偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

多島斗志之『追憶列車』読書感想文

というわけで、こないだ『不思議島』を読んでそのまま連チャンで多島斗志之作品を。
長編の後は短編でも......と思い、短編集の本作をチョイスしてみました。

ちなみに本作は単行本の収録作から2本ほど差し替えられているらしく、機会があれば単行本の方も読んでみたいと思います。

追憶列車 (角川文庫)

追憶列車 (角川文庫)


5編の短編が収録されていますが、全体にミステリー要素は味付け程度で、ストーリー性重視の短編集になっています。
1話目が現代もの、そこからどんどん時を遡っていくかのように舞台が時代がかってきて、最終話は明治維新後のお話になっています。この収録順もおそらく意図的なものと思いますが、どんどん物語の深淵に迷い込んで行くような感覚があります。と同時に、どの話も人間の複雑な心理を描いているので、いつの時代も人の心は難しく遣る瀬無い......という感慨も、一冊読み終えた時に湧いてきました。

以下各話の感想をちょっとずつ。





マリア観音

幼い娘を家に置いたまま遅くまで出かけていた美佐子。帰宅し、何をしていたか問い詰める夫に、彼女は語る。娘の持ち物が消えること、"あの女"のこと。そして......。


冒頭、遅く帰った妻が夫に叱責されるくだりまでは「ははーん、不倫ものだな」と早合点してしまいますが、そこからいきなりのストーカーサスペンスへ、さらに場所探しミステリーからの思わぬ展開へと、ジャンルがことことと変わっていくのが楽しいです。
また、前読んだ『不思議島』と同じで、本作に出る地名やマリア観音のある寺も全て実在のものなので、美佐子のちょっとした旅の長さを思ったり、実際のマリア観音の写真を見て感慨にふけったりと、インターネット併用で旅情ものにもなる味わい深い作品です。
ラストは人の心の複雑さを見事に描き出していて、深い余韻が残りました。(ネタバレ→)「どんな人間も死んだら仏」という言い方をしますがまさにそれがテーマで、お寺巡りのゆるやかな仏教的雰囲気に合った見事な幕引きです。





「預け物」

娘たちの態度の悪さに悩む普通の主婦・京子は、大事な預け物をしていた友人の照江が急死したことを知る。預け物を取り戻そうとする京子だが、それは様々な人の手を転々としていて......。


一転してややコミカルなユーモアミステリーという感じ、そして、預け物が見つからず変な人巡りをする羽目になる展開は「世にも奇妙な物語」っぽさもあります。
正直、なかなか嫌な感じの人間ばかり出てきて、ユーモアミステリーとしてはそんなに笑えないです。結局のところの預け物の正体も、たぶん誰もがまず考えるであろう可能性をそのままやっているので、意外性はなかったですね。
ただ、嫌な奴ばっか出てくるからこそ、とある場面ではスカッとして面白いし、いきなりバカバカしい話になるラストのいい意味でのとほほ感、しょーもなさ、それでいてちょっといい話だったり「ちゃんちゃん」と効果音が付きそうな最後の一文だったりなかなか味わい深い部分も多くて嫌いになれない不思議なお話でした。





「追憶列車」

『離愁』を観た淳一郎は、50年前の第二次大戦終期に、パリからベルリンへと逃げる列車の中で出会った明実という少女を思い出す。


私は一応映画ファンを公言していますが『離愁』を観たことがないのでこの話がどれくらいあの映画を踏まえているのか分からず悔しい思いをしました。←
それはともかく、戦時中という時代におけるボーイ・ミーツ・ガールという、どうにも悲しくなる予感しかしない設定で既にしんどいです。
さて、内容ですが、とりあえず男の子と女の子が魅力的です。時代背景はなかなかややこしいものの、話の軸はこの2人の交流なので、彼らが魅力的ならそれでいいのです。2人とも、変にキャラ立ちしすぎず、しかし1個しか違わないのに未知の世界にいる感を出してくるお姉さんとちょっと反発しながらも惹かれてしまう少年というオタク心を揺さぶる2人の関係性がいいですね。女の子ってのはミステリアスでオトナチックなものですね。私なんかもうおじさんだけど未だに高校生以上の女の子はみんな年上に見えますからね。
で、そんな2人の恋が行き着く終着点がなかなかで、青春こじらせマンとしてはなかなかでした。ネタバレ回避のためにぼかしています。
ただ、惜しむらくは短編の分量のためかなり駆け足なところ。もうちょいじっくり読みたかった。とはいえ、唐突な終わり方はフランス映画みたいでおそらく狙ったものでしょうけど......それにしても......。





「虜囚の寺」

日露戦争下、ロシアの俘虜の収容所。所長の大野久庵は、虜囚のセルビンが脱獄を企ててる気配を察知する。一方、13歳の少女おみつは、姉のおきぬが俘虜のロシア人と親しくするのを心配し......。


戦争中に敵国の虜囚を収容していた町......という舞台設定が魅力的です。外出許可を得て町をうろつく見慣れる大きな外国人たちに恐れを抱く少女と、彼らと親しくするその姉。そしてお互いに認め合いながらも対立する立場の収容所長とロシアの陸軍士官の4人を主役に据えた短い割に読みどころの多いドラマです。
脱獄ものミステリーの要素もあるにはあるのですが、そちらは大方の予想通りの展開でいまいち頭脳戦としての面白みに欠けるのは残念でした。しかし細かい小道具の使い方や、逃走を悟る場面の演出は面白かったです。
また、クライマックスのシーンのなんとも言えない良さが印象的でしたね。はい。





「お蝶ごろし」

元芸者のお綱は、清水次郎長の3人目の妻となる。亡くなった先代の妻の名を継いで"二代目お蝶"となった彼女。しかし、ある日芸者時代の恋人・新之助の同志と再会したことで、新之助の消息が心配になり、次郎長には内緒で新之助の行方を探し始め......。


「追憶列車」「虜囚の寺」も時代ものでしたが、こちらは実在の清水次郎長と二代目お蝶という人物を主役に据えたフィクションになっています。最初に史実における結末が語られ、本編でそこへ向かう過程がフィクションとして描かれ、「どうやってあの結末に至るのか?」という一種の倒叙のような面白さがありました。
で、本編に関しては、次郎長の妻「お蝶」が、過去の恋人が大変な目にあっていると知って芸者の「お綱」だった頃に気持ちが戻ろうとするんですね。この過去と現在のバランスがどんどん過去へ向いて行ってしまうのにハラハラさせられます。また、そんな風に終盤まで主人公はお蝶さんなのですが、結末に至って彼女の周りのキャラクターたちの姿が一気に印象を増して読後感は群像劇のようですらありました。あらかじめ主人公が死ぬことは分かってはいながら、こうした予想外の余韻が残るのには驚かされましたね。
本書収録の他の短編は全体に短すぎてちょっと物足りないところがありましたが、このお話は中編並みの分量だったので満足感も強いですね。やっぱ表題作もこんくらい長けりゃ......。

ムーンライズ・キングダム


製作年:2012年
監督:ウェス・アンダーソン
出演: ジャレット・ギルマン、カーラ・ヘイワード、ブルース・ウィリスエドワード・ノートンビル・マーレイフランシス・マクドーマンド

☆3.7点

〈あらすじ〉
60sのとある島。幼い恋人のサムとスージーは駆け落ちをし、ボーイスカウトの仲間や大人たちが彼らを追う。



わかりやすくもエモいストーリーと、ウェス・アンダーソンな映像が魅力的な映画です。アンダーソン版『小さな恋のメロディ』と言われていますが、見てみるとまさにそんな感じ。



駆け落ち。
男子なら必ず100万回は妄想する、好きな女の子との駆け落ち。実際にしたことがなくても、全ての男の中に駆け落ちの記憶はたしかにあるはずです。私も14歳の頃に始めて駆け落ちをしました。それから今に至るまで、私の人生は全て駆け落ちの連続であったと言えるでしょう。
とにかく、本作はそんな妄想人類諸君には堪らない美しい映画です。

主人公のサムくんは孤児で、周りの友達がみんなアホに見えるタイプの男の子。
だいたい、男子というものは、"心の闇"とか"業 −カルマ–"といったものを欲しがります。しかしあまりに闇が深すぎるのはしんどい。そこで、不謹慎な言い方ですが、養父母はいて生活に不自由はないけど孤児、くらいの主人公はちょうどよく自己投影できる存在であるわけです。こういうオタク心のくすぐり方はさすがにうまいですよね。

一方ヒロインのスージーちゃんもなんだか男子の妄想を具現化したような可愛さがあります。クールビューティーなんだけどけっこうな変人で、エロい。完璧じゃないですか!アンダーソン様、この子を作ったのは正解だね。

そんな理想のカップルである2人の間の独特の空気感がすごく良かったです。
子供らしい可笑しさをベースにしつつ、誰も触れない二人だけの国を目指す決意の壮絶さ、厭世的な気分を共有する甘美さ、一緒に冒険するワクワク、はじめて性に触れる背徳、どこかで無理だと分かっているような切なさ、、、などといったシリアスを上乗せすることで、「こんなに真剣なのに笑っていいのだろうか」という笑いがある。こういう絶妙の気の抜き方が『小さな恋のメロディ』の清澄な空気感とはまた違う無二の心地よさを演出しています。
そんな可笑しみと愛しさと切なさと心強さと泪と男と女とが画面から私の部屋まで溶け出してきそうになる、「ムーンライズキングダム」でのシーンは、タイトルとして掲げるに相応しい名場面だと思いますおっぱい。


私としては2人の関係だけでお腹いっぱいでしたが、脇役の魅力もそのまま本作の大きな魅力になっていると思います。
スカウトの他の子たちの唐突な手の平くる〜〜は、この映画の中でも一番笑ったかも。まじかよお前ら、とびっくり。
そして、子供がメインの映画だからこそ、脇を固める大人たちの魅力も重要になってきます。本作にはなんとブルース・ウィリスエドワード・ノートンビル・マーレイフランシス・マクドーマンドといった映画初心者の私でも名前を知っているような超有名俳優たちが出てるんです。
彼らがそれぞれ脇に徹しながらも強烈な個性を出してくるので、そのへんも面白かったですね。大人たちの方がむしろ子供っぽいというか。大人びた子供vs子供じみた大人、みたいな?そういう点では私のような見た目は大人、頭脳は子供の精神的ボーイズ&ガールズには身につまされる映画でもありました。
でも最後のブルースさんの安心感はやっぱり大人!かっこいい!


まぁそんなこんなで、ヒステリックだがストイック、ヒロイック、ファンタジックでロマンチックな絵本的最強青春夏休み的神話でした。長めの感想書いて疲れてきたのか適当なこと言ってますけど、まぁ妄想人類は見てくれ!

多島斗志之『不思議島』読書感想文

多島斗志之
本人が失明することを厭って失踪してしまったということが話題になった作家ですが、結局発見されることなく、恐らく死亡認定がなされてしまっているであろう年月が経ってしまっています。

そういうことは知っていながらも作品は読んだことがなかったのですが、今回初めて読んでみてなかなか好きな作風だったので、今更ながら切ない気持ちになりました。



不思議島 (創元推理文庫)

不思議島 (創元推理文庫)


瀬戸内海のとある島に暮らすゆり子は、15年前に誘拐されて無人島に置き去りにされたというトラウマを抱えていた。
そして現在、ゆり子は島に赴任してきた医師の里見と知り合う。彼に惹かれていくゆり子だったが、2人で無人島巡りをした際、ある島を目にしたことで誘拐された記憶を思い出して倒れてしまう。
それを機に、里見とゆり子は誘拐事件の謎を解くことを決めるが、推理は思いがけぬ方向へと膨らんで行き......。



タイトルからなんとなく孤島もののクローズドサークルかと思いましたが、作品の舞台は田舎ではあるものの、普通に人が暮らす瀬戸内海の島々なのでした。
登場人物や出来事はもちろんフィクションですが、作品の舞台となるこの島々はどれも実在のもので、だからかどうかは分かりませんが、小さな島での暮らしというものが生々しく描き出されていた気がします。全体に不穏な雰囲気はありますが、自然溢れる島の美しさのおかげでドロドロした話でもあるのにカラッとした読み心地なのは良いですね。
今時はインターネットという便利な道具があるのでそれを使って調べてみると、九十九島なんかこんな感じで

「こんなところに置き去りにされたら怖いなぁ」とリアルに想像できて面白いです。

しかしそうしたリアリティとは裏腹に、登場人物は主人公の身の回りに限られていて、そういう点ではかなりクローズドな物語ではありました。
ただ、それによって主人公のトラウマ、そして恋愛と家族というパーソナルなテーマを最短距離で描き出した読みやすい作品になっていて私は好きですね。



ミステリとして問題となるのは「15年前のゆり子の誘拐事件」とその周辺に限られ、現在では特に大きな事件は起こらず、ウン百年前の村上海賊の謎についてもさして深掘りされないのでやや物足りない感じはします。誘拐のトリックについても面白いけど、ありそうといえばありそうな感じではあります。
しかし、それよりなにより、「本格」ミステリの手法ではなく広義の「ミステリー」や「エンタメ」の手法としての伏線回収の巧さが光っています。文章自体はわりと平坦な感じだと思いながら読み進めましたが、いざ種明かしが始まり伏線が示されると、はっきりと「ああ、あの場面か」と思い出せる地味に印象深い描写の数々! 今までの何気ない描写、シーン、セリフに再び光が当てられ、神に操られるように本作のキーワードとなる二つの単語 (=「相似」と「合同」)に向かって収束していく様の美しさよ......。
こうした構築的な伏線回収がミステリーとしての本作の大きな魅力ですが、それによって物語性が薄まらないところもまた同じくらい大きな魅力だと思います。



本作をお話として見ると、その軸は主人公ゆり子の恋愛と家族です。
このテーマ自体ありきたりなものですが、主人公のキャラ造形もまた(トラウマの内容以外は)わりと平凡。しかし、その普通さが読者に感情移入しやすいエモーションを作るのです。自分と同じく都会の空気を吸ったいい感じのイケメン医師と出会って、期待し浮かれつつも平然を装う、たまに嫉妬したり、案外大胆だったりする主人公の可愛さよ。

あと、濡れ場のシーンなんかなかなか凄いです。いきなり作者がエロオヤジに取り憑かれたかのようなフェチズム溢るる筆致がとても印象深いです。精液を「液」と表記するのもなんかヘンだし、液がお腹の上で乾く描写とか無駄に細かくて生々しいし、問診口調でオナニーのことを問いただされる件に関しては「それ、いる??」とすら思いました。いや、褒めてますよ。えっちいのは好きですので。だいたいこの女は清楚系ビッチの匂いがして最初からヤベえと思ってたんだよ。あとこの男も絶対ヤバいやつだろ!冷静に考えるとだいぶキモいわ!

とまぁそんなヘンテコな場面もありますが、基本的には等身大のラブストーリーでして。あまり強調されてはいませんがゆり子が過去のなんちゃってみたいな恋愛と里見との恋を比べて意気込んでいる様は応援したくなりますし、それとともにどこか不穏なものが漂う里見との恋にハラハラさせられ、正直過去の事件よりも現在の恋愛の方がよっぽどサスペンスだったりします。

一方家族や親戚の人々に関してもそれぞれ丁寧に描写されていてリアルなのとともに、最後まで読むとそれらが意味を持ってきてただの恋愛ドラマではなく家族というテーマにも重心が置かれていたと気付かされます。

上に書いたように、結末はミステリーとしてはトリックより伏線回収メインのものでしたが、それによって立ち現れる(ネタバレ→)「蜃気楼のような家庭と蜃気楼のような恋愛に打ちのめされ」「しかし、薄皮の甘さも、今なお忘れられにいる自分が哀しかった」という、エモすぎる(エモいって言葉、どっちの意味にも取れてネタバレ回避に便利!)述懐に胸を打たれます。
人知を超えたところでの伏線回収が繰り広げられることで、この結末が運命的なものに思えてより一層感慨深く、そういう意味では(伏線をトリックと呼ぶかは微妙ですが)「ドラマとトリックが融合した」という煽り文句通りの傑作だと言えるでしょう。



地味といえば地味だしあまり知られていない作品ですがとても楽しめました。多島斗志之、気になる作家リストに追加します。

米澤穂信『真実の10メートル手前』読書感想文

さよなら妖精』『王とサーカス』に連なる大刀洗万智のシリーズの短編集。


1話目は新聞記者時代の、2話目以降はフリーの記者になった太刀洗がそれぞれ主人公。全編に一貫して、知ること、伝えること、その責任がテーマになったシリアスなお仕事小説。ほろ苦くも、太刀洗の真摯な姿に一抹の救いもある、そんなお話たちです。
もちろん、各話にミステリとしてのネタもしっかり仕込まれており、ミステリとしてもお話としても楽しめる贅沢な作品集です。

以下各話の感想を。





「真実の10メートル手前」

ベンチャー企業が経営破綻し、社長と広報担当だったその妹が行方をくらました。2人を探すことになった太刀洗は、ある推理によって甲府へ向かうが......。


ミステリとしては、行方不明者の行き先を音声データから推理するというなかなか地味なもので、推理の組み立て方もそこまで意外性はないです。それよりもこの短編はグルメ小説として読んだ方が......いや、なんでもないです。あれ、食べたことないんですよね。食べ物の描写が印象的すぎて食べてみたいしか感想がない......。
このお話のみ『王とサーカス』以前の新聞記者時代の太刀洗を本人の一人称から描いたもので、太刀洗にもまだ甘さというか未熟さを感じます。この事件があって『王とサーカス』での葛藤と答えに辿りつくのかと思うとまた感慨深いですね。
ラストは「ああ、そういえば米澤穂信作品だった......」と思わされる米澤穂信らしいもので、短編集のつかみとしてはバッチリ。





「正義漢」

人身事故のアナウンスが流れる駅で、語り手はスマホを片手に現場を撮影する不快な女を見る......。


雑誌掲載された「失礼、お見苦しいところを」という短編の改題。
前半と後半でガラッと話の印象が変わる2部構成になっているのが面白いです。
ただ、これをこの短編集の中で読むと、雑誌掲載時とは違いオチがまるまる分かってしまうのが惜しいところ。まぁ仕方がないことですが......。
ただ、軽くてユニークな話のラストで突きつけられる問いかけにはハッとさせられました。本書のテーマの一端を垣間見られる、2話目として絶妙な話ではあると思います。





「恋累心中」

高校生の男女が一緒に死ぬと遺書を残して亡くなった。その場所の地名から「恋累心中」と名付けられたこの心中事件だが、記者の都留と太刀洗が調べていくと多くの疑問に突き当たり......。


無能ではない同業者の語り手の視点から太刀洗のキレ者っぷりが描かれて太刀洗かっけえってなります。
扇情的ではありながらなんの変哲もない心中に疑問を見出していく展開自体が面白いですが、そうやって下世話な好奇心に引っ張られて読み進めるとあまりに残酷な結末に「知らなければよかった」とすら思わされます。
ミステリとしては非常に好きなタイプの意外な結末ではありますが、そんなことどうでもいいくらいつらい......。「知ること」の痛みを感じさせられると同時に、せめて「伝えること」が声なき二人の声に代わってほしいと、そこにあるはずのない希望を見出さなければやってらんない嫌な話でした。これだから米澤穂信という作家は嫌いですよ。





「名を刻む死」

近所の嫌われ者だった老人の遺体を発見した少年。特に不思議なところのない出来事だったはずだが、彼の元に太刀洗という記者が訪れ......。


人間の性質は非常に複雑な立体を成していて、あまりに複雑だからとある一面からしか見ないようにするのが楽で流行ります。
不愉快な場面に読者は咄嗟に「死んでしまえ」と思いますが、その時点で作者の術中にハマっていると言えるでしょう。死ねと思っちゃうような人にも事情はあり、どんな人にも色んな面があり、しかしそうした一切合切を分かった上で太刀洗が放つ最後の一撃は重い余韻を響かせます。願わくば、この太刀洗の一言が彼を救いますように。
ちなみに、正直なところ「名を刻む死」の意味はピンときませんでした......。意外ではあるけど、これを「名を刻む」と言うのは私の言語感覚ではむむむ?と思ってしまいました。





「ナイフを失われた思い出の中に」

「16歳の少年が3歳の姪を殺害した」という、センセーショナルだが単純な事件。しかし太刀洗は事件にある違和感を覚え......。


さよなら妖精』との繋がりがファンには嬉しい......じゃなくて切ないですね。
会話文が英語でとても翻訳文風なのが面白いです。器用だなぁ。
ミステリ的にもけっこうトリッキーなことをやってますね。驚かされはしたのでそれで満足ではあるのですが、ちょっともにょる点も。というのも、謎解きのキーとなる(ネタバレ→)少年の手記ですが、本文中に掲載されているものは太刀洗によって英訳したものを作者によって再翻訳した日本語の文章になっていることが解決編で明かされます。この辺が最後までぼかされているのは、作中人物同士ではフェアでも、作者と読者の間でフェアと言えるのか......?という疑問が残りました。話が面白ければフェアかどうかは問題じゃない気もしますが、こういう騙し方の場合、少しでも納得のいかない点があると騙すために作者が介入してくるような心地悪さがあります。かといってこのアイデアを他にどう料理すればいいのかは思いつかないのですが、とりあえず話のシリアスさとトリックがやや分離した印象を受けます。

とはいえ、

あなたはどのようにして、ご自分の仕事を正当とされるのですか?

という難しい問いに対して太刀洗が見せる答えは、『王とサーカス』からの流れも感じさせますし、長編2作と絡みながら仕掛けものとしても楽しい贅沢な作品です。





「綱渡りの成功例」

豪雨による土砂崩れで隔離された老夫婦が奇跡の生還を遂げる。その場に立ち会った村の消防団の青年は、学生時代の先輩で記者の太刀洗から取材を受けるが、太刀洗の質問は謎めいたもので......。


私は基本的には米澤穂信作品が好きだと思います。文庫で出ているものは大体読んでるし、それでまるっきりつまらないと思ったことは一度もなく、程度の差こそあれ全作品が面白く、本書ももちろんめちゃくちゃ面白いです。
ただ、私はこの短編に現れているような米澤穂信らしさは嫌いだったりして、そういうところに、好きではありつつ大ファンにはなれないということを感じたりしました。
というのも、米沢作品の登場人物は、誠実すぎる、もしくは誠実であることを美点としすぎる、あるいは不誠実であることを重く受け止めすぎる、というところが肌に合わないんです。
このお話の主役にそういうところが思いっきり出ていて、私くらい心が汚れた人間からすると「そんなこと気にする?」としか思えず「だからなに」という感想しか出てこないのです。これは主に私の生き方に問題があるので作品を貶めるつもりはないのですが、でも私くらいのクズの方が世の中多いんではないかなぁとも思うわけです。結局私はいいおじいさんにはなれないんでしょう。

語り手の淡い恋(?)はよかったです。

現代ホラー傑作選 第2集『魔法の水』読書感想文

角川ホラーのアンソロジーシリーズの第2弾。編者は村上龍

収録作品は、

村上春樹「鏡」
山田詠美「桔梗」
連城三紀彦「ひと夏の肌」
椎名誠「箱の中」
原田宗典「飢えたナイフ」
吉本ばなな「らせん」
景山民夫「葬式」
森瑤子「海豚」
村上龍「ペンライト」

の9編。見事にほとんど読んだことがない作家さんばかりで、なおかつイメージ的にはホラーを書いていなさそうな人たちばかりだったのでどんなもんかと気になり買ってしまいました。

魔法の水 (角川ホラー文庫―現代ホラー傑作選)

魔法の水 (角川ホラー文庫―現代ホラー傑作選)

全体に狭義のホラーというより文芸作家が描く恐怖の要素が濃い短編小説集という感じですね。
編者の村上龍の解説に、面白い小説とは恐怖を常に孕んでいる、みたいなことがありましたが、まさにそんな感じ。真正面からのホラーというジャンルではなく、「恐怖」の影が感じられる文学作品というイメージの短編が多いです。
そのため、いかにもなホラーを期待すると肩透かしですが、私はこれくらいの方が面白かったです。
この「現代ホラー傑作選」シリーズは他の巻もなかなか気になるメンツなので集めてみたいと思います。

以下各話についてちょっとずつ感想を。





村上春樹「鏡」

村上春樹は大学生の頃授業で『ノルウェイの森』と短編をいくつか読みました。
ノルウェイは(今読んだらどう思うか分からないけど)当時の彼女いない歴=年齢の私としては「こんなに女を取っ替え引っ替えしてて周りがみんな自殺してっても平然としてるワタナベくんはクソ」程度の感想しかなく、それよりはどちらかといえば短編の方が好きでした。
本作はそんな村上春樹の短編ということでわくわくしながら読んだのですが、やっぱ上手いですね。

本作は10ページそこらの掌編です。
話の筋は、主人公が家に人を招いて百物語をやっていて、最後に自らが人生で一度だけ出会った「恐怖体験」を語る......という、怪談小説のテンプレートみたいなお話です。
ところが、主人公自ら、その恐怖体験というのが怪談のありきたりのパターンである幽霊ものor超能力もののいずれでもないと先手を打って釘を刺してくるのが"テンプレート"の枠に収まらない違和感を与えて先を読むのを急かしてきます。
語られる体験自体も、夜の学校を見回る警備員の仕事をしていた時の話というテンプレ的なものでありながら、「幽霊なんていない」と確信を持って見回る主人公の強靭な精神力によって、理科室や音楽室などのヤバいスポットはほぼページ数すら割かれずに終わります。
そして問題は学校の玄関に差し掛かったところで起こります。
主人公はそこに人影を認め、すわ侵入者かと身構えますが、その正体は鏡に映った自分。ところが、その自分が「自分ではない自分」であると直感してしまうと、要はそれだけの話なんですよね、この短編。
でも、それだけだからこそ、「鏡に映った自分ではない自分とは何なのか?」という大きな謎について無限に考える余地があるわけです。
私は最初読んだ時は鏡に映ったのは「子供としての自分」なのかなと思いました。恐怖という感情は危険を回避するために大切なものでもあり、「怖いもの知らず」の主人公が怖いものを知らない子供の自分を恐れ、鏡に映った彼を割ることで大人になったというお話なのかな、と。
しかし読み返してみるとまた違った読み方も出来る。もしかしてこの短編自体が読むたびに読者の気持ちを映す鏡のような小説、なのかもしれないですね。





山田詠美「桔梗」

七歳の「私」は、隣の家に住む美代という美しい女性と知り合う。美代さんに惹かれていく「私」は、彼女のとある場面を目撃してしまい......。


雰囲気が凄いですね。馬鹿みたいなこと言いますけど、小説を読んでいるんだなぁという、文章表現ならではの美しさ(そして残酷さ)に夢心地でした。
周りの子たちが子供に見えてきたおませな少女の視線は、大人には見えないものまでしっかりと見つめます。
生きているものが死ぬこと、美しいものが醜く成り果てること、子供が大人になること、昼が夕になり、やがて夜になること......そういった全てのものが変わり行く無常を、子供の目を通しているからこその隠微な不穏さで描き出した傑作です。





連城三紀彦「ひと夏の肌」

怪魚が打ち上げられた記事を見たのを最後に記憶を失った私は、身に覚えのないとある女のしどけない姿を克明に思い出すようになる。それは記憶を失っていた三ヶ月間の出来事なのか......?


記憶を失っていた空白の時間の不気味さを描いた官能ホラーサスペンス。
まぁこれはエロいシーンのイメージを楽しむ作品ですね。さすが連城三紀彦だけあって文章力と小道具による雰囲気作りは完璧。死魚の生々しいイメージの不穏な不気味さと、それと裏腹の女の生々しい色気が頭と下腹部をぐるぐると回って私を悩ませます。主人公の脳内のフラッシュバックと現実とで同じシーンを二回見せられるのもそれぞれのシーンをより印象付けていて上手いと思います。それとともに、記憶をなぞって現実が進んでいくことで運命に抗えないという怖さが出ているので、ホラーアンソロジーである本書に採録されたのも頷けますね。
ただ、お話としては(連城三紀彦の他の傑作軍と比べて、というのもありますが)いまいち乗り切れず。オチは言いたいことは分からなくもないものの、あそこまでいくと作者のさじ加減という気がして納得しかねるのが正直なところ。
というわけで、謎めいた発端から謎解きに期待しそうになるのを抑えればなかなか印象的な作品だと思います。終わらない夏に閉じ込められたような余韻の残るラストシーン、いいですよね。





椎名誠「箱の中」

深夜に帰宅した男は、自宅マンションのエレベーターに乗ったが、エレベーターの故障により美女と2人閉じ込められてしまい......という筋のショートショート


エレベーターの中だけが舞台、登場人物は2人きりのソリッドシチュエーション・ショートショート・ホラーです。
けっこうユーモラスなところもあって、エレベーターに閉じ込められてすぐのうちは肩の力を抜いてにやにや笑いながら読めます。美女と2人きりなんて羨ましい!と。しかし、そこから一気に恐怖の質を変えてきてにやにやが凍りつきました。理不尽なクライマックスと、さらに理不尽な結末とで、エレベーターではなく絶望という名の箱の中に閉じ込められたような読後感が良いですね。





原田宗典「飢えたナイフ」

「私」は妻を連れて学生時代の後輩・Sの家へ行く。Sは仕事でバンコクを訪れた際に入手した、「握ると最愛の人を刺してしまう」という曰く付きのナイフを「私」に見せる。そのナイフに畏怖を覚えつつも惹かれてしまうSと「私」だったが......。


これは怖い。
曰く付きの恐ろしいナイフが出てきますが、恐ろしいのはナイフそのものではなくそれに惹かれてしまう主人公と友人・Sの心の方。
「最愛の人を刺してしまう」という曰くを知っていながら、握ってみてそんなことはないと安心したいという気持ちと、さらに奥にある(ややネタバレ→)「自分の最愛の人は妻なのか、自分自身なのか」という好奇心に苛まれる主人公の心理描写がスリリングで、読んでいてとても怖かったです。そして、いかにもな雰囲気の夜に満を持して訪れる結末は、分かっていながらも衝撃的。さらに最後まで読み終わると登場人物への印象が一転して恐怖にも増して悲しい余韻が残るのは本当に上手いです。(ネタバレ→)そりゃ年上のお姉さんにからかわれていたらある種の男は好きになっちゃうものなんですよ。ラストまでそこに気づかせずにいながら、読み終わってみればSが「私」の妻を愛しているのが当然とすら思えてしまうから凄いです。
本書の中でも個人的にはこれがイチオシ。





吉本ばなな「らせん」

閉店後の雑貨店で会う恋人たち。暗い店内で女は「余計な記憶を失くすセミナーに参加する」と切り出す。どの記憶を失くすかは分からない。男は、女が自分のことを忘れたい......と思っていることを忘れたいのだと察する。その時......。


これをホラーアンソロジーに入れてくるところがおしゃれですね。
恐怖というのは分からないことから来ます。この作品は恋愛小説であってホラーという感じはしませんが、分からないということなら恋愛こそその際たるもの。そういう意味では優れた恋愛小説はみな恐怖小説でもあると言えるかもしれません。
「らせん」とは二重らせん。男と女は二重らせんのように常に共にあり、決して同じものとして交わることはないけれど、体と同じように心も対になって2人いてはじめて愛が完成するもの......という美しい小説でしたが、そうするとやっぱりホラーではない気がしてきました。らせんっていうタイトルは鈴木光司を想起させてホラーチックではありますが......。
ともあれ、ロマンチックな舞台の美しさと壮大な心象風景の美しさだけでも映画のワンシーンのように印象に残る佳品です。





景山民夫「葬式」

以前から霊感のあった作家の「俺」は、ホラー小説を書いているうち、ついにはっきりと霊が見えるようになってしまう。そんなある日、かつての同級生が若くして急死したという知らせが届く。「俺」は、彼の葬式に出ることになり......。


ホラーアンソロジーでありながら幽霊を扱った作品はこの短編ただ一つ(うーん、「ペンライト」もそうかもしれないけど......)というところに本書の面白さがあると思います。
その分この短編は「幽霊」というものに関して、またそこから「死」というものに関して描いた随筆のような趣もあります。
私自身は幽霊というものは信じていませんが、こうも分かりやすい文章で説明されるとその存在にも納得してしまうから面白いです。それはこの作品に描かれる死後というものが、悲しくも案外優しいからでもあり、こういう死後があってくれればなと思わされるから納得しちゃうというのもありますね。とはいえ現実には多分ないので、生きてるうちに頑張りましょうというお話ですね。





・森瑤子「海豚」

幼い頃、故郷の田舎の村でイルカ漁を見て、その肉を食ったことへの罪悪感を抱える主人公。時は流れ、彼女の娘がある日......。


「イルカを食べること」という題材の採り方が絶妙ですね。「優しい」「人間より賢い」と言われることもあるイルカという存在。自ら殺されにくるというイルカの行動への畏怖と罪悪感。この辺のなんとも複雑だけれど「悪いことをしている」という感覚が体の奥に残る感じ......それが文章からじわじわと伝わってきてなんとも厭な気持ちになります。

以前、まさにこの小説に出てくる太地のイルカ漁を批判したアメリカのドキュメンタリー映画があったと記憶していますが、本作はそうした批判や擁護とは無縁に、個人の体験としてイルカ食を描くことで恐怖小説としています。私は理屈としてはイルカ肉を食べることになんの問題もないと思っていますが、それとは別に個人の感情としての畏怖、罪悪感、幼少期のそうした記憶が日常の中でふいに蘇ることの理不尽な恐ろしさ。「過去」というのは変えられず消すことも出来ないので、人間にとって二番目に恐ろしいものだと思います。もちろん一番怖いのは「未来」ですけどね。そこには主人公の脳裏に焼きつくイルカたちと同じ末路、つまりは死が待っているから......。なんて。





村上龍「ペンライト」

風俗嬢の主人公と、頭の中にいるキヨミという女の子のお話。
村上龍、初めてでしたがこんなエグいとは......。というかわりとエグいのが売りらしいですね。作風に関する知識がまるでなかったので勝手に文学性の高い恋愛小説みたいなイメージ持ってました。もっとも読んだことないからそういう作品もあるのかもしれませんね。
ともあれ、この短編はもう酷いもんですよ。いい意味で。
主人公の愚かさに苛立っていいのか憐れんでいいのか悲しんでいいのか何とも言えないですけどとにかく嫌ぁな感じが一人称語りから溢れ出ていて読んでいて不愉快ですね。もちろん、いい意味でね。
クライマックスのエグいシーンは視点と語りの工夫も効いて気持ち悪いのに一気に読まされるスピード感があってそれがまた気持ち悪いという恐ろしい名シーンになっていますが、本当に怖いのはその後。ラストシーンの主人公の(ネタバレ→)変わらなさ、変われなさこそ一番怖かったですね。

武者小路実篤『友情』読書感想文

武者小路実篤という名前は前から聞いたことがあったのですが、彼の耄碌してから書いたらしい文章

僕も八十九歳になり、少し老人になったらしい。人間もいくらか老人になったらしい、人間としては少し老人になりすぎたらしい。いくらか賢くなったかもしれないが、老人になったのも事実らしい。しかし本当の人間としてはいくらか賢くなったのも事実かも知れない。本当の事は分からない。

というのを読んでてっきりシュルレアリスムの作家なのかと敬遠していました。
ところが実は童貞文学の権威だということを小耳に挟んでちょっと気になって読んでみたんです。そしたらね......。


友情;初恋 (集英社文庫)

友情;初恋 (集英社文庫)




......俺やん!

はい、本作は初出が1919年、今から100年も前に描かれた小説なのですが、そんな風にはとても思えないほどリアルに、我々非モテ男子の心理を描き出しています。
モテないということは時代を問わずに普遍的なものであるという絶望と安心を感じました。

とりあえず、最初に言っておきたいのはモテない男子はこれ読むといいですよ!ということ。これはもう絶対。100年前から自分と同じ人種がいたと知るだけでも心強いことは間違いないので!


本作は上篇/下篇の二部構成になっていますが、上篇は「童貞の恋」、下篇は「失恋」についての話ですね。
以下では私を悩ませた「童貞」「失恋」について書いていきます。例によってネタバレ云々の小説ではないので結末も書きます。嫌な人は注意。




童貞

まず、「童貞」という言葉ですが、これはウィキペディアによると「性行為を経験していない男性を指す言葉」とあります。
ただ、そうした単純な「やった/やってない」という肉体の話以外に、精神的の童貞というものもあります。いわゆる非モテというのに近いですが、そこに文学や音楽の影響も入ってきたりして孤高と孤独の間で板挟みになって苦しいアレ、それが精神的童貞というもの。
そして、この『友情』という小説は、その精神的の童貞についてめちゃくちゃリアルに描かれているわけなのです。

本作の主人公の野島くんは杉子さんという女性を恋します。
初期症状からし

新聞を見ても、雑誌を見ても、本を見ても、杉という字が目についた

といういかにも「あるある〜」と言いたくなるもの。というか、この気持ちを知っている人には本作は刺さり、知らない人には刺さらないであろうという試金石みたいな一文ですよね。私はこないだ川谷絵音のことが好き過ぎて川口春奈川谷絵音に空目したので凄く分かりました。いや、マジで言うと未だに昔好きになった人の下の名前と同じ音を発声できないので、刺さりました。

上篇では、こういう発端を皮切りに、童貞あるあるをこれでもかと連打してきます。
それぞれの描写は読んで味わっていただくとして、ざっくりまとめると、恋への重さが童貞というようなことが書かれています。
「恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム(えーっえーっへー)」という諺もある通り、恋とはエゴであることは間違いないのですが、童貞というのはそれに加えて恋愛至上主義を掲げているから重くてめんどくさくて気持ち悪いのです。

主人公の野島くんは、自分の恋心はライバルの早川氏のような肉欲まみれのウェイ系とは一線を画すと思っています。
しかし、一方では杉子さんの美しい肉体に話しやすい女友達の武子さんの心が入っていたらどんなにか良いだろうと考え、自らもエゴと肉欲にまみれているのではないかと苦悶します。

斯様に、童貞という人種の恋愛は非常にめんどくさく、本作はそんな「精神的童貞あるある」を生き生きと活写した童貞小説なのです。
そして、童貞の行き着く先はみな同じ。
「恋愛対象として見れない」「友達だと思ってたのに」「生理的に無理」「ストーカーキモい死ね」など、パターンはそれぞれながらいずれも必ず手酷く低レベルの失恋へと特攻して行くのです。そして討ち死にしてこそ童貞に殉じて二階級特進出来るわけですな。





失恋

というわけで、下篇では野島くんの手痛い失恋が描かれます。
本作に、また併録されていた「初恋」にも、「失恋するものでは決してない」(失恋なんかしないほうがいいの意)という言葉が出てきます。その通り、失恋というものはとんでもなく痛いんですね。それこそ私なんかは本気で死にたくなるくらいに。
好きな人が自分のことを何とも思っていないというだけでもしんどいのに、彼女に将来好きな人が出来たらどうしよう。その男と彼女が付き合いだしてあんなことやこんなことを......なんて、文章にして書けば簡単ですけど、私は振られた時に文章にして数行のたったこれだけの思考を一年近くに渡って起きてる間は常に、下手すりゃ夢の中でまで再生し続けていましたからね。常に頭の半分くらいを絶望が占めている状態、ふつうにしんどいんですよね。そしてよくいう「時間が解決する」というのは真っ赤な嘘で、恋の痛みを癒すのは新しい恋だけなのです。
まぁそれはともかく、本作は上篇では童貞の主観を描いたノンフィクションに近い小説だったのに対し、下篇ではいきなり小説ならではの視点移動を駆使して、杉子と、杉子を射止めた野島の親友・大宮の手紙のやり取りに話が移ります。
それによって、杉子が野島のことをどう思っているかについて忌憚ない意見を読めるわけですが......これが要約すると「あの童貞まじキモいんですけど生理的にムリ」というものなので、今まで野島視点で物語を読まされていた読者は血反吐を吐きながら死んでいくしかありません。

童貞というのは軽いものでしかない恋というものを思い込みによって重くしていく人種なんですよ。そうやってどんどん自分の中だけでエゴを膨らませていく。
だから相手からしたら気持ち悪いし、どういうつもりなのかすらよくわからない存在になってしまうわけで、野島くんが杉子さんに生理的にムリと思われたのも至極当然と言えるでしょう。
そして、実態のない恋はもはや自分の中で膨らみすぎてそれが急に行き場を失った寂しさ、取り返しのつかない気持ちはホントにエグいわけです。それこそ、「失恋するものでは決してない」と思うほどに。いや、いっそ「もう恋なんてしない」とまで。
しかし、「何遍も恋の辛さを味わったって
不思議なくらい人はまた恋に落ちてく」という諺がある通り、併録の「初恋」においては失恋した武者小路が身近な女の人を手当たり次第に好きになっていく様子が描かれます。
結局のところ恋の傷を癒すのもまた恋でしかなく、恋とは煙草やドラッグと同じで一度始めてしまうとやめようと思っても意志の力で簡単にやめられるものではないわけです。

しかし、本作の素晴らしいところは、最終的に「だから童貞はクソ」と言っているわけじゃないところです。
大宮と杉子のことを知った野島は四畳半の部屋(イメージです)で暴れ回り、大宮にもらったデスマスクをブチ壊して家に火をつけて死ねえぇぇと叫びながら街を走り回ります(嘘です)。
でも、その後でこのことを糧にして世界を変えるような男になろうと決意します。純真無垢であることが童貞の気持ち悪さに繋がる様を散々描いておいて、最後に純粋に高みを目指そうとする野島の高潔さを描いて終わるわけです。
上に私は失恋すると死にたくなると書きましたが、野島くんの場合は失恋したことで生きることへの情熱を燃やす、ここに童貞の失恋を否定せず優しく包み込むような本作の優しさがあるのです。

だから、本作は恋に悩む童貞の方、またかつてそうであった方にとっては心を抉られるキッツい物語にして、救いの物語でもあるんです。
本の感想と言いながら結局自分のことしか書いてない文章になりましたが、現/元を問わず恋に悩む童貞にとってはまさに自分のことのようにのめり込んで読める本であるということ。さぁ、あなたの心の傷を直視して癒してみませんか?






参考・引用文献
Mr.Children「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」

浦賀和宏『HELL 女王暗殺』読書感想文

前作『HEAVEN 萩原重化学工業連続殺人事件』の姉妹編というか前日譚というか、な続編です。

HELL 女王暗殺 (幻冬舎文庫)

HELL 女王暗殺 (幻冬舎文庫)


色んな話が交差してややこしかった前作に比べ、今回は2人の主人公の視点を行き来するだけなのでとても分かりやすかったです。



主人公の1人は、母親を殺され、顔も知らない大物の父親からの仕送りで仕事もせずに暮らす青年・武田くん。
もう1人は、武田の友人で、作家になったものの何も分かっていない親類どもに笑われ、編集者には見切りをつけられと、世の中へのフラストレーションを溜め込む青年・久能くん。
武田くんは訳あって訪れたホテルで誰かから逃げている記憶喪失の女の子・理穂(仮名)に出会い、久能くんはファンだと名乗る女の子・カンナに出会う。

そう、本作は2人の鬱屈した主人公青年に訪れる突然の青春を描いた二重ボーイ・ミーツ・ガール小説なのです!
やっぱり私にとって浦賀作品の醍醐味とはこういう熱い鬱屈の描写に他なりませんので、この作品はとても心がやられました。ええ。



武田くんのこと

まず武田くんパートについてですが、これは率直に申し上げて理想の生活ですね。
働かなくても私の月給のウン倍という金額が毎月振り込まれてきて、男なら誰もが振り返るような美女と同棲して常に全裸で昼も夜もなくヤリまくる生活ですからね。これ羨ましくない人はいないでしょ?いたらギゼンシャ星人ですよ。
しかし、彼には普通の両親というものがありません。父親は愛人の母親に自分を産ませ、義務のように金だけを送ってくるだけの存在。そして、母親は死に際に、自分は彼の本当の母親ではないという驚きの事実と「1101」という謎の数字を言い残します......。さらに彼は幼い頃に病気で心臓に人工弁を入れています。
この「両親を知らない」「心臓が機械で出来ている」ということが彼のアイデンティティの根拠を脆弱にし、理穂(仮名)との生活こそがアイデンティティだと自らに言い聞かせながらも世界との断絶に不安を抱く......。一見めちゃくちゃ幸せな生活だけど、そこには常に終わりの予感が、いや、最初から間違っているのではないかという不安すら漂う、この感じが堪りません。
また、「理穂(仮名)の記憶が戻れば彼女は自分の前から消えてしまうかもしれない」、という不安は、「本書はミステリなんだから以上彼女の記憶もラストで謎解きされるであろう」と知っている読者に対してメタ的にダメージを与えてきます。
私自身、自分の存在の軸がまるっきり定まっていないブレブレ人間なので、恋愛においては常に終わりの予感を見てしまいます。だから武田くんと理穂(仮名)ちゃんの関係の危うさには「あんっ///そこはダメっ///」みたいな感じでビンカンに反応してしまいました。
まぁ、とゎいえ、いちゃつく2人はめっちゃバカップルなんですけどね。童貞がちょっと女作るとこれだから......という微笑ましさ半分ウザさ半分の性的な日々......。
あ、忘れてたけど彼の周りで起きる心臓を持ち去る連続殺人も面白いです。......いや、ミステリである以上に青春小説だからミステリとしての事件のことを忘れる体たらく。それくらい鬱屈した心理描写が見事です。




久能くんのこと

一方の久能くんですが、鬱屈度としてはこちらもヤバいですね。
作家になったものの周りに振り回されて才能を潰してしまったこと、そして自分を虐げてきた馬鹿な世間の奴らへの恨みつらみが、それはそれはもう彼のパートが始まる最初のページからノンストップで繰り広げられるのです。
面白いのが、浦賀作品でよくみられる作家の愚痴の部分。

>>現代のアニメや漫画やライトノベルに触れる若者は、作品の物語や世界観を楽しむのではない。メイド服や猫耳のような刺激に反応して楽しむのだそうだ<<

これなんか、こんなこと言ったら怒られそうですけどクソわかりますね。私としてはキャラ萌えとかクソ喰らえと思ってるので、そういうのが持て囃されていることへの驚きというのもむべなるかなという気持ちですね。

それはまぁどうでもいいとして......。
編集者や母親など特定の人物への怒りと、世間というものへの怒りとが綯交ぜになり、とにかく俺は怒ってる!というモノローグは一瞬で破壊衝動炸裂のクライマックスを迎えるわけです。
たぶん、怒りというのは人間の感情でもかなり強い部類のものなんでしょうね。だからそれに乗せて書かれた文章はとんでもないスピード感を持つ。よくニュースで「ついカッとなって殺した」というのを見ますが、それもあながち分からなくはないですよね。私だって夜中に爆音で走る改造バイクに起こされたりしたらぶち殺したくなって部屋の中暴れまわりますもん。てかあいつらマジ殺していいよな殺そうぜ。

話が逸れましたが、そんな怒れる彼が自分の小説のファンだという少女と関わるようになって物語は動き出すわけです。

こうした久能くんの怒りと殺人衝動は、内に向いていた武田くんの鬱屈と対照的になっているので、一見両者ともに若者の憂鬱を描いているようでも違った読み味になっているあたりも上手いですね。
とまれ、我々のような陰キャラはたいてい内向き外向きの2つの鬱屈を抱えているわけですから、本書はさぞ刺さることでしょう。全ての陰キャラにこの本を捧げたいですよ私は。




ミステリーとして、シリーズとして

さて、登場人物への言及が長くなりましたのでミステリー、シリーズとしての部分にはあっさりと。

筋がシンプルなだけにミステリ的なトリックの部分も非常にシンプルにはなっているのですが、ミステリを読むの自体久しぶりだったこともあってか案外すんなり驚かされてしまいました。
さらにその後のもう1つの意外な真相については、著者が好きであろう作品と同じネタがダイレクトに使われています。ファンは「あ、あれじゃん」とにやにやしながらも本作の幕引きに相応しい重苦しくも鮮やかな結末に涙すること請け合い。著者の作品では例えば『ファントムの夜明け』とかもモロにアレじゃんというネタを使いながら自分の作品として確立させている、こうしたオマージュのセンスも浦賀作品の魅力ですよね。

シリーズ的には、前作で謎のままだった点への種明かしになっている構成が『記憶の果て』『時の鳥籠』と重なり、"安藤直樹セカンド・シーズン"としては非常にエモいです。
さらに、直接的にファーストシーズンとの関連も見せ、いよいよ壮大な一連のサーガの終結となるであろう次作への期待をいやがうえにも煽ります。煽ってきやがる!煽るだけ煽って出さないなんてことはないですよね......。せっかく文庫化したんだから、どうかシリーズの幕引きを見せてください浦賀先生。