偽物の映画館

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現代ホラー傑作選 第2集『魔法の水』読書感想文

角川ホラーのアンソロジーシリーズの第2弾。編者は村上龍

収録作品は、

村上春樹「鏡」
山田詠美「桔梗」
連城三紀彦「ひと夏の肌」
椎名誠「箱の中」
原田宗典「飢えたナイフ」
吉本ばなな「らせん」
景山民夫「葬式」
森瑤子「海豚」
村上龍「ペンライト」

の9編。見事にほとんど読んだことがない作家さんばかりで、なおかつイメージ的にはホラーを書いていなさそうな人たちばかりだったのでどんなもんかと気になり買ってしまいました。

魔法の水 (角川ホラー文庫―現代ホラー傑作選)

魔法の水 (角川ホラー文庫―現代ホラー傑作選)

全体に狭義のホラーというより文芸作家が描く恐怖の要素が濃い短編小説集という感じですね。
編者の村上龍の解説に、面白い小説とは恐怖を常に孕んでいる、みたいなことがありましたが、まさにそんな感じ。真正面からのホラーというジャンルではなく、「恐怖」の影が感じられる文学作品というイメージの短編が多いです。
そのため、いかにもなホラーを期待すると肩透かしですが、私はこれくらいの方が面白かったです。
この「現代ホラー傑作選」シリーズは他の巻もなかなか気になるメンツなので集めてみたいと思います。

以下各話についてちょっとずつ感想を。





村上春樹「鏡」

村上春樹は大学生の頃授業で『ノルウェイの森』と短編をいくつか読みました。
ノルウェイは(今読んだらどう思うか分からないけど)当時の彼女いない歴=年齢の私としては「こんなに女を取っ替え引っ替えしてて周りがみんな自殺してっても平然としてるワタナベくんはクソ」程度の感想しかなく、それよりはどちらかといえば短編の方が好きでした。
本作はそんな村上春樹の短編ということでわくわくしながら読んだのですが、やっぱ上手いですね。

本作は10ページそこらの掌編です。
話の筋は、主人公が家に人を招いて百物語をやっていて、最後に自らが人生で一度だけ出会った「恐怖体験」を語る......という、怪談小説のテンプレートみたいなお話です。
ところが、主人公自ら、その恐怖体験というのが怪談のありきたりのパターンである幽霊ものor超能力もののいずれでもないと先手を打って釘を刺してくるのが"テンプレート"の枠に収まらない違和感を与えて先を読むのを急かしてきます。
語られる体験自体も、夜の学校を見回る警備員の仕事をしていた時の話というテンプレ的なものでありながら、「幽霊なんていない」と確信を持って見回る主人公の強靭な精神力によって、理科室や音楽室などのヤバいスポットはほぼページ数すら割かれずに終わります。
そして問題は学校の玄関に差し掛かったところで起こります。
主人公はそこに人影を認め、すわ侵入者かと身構えますが、その正体は鏡に映った自分。ところが、その自分が「自分ではない自分」であると直感してしまうと、要はそれだけの話なんですよね、この短編。
でも、それだけだからこそ、「鏡に映った自分ではない自分とは何なのか?」という大きな謎について無限に考える余地があるわけです。
私は最初読んだ時は鏡に映ったのは「子供としての自分」なのかなと思いました。恐怖という感情は危険を回避するために大切なものでもあり、「怖いもの知らず」の主人公が怖いものを知らない子供の自分を恐れ、鏡に映った彼を割ることで大人になったというお話なのかな、と。
しかし読み返してみるとまた違った読み方も出来る。もしかしてこの短編自体が読むたびに読者の気持ちを映す鏡のような小説、なのかもしれないですね。





山田詠美「桔梗」

七歳の「私」は、隣の家に住む美代という美しい女性と知り合う。美代さんに惹かれていく「私」は、彼女のとある場面を目撃してしまい......。


雰囲気が凄いですね。馬鹿みたいなこと言いますけど、小説を読んでいるんだなぁという、文章表現ならではの美しさ(そして残酷さ)に夢心地でした。
周りの子たちが子供に見えてきたおませな少女の視線は、大人には見えないものまでしっかりと見つめます。
生きているものが死ぬこと、美しいものが醜く成り果てること、子供が大人になること、昼が夕になり、やがて夜になること......そういった全てのものが変わり行く無常を、子供の目を通しているからこその隠微な不穏さで描き出した傑作です。





連城三紀彦「ひと夏の肌」

怪魚が打ち上げられた記事を見たのを最後に記憶を失った私は、身に覚えのないとある女のしどけない姿を克明に思い出すようになる。それは記憶を失っていた三ヶ月間の出来事なのか......?


記憶を失っていた空白の時間の不気味さを描いた官能ホラーサスペンス。
まぁこれはエロいシーンのイメージを楽しむ作品ですね。さすが連城三紀彦だけあって文章力と小道具による雰囲気作りは完璧。死魚の生々しいイメージの不穏な不気味さと、それと裏腹の女の生々しい色気が頭と下腹部をぐるぐると回って私を悩ませます。主人公の脳内のフラッシュバックと現実とで同じシーンを二回見せられるのもそれぞれのシーンをより印象付けていて上手いと思います。それとともに、記憶をなぞって現実が進んでいくことで運命に抗えないという怖さが出ているので、ホラーアンソロジーである本書に採録されたのも頷けますね。
ただ、お話としては(連城三紀彦の他の傑作軍と比べて、というのもありますが)いまいち乗り切れず。オチは言いたいことは分からなくもないものの、あそこまでいくと作者のさじ加減という気がして納得しかねるのが正直なところ。
というわけで、謎めいた発端から謎解きに期待しそうになるのを抑えればなかなか印象的な作品だと思います。終わらない夏に閉じ込められたような余韻の残るラストシーン、いいですよね。





椎名誠「箱の中」

深夜に帰宅した男は、自宅マンションのエレベーターに乗ったが、エレベーターの故障により美女と2人閉じ込められてしまい......という筋のショートショート


エレベーターの中だけが舞台、登場人物は2人きりのソリッドシチュエーション・ショートショート・ホラーです。
けっこうユーモラスなところもあって、エレベーターに閉じ込められてすぐのうちは肩の力を抜いてにやにや笑いながら読めます。美女と2人きりなんて羨ましい!と。しかし、そこから一気に恐怖の質を変えてきてにやにやが凍りつきました。理不尽なクライマックスと、さらに理不尽な結末とで、エレベーターではなく絶望という名の箱の中に閉じ込められたような読後感が良いですね。





原田宗典「飢えたナイフ」

「私」は妻を連れて学生時代の後輩・Sの家へ行く。Sは仕事でバンコクを訪れた際に入手した、「握ると最愛の人を刺してしまう」という曰く付きのナイフを「私」に見せる。そのナイフに畏怖を覚えつつも惹かれてしまうSと「私」だったが......。


これは怖い。
曰く付きの恐ろしいナイフが出てきますが、恐ろしいのはナイフそのものではなくそれに惹かれてしまう主人公と友人・Sの心の方。
「最愛の人を刺してしまう」という曰くを知っていながら、握ってみてそんなことはないと安心したいという気持ちと、さらに奥にある(ややネタバレ→)「自分の最愛の人は妻なのか、自分自身なのか」という好奇心に苛まれる主人公の心理描写がスリリングで、読んでいてとても怖かったです。そして、いかにもな雰囲気の夜に満を持して訪れる結末は、分かっていながらも衝撃的。さらに最後まで読み終わると登場人物への印象が一転して恐怖にも増して悲しい余韻が残るのは本当に上手いです。(ネタバレ→)そりゃ年上のお姉さんにからかわれていたらある種の男は好きになっちゃうものなんですよ。ラストまでそこに気づかせずにいながら、読み終わってみればSが「私」の妻を愛しているのが当然とすら思えてしまうから凄いです。
本書の中でも個人的にはこれがイチオシ。





吉本ばなな「らせん」

閉店後の雑貨店で会う恋人たち。暗い店内で女は「余計な記憶を失くすセミナーに参加する」と切り出す。どの記憶を失くすかは分からない。男は、女が自分のことを忘れたい......と思っていることを忘れたいのだと察する。その時......。


これをホラーアンソロジーに入れてくるところがおしゃれですね。
恐怖というのは分からないことから来ます。この作品は恋愛小説であってホラーという感じはしませんが、分からないということなら恋愛こそその際たるもの。そういう意味では優れた恋愛小説はみな恐怖小説でもあると言えるかもしれません。
「らせん」とは二重らせん。男と女は二重らせんのように常に共にあり、決して同じものとして交わることはないけれど、体と同じように心も対になって2人いてはじめて愛が完成するもの......という美しい小説でしたが、そうするとやっぱりホラーではない気がしてきました。らせんっていうタイトルは鈴木光司を想起させてホラーチックではありますが......。
ともあれ、ロマンチックな舞台の美しさと壮大な心象風景の美しさだけでも映画のワンシーンのように印象に残る佳品です。





景山民夫「葬式」

以前から霊感のあった作家の「俺」は、ホラー小説を書いているうち、ついにはっきりと霊が見えるようになってしまう。そんなある日、かつての同級生が若くして急死したという知らせが届く。「俺」は、彼の葬式に出ることになり......。


ホラーアンソロジーでありながら幽霊を扱った作品はこの短編ただ一つ(うーん、「ペンライト」もそうかもしれないけど......)というところに本書の面白さがあると思います。
その分この短編は「幽霊」というものに関して、またそこから「死」というものに関して描いた随筆のような趣もあります。
私自身は幽霊というものは信じていませんが、こうも分かりやすい文章で説明されるとその存在にも納得してしまうから面白いです。それはこの作品に描かれる死後というものが、悲しくも案外優しいからでもあり、こういう死後があってくれればなと思わされるから納得しちゃうというのもありますね。とはいえ現実には多分ないので、生きてるうちに頑張りましょうというお話ですね。





・森瑤子「海豚」

幼い頃、故郷の田舎の村でイルカ漁を見て、その肉を食ったことへの罪悪感を抱える主人公。時は流れ、彼女の娘がある日......。


「イルカを食べること」という題材の採り方が絶妙ですね。「優しい」「人間より賢い」と言われることもあるイルカという存在。自ら殺されにくるというイルカの行動への畏怖と罪悪感。この辺のなんとも複雑だけれど「悪いことをしている」という感覚が体の奥に残る感じ......それが文章からじわじわと伝わってきてなんとも厭な気持ちになります。

以前、まさにこの小説に出てくる太地のイルカ漁を批判したアメリカのドキュメンタリー映画があったと記憶していますが、本作はそうした批判や擁護とは無縁に、個人の体験としてイルカ食を描くことで恐怖小説としています。私は理屈としてはイルカ肉を食べることになんの問題もないと思っていますが、それとは別に個人の感情としての畏怖、罪悪感、幼少期のそうした記憶が日常の中でふいに蘇ることの理不尽な恐ろしさ。「過去」というのは変えられず消すことも出来ないので、人間にとって二番目に恐ろしいものだと思います。もちろん一番怖いのは「未来」ですけどね。そこには主人公の脳裏に焼きつくイルカたちと同じ末路、つまりは死が待っているから......。なんて。





村上龍「ペンライト」

風俗嬢の主人公と、頭の中にいるキヨミという女の子のお話。
村上龍、初めてでしたがこんなエグいとは......。というかわりとエグいのが売りらしいですね。作風に関する知識がまるでなかったので勝手に文学性の高い恋愛小説みたいなイメージ持ってました。もっとも読んだことないからそういう作品もあるのかもしれませんね。
ともあれ、この短編はもう酷いもんですよ。いい意味で。
主人公の愚かさに苛立っていいのか憐れんでいいのか悲しんでいいのか何とも言えないですけどとにかく嫌ぁな感じが一人称語りから溢れ出ていて読んでいて不愉快ですね。もちろん、いい意味でね。
クライマックスのエグいシーンは視点と語りの工夫も効いて気持ち悪いのに一気に読まされるスピード感があってそれがまた気持ち悪いという恐ろしい名シーンになっていますが、本当に怖いのはその後。ラストシーンの主人公の(ネタバレ→)変わらなさ、変われなさこそ一番怖かったですね。