偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

マルコ・パルツァーノ『この村にとどまる』感想


北イタリアチロル地方、ドイツ語圏の一帯はムッソリーニの台頭によりイタリア語を強制され、ヒトラーの移住政策によって村は分断された。母語を愛し、言葉の力を信じるトリーナは、地下で子どもたちにドイツ語を教え、ダム建設に反対する夫とともに生きてゆくのだが……。

実在するクロン村を舞台にし史実をベースに描かれた長編小説。
表紙の写真が、作中にも出てくる、ダム湖に沈んだ旧クロン村で唯一水面に見えている教会の鐘楼の姿です。
本書は、この傍目にはインスタ映えする光景の下に、ファシストに言葉を奪われ、ナチスに人を奪われ、戦後のダム建設によってついに土地そのものを奪われた人々の悲しみや怒りがあることを教えてくれます。

村に住む女性トリーナが、生き別れになった娘に向けた手紙という体で、少女時代から村がダムに沈むまでの30年近いトリーナの半生が綴られていきます。
凝った表現の少ない、静かで平易でありながらも抑えた詩情を感じさせる文体がまず魅力的で、翻訳もの=読みづらいという先入観を打ち破る読みやすさでぐいぐい読めました。ストーリーの展開も、わざとらしいドラマチックさを排し、その分リアルな人間の感情をじっくり味わうような感じで、それでも各章ごとに大きな出来事はあるのでエンタメ的な面白さもある絶妙なバランスがとても良かったです。

語り手のトリーナの視点から全てが描かれてはいくのですが、その中で主要キャラクターだけでなく少し出てくるだけの人生の脇役たちの姿も忘れ難く描かれている、人間への丁寧な眼差しも魅力。特に第二章の「逃避行」の途中で出会う人たちや、村の神父さん(彼は実在の人物がモデルらしい)らが印象的でした。

歴史を題材にしていつつ、歴史を語るのが目的ではなく大局的な視点から歴史を語るときに取りこぼされてしまう小さな人間の営みこそを文学として書き残すという著者の真摯な姿勢にも感動しました。女性が主人公なのもあり実際に戦地に招集されて戦うシーンなどはないんですが、村での生活をベースにすることで、その生活が戦争・独裁・また終盤では大企業の圧力によって無理矢理に変えられてしまう様がじっくりと描かれていて、村の人々の無力感が伝わってきて恐ろしかった。巨大な力を前に言葉では世界を動かせないことも描かれながら、言葉を紡ぐことを諦めない彼女の姿にも胸を打たれた。

また、トリーナは母親に対して敬意や愛情とともに反感も抱いているんだけど、娘に対して「自分の母親のようにならないようにしよう」という思いはありながらも母親とは違う形で自分の価値観を押し付けてしまっているところもあり、1番近いからこそ上手くいかない三代母娘関係を描いていたり、一方で夫と息子の関係性もうまくいかず、家族というものの難しさを描いた面もあるのも良かった。

しかし、政治に関心を持たずに「神様がなんとかしてくれる」とか言って酒飲んでる村人も、産まれた土地に執着してとどまろうとする人々への攻撃も、昨今の我が国の姿を見るようでなかなかつらいものがあり、自戒も込めてですけどみんな選挙くらい行きましょうよという気持ちになった。