偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

鯨井あめ『晴れ、時々くらげを呼ぶ』感想

第14回小説現代長編新人賞を受賞した著者デビュー作。
ひょんなことから著者がスピッツファンだってことを知って読んでみました。


高校2年生で図書委員の越前亨は、同じ図書委員の後輩の小崎優子の日課である屋上での雨乞いならぬ「くらげ乞い」に付き合わされていた。
ある事情から心を閉ざしている亨は彼女のくらげ乞いにも無関心だったが、ある日本当に町にくらげが降ってきて......。


好きか嫌いかで言えばもちろん好き!なんだけど、あまりにもピュアで眩しすぎて29歳の私はちょっと薄目でしか読めない感じもあり、登場人物たちと同じ高校生の頃に読みたかった(いや、その頃はその頃で良い話すぎて怒ってたかも)作品。

本を読むことと優しさがテーマの長編で、友達が少なそうで他人に無関心、それどころか趣味らしい読書に対しても無関心な主人公の亨がまさに高校時代の自分を見ているようで前半はわりと常に若干イラつきながら読んでしまったこの同族嫌悪よ。
「本」がテーマなのもあって作中には登場人物たちが好きな実在の小説について語るパートが長々と入っているばかりか登場人物による本のPOPのコメントまで入ってて本好きとしてはワクワクせざるを得ないんだけど、その選書がガチすぎて分かりみが深すぎて恥ずかしくなってしまいました。こういう、小説の中の高校生が読んでる本って普通はドストエフスキーとかシェークスピアとか中上健次とかみたいな「いやそんなん読んでる高校生なかなかおらんやろ」みたいなのなはずなのに!本作に出てくるのは伊坂幸太郎とか森見登美彦とか新本格ミステリとか、私がドンピシャでまさに高校生の時に読んでて「こんだけ本を読んでる俺はあいつらとは違う......」と思いながら女の子と普通に喋れて友達もいるクラスの奴らを軽蔑のフリした嫉妬と羨望をもって眺めていた頃のラインナップであるため「ぐわあぁぁ〜!」と断末魔の声を上げながら虫の息で読み進めた。
それでも、そんな不純な思いとは裏腹に当時の私がそれらの作品を自分なりに本当に好きだったことは確かで、森見作品や伊坂幸太郎の『砂漠』で大学生活に想いを馳せ、森見作品や麻耶雄嵩で京都に想いを馳せ、うおぉ!!!京都大学に入るぞ!!!と叫びながら地元のしがない文系私大に入って竹林とも麻雀とも縁がなく美女は眺めるだけの日々を過ごしたりした思い出が走馬灯として流れてしまいました。
てかこんだけ本の趣味も合ってしかもスピッツファンなら普通に著者と飲み友達になりたいわ。

そんなことはさておき、他人へ無関心な主人公が、それでも他人に干渉されて関わっていくことで成長していく......というシンプルな本筋に、くらげを呼ぶ少女小崎ちゃんをはじめ彼と関わる周囲の人々の抱える物語が絡んでくるストーリーはなかなかエモい。んだけど、それぞれの抱えるものがわりとありがちではあり、そのありがちさを補うほどの描き込みもないため、主人公以外のキャラクターが類型的に感じてしまいました。また、くらげというモチーフもなんというか、なんとなくエモいからとか著者が好きだから以上の必然性が感じられず、降ってくる条件とかの話も設定がゆるく感じてしまいました。
また、本の話もタイトルが大量に羅列されていくんだけどもうちょい中身を語って欲しい感じはあったかな。
あと、これは個人的な趣味の話ですが、ボーイとガールが出てくるのに恋愛要素が一切ないのは少し物足りなく感じてしまいました。なんつーか、私はこれで恋愛ものだったらめちゃくちゃハマってたと思う。まぁ本作はそういう安易な恋愛関係ではない人間関係を描いたところが魅力でもあるとは分かっているんですが......。

それでも本のことを同好の士と語る楽しさから本を読むことの意味まで、本好きであることの浅瀬から深みまでを描き切った本好きによる本好きのための物語であり、図書委員だった頃に戻ってまた「オススメミステリー10選」とかを作りたくなってしまういいお話でした。
なにより、「優しさの本質は他者への興味である」みたいなセリフがとても刺さった。刺さりすぎてなかなか抜けない。他人に興味がなさすぎてもう、グサグサ。