偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

久生十蘭『久生十蘭短篇選』感想


以前から気になってた久生十蘭青空文庫で数作だけ短編を読んだ気はするけど忘却のファーラウェーだし一冊通して読むのは初ですが、良さがありすぎました。






「黄泉から」

戦後最初のお盆を迎えた日本。主人公の光太郎は、唯一の肉親であったが婦人軍属として戦死した従姉妹のおけいが自分を恋うていたことを知り、今日だけは彼女を追悼しようと決める。

高校生の頃に国語の授業の教材で出たんですが、その時にビビッときて、ミステリに近いところにいる作家の作品でもあるのでタイトルを覚えといたんですよね。
改めて読んでみてもやっぱり良かったです。

死者についてのお話。戦後復興の忙しさで戦死者を過去に置き去りにしてしまっていた日本のお盆の光景に対してパリのしめやかな追悼式を引き合いに出して「こんな国で死にたい」と言う視点が凄いと思います。
故人であるおけいが物語の軸を担っていて、不在の彼女の存在感が強烈。
生きていた頃の豪奢な宴の描写と、死んだ場所との落差とかもサラッとですが印象的に描かれています。もちろん「雪」のシーンも印象的。
主人公がとある気付きから彼女の存在を感じる結末もあまりにも切なく、美しいです。
しかし、解釈の幅のあるラストシーンのおかげで辛いだけではなく暖かさも感じさせるのが上手すぎる。短編小説ってこういうことかと思わされます。





「予言」

画家の安倍は知人の男の嫉妬を買い、自身の死を予言する手紙を受け取る。やがて花嫁とハネムーン旅行に出る安倍だったが、その道行きが予言に沿っていることに気が付き......。

めちゃくちゃ気持ち悪かったです。もちろん良い意味で。
予言を扱った怪談としてまず普通にめっちゃ面白いんですよね。序盤はかったるい感じで説明が続き、しかし中盤の話が動き出す辺りからは怒涛。話の筋自体はありがちな怪奇小説なのにこれだけ面白いのは、「嫉妬」という強烈な感情の描き方の上手さのためでしょうか。
そして、「気持ち悪い」とすら思わされるのは、語りのおかしさなんですよね。
主人公を外から見ている語り手がいることを仄めかしつつ、「私」みたいな一人称は使われず、2回だけ「我々」という複数形の一人称が使われます。
それによって、例えば主人公だけが周りの全員に騙されて踊らされている......映画『トゥルーマン・ショー』みたいな感覚だったり、あるいは読者が『われわれ』の一員として主人公の受難を眺めていることを自覚させられるような、そういう奇妙な味わいが凄いと思います。





「鶴鍋」

鶴を引っ捕えて鍋にしよう!みたいなことを友人が言い出す時点でおおっ!?と引き込まれてしまいます。まぁ昔は鶴を食ってたらしいから別に珍しいことじゃなかったのかもしれないけど、今読むと「鶴食うの!?」ってなりますよね。
そんな人を食ったようなというか鶴を食おうというような冒頭から、しかしその目的が明かされると俄かに深刻なお話になっていく......という軽さと重さのバランスが洒脱ですよね。
最後は実は自分で読んだ時には誤読してて、解説まで読んで本来の意味が分かりました。読解力の問題ですけど、時代背景も今とは違うししょうがないかな......とも思う。誤読は誤読で結構エモい解釈でもあると思うので許して欲しい。
いずれにせよ幻のように美しいラストシーンで印象的でした。





「無月物語」

後白河法皇の時代のお話。
仏教が流行ったことで死刑廃止論が出て死罪の罪でも流罪くらいにしかならなかったという時代背景の解説がまずは面白く、その中で珍しい死刑......それも美しい2人の女性が......という出だしで興味を惹かれます。
さすがに現代から遠すぎて読みづらい部分はあれど、クライマックスにさしかかるとギアが上がって一気に読めてしまうのはさすが。
要するに藤原泰文という外道な男が妻と娘に殺される話なんですが、この悪役である泰文の人物造形が印象的です。
なんというか、空虚な人間なんですよね。何か野望があったりもせず、楽しいから悪いことをしてるわけでもなく、怠惰と吝嗇と見栄くらいしかないんだけど変なカリスマ性みたいなものがあるからまかり通ってしまってる人、って感じで。だから最悪なんだけど100%憎むだけではいられないリアルさを感じてしまいます。
最後まで読んでもどうして2人が死刑になったのかいまいちピンと来なかったのですが、これって本人たちがそう望んだということですかね......?





「黒い手帳」

パリに住む日本人の「自分」。日本人向け(?)のボロアパートで、階下の夫婦と、階上のルーレットの法則を研究する男との交流を描いたお話。
冒頭のボロアパートをめちゃくちゃディスる語り口からしてもう面白いです。
賭博研究男のキャラの濃さもですが、夫婦の方もなかなかクセモノで、彼らの内面が徐々に分かってきてそこからドラマチックな心理の動きを見せる様はさすが上手い。
そして、この手記の内容自体に真偽の根拠がなく、そうなると語り手の「自分」こそが1番のクセモノに思えてしまう奇妙な余韻も上手いっすね。いやまぁこいつハナからヤバい人ではあるんですけど。





「泡沫の記」

ルードヴィヒ2世を描いた森鴎外の「うたかたの記」という作品のオマージュというかパスティーシュ的な作品らしいです。
鴎外の元ネタを知らない上にルードヴィヒ2世も「狂王」という二つ名を辛うじて聞いたことがあるくらいなので全然面白がり方が分かってないと思いますが、でもまぁ面白かったです。無常感っていうか。





「白雪姫」

わがままな新妻と危険な雪山へ出た男のお話。
呆然とするような一瞬の出来事と、長い時を経たラストとの対比が美しいです。
結局どうだったのか?というのは分からないように書かれているというよりは本人も分かってないんじゃないでしょうか。わりと淡々と起こったことが描かれていくのでラストの主人公の心境も想像するほかなく、それだけにこうだったんじゃないか、ああだったんじゃないかと考えさせられて余韻が残ります。





「蝶の絵」

戦死したものと思われていた名家の箱入り息子・花世が戦前と変わらぬ姿で日本に帰ってきていた。屋敷に招かれた語り手は、変わらぬように見えた花世の変化と苦悩とを知り......。

まずは主役である花世という男の存在感(存在感が薄いところも含めて)が凄い。
そして、太平洋戦争を「猿を食った」というエピソードから切り取るのも戦争体験のない読者は驚かされる切り口です。
特に花世が語る猿狩りのシーンの悍ましさはかなり衝撃的。
他にも印象的な色々のエピソードを積み重ねていくことで心情を説明しすぎずに説得力を与えているのが凄い。なおかつ、最後のまとめみたいな説明は今読んでも共感してしまうような普遍性があってしんみりしちゃいます。
私みたいな凡人なら「猿の声」とか付けそうなところを「蝶の絵」という捻ったタイトルなのもお洒落っすね。





「雪間」

知り合いの2人の不倫を目撃してしまった上で、その不倫してる奥さんと話すっていうスリリングとも滑稽とも言えるような導入がまず面白いです。箱根の別荘の空気感も良い。
大人の愛憎劇みたいな感じから終盤で一気にオーソドックスなミステリっぽくなるギャップも面白い。そういえば本書の中でもここまでミステリらしい「解決編」があるのは本作だけな気がします。
とはいえ、そこで理に落ちすぎずに、切り裂くような唐突な終わり方によって余白と余韻とを残すあたりはさすが。俗っぽい話でも品があります。





「春の山」

特に何も起こらない田舎の山村に引っ込んで隠居のような暮らしをしている主人公だったが、自分の敷地内で闘鶏が行われていることを知る。
のどかな田舎の風景と終盤のエグさのギャップが凄い。
使い捨てられる命への眼差しはここまでの短編を見ていると戦死者を思わせるし、マッチョな男社会への批判という読み方もできる作品で短いながらに印象的です。





「猪鹿蝶」

結婚を破談にするために死んだことにされ葬儀まで出された女が、10年ぶりに姿を現す。
事情を知る語り手が電話で友人に相談する、というのを、電話口での1人語りだけで描いた異色作。

死んだことにされた女ってのは別の話でも聞いた気がしますが、今回はかなりコミカルな描かれ方をしていてコントみたいな読み心地でした。
死んだことになってるのに図々しく戻ってきて!......とか言ってる語り手も結構図太くて、なんというかどっちもどっちなところが面白い。
特に後半の困らせてやろうとする語り手と、それをかわす帰ってきた女の攻防はかなり笑えます。......笑えるんだけど、滑稽みもありつつそれよりも彼女らの強かさに喝采を送りたくなるような感じもあり。またそもそも解釈の幅もあるから狐につままれたような感じもして、不思議だけど痛快さのある読後感が素敵です。

タイトルの意味がいまいち分からなかったのですが、猪鹿蝶は花札の役のこと。ひとつは女同士の駆け引きを花札に喩えたもの?という気がします。
また、語り手・聞き手の友人・帰ってきた女という3人の女を「猪・鹿・蝶」あるいは「萩・紅葉・牡丹」に喩えたもの?という気もします。本作の改稿前のタイトルは「姦(かしまし)」だったらしく、こちらも3人の女を示していることからも、そんな気はしますがどうだろう。





「ユモレスク」

パリへ行った息子に会いに、これまで自分の住む町から出たこともない母親が単身渡仏するお話。
親馬鹿な母親に、息子目線でちょっと暑苦しいものを感じつつ、しかしその愛情に対してあまりに冷たい息子にはもうちょい優しくしてあげなよとも思ってしまいます。
しかし、息子の側の事情が分かってくるとまた印象も変わります。この話を息子視点じゃなく母親の側の、しかも母親本人じゃなくて知人の目線から描くのが渋いですね。
最後のセリフはまた2通りくらい解釈できてしまい、どちらにしても深い余韻が残ります。





「母子像」

学校では真面目な少年が補導された。担任教師が警察へ赴くと、少年には放火の疑いがある他、過去にも幾度かの補導歴があるといい......。
黙秘する少年の動機が謎となるホワイダニットミステリとしても読めるお話でありつつ、美しい母親への異様な愛情、自己存在への疑問、戦争の悲劇と戦後の占領など、様々なテーマ性を孕んでもいます。それでいて筋立てはシンプルで淡々と進んでいくので短い分量に濃密な内容がまとまっていて(内容はつらいけど)贅沢な満腹感が味わえました。
前半は大人の視点から少年の心理が分からん分からんという感じで、後半では少年の視点からそれが解き明かされることで「大人は分かってくれない」的な視差が現れるのが上手いなぁと思いました。





「復活祭」

客船のダンスパーティーに誘われた鶴代は、そこで少女時代に憧れた20歳ほど年上の男・小原と再会する。

これも鶴代の視点から描くことで、語られない小原の空白の期間を想像させる、余白と奥行きのある作品。
とりあえず登場人物たちのルー語にはちょっと笑ってしまったり、32歳でおばあちゃんなのか......とか、今読むとカルチャーショックはありますね。
しかし、男と女の色っぽくも切ない関係性と、そこからさらに一転して感動的な終わり方への流れがとても綺麗。
過去の淡い恋心を吹っ切って未来を思う余韻が爽快です。





「春雪」

友達の娘の結婚式に出席した池田は、夭逝した姪の柚子を惜しむが、柚子にはある秘密があって......。

本書のトリを飾るに相応しい、儚く、美しい純愛の物語。そのあまりのいじらしさになんというか、悶絶ですよね。
これもまた主役である柚子の叔父の視点から描くことで、変に悲劇的になりすぎずにさらりとしつつ胸に残る、いい塩梅になってますよね。
宗教なんかがあるから争いが生まれるんだという持論がある一方で、神も仏もない私は生きづらく死にづらいのかもしれんなとも思わされました。