偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

大白小蟹『うみべのストーブ』感想

単巻の漫画の短編集。
後輩に勧められて読みましたがかなり好みでした。

全6編の短編が収録された1冊。
全体の特徴として、ちょっとファンタジーな設定を用いながらも、アラサーくらいの男女の日常の中にあるちょっとした出来事を繊細に描いていく作品集でした。

恋愛、結婚、出産、友情、仕事、みたいな、作中人物たちと同世代のアラサー野郎としてはまさに日常的なテーマが扱われているため、それだけで個人的にはかなり興味を持って読めました。
各話で描かれる登場人物の感情たちも、絶妙に普段ふとした瞬間に思うけど形にすることなく忘れてしまうようなものだったりして、そういう身に覚えはあるけど直視していなかったものを突きつけられるようなところが良かったです。
悪い人は全く出てこないんだけど、その中でも理想と現実のギャップや恋人とのすれ違いや社会からの圧力といったトゲトゲがありつつ、最後にはそれがちょっとだけ丸くなって終わるような優しさも好き。

各話の冒頭から、短編の分量なので説明はしすぎないけど、でもキャラクターの背景がなんとなく想像できるような描き方がされていて一気に掴まれるというか、主人公のことを好きになってしまうところも上手い。
そして、各話の最後のページには、その話のイメージ短歌が載っていて、この短歌が映画のエンドロールを見る時のような余韻を感じさせてくれる、始まり方から終わり方まで素晴らしくて、これがデビュー作というから完成されすぎやろと思うし今後が楽しみな作家さんになりました。
以下各話感想少しずつ。


「うみべのストーブ」
シンプルに切ない失恋の話で、恋の季節に読んでいたら刺さりすぎて本を壁にぶつけていたと思う......。今読んでももちろんとても良い。ストーブが優しすぎて泣くし、特に何もないんだけどちょっと吹っ切れた感じの結末も良すぎる。


「雪子の夏」
雪女に夏を見せるという設定だけでもうエモすぎるやん。
本書で1番ファンタジー色が強く、終盤の幻想的な光景は強く印象に残ります。
とはいえ、毒親に育てられた箱入り娘が実家を出て自由に自分らしく暮らすという等身大のリアルな話でもあり、設定と内容のギャップが可愛らしいです。あとミニ雪子が可愛い。


「きみが透明になる前に」

スピッツ好きなんか!?というタイトルからして良い。
本書でも特にお気に入りの話で、結婚して2人で暮らすうち、好きなところはしっかりあるんだけど嫌なところも目につき出して、本当に相手のことが好きなのか自信が持てなくなってしまう......というテーマを「透明人間」を使ってやってるのがめちゃくちゃ面白いしエモい。
2人でいるからこその寂しさの果ての何の捻りもない結末が心に突き刺さりました。


「雪を抱く」

これも特に好きな一編。
大雪の夜、終電も逃しマクドも追い出されて途方に暮れる中で出会った女2人というシチュエーションがめちゃくちゃ好きで。夜を歩いて乗りこなすお話がまず大好きだし、限られた時間を共有するだけの、だからこそ言いづらいことも言えるような関係性も大好きだしで、好きな要素ぎゅうぎゅう詰めなんですよね。
男同士ではなかなかこうはならないので、羨ましいというか、憧れ的なものも込みでとても好きです。タイトルの意味も良い。そういえばこれは特にファンタジー要素ないですね。でもどこか不思議な夜のお話。


「海の底から」

これも海底にいるのは比喩なので実際にはファンタジー要素ないんだけど、でも海の底にいる描写が印象的。
創作と生活に関する話なので、正直なところ創作自体が全く出来ない私からすると主人公の悩みも贅沢に思えてしまうというか......。描きたいテーマがあったとしてもそれをどんな形にも出来ないので、描けるだけでええやん......とどうしても思ってしまう。醜い嫉妬。しかし「海の底から」の「から」の部分にいろいろ込められていて、読後すっと気持ちが軽くなる感じがとても良い。



「雪の街」

これだけ初出が自費出版となっているインディーズ時代の作品(漫画でそういうの何て言うんだろう)で、他の話に比べると絵は粗いしストーリーにもポップさがないんですけど、そのある種荒涼とした雰囲気が、親友の死というテーマには合っていて良かったです。
喪失感を媒にして繋がる2人の関係が美しい。この話自体は短い時間を描いていながら、それぞれが故人と過ごした過去と、彼女のいない2人のこれからへと前後に行間が伸びていくような広がりがすごいです。



「たいせつなしごと」

エンドロールに近い短いお話で、内容的には全然繋がりはないんだけど、これまでの話の主人公たちをもう一度思い出させるような話になってて余韻が良い......。