偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

西澤保彦『死者は黄泉が得る』読書感想文

たしか去年あたりに「今年は西澤保彦を読むぜ」と息巻いたものの実は3冊くらいしか読んでなかったので、今年こそはマジで西澤保彦を読むぜ!......というものまぁアテにならないけど、気が向いてるうちは......。


蘇生装置と記憶改竄装置を使って仲間を増やしている生ける屍の"ファミリー"。ある時、彼女らのアジトにクリスティンという女性がやってきた。彼女も仲間に加えようとするファミリーだったが、"私"はクリスティンに生前の記憶を刺激され......。(死後)

クリスティンの結婚を祝うための同窓会に集まった、マーカス、ジュディ、タッド、スタンリーの5人。その夜、クリスティンの弟が何者かに殺害される。さらに、事件は続いて、彼らを巻き込んで行き......。(生前)





というわけで、(特に初期の)西澤保彦お家芸であるSF(特殊設定)ミステリ長編です。

死者の復活という設定は魅力的な反面、山口雅也『生ける屍の死』という強すぎる先例があるために比較されやすくもあるかと思います。
しかし、本作では死者の復活というのが実はサイドストーリーのような位置付け。本筋は「生前」の章で起きる連続殺人事件、および、学生時代の友人同士の間で繰り広げられる遅れてきた青春恋愛ドラマの方になります。
そのため、設定を駆使したミステリとしてのトリッキーさは「死後」の章が、西澤保彦のもう一つの顔であるエグい青春ものの要素は「生前」の章がそれぞれ担うという棲み分けがされていて、それが最後にクロスオーバーすることで二つの味の融合が楽しめる......という、なかなかの力作なのです。



良かった点から。
まずはなんといっても設定を駆使したあのトリック。ネタ自体というよりも、設定の使い方とミスリードの仕方が巧妙でコロッとやられてしまいました。最近こういうトリックもののミステリを読んでなかったので久しぶりにあっと驚きましたわ。

また、トリックだけじゃなく、ちゃんと読ませるストーリー展開になってるのも良いですね。
最初の方は2つのパートの関連が気になって、中盤はキャラクターたちの情念に引っ張られて、そしてクライマックスはとにかくサスペンス性の高い怒涛の展開、ラストは怒涛の推理で、、、という具合に、常に一気読みさせるための装置が仕掛けられていて、しかもどんどん加速していくっていう話の流れがお見事なのです。

そして、私にはやっぱりこのドロドロした恋愛描写が堪らんかったですわ。『黄金色の祈り』とかにも通じる、自意識とか性欲とか純愛とかがごちゃまぜになった醜くも共感してしまう恋模様。群像劇の形でそれぞれの恋がそれぞれに色々と歪んでるっていう贅沢(?)なグロ・エモーションが最高ですやんね。
なんだろう、私自身は別にそんな酷い恋愛をしてきたわけじゃないのに、何故だかこういう話がしっくりくるんですよねぇ。こういう最悪な女に「死ねやオラァ!」と思いながら読むのが楽しい(苦しい)のはなんでなんでしょう?



......まぁとりあえず個人的にはその辺りが良ければ全てよしという気がしますが、一応批判的なことも少し書いておくと、ラストがあまりにも意味が分からなかったですね。
最初はなにか深い意味があるのかと思いましたが、著者自身もあの点は失敗だったみたいにあとがきに書いてるので、どうやら意外性を追求するあまり空回りしただけっぽくも感じられますが、しかし一点の心理的な謎さえなければあのエピローグは完璧に美しいのもまた事実でありまして......。

その一点の謎については、私の頭ではどう考えてもしっくりくる回答を捻り出せなかったのですが、一応自分なりの考えを以下にネタバレで置いときます。





































というわけで、ラストのワンセンテンスの、私=ジュディという驚愕にして唐突の真相こそが、本書の1番の謎でありました。

いや、彼女がジュディであること自体は、インタールードの描写(墓を掘って復活させられたのがジュディ?)や、スザンヌ=ミシェルというところから納得はいくのですが、それならどうしてクリスティンはジュディのことをミシェルと呼んだのか?というのが、この謎の本質になります。

なぜ、クリスティンは、ジュディに対してミシェルと呼びかけながら復讐を行なったのか。

おそらく、そこにはスタンリーの存在がちょっと絡んでくるのだと思います。
クリスティンはスタンリーと不倫をしていました。しかし、スタンリーは本当はジュディを愛していました。
クリスティンにはそれが許せなかったのではないでしょうか。

というのも、別にクリスティンがスタンリーを愛していたということではなく、美しい自分の引き立て役に過ぎない子供っぽいジュディ("お嬢さん"と呼ばれるくらいですから、子供っぽい見た目なのでしょう)なんかが自分の所有物であるスタンリーのハートを射止めてるのが許せないという逆恨み的なアレ。
そして、あまつさえそんな許せないジュディが永遠の若さを保ったまま生ける屍として生き続けていた。当時は子供っぽいとバカにしていたジュディの容姿も、おばさんになった自分には嫉妬の対象でしかなくなったのでしょう。

......というような経緯でクリスティンはジュディに復讐しようとするのですが、一方で、自分のものであるスタンリーの心を奪ったジュディはクリスティンにとって存在してはいけない罪悪であった。あるいは、自分がそんな嫉妬からジュディに復讐しているのだということを(ジュディが記憶を失っているにしても)隠しておきたかった......?
とかそういう理由で、クリスティンは一見自分が復讐する理由のありそうなミシェルの名をいてはいけないジュディにあてがった上で、自分の中だけでは昔っからほんとにイライラさせられ(文庫p.353)ていたジュディに復讐することにした........................


というのが一応の私の解釈というところになりますが、まぁこれも「そう言うなら言えるよね」くらいのもので、作者の中で用意された答えはなんなのか?そもそもそんなものがあるのか?というのは藪の中......。
しかし私の想像力ではこれが限界ですのでメモとしてここに残しておきます。



ちなみに、記憶を失ってもなおバグとして残ったジュディのマーカスへの気持ちと、お互いに記憶を失うことで現世では果たされることのなかった二人だけの世界へ旅立って行きました......というラストは、恋愛小説としてあまりにも美しすぎやしませんか?
細かいツッコミどころなんかもう気にならないくらいに素晴らしい。