偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

米澤穂信『真実の10メートル手前』読書感想文

さよなら妖精』『王とサーカス』に連なる大刀洗万智のシリーズの短編集。


1話目は新聞記者時代の、2話目以降はフリーの記者になった太刀洗がそれぞれ主人公。全編に一貫して、知ること、伝えること、その責任がテーマになったシリアスなお仕事小説。ほろ苦くも、太刀洗の真摯な姿に一抹の救いもある、そんなお話たちです。
もちろん、各話にミステリとしてのネタもしっかり仕込まれており、ミステリとしてもお話としても楽しめる贅沢な作品集です。

以下各話の感想を。





「真実の10メートル手前」

ベンチャー企業が経営破綻し、社長と広報担当だったその妹が行方をくらました。2人を探すことになった太刀洗は、ある推理によって甲府へ向かうが......。


ミステリとしては、行方不明者の行き先を音声データから推理するというなかなか地味なもので、推理の組み立て方もそこまで意外性はないです。それよりもこの短編はグルメ小説として読んだ方が......いや、なんでもないです。あれ、食べたことないんですよね。食べ物の描写が印象的すぎて食べてみたいしか感想がない......。
このお話のみ『王とサーカス』以前の新聞記者時代の太刀洗を本人の一人称から描いたもので、太刀洗にもまだ甘さというか未熟さを感じます。この事件があって『王とサーカス』での葛藤と答えに辿りつくのかと思うとまた感慨深いですね。
ラストは「ああ、そういえば米澤穂信作品だった......」と思わされる米澤穂信らしいもので、短編集のつかみとしてはバッチリ。





「正義漢」

人身事故のアナウンスが流れる駅で、語り手はスマホを片手に現場を撮影する不快な女を見る......。


雑誌掲載された「失礼、お見苦しいところを」という短編の改題。
前半と後半でガラッと話の印象が変わる2部構成になっているのが面白いです。
ただ、これをこの短編集の中で読むと、雑誌掲載時とは違いオチがまるまる分かってしまうのが惜しいところ。まぁ仕方がないことですが......。
ただ、軽くてユニークな話のラストで突きつけられる問いかけにはハッとさせられました。本書のテーマの一端を垣間見られる、2話目として絶妙な話ではあると思います。





「恋累心中」

高校生の男女が一緒に死ぬと遺書を残して亡くなった。その場所の地名から「恋累心中」と名付けられたこの心中事件だが、記者の都留と太刀洗が調べていくと多くの疑問に突き当たり......。


無能ではない同業者の語り手の視点から太刀洗のキレ者っぷりが描かれて太刀洗かっけえってなります。
扇情的ではありながらなんの変哲もない心中に疑問を見出していく展開自体が面白いですが、そうやって下世話な好奇心に引っ張られて読み進めるとあまりに残酷な結末に「知らなければよかった」とすら思わされます。
ミステリとしては非常に好きなタイプの意外な結末ではありますが、そんなことどうでもいいくらいつらい......。「知ること」の痛みを感じさせられると同時に、せめて「伝えること」が声なき二人の声に代わってほしいと、そこにあるはずのない希望を見出さなければやってらんない嫌な話でした。これだから米澤穂信という作家は嫌いですよ。





「名を刻む死」

近所の嫌われ者だった老人の遺体を発見した少年。特に不思議なところのない出来事だったはずだが、彼の元に太刀洗という記者が訪れ......。


人間の性質は非常に複雑な立体を成していて、あまりに複雑だからとある一面からしか見ないようにするのが楽で流行ります。
不愉快な場面に読者は咄嗟に「死んでしまえ」と思いますが、その時点で作者の術中にハマっていると言えるでしょう。死ねと思っちゃうような人にも事情はあり、どんな人にも色んな面があり、しかしそうした一切合切を分かった上で太刀洗が放つ最後の一撃は重い余韻を響かせます。願わくば、この太刀洗の一言が彼を救いますように。
ちなみに、正直なところ「名を刻む死」の意味はピンときませんでした......。意外ではあるけど、これを「名を刻む」と言うのは私の言語感覚ではむむむ?と思ってしまいました。





「ナイフを失われた思い出の中に」

「16歳の少年が3歳の姪を殺害した」という、センセーショナルだが単純な事件。しかし太刀洗は事件にある違和感を覚え......。


さよなら妖精』との繋がりがファンには嬉しい......じゃなくて切ないですね。
会話文が英語でとても翻訳文風なのが面白いです。器用だなぁ。
ミステリ的にもけっこうトリッキーなことをやってますね。驚かされはしたのでそれで満足ではあるのですが、ちょっともにょる点も。というのも、謎解きのキーとなる(ネタバレ→)少年の手記ですが、本文中に掲載されているものは太刀洗によって英訳したものを作者によって再翻訳した日本語の文章になっていることが解決編で明かされます。この辺が最後までぼかされているのは、作中人物同士ではフェアでも、作者と読者の間でフェアと言えるのか......?という疑問が残りました。話が面白ければフェアかどうかは問題じゃない気もしますが、こういう騙し方の場合、少しでも納得のいかない点があると騙すために作者が介入してくるような心地悪さがあります。かといってこのアイデアを他にどう料理すればいいのかは思いつかないのですが、とりあえず話のシリアスさとトリックがやや分離した印象を受けます。

とはいえ、

あなたはどのようにして、ご自分の仕事を正当とされるのですか?

という難しい問いに対して太刀洗が見せる答えは、『王とサーカス』からの流れも感じさせますし、長編2作と絡みながら仕掛けものとしても楽しい贅沢な作品です。





「綱渡りの成功例」

豪雨による土砂崩れで隔離された老夫婦が奇跡の生還を遂げる。その場に立ち会った村の消防団の青年は、学生時代の先輩で記者の太刀洗から取材を受けるが、太刀洗の質問は謎めいたもので......。


私は基本的には米澤穂信作品が好きだと思います。文庫で出ているものは大体読んでるし、それでまるっきりつまらないと思ったことは一度もなく、程度の差こそあれ全作品が面白く、本書ももちろんめちゃくちゃ面白いです。
ただ、私はこの短編に現れているような米澤穂信らしさは嫌いだったりして、そういうところに、好きではありつつ大ファンにはなれないということを感じたりしました。
というのも、米沢作品の登場人物は、誠実すぎる、もしくは誠実であることを美点としすぎる、あるいは不誠実であることを重く受け止めすぎる、というところが肌に合わないんです。
このお話の主役にそういうところが思いっきり出ていて、私くらい心が汚れた人間からすると「そんなこと気にする?」としか思えず「だからなに」という感想しか出てこないのです。これは主に私の生き方に問題があるので作品を貶めるつもりはないのですが、でも私くらいのクズの方が世の中多いんではないかなぁとも思うわけです。結局私はいいおじいさんにはなれないんでしょう。

語り手の淡い恋(?)はよかったです。