偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

レイジング・ブル(1980)

"ブロンクスの怒れる牡牛(レイジング・ブル)"と呼ばれた実在のボクサー、ジェイク・ラモッタの生涯を描いたドラマ。
スコセッシ監督とデニーロの黄金コンビによる作品で、デニーロがボクサー時代のマッチョな肉体美と引退後の太った姿とを27kgに及ぶ増量などの肉体改造によって演じ、「デ・ニーロ・アプローチ」という言葉も産まれたそうです。


冒頭、コメディアンが楽屋でネタを暗誦するみたいなシーンは先日観た同監督の「キング・オブ・コメディ」を連想して「デニーロまたやってるよ」と思いますが、これが主人公のプロボクサー・ラモッタの引退後の姿。
そこから時を遡って1941年から、カッコいいモノクロ映像で物語は綴られていきます。

これまでボクシングの映画って『ロッキー』しか観たことなかったのでああいう愛と努力の物語みたいなのを想像していたらいい意味でスコーンと裏切られました。
なんせ主人公のラモッタがボクシングの才能だけはあるDVクズ野郎で、前半こそ彼がボクシングで栄光を掴むことも描かれますが、後半は転落の一途を辿るのみ......。

元々は妻がいながらもプールで出会った少女ビッキーに惚れて彼女をモノにし、同時にボクサーとしても成功へと向かっていくラモッタ。しかしその辺の良い時代はわりと序盤だけで、中盤あたりからはもう彼は(ボクシングではどんどん躍進しつつも)DVクズ野郎に成り下がってしまうのです......。
妻が自分以外の男全員とヤッてると思い込むラモッタ。それの強烈な嫉妬と猜疑心はもう見境なしで、ビッキーが他の男とちょっと挨拶しただけでも不機嫌になり、挙句にはマネージャーをしてくれている彼自身の実の弟すらも疑う始末。一方ではビッキーが彼の元から逃げようとすると「お前がいないと俺はダメなんだ」と泣き落としにかかるのも典型的なDV男でつらい......。
しかし、そんなまるっきり共感なんてできないクズを主人公にしながらも彼の姿に憐れみを感じてしまうのは、彼が肉体だけは強くても心はあまりにも弱い、というのが伝わってくるから。周りの人間全員を疑い1番近くにいる妻や弟までも疑い、もはや完全にビョーキとしか言えないあまりに孤独な暴君。周囲の人は災難としか言いようがないけれど、その弱さや寂しさが感じられるからこそ最悪な彼のことを観ていてどこか憎めずにいるんですよね。スコセッシの観たことある作品はどれもそういう共感し難い主人公を描きながら惹きつけられるし感情移入させられてしまうのが凄いよね。
私生活での上手くいかなさからいきなり試合での大活躍にバシッと瞬時に切り替わって描かれる演出も毎度ちょっとびっくりしつつ、躁と鬱が目まぐるしく入れ替わるような生活のストレスなんかも想像させられて凄い演出だと思います。
そんな感じで、スポーツ映画のイメージでいると意外としんどいですがめちゃくちゃ良い映画でした......。