偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

小川勝己『撓田村事件 ー iの遠近法的倒錯』

『眩暈を愛して夢を見よ』に続いて読むの2度目の小川勝己



舞台は、岡山県香住村の撓田地区。村落合併以前からの閉鎖性から、香住村に吸収された後の現在も「撓田村」と呼ばれることもあるこの地区で、下半身をちぎり取られ不気味な装飾が施された遺体が発見された。そこから撓田で怪事件が続発し、さらに過去の未解決事件も現在に影を落とし......。

という風に、ミステリとしての本書は見立てのような事件、村の言い伝え、変人な探偵役、過去と現在のリンクと、おどろおどろしい横溝正史風の設定が魅力的です。

しかし、主人公に童貞少年の智明くんを据えていることで、やはり『眩暈〜』にも見られたような自意識や性欲についての煩悶、つまり解説の杉江松恋氏言うところの「童貞」性が強く出た小川勝己らしい(2作しか読んでませんがそうであろう)作品にもなっています。

本作のミステリとしての筋は上に書いた通りですが、童貞小説としてはこうなります。

......中学生の智明くんには、好きな女性が2人います。1人は同級生のゆりちゃん。しかし、ゆりちゃんは智明くんの親友と付き合っているのでした(つらい)。
そしてもう1人は近所のアラサーお姉さんの千鶴さん。大人の千鶴さんがぼくみたいなガキを相手にしてくれるわけないと思いつつ優しくて綺麗な千鶴さんに淡い憧れを抱く智明くんでしたが、ある夜、千鶴さんが男といちゃついてる影を見てしまうのです(つらいつらい)。

かように、童貞小説としての青いつらさしんどさ死にたさで童貞および童貞経験のある読者をぐいぐいと牽引していきながら、その裏でミステリとしての手がかりや伏線も暗躍している、(精神的童貞にとっては)贅沢な一冊なのです!


撓田村事件―iの遠近法的倒錯 (新潮文庫)

撓田村事件―iの遠近法的倒錯 (新潮文庫)


というわけで、私は本書をミステリ2:小説8くらいの比重で読みました。
そこまで本書のストーリーにハマってしまったのは、やはり本書が非モテ・精神的童貞の在り方を見事に描き出した、非モテあるある小説だからでしょう。

杉江氏は解説で童貞の本質は「肥大した妄想力」だと鋭く指摘していますが、まさにその通り。付け加えるなら、そうした妄想力の根底にあるのは肥大した性欲と肥大した自意識でありまして、なんにしろ内面が肥大している状態なんですね。
で、その性欲と自意識というのがなかなかややこしくて、自分はモテる人たちみたいに体目当てじゃなく純粋な恋をしているという自負を持ちながらも本当は女なら誰でもいいというところもあり、それが主人公の智明くんの「好きな人が2人いる」という状態に表れているわけですねぇ。
自分は本当はゆりちゃんを千鶴さんの代わりにしている......いや、千鶴さんをゆりちゃんの代わりに......みたいな、でもどっちも本当に好きだからしょうがない的なアレ、中学生くらいではよくありますよね。

で、本書は童貞あるあるネタでありますので、好きな人が2人いることで恋の失敗も2倍味わえるとこうくるわけです。
しかも相手は同級生と年上のお姉さんですから、全然別のパターンで、うん、つらいです。とにかくそういうつらみ描写が怒涛に迫ってくるので、ミステリとしての事件はけっこう遅いタイミングで起こるのですが、それまで飽きさせません。
で、そんな童貞小説としてのクライマックスは、智明くんがとある人物にブチ切れられる形で訪れます。正直、ここまで智明くん視点で読んで来ただけに童貞経験のある読者はさも自分が責められているようなどきどきを味わう羽目になるわけです。そんな、僕だってつらいんですよ!的な、でも自己嫌悪で線路に飛び込みさようならしたくなる感じの。

しかし、一方で大人になった私は青春時代にこういう経験をしていた方が、将来的に愛を知ることができるんだろうなぁと、自分の経験していない苦悩に一抹の羨ましさを抱いてしまうのも事実。実際に、その後智明くんにちょっと成長が見られ、色々色々色々な意味で悲しい物語でありながら本書の読後感は悪くないものになっています。
こういうところも、杉江松恋氏が童貞も元童貞も読めと言っているだけある、素晴らしい童貞小説だと思います。



さて、私は一応元々はミステリファンですので、ここらでミステリ部分にも少し言及しておきましょう。

本書の凄いところが、智明くんの視点がメインでありながら、伏線はしっかり貼りながら解決編では大人数の関係者たちの群像劇になってしまうところですね。
童貞小説としてぐいぐい牽引しつつも、智明くん視点の中に、また不足ならば他の人物、さらには犯人視点まで加え、読者に対してしっかり「伏線」という義理を果たしてくれる律儀さ。
そして、トリックとしてはやはり見立ての扱いが素敵ですね。読んでいる間は「横溝オマージュ」だった本作ですが、この見立ての扱い方はむしろ「パロディ」の趣で、見立て殺人もののミステリに期待するものとは全く違いながら斜め上からの驚きをぶちかましてくれるので、ある程度横溝系(?)に慣れた読者の方が楽しめるかもしれません。

もう一点、本書でこだわられているのが動機でしょう。
狭い意味での事件の動機のエグさはもちろん、それ以外にも色んな人物の色んな言動の動機・真意というものが解決編で怒涛のように明かされるのは圧巻。この辺は本編が智明くん視点であるゆえにやや他の人物の内面描写が終盤で駆け足になってしまっている感もありますが、それでもここまでの情念の連打を見せられれば十分「人間やべえ」となるので面白かったです。
結局のところ、(ネタバレ→)山田くんと智明のクズっぷりが近似していて、この事件を経験しなかったら智明の末路は山田くんだったのかも......というのが一番グッと来ましたね。



そんなこんなで、秀逸な童貞小説にして、童貞のあずかり知らぬところでさらにヤベェ大人たちの情念が渦巻くおどろおどろ村ミステリであり、見立てパロディの側面も持つ、長さに見合ったいろんな意味での満足感が味わえる力作です。
童貞、元童貞および横溝系ファンには自信を持ってオススメ、その他の人にはちょっと勧めづらい、そんな一冊でした。