偽物の映画館

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泡坂妻夫『蔭桔梗』感想

創元推理文庫泡坂妻夫生誕90周年記念復刊の第3弾にしてラストは、直木賞を受賞した本作。

11編からなる短編集で、主に職人の世界の男女の機微を描いた作品が収録されています。
スマホとかAIとかがある令和の時代から見ると情感ありまくりな、それでいてどこか淡々としたさっぱり感もある文体自体が素敵で、私くらいのファンになるともう泡坂先生の文章を読めているだけでもご褒美みたいな気持ちには、まぁなりますよね。
ただそれを抜きにしても、とても面白い。各話が短くまとまっていて、しっかりとオチはありつつも余白の残る結末に各話とも強い余韻が残ります。また、ミステリ要素の薄い作品集ではありつつ、各話でちょっとした意外性や巧みな伏線などのミステリ的な技巧が凝らされてもいて、しかしそれが物語より前に出てこない隠し味のように使われているのが良いんですよね。私のようなミステリ育ちの人間にはこの隠し味があるとないでは満足感が全然違いますからね。
私自身も初読時にそうだったんですが、本書は泡坂ミステリが好きな人が泡坂妻夫のミステリ以外の面の良さを発見するきっかけにもぴったりな一冊だと思います。
そして、今回復刊された3冊が、ミステリの愉しさを詰め込んだ『ダイヤル7』→ミステリでありつつ叙情性の強い『折鶴』→さらにミステリ要素を弱めた渋い人情ものの本書という感じでだんだんミステリ性が薄まっていく刊行順になっているのでぜひ順番に読んだ上で、いずれは他の泡坂作品も全部読んで欲しいですね。

ちなみに家紋の話とかがよく出てくるけど今はスマホですぐ画像検索できるので助かります。増山雁金紋が超可愛かった。

以下各話感想。



「増山雁金」
久々の再読なので内容を完全に忘れていましたが1話目から凄すぎた。
紋章上絵師と小説家を兼業する著者本人としか思えない語り手の独白にほっこりしつつ、彼の目から近いような遠いなような距離感の染屋の恋が語られていきます。
しかも、その恋自体も過去のものであり、本題の恋物語から遠い時空からそれを描くことで生まれる余白がありすぎる故のしんみりとした余韻が凄い。
結びの一行が小粋すぎて鳥肌立ちました。



「遺影」
10ページちょいの掌編ですが、幻想的とすら言えるような不思議な印象が残る作品。高校時代のたった一度の不器用な口づけのシーンがもう良すぎて、、、。話の整合性とかは正直よく分かんないんだけど、それすらも不思議な余韻を強めていますね。



「絹針」
不器用で鈍感な職人の男がかつて妹のように接していた女性と再会するお話。
まずは当時の職人の世界の腕だけじゃやっていけない感じとかがリアルに描かれていてそれだけでも面白い。
本筋はままならぬ男女の恋情についてで、なんといっても(ネタバレ→)「まだ、雷が嫌いなの?」「......意地悪」というセリフだけでその後を想像させる色気がヤバい。あんなん、ドキドキせずにはいられないよ......。



「簪」
戦後になってとある簪を入手したことから戦中のとある恋の物語が浮かび上がってくるという構成。戦争の犠牲になった人々を描いた悲劇でありながら、そこにせめてもの抵抗のような美しく優しく切ない結末があるのがなんだか物語を読む醍醐味のようにすら感じられてとても好きです。



「蔭桔梗」
本書の収録作があまりに粒揃いすぎて本作が表題作だからといって他の短編より特別印象に残ることはないですが、でもめちゃくちゃ良い......。
お互いに相手を信用しきれず意地を張ったことによるすれ違いの恋の崩壊が切ない。
隠し味のようにミステリ味があることでラストの一言の良さが引き立ってます。



「弱竹さんの字」
少年の視点から戦後の闇市を描いた作品。職人は職人でも広告ビラの文字描きさんが出てくるのでこれまでの話とちょっと毛色が違って面白いです。
少年にありがちな罪とそれを指摘されて自己嫌悪に陥る流れが「少年の日の思い出」みたいで良いんすよね。
そして、それによって思わぬ結末を迎えるのが優しい。タイトルロールの弱竹さんが出てこないのも良いですね。



「十一月五日」
これも職人は職人でも義歯の職人が出てきて、それとは別に彫刻家も出てきて、2つのエピソードがどう繋がるのかというところが本書中ではかなりミステリ味が強いお話。
身構えてたらオチが読めたかもしれないけど油断してて「ああ!」と膝を打ちました。そしてそのオチがまた爽快で、悲しい話が多い本書の中でふっと脱力できるような話です。それがこの位置にあるのが収録順良すぎる。



竜田川
冒頭でいきなり殺人事件のニュースが出てくるのが本書の中では異色でびっくりしますが、そこからいつも通りの職人の色恋の物語が始まるのにも驚きます。
「匂い」を主題にしたオトナの恋模様に例によってドキドキさせられますが、(ネタバレ→)「すでにくに子の匂いを知っているような気がした」という恋愛小説的な描写がミステリとしての伏線にもなっているところが巧い......。



「くれまどう」
妻が入院している隙に会社の若い女の子と不倫旅行に行こうとするゲスの極みな主人公のお話。
本書の中でも最もミステリとしての面白みがあったと思うんですが、泡坂ミステリらしいネタを人情ものに落とし込み、意外な真相がそのままエモさに繋がるところがめちゃくちゃ良い。
ゆったら泣ける話なんだけど、最後の1行でこれをもってくることで湿っぽくなりすぎない抜け感も絶妙すぎます。



「色揚げ」
恋のすれ違いの悲しさを描いている点で表題作にも通じるけど、こちらはよりホワイダニットみが強いですね。
ミステリにおいては使い古されたネタながら設定との合わせ方が上手すぎて新鮮に驚かされ、泣かされます。



「校舎惜別」
最終話のこれは、タイトル通り学校の校舎が取り壊されるのに際してスピーチをする教師のお話。
かつていたもぐりの生徒にまつわる恋物語が展開されていきますが、そこからラストへの落差がダイレクトに「老い」というもう一つのテーマを浮かび上がらせる構成が凄い。最後の1行の印象があまりにも強く、高齢化社会の現在にこそ読みたい一編です。