偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

綿矢りさ『蹴りたい背中』感想。

『憤死』が面白かったので代表作とされるこれも読んでみました。

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)


主人公のハツは高校1年生。クラスに友達がおらず、唯一中学時代には仲の良かった絹江も新しい友達とグループを作っていく......。
そんな時、同じくあまりものの男子、"にな川"に興味を持たれる。ハツがかつて、にな川が愛するモデルのオリチャンに会っていたからだった。



主人公が、クラスの輪に入れない少女、俗に言う"ぼっち"というやつなわけですが、私自身高校生の時には似たような境遇で過ごした(部活にはかろうじて話せる相手がいましたが)ので、とりあえずは共感しながら読み進めました。

まずは、書き出しが良いですね。
「学校」という空間における「さみしさ」は「鳴る」んですよね。周囲の喧騒、クラスメイトたちの騒ぐ声、そんなものが、自分だけ黙ってるとなんだかリバーブがかかったみたいに響いて聴こえたりするんですよね。
そして、そんなクラスの雰囲気に「ハッ」って思うスタンスで、たしかに友達を作るのはめんどくさいし、グループ内での立場を維持するのにきゅうきゅうとするくらいなら1人でいたいって気持ちも本音なんだけど、だから1人でいて平気へっちゃらなほど強くもなく、結局、友情?恋愛?ハッ!ていう強がりのスタンスでいなきゃ自分の席に座っていられなかったですね。

で、自分ではあくまで友達がいないんじゃなくて「作らない」という感覚でいたので、「ぼっち」と括られるのも違和感があり、実際話してみれば俺はクラスの真ん中にいる声がでかいイケメンより面白いやつだとも(傲岸不遜な勘違いですが)自負していたので、不登校になったり自殺未遂をしたりするほど苦しくはなく、けれども修学旅行みたいな好きな子同士でグループを作る状況の極限に直面すると本当に嫌で嫌で、家で泣き喚きながら「修学旅行なんて行かないもん!」と駄々こねたけどそんなの無駄な抵抗。結局一番大きいグループに金魚の糞みたいに入れてもらって、でも自分では俺が金魚でこいつらみんな俺のうんこだなどと内心だけデカい気持ちでいながら「うん」「わかった」しか言えない鸚鵡になって広島を旅したことなんかを思い出しました。

......たのしい修学旅行の思い出話が長くなりましたが、ともかくそういうクラスの輪から外れた人間の「あるあるネタ」と呼んでもいいようなディテールが非常に的確に描かれていて("笑い我慢筋"の話とかまじわかる)、著者は絶対ぼっち経験者だと確信したとともに、「ハツは俺だ」という認識で読んでいくわけですよ。


しかし、そうやって共感しようとしてしまうこと自体が年取った証拠のようにも思えて。
本書ではあるあるが散りばめられつつも、ハツとにな川という2人のぼっちの間の、同じ境遇でも全然相入れない断絶が描かれ、その断絶をなんとか埋めようとして背中を蹴っているのかな......なんて浅い読みしか出来ませんが、にな川のオリチャンへの愛も、ハツのにな川への言葉にできない感情も、絹江のハツへの理解も、全部が全然届いてないことへの醒めた気持ちがリアルで、ヒリヒリしました。

なんというか、何も体験せずに何でも知ってしまっている我々世代の感覚、なのかなぁ......。醒めてて俯瞰の視点で見てるけど、それでいて視野は狭いような青い語り口がとても好きで、読んでてうんうんと頷きながら、どういう感情やねんと首を捻るような読み心地が楽しかったですね。
他にも部活の顧問の先生を見て人生の虚しさを思うところなど、グッとくるディテールの積み重ねが素敵でした。