偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

太宰治『新樹の言葉』感想




「I can speak」

まずは冒頭の「くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。」というフレーズが印象的。
前々から太宰治の文章はTwitterみたいだと思っていたのですが、本作の「生活のつぶやき」というワードを見て「あ、やっぱり」と思いました。

ほんの数ページの小品ですが、自身の作家としての苦悩と決意を通りすがりのように見かけた姉弟の風景に託しているのが印象的。
珍しい英語のタイトルが少しの滑稽さと切実さとを孕んでいて、すっと気の晴れるような明るさが見えかかって終わるのが爽快です。



「懶惰の歌留多」

自身の怠惰についての誇張したようなめちゃくちゃな書きっぷりが面白くも共感できてしまうところで、そこから急にカルタが始まって急に終わるところの雑さが酷いですね。
でもカルタのそれぞれのお話は面白かったです。
あと、怠惰の類義語字典みたいなところも好きです。言い換えだけで文字数稼いでるのは大学時代の私のレポートよりも酷いものですが、さすがに文豪先生、語彙力とユーモアで言い換えだけでも笑わせてくれます。
そして、文中に「人間失格」というワードも出てきたりもするので、これだけふざけた文章なのにどこか後の自殺を思わせるような不穏さがありました。



「葉桜と魔笛

これは好きなお話でもう何度読んだか分かりませんが、やっぱり良いですね。
掌編と言っていい短さの中でミステリのように二転三転していきながら、その度に登場人物たちの痛切な想いに胸を締め付けられます。
(ネタバレ→)作中のツイストと呼べそうな部分が、それぞれ「手紙は私が書いたものだった」「そもそもM・Tは妹の創作だった」「口笛は父が吹いていた」とそれぞれの登場人物に絡んでくるのが巧いと思います。
と同時に、妹の言葉の方が嘘でM・Tという青年は実在していたとも考えられますし、そもそも語り手が話す内容がどこまで真実か、例えば口笛のくだりなんかは美化してる可能性も......などと考え出すと、芥川の「藪の中」みたいに何だったのか分からない不思議な読後感をも残します。

シンプルな美談としても読めて、でもミステリアスなところもある傑作です。



「秋風記」

著者を思わせる語り手の作家がKという人妻と旅行に行くお話。
心中こそしないものの、「姥捨」のような読み心地でした。
Kという女性の魅力にとにかくやられてしまいつつ、終盤のあの衝撃的な場面以降で運命のように引き裂かれていく2人に切なさを感じます。
何かこう、読者にも分からない2人の間だけで通じ合っているようなセリフが多く、読んでいて引っかかったりもするけどその内輪感みたいなものが逆に2人の関係性を表していてエモかったです。



新樹の言葉

幼い頃の自分を育ててくれた乳母の息子に再会するお話。
乳弟らにウザ絡みする主人公のダメ人間っぷりを面白おかしく描きつつ、全体にはかなり爽やかな空気が流れる一作です。
主人公に自身を投影していそうな感じではありますが、終盤の誂えたような展開は創作としか思えませんが、風景として印象的でした。



「花燭」

これまた著者を投影していそうな男爵と呼ばれる男を、客観視点で描くことでユーモラスに仕上がった明るめの作品です。
なんでそうなるの!と言いたくなるようなダメさ加減が、しかし読んでいる分には愉快でもあり、うだうだと思い悩み始めるくだりなんかは昔も今も若者の悩み方は変わんないなぁと思いました。
そしてちょっと妄想が過ぎるくらい激甘なラストも凄く良いっすよね。逆だけど、森見登美彦っぽさを特に強く感じました。
これ、女性が呼んだらどう思うんでしょうね、この結末。馬鹿にしてますよね。



「愛と美について」

文学好きの五人のきょうだいが口頭でリレー小説をするお話。
作中作の老教授の物語自体がユーモアとアイロニーの入り混じる綺麗過ぎるくらい綺麗にストンとオチるものになっていつつ、それを語るきょうだいそれぞれのキャラが見えてくるのがまた面白い。
元々エンタメとしても面白く読める太宰さんですが、本作は特にエンタメに振り切っています。後に残るものはあまりないけど、奇妙な構成で作中作と作中現実の二段階でしっかりオチを付けているあたりは良くできたミステリのような読後感すらあります(謎解き要素はないですけど)。
また、太宰と数学という珍しい組み合わせを(ギャグですが)見れたのも新鮮でした。



火の鳥

未完の長編の書きかけの部分。
心中で生き残った女性が女優になっていくというお話のようです。
普段の太宰の文体とは違って三人称っぽい書き方なんですが、正直それがちょっと読みづらかったです。
女性の方が生き残るというのも普段と逆な気がしますが、そこに彼なりの贖罪のような気持ちもあったのでしょうか。
お話の方は、かなりキャラ立ちした人たちがいっぱい出てきて会話を読んでるだけでも楽しく、長編として彼らの行く末を見てみたかったなと思わされます。



「八十八夜」

純文学を志しながらも生活のために通俗物を書き始め、いつしか身も心も俗化してしまった作家の笠井さんが旅行するお話。
作家じゃないけど最近では米津玄師なんか、売れることとやりたいことを両立させる天才だと思いますが、普通はなかなかそうはいかないものでしょう。
私は創作したことないので産みの苦しみとか分かんないですけど、それこそ俗っぽい話ですが好きなバンドが売れ線に行っちゃって悲しいとか、逆になんでこのタイミングでもっと売れに行かないの!とか思ってしまうので、大変なんだろうなと思います。
しかし自虐の語り方がやっぱり面白おかしくて、つらいはずなのにくすくす笑ってしまいます。
あと、後半のダメっぷりはもう......。



「美少女」

妻と混浴の温泉に行って美少女の裸体を見ましたというだけのお話なんだけど、なんか良いですね。
女性の身体への眼差しという点で「皮膚と心」なんかにも通じるところがあるように思います。女性の方が男よりも身体と心が結びついているって感じ?
そもそもこの時期って温泉混浴だったのか!っていうのもびっくりですけど。美少女の身体の描写が細かくもいやらしいところはなく、はっとして見入ってしまう感覚が文章から伝わってきます。
私も若い頃は女性の裸には性欲しか感じませんでしたが、この歳になるとこの主人公のいやらしい気持ちではないけど良いものを見た、という感覚が分かるようになってきました。
あと最後の一文が味ですね。



「春の盗賊」

泥棒に入られたってだけの話をどうしてこんなに面白く書けるのでしょう。
だけ、とは言っても、そもそも本題に入る前の愚痴とも但し書きとも憤りとも言い訳とも取れる「いや俺が書いてるのは小説なんだから実話だと思わんといてや」という私小説作家の心の叫びからしてめちゃくちゃ面白く、もう残りのページ数も少ないのにいつになったら本題に入るのだろうとハラハラさせられます。
そして泥棒と遭遇するところも、なんでそうなるんだろうって感じになぜか侵入してきた泥棒に懇々と話を聞かせてしまいには入られた主人公の方がわけ分からん人になっちゃう流れも最高に笑えます。
妻の存在で読者としてはなんとなくほっこりできるので良いっすね。



「俗天使」

小説を書かなきゃいけないのになんかやる気が出ない太宰さんがこれまでに出会った印象的な女性たちのことを書いていき、ついにはネタ切れだから創作します!と言い切って架空の手紙を書き始めてしまうところには苦笑。しかしこの手紙が実は「女生徒」のモデルの人からの実際のものだとかいう話もあったりして、よく分からないながら虚実の境のわからないメタ的な面白さのある短編です......とよく分からないので雑に締めくくりましたがそんな感じ。



「兄たち」

太宰の兄たちの思い出を描いた作品。年が離れていて社会的にしっかりした長兄と次兄の話はさらっとで、早くに亡くなった芸術志向で毒笑趣味の三男についての話がメイン。
この兄の恋のエピソードがとても切なく印象的で、湿っぽくならずにさらりと流すような終わり方にも逆に真実味があります。
悲しくも、兄との交流に温かさも感じる良い話です。



「老ハイデルベルヒ」

かつて訪れた三島の地での思い出。
冒頭の三島に向かうところの見栄張って情けない有り様からしてもうなんか好きですね。
町中に小川が流れていて美しい、けれども破滅へと向かっていることも示唆される町の描写になんだか胸を締め付けられたり、不器用な親子愛の姿に胸を打たれたり。
そして変わってしまった町の姿と自らの心を重ねた寂寥感のあるラストが印象的。



「誰も知らぬ」

「葉桜と魔笛」と同じく女性独白体で描かれ短くも掴みきれない謎めいた読み心地の作品。
祖父に関する描写などから主人公の性格が推し量ることができ、それが伏線のように機能して終盤の唐突に見える爆発に説得力が付与されているのが上手いと思います。
本編はほぼ安井夫人の独白ではありつつ、少女だった彼女が"安井夫人"になっていること、末尾の言葉の矛盾などから、この話はどこまで真実でどこからが誇張なのか?なぜこんな話を聞き手にしてるのか?などといったところまで考えさせられるあたりの懐の深さがさすがだと思います。これもミステリじゃないけどそれっぽくも読める傑作ですね。