな主人公だけどなんか憎めない。絶望的な話だけど、ドン底だからこれ以上落ちない!みたいな変なポジティブさもあります。なにより単純に惚けた文章が読んでて楽しい。
なんか好きそうなわりに初読だしINUとかも聴いたことない町田康さんだけどこれまた気になってきちゃいました。



今江祥智「三月十三日の夜」

1945年の3月13日の大阪大空襲を猫の視点から描いた短編。
「戦争」も「空襲」も「B29」も知らない猫の視点から戦争を描くことで、その理不尽さや恐ろしさ、愚かしさが剥き出しで伝わってきます。
一方で、猫たちが逃げていくシーンやラストシーンなどは絵本っぽいというか、絵で思い浮かべてしまいます。
作品外の事情ですが、著者自身が大阪大空襲を経験していることや、この短編が著者の亡くなる直前の頃に書かれたらしいこともあって、著者コメントまで含めて重い余韻が残ります。



唯野未歩子あにいもうと

繰り返し猫として輪廻転生し続ける兄と妹の「わたし」。しかし兄はどの猫生(人生の猫版)でも毎回飼い主に愛され、わたしは疎まれる......というなかなかしんどい話。主人公の健気さがまた哀しい。
どことなくですけどスピッツのファースト、セカンドあたりの世界観を感じました。「猫」「輪廻」「お腹の大きなママ」あたりですかね。



山田詠美「100万回殺したいハニー、スウィートダーリン」

著者コメントと内容が地続きになってるのが面白い。
クズ男に恋する主人公の活き活きした感じが眩しくて、そんな男絶対ダメだよと思いつつもこんだけ幸せそうならもう良いんじゃないかとも思っちゃう。
「クズはクズでも星屑」みたいな、クズであることは分かってる上でそれを超えて愛しちゃってるのがもうなんか、いっそ羨ましいです。



綿矢りさ「黒ねこ」

綿矢りさは好きな作家ですが、これはあんまり好きな綿矢味が出てなくてちょい薄味に感じてしまいました。
とはいえ、ポーの「黒猫」を猫視点から語り直すことでジャンルをガラッと変えちゃうという遊び心溢れる一編で普通に面白かったです。



川上弘美「幕間」

『100万分の1回の猫』というタイトルの本書ですが、実際に原典の100万回生きたねこのとある一回の生を描いた作品は意外と少なく、これと次の「博士とねこ」はその数少ないひとつ。
本作は、原典のパスティーシュかと思っていると、もう一つ思わぬモチーフを絡めてくるところが面白かったです。
伏線の張り方も上手い。
そして、ともすれば馬鹿馬鹿しくなってしまいそうなアイデアだけど自己存在の儚さや人生のままならなさを描いた味わい深い小説になっちゃってるのも凄かったです。



広瀬弦「博士とねこ」

これも100万分の1のお話。
最も原典に忠実というか、絵本の見開き1ページに載っててもおかしくない、まさにパスティーシュのような作品です。
一方、博士が出てくると星新一ショートショートっぽさも出てきて、佐野洋子星新一悪魔合体みたいな雰囲気もあります。
そして内容はというと、「博士の異常な愛情」というタイトルでもおかしくないような、自己満足に近い愛が描かれています。それだけに、最後の1行が原典よりもより悲しく響きます。



谷川俊太郎「虎白カップル譚」

トリを飾るのは谷川俊太郎
原典の虎白カップルとともに人生を生きた男の物語。
男が物心ついた時にはもう虎白カップルはいて、男が老いてもまだいるという、しれっとこの現実ではあり得ないこと書いてるのが素敵。
原典の後日談......というか、あの後こうなってたらいいな、という絵本を読み終わった後の子供の無邪気な空想みたいな話であり、一方で老いや死を優しく描いてるとこは著者くらいの年齢になってこそな気もする、軽やかにして深みのある一編です。