偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

鳥さんの瞼『死のやわらかい』感想

はっきり覚えてはいないけどたぶんTwitterで見かけて知った「鳥さんの瞼」さんの第1歌集。

デビュー作のタイトルに「死」なんて文字を入れる勇気に驚きつつも、読んでみればむしろ「死」をタイトルに入れない方が不自然だと納得しちゃうくらい、死に惹かれて死を見つめる歌に満ちた歌集でした。
全体に比喩などが少なく、時には勢いに任せて書き殴ったような歌もあり、それこそTwitter的な感覚で読めて、死や生活や食や政治や女として生きることといった私たちがある程度共有しているテーマを扱っているのでとても分かりやすくて面白く読めました。そんでもテーマへの眼差しや言い表し方に非凡なものがあるので、私が本当に適当に書き殴ったTweetやブログと違ってちゃんと作品になっててツイッタラー/ブロガーとしてはかなり嫉妬もしてしまいました笑。
要は、描かれる内容は共感全振りだけど、描き方の手法はワンダー、みたいな。

会うことのなかった四羽の心臓が一つに刺されて完成している

一首目がこれなんですが、最初っから著者名の「鳥」とタイトルの「死」が題材になってます。今自分の目の前にありながら自分とはかけ離れた鳥の「死」をぼんやりと見つめるような距離感は「死」をテーマにした歌集のイントロダクションとしても、なんつーか「ちょうどいい」感じがします。
私自身、焼き鳥屋で美味しい美味しいと焼き鳥食いながらふと「これって臓器なんだよな」と思うことはあり(ハツとかレバーとか砂肝が好きなので)つつ、それをこんな歌にして切り取る目と言葉を持たないので、やはり嫉妬してしまいます。

本書の中には他にも手羽先や寿司、えび天など、食べ物にかつて生き物だったことを見出すような歌が数多く収録されています。
スーパーに行けばお魚丸ごとを捌いてくれるところもあるけど、基本的に肉も魚も(なんなら野菜も)加工された状態しか見ることがない現代の私たちにとって食いもんに対して命を食べているということなんて知識としてはあっても感覚としてはあまり意識しないものでして、それをこういう風にして意識しようとする想像力が美しいと思いました。
また同時に、そうやって命を貰って生きているのに抑えようもなく「死にたい」と思ってしまうことへの後ろめたさのようなものも感じて共感してしまいました。

遅くまで起きてるみんなの死にたいを結んで名前のつかない星座

思えば昔は死にたいなんてことを容易く口に出すことなんて出来なかったんだろうけど、今はTwitterでいくらでも言えてしまうから死にたい人が増えたように見えるだけで、本当は昔からみんな死にたかったんじゃないのか!?と思いました。

死にたいと私が入力する時も帝王切開の傷を持つ母

そんな指先で軽く簡単に放ってしまえる、質量を持たない「死にたい」と、自分が生まれてきたことの重みを体に刻む母が同時に存在していることの不思議。

うつくしい種無し葡萄わたくしの身体はたぶんわたくしのもの

そんな母に対するある種の畏怖のようなものを(私は男だから分からんけど、たぶん同じ女として)抱きながらも、自分は子供を作ることはないだろうという、それは決意なのかぼんやりとした予感的なものなのか、そこには多少なり諦念も含まれるのか、分からんけれど「たぶん」という一言に滲む僅かな「ほんとうにそれでいいのか」という感覚がリアル。また、「種無し葡萄」というもの自体がタイパ主義の現代を象徴するモノでもあり、そこから「子供を作らない」という現代的な意志へと繋げるあたりの説得力も凄い。

母の推すあんまり知らん政党が母をさびしくしませんように

自分を産んだ母と、産みたくない自分との断絶の感覚がこういうところにも滲み出ている感じがしますね。しかし「母をさびしくしませんように」に実家でYouTube見るくらいしか外界との繋がりがなく孤独に暮らす母の姿を感じさせてなんとも言えぬ気持ちになるし、うちの母もあんまり知らん変な政党とかにハマると嫌なのでちょいちょい実家に顔出さなきゃなと思った。

巻き貝のなかを明るくするように母は美大はむりよと言った

母に関してもう一つ印象的なのがこれ。
巻貝の中を明るくするようにという比喩が使われていて、巻貝の中を明るくするなんてムリなのにそんなムリをやってのけるところに母のパワーを感じつつ、巻貝の中に隠していたものを無神経に照らし出されるような屈辱的な怖さもあってゾワっとしました。
たぶん、母は何の気もなしに当然の事実のように「美大はむりよ」という残酷な言葉を向けていて、その暴力的な影響力に支配されてしまうのも、私自身反抗期も激しかっけどそんでも実家にいる頃は常に母親の顔色を窺っていて(てか結局反抗期の反抗などというのも顔色を窺う行為でしかないのかも)、それどころか今こうして母親が理解できないであろう短歌とか、難しい小説とか映画とか音楽とかを背伸びして消費しまくっているのも結局はこれまで私が好きなもの全部身勝手な理屈で明るみに引き摺り出して叩き潰してきた母親を見返すためである気さえして、結局母親の影響力にはなかなか抗えないことを身をもって知っているだけに刺さりましたね、これ。

安らかな眠りだなんてゆるせずに毎朝派手な花を供える

本書に通底する死への憧憬や生むことへの消極さの裏には、こうした大切な存在の喪失があることも匂わされ、序盤では「死にたい」という感覚がTwitter的な軽さで描かれていたのに対して後半でこの辺の歌が入ってくることでそこにも根拠が見えてきて重みが増す曲順が良い。

さまざまな海のなきがら集められしんしんと鮮魚コーナーの九時

これは最後の方に収録されている歌なんですが、最初の焼き鳥の歌にも通じる食べ物と生き物を結ぶ歌でありつつ、それが閉店時刻に廃棄処分という形でもう一度殺される様が(しかも、他の歌でレジ打ち云々が出てきたので恐らくはこれらを廃棄する従業員の立場から)切り取られていて、「これ全部捨てられちゃうのかなもったいない......」という当たり前の感覚を歌いつつ本書をここまで読んできたことでより強烈な印象を残す歌になってて、全体の構成もやっぱ良いよなぁと再確認しました。

他にも気に入ったのはいっぱいあるというかなんなら全部好きなんだけど全部引用するわけにもいかないのでこの辺にしときますが、とにかく私みたいな短歌初心者でも楽しみやすい良い歌集でしたので現代社会を生きるみなさんはぜひお手に取って読んでみていただけると幸いです。