偽物の映画館

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太宰治『ヴィヨンの妻』感想

太宰の死は昭和23年。本書は昭和21年から23年までの作品を集めた太宰晩期の作品集。


ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

  • 作者:治, 太宰
  • 発売日: 1950/12/22
  • メディア: 文庫





「親友交歓」

終戦から1年、一家で津軽の生家に避難してきた太宰の元を小学生の頃の友人が訪ねてくるお話。

冒頭には「最近バカな読者が曲解してイチャモンつけてくるから断っとくけど......」といった但し書きが付けられていて、こんな時代から作家は現代のツイッタークソリプみたいなことをされていたんだなぁとやるせない気持ちになりました。

閑話休題

親友氏のキャラがもうとにかく強烈で、なんつーか、もはや異文化体験ですね。
太宰の語り口がユーモラスだからコメディになってるけど、こんなやつ家に来たら私だったら衝動的に殺しちゃうかもしれません。
でもここまでじゃないけど、こういう殺したくなる友達っているよね、ってとこで共感。縁切りの刀とか欲しいわ。
ラスト1行が衝(笑)撃。





トカトントン

終戦の日以来、「トカトントン」という金槌の音に悩まされる青年のお話。

ストーリー展開はなんかもう「世にも奇妙な物語」によくあるような感じで、不思議な現象に悩まされながら、それがだんだんエスカレートしていくというホラーっぽい読み方も出来ます。
ただ、このトカトントンという音が挫折とか虚無感、トラウマの象徴であって、主人公が何かに熱中しようとすると、トカトントンが鳴って気持ちを砕かれてしまう、というのは、私はもちろん玉音放送を聴いてませんが、鬱屈した青春の心理としてめちゃくちゃ分かるところがあるというか、自分を見ているような気がします。
それだけにラストの急に出てくる先生の返答にはハッとさせられました。
ハッとしつつ、感性が鈍麻しているから、私のトカトントンは鳴り止まないのですけどね......。





「父」

義のために子を犠牲にする父、というのが聖書からの引用で描かれます。それになぞらえて描かれる父親としての太宰の酷さと言ったら、私も変なところで常識人なので「こいつまじクソやな」と思っちゃいますね。ある程度のクズエピソードは許せても、親としてこれでは......みたいな。
でもその裏にはやっぱり同族嫌悪的な気持ちがあるのも確かで、自分が親になったらきっとこんな風にダメダメなんだろうなと思うと、結婚に対してトカトントンな気持ちになったりもするよそりゃあ。





「母」

知り合いの小川君という青年の実家の宿に泊まりに行くお話。

小川君が太宰をめっちゃディスってくるのがツボにハマってめちゃくちゃ笑いました。自分がディスられるのを面白おかしく描けるのステキ。酷い言い草なのに嫌味のない小川君のキャラが良いっすね。

意地悪な気持ちを抱いた太宰が、しかしタイトルの「母」にまつわるとある場面に遭遇し、意地悪が雲散してお茶目なこと言うっていうほのぼのしていながらどこか虚しさも感じさせる終わり方が良い。しかし、男というのは結局マザコンなんやね。





ヴィヨンの妻

ヴィヨンってなんぞやと思ってましたが、遊び人の無頼漢で有名なフランスの詩人だそうです。
本作の主人公の夫もまさにそんな感じで、胸糞悪いくらいクズ野郎なんだけど、読んでる分にはそんなに憎めないあたりは太宰にしてやられた感がありますね。

冒頭の夫が逃亡して飲み屋の夫婦が来る場面からして、緊迫感がありつつ情けないような何とも言えぬ空気が良いですね。
そこから、夫の借金を返すために外で働き始めるようになって、だんだんと生き甲斐を見出したようになる主人公が面白いです。あっけらかんというか、開き直ったような爽快な読後感があって、いい話だったような、なんか騙されてるような......。





「おさん」

愛人の元へ通う夫。それに耐える妻が主人公。
夫婦の会話のシーンが印象的。
互いに苦しむ冒頭から、ロマンチストな男の弱さと現実家の女の強さで枝分かれするような結末も良いですね。
しかし、太宰先生にも妻を苦しめているという自覚はあるんかいと思いますね。あるからつらいよね、分かる。





「家庭の幸福」

官僚もディスられまくって可哀想だよなぁと思っていた太宰が、ラジオでの官僚と庶民の対話を聞いて突如官僚にブチギレて妄想独演会を繰り広げたあげく後味悪い短編小説の構想を練るというなかなか変な話。
タイトルの意味が明らかになるラスト1行が印象的です。





「桜桃」

子供より親が大事、と思いたい

という書き出しが有名で、実際印象的です。
さくらんぼ繋がりでスピッツの「チェリー」の「強くなれる気がしたよ」みたいな煮え切らなさがありますね。
「思いたい」んだけど、実際にはそうは思っていないみたいなめんどくせえ捻くれ方が好き。
この語り手がもう人間失格のクズ野郎で、目の前の問題から全て目を逸らして、桜桃の身を不味そうに食べては種を吐き捨てるという、やるせない比喩表現が素晴らしい。
やっぱり絶対子供なんか作らねえぞという気持ちになりました。