偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

東直子『とりつくしま』感想

歌人東直子さんによるオムニバス掌編集。


この世に未練を残して亡くなった"あなた"は、この世のモノを"とりつくしま"として戻ることができる......。
死後の世界で「とりつくしま係」から説明を受けた主人公たちは、大切な人の愛用品などになってこの世に戻ることを望み......。

短くて1時間くらいで読めたけどめちゃくちゃ良かったです......。
モノになってこの世に戻れる、ただし話したりは出来ず見守るだけ......というシンプルな設定で描かれる10編。

全体に悲しく切なくも、どこか暖かいおかしみがあったりもする優しい筆致で描かれています。柔らかく心に染み入ってくるような言葉使いもさすが歌人と言いましょうか、小説だけど詩のような読み心地でもあり、とても良かったです。

各話で、主人公が何になるかを選び、大切な人の元へ戻るという構成は同じだし1話につき20ページくらいしかないんだけど、それでもバラエティ豊かで似たような印象の話がないのが凄いです。
そして、この「何になるか選ぶ」つまり「誰の元に戻るか選ぶ」でもある質問が各話の冒頭にあることで、読者も「自分だったら」とつい考えさせられてしまってのめり込んでしまうのも上手いと思います。
私だったら何になるかなぁ、と私も考えちゃいましたが、難しいですね......。やっぱ指輪かなぁベタだけど。というか、考えてみると「モノ」にあまり執着しない生活を送っているのでお互いに「大事にしてたあれになろう」というのがない気がしてきました。その点本書に出てくるマグカップやら扇子やらというモノを愛用する様に生活の美しさを感じてそのこと自体にもなんか泣けました。

読みやすいし短いしさらっと読めるけど、読み終わった後、日々を大事に生きようというふうに、ちょっとだけ人生観を変えられるような貴重な読書体験になりました。

以下各話のざっくり感想を。

まず冒頭の「ロージン」は設定説明回でありつつ最初から他のとは違うパターンの話になってます。粉になって主人公の意識が薄く空間に舞い散るような描写が美しく、結末はもちろん切ないけど爽やかさすら感じさせるもので素晴らしい。

続くトリケラトプスが私は一番好きで、なんかもうほとんどずっと泣きそうだったし最後は泣いた。今の私自身の状況的にも若い夫婦の話が一番共感できてモロに喰らってしまいます。最後の一言がまた良いよねぇ。これが本当だと思うよ。
「日記」も若い夫婦ものですが、こちらは男性の方が主人公で、結末も対照的になっているのが面白いです。もちろんこっちも泣きました。だってさぁあんなん泣くしかねえじゃねえかよ。

「青いの」は子供が主人公で、無邪気さに微笑ましくなると共に、こんな幼い子が......という強烈な悲しみにも襲われます。
続く「白檀」は対照的に渋い大人の雰囲気......なんだけど、少女時代からの恋が描かれているので青春の香りもするのが好きです。

「名前」は語り口からしてユーモラスな要素が強い一編ですが、赤の他人を見つめ続ける主人公の老人の孤独さを思うとかなり泣けますね......。

ここまで悲しくも優しい話が続きましたが、「ささやき」はヒリヒリとした感触のある異色作。いわゆる「毒親」が描かれ、結末も1話目とちょうど正反対みたいなもの。こういう話が1つあることによって、本書全体にただのイイ話では終わらない説得力と余韻が出ていると思います。

「マッサージ」は仕事ばかりの父親が死んでからも邪魔者にされるというなかなか哀愁強めな話ですが、最後に示されるそれぞれの悲しみ方の形が印象的。

「くちびる」は本書で唯一のモロ青春真っ最中のお話。甘酸っぱい下心はなかなかうまくいかないんだけど、うまくいかなくても素敵な結末が優しくて好き。

そして、最後の「レンズ」は、大事な人のもとに戻ろうとしたら全然知らんおじいさんのものになってしまうお話なんですが、がっくりしつつも受け入れて赤の他人である老人を見守るというのが素敵すぎました。このどこか悟ったようなさらっとした感じが最終話にぴったりで、悲しいお話ばかりだったけど読後感は爽やかさすら感じさせてくれます。