偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

サラ・ピンスカー『いずれすべては海の中に』感想

シンガーソングライターでもある著者による、サイエンスフィクションというよりは「少し不思議」寄りのSF短編集。


例えば1話目は「片腕を失った青年のAI義手が自分のことを高速道路だと思っている」というお話で、その他の作品も設定だけ取り出してみれば奇抜すれすれみたいなものばかりです。しかし読んでいて奇抜な感じがしないのは、物語にある切実さや優しさのおかげ。
1話ずつ違ったテーマを扱いつつ、全体に通底して感じるのは、戻らない人や物や時間への慈しみのようなもの。各話とも切なく儚くも、包み込むような優しさも感じさせる話ばかりで、読んでいてとても心地よかったです。
一応SFではあるんだけど、設定自体は深く解説されずに「そういうもの」としてそこにあって、それが登場人物たちにどう影響するか......というところが主題であり、心理描写が淡々としつつもリアルで人間らしい体温があるものなのも、設定の奇抜さを下品に感じさせない一因だと思います。

そして、説明が難しいですが、私は本書を読んでいて子供の頃に絵本に夢中だった時のことを思い出しました。
現実にはありえない世界のワンダーが描かれつつ、登場人物たちがそこに生きている感触がしっかりあって、「お話を読んでいる」って感じが強いと言いますか。
子供の頃、絵本の中が現実からの逃げ場だったように、大人になった今、2LDKの我が家⇔職場という牢獄を行き来するだけの日々の中で、心をふっと子供の頃に住んでいた想像の世界に連れ戻してくれるような、素敵な1冊でした。

以下各話の感想を簡単に。




「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」
農家の青年がトラクターに片腕を持っていかれて義手をつけるも、義手は自分のことをハイウェイだと思っているお話。
AI搭載のハイテクな義手というSFっぽさと、それがハイウェイだという幻想との取り合わせがとても美しい。単なるバグかもしれないんだけど、そこに詩情を見出してしまうのが美しい。


「そしてわれらは暗闇の中」
夢の中で子供を授かった人たちの集団が世界各地からカリフォルニアに集まってくるお話。
これもあまりにも奇妙な設定とビジョンでありつつそこに奇を衒った感じとかが一切なくて詩的な美しさがあるのが良い。


「記憶が戻る日」
毎年一回訪れる、退役軍人たちの記憶が戻る日についてのお話。
何の話かわからないところから徐々に状況が見えてくるところが面白い。(戦争の)酷い記憶を消すべきか否かという問いかけが「投票」という形で描かれることで自分ならどっちを選ぶだろうと考えさせられます。


「いずれすべては海の中に」
とある海岸に漂着したロックミュージシャンと、海岸に住むゴミ拾いの女性のお話。
不器用すぎる2人の交流に心揺さぶられます。長い距離ではないけど徒歩によるロードムービーのような味わいもあって好き。


「彼女の低いハム音」
本物のおばあちゃんが亡くなった後、父親が作ってくれたロボおばあちゃんと少女のお話。 
序盤、少女の偽物のおばあちゃんに対する意地悪な気持ちがすごくリアルでヒリヒリします。もちろんそれだけじゃなくだんだん優しい話になっていくのも素敵。


「死者との対話」
AIによってそこで起きた殺人事件の被害者との対話ができるミニチュアハウスを開発した主人公たちのお話。
これはけっこう心抉ってくるサイコパスについての物語。そういう人と関わってしまった主人公はもちろん、そういう人自体もどこか憐れに思えて嫌な後味だけど嫌なだけじゃない切なさがあるのが良い。


「時間流民のためのシュウェル・ホーム」
タイトル通りの短いお話。
掌編で特に何の説明もないんだけど、描かれる時間流民の観る風景が美しいのでそれだけでなんか印象的。


「深淵をあとに歓喜して」
脳梗塞を起こした高齢の夫との過去を回想する老婦人のお話。
これはSF要素のない短編ですが、記憶や喪失(の予感)を描いている点で他の作品と雰囲気は共通しています。
長い付き合いの夫のことすら理解出来なかったという後悔の苦味がありつつ、それだけじゃなくて希望も感じさせる後味とのバランスが好き。


「孤独な船乗りはだれ一人」
セイレーンが現れ海に出られなくなった港町で、旅籠で働く両性具有の少年が船長とともに海を渡ろうとするお話。
揺れ動くアイデンティティを持つ主人公だけがセイレーンと渡り合えるという発想が良いですね。脇役の養母的な人とか船長とかもいい味出してます。


「風はさまよう」
地球を出発してまもなくハッカーによりデータベースが破壊された宇宙船の第三世代である主人公のお話。
これなんかはもう星を喪失してますからね。地球から離れて、地球の文化を残したデータベースも破壊された船の中。ハリウッドの名作も喪われたからリメイクするのはちょっと笑ったけど、文化の意義とは?
歴史を伝え学ぶ意味とは?などと考えさせられる一編です。


「オープン・ロードの聖母像
ホログラムライブが一般化された世界で数少ない観客のために昔ながらの生のライブツアーをするバンドのお話。
バンドが出てくる話はだいたい好きですがこれもめちゃくちゃ良かった。結構モロにコロナ禍における配信ライブの是非を元ネタにしてます。生のライブがほとんど無くなった世界で貧しくてもそれに拘り続ける主人公の生き様がカッコ良すぎるし音楽好きとしては共感できる部分もある一方、どこかで生活のために配信もやればいいのにとも思っちゃいますが、そこからのあの結末がエモすぎて、すいませんでしたという感じ。

「イッカク」
金持ちに雇われ鯨を運転してアメリカを横断することになった何でも屋の女性のお話。
ロードムービー風のお話なんだけど鯨を運転してるだけでだいぶ絵面がSF......てかファンタジー。雇い主との車中でのやり合いが楽しく、あちゃ〜やると思ったよ〜ってなベタな展開も楽しい。
後半からはまた違った展開も入ってきて、一つ一つの要素といいその組み合わせ方といいどうやって思いつくんだろう?と不思議に思うくらい変な話。それでいて本作も失った時間や記憶といったテーマがあって最後まで読むとちゃんといい話だから凄い。


「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」
あらゆるマルチバースから来た大勢のサラ・ピンスカーたちによるシンポジウムの最中、ある1人のサラが殺害されるお話。
マルチバースの自分を集めてそこで殺人事件が起こるなんていう発想もどっから出てきたんだよという感じですが、本作の場合は原題がアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』をもじった言葉遊びになっていて、たぶんこのタイトルから発想を膨らませたんだろうなという感じはします。
自分がいっぱいいる時あるあるネタみたいな細部の小ネタが楽しいです。しかし選ばなかった人生の可能性を突きつけられたり、その中で他の世界の自分が本当に(自分を、とはいえ)殺人者なのか?という怖さもあり、ユーモアとシリアスさのバランスが面白いです。
真相は目新しさはないもののミステリ的な意外性もしっかり用意されているし、それによって描き出される鈍痛のようにじわじわ効いてくる動悸が印象的。マルチバースを通じて人生が一度きりしかないことの残酷さを突きつけてきつつ、だからこそ物語があるんだな、という気持ちにもさせてくれて、本書でも最大の異色作ながらトリに相応しい作品でもありました。