偽物の映画館

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谷崎潤一郎『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』読書感想文

久しぶりの谷崎。書名の通りマゾヒズムが題材の短編を集めた本です。
中村佑介のイケない感じの表紙絵に惹かれて買ったわけですよ。そりゃそうさ!

谷崎潤一郎マゾヒズム小説集 (集英社文庫)

谷崎潤一郎マゾヒズム小説集 (集英社文庫)

ところで、暴露しますが、私はたぶんSでもMでもないです。それどころか、フェチとか変態性慾というものを持ってないんですよね。だから江戸川乱歩とか谷崎みたいなフェティシズムの世界というのは憧れであり分からないものでもあるという。
それだけに、本書に描かれたマゾヒズムの快楽に目覚める甘美さも一歩引いたところから「こいつぁすげえや」って感じで読んでしまいました。私もSかMだったらこのめくるめく甘美な世界にふわっと入り込めたかもしれないのにと思うと残念です。
とはいえ、どの話も読んでて普通に面白かったですけどね。
以下は各話ちょっとずつ感想。



「少年」

恐らくは明治の頃の田舎町が舞台。
寂れた町にある大きな屋敷。そこに住む普段は陰キャっぽいクラスメイト。
小学生の主人公が、そのクラスメイトのお屋敷に遊びに行くと、彼は姉や下男の息子を虐める遊びをしていた。主人公もそこに入るうち、虐められる快感に目覚めていく......というお話。

まだセックスというものを知らないであろう少年たちだからこその無垢な背徳感......。素晴らしいです。
まずは、序盤の縁日のシーンが良い。個人宅で縁日ってどんなんや!と思うけど、昔はそういうこともあったのでしょう。無料で振舞われる飲食物を目当てにする近所の貧しい子供達の喧騒。それとの対比で、主人公たちの禁じられた遊びの異様さが際立つのが良いんですよね......。
遊びの内容はMと言うにはやや易しめ(?)ですが、私みたいなSM初心者にはこのくらいが丁度いい......などと思っていたら最後のあれには引きました......。あそこまでいくともう恐ろしいやら可笑しいやらで、なんとはなしに突き抜けた爽快感というか、エグいのに後味は悪くない感じが不思議な魅力ですね。いやぁ、わけわかんねぇ......。



幇間

幇間という言葉自体、見たことあるけど意味はよく知らなかったんですが、Wikipediaで調べたら「宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる職業」らしいです。要は、道化のようなもの。
本作の主人公はその幇間の男。
周りの人々は彼のことを宴会の盛り上げ役として重宝しますが、内心では馬鹿にしたり、あるいは少し憐れんだり、いずれにせよ軽んじているわけです。そんな彼がある時とある女性に恋に落ちて......という話なのですが、これがなかなかつらいですね。
私はいわゆる陰キャで、この主人公のようなお調子者のいじられキャラの人を羨ましいと思って生きてきました。だってみんなに面白がってもらえて人気者だから。でも、こういうマスコット的立ち位置を確立してしまうともう恋愛対象としての資格を剥奪されるとともに「何をしてもいい相手」と見なされてしまう......これはつらいでしょ。
それでも、そうやってしか生きられないし、そうやって生きる才能には溢れている......そんな彼の人生を言い表したラストの英単語1つがとても印象的です。



麒麟

孔子先生が出てきます。あの、『論語』の人......はい、白状しますが、孔子、名前しか知りません。なのであんまり分かってないんですが、分かってないなりに面白かったです。
孔子が弟子たちとの旅の途中(よく知らないのでイメージは香取慎吾西遊記に出てた三蔵法師)でとある国に立ち寄ります。
そこの王様にはめっちゃエロい奥さんがいるのですが、孔子の徳の教えによって性欲を忘れます。しかし奥さんはそれにブチ切れて徳vs色のバトルが勃発するんですね。
で、そのバトルシーン(?)がまたすごい。
教養がないのでもはや何が書かれているのか分からないんですけど、直接的なことは何も書かれてないのに濃密な官能みがあります。
からの、ある種納得のラストも、谷崎らしい......なんて言うとあんまり読んでないくせに失礼な気もしますが、私の中の谷崎のイメージらしい終わり方。いやはや凄かったです。



「魔術師」

どこかあるところのとある猥雑な公園にいる、誰もがその美しさに魅惑されるという魔術師......。主人公の男は、恋人に唆されて魔術師の興行を観に行くことになる。自分たちの愛が魔術師の妖術に負けないかを試すために......。
......ってゆう、この設定にもう無条件降伏しますやんね。

まず冒頭の舞台となる公園の説明からして上手くて引き込まれます。
浅草六区という実在の場所(そもそも東京人じゃないしましてや当時の浅草のことなんか知らないから分かんなかったけど)を引き合いに出しつつあくまで無国籍で現実世界から遊離した場所を作り上げ、さらには「皮蛋」という比喩でその美しさまでも伝えきってしまう。私は皮蛋食べたことないんですが、見た目でだいたい想像はつきますからね。むしろ食べたことない方が幻想的な雰囲気は味わえるのかもしれませんしね。

で、もちろん中身も面白い。
「愛」という不確かなものが圧倒的な「美」に勝てるかどうか?というテーマは「麒麟」にもやや通じるところがありますが、南子夫人の誘惑よりもこちらの魔術師の妖術の方が私みたいな無教養なザコにも分かりやすくて面白かったですね。子供の頃はマジックとか好きだったんですけど、やがて種があると知ってしまってからは、その種の面白さを追求したミステリの方へ興味が移ってしまったのですが、しかし、本作の魔術は正真正銘タネも仕掛けもないホンモノ。だから穿ったことは考えずに目の前で繰り広げられる摩訶不思議で妖しく背徳的で奇怪でそれでいて美しい魔術に見入ってしまいました。
そして、切なくも甘美なラストシーンがもう、、、エモエモのエモってやつです。切なくも、永遠を感じて羨ましい気さえしてしまいました。



「一と房の髪」

親友同士だった3人の男が1人の女に夢中になり、やがて関東大震災の日に彼らの関係が破局するまでを描いた現代もの。
前の2つがファンタジー的な雰囲気を持っていただけに、正直この現代の愛憎のもつれみたいな短編は地味に思えてしまいます。
しかし、これもやっぱりラストがいいですよね。『きみに読む物語』という映画を見てから純愛というものを探すのを諦めてしまった私からしたら眩しいような、馬鹿馬鹿しいような純愛の形。どうしても穿った見方が入ってしまいますが、しかし私がどれだけ穿ったところで本人が幸せならそれで良いですもんね。この個人の中だけで完結した美というものが印象的でした。
ちなみに⚪︎⚪︎⚪︎〜という伏せ字がところどころに入ってるのが気になりますね。まぁきっと今だったら大したことない内容なんだとは思いますが、伏せられてると色々想像してエロい気持ちになりますよね。



「日本に於けるクリップン事件」

本書の掉尾を飾るのは実話を基にしたドキュメントのような形のこの作品。実際に本当に実話なのかどうかは分かりませんが、ともあれそういう形式が黒岩涙香だとか山本禾太郎の『小笛事件』みたいな雰囲気が楽しめます。
内容は、とある田舎の町の民家で犬に噛み殺された妻とベッドに縛り付けられた夫が発見される......というSMプレイ真っ最中の惨劇を描いたものです。
物語の筋自体も上記のような実録犯罪ものとしてなかなかに面白いですが、なにより解説にもある谷崎のSM考が勉強になりました。SMというのはロールプレイであって愛情とは関係ないんだなぁ。逆に言えば私はもうSでもMでもない以上、この先急にMになれたりはしないんだろうなぁと思うと、Mの人への憧れで切ない気持ちになります。私もSMプレイしてみたかったよ......。悔しい......。