偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

麻耶雄嵩『友達以上探偵未満』感想

三重県伊賀上野に住む女子高生探偵コンビのももちゃんあおちゃんが活躍する、犯人当て連作中編集。

友達以上探偵未満 (角川文庫)

友達以上探偵未満 (角川文庫)


仮にもミステリファンを名乗っている私ではありますが、とにかくロジックというものが苦手でして、ロジカル系の本格ミステリを読んでても探偵の推理をいまいち理解できなくてちっとも読み進まず、どっちかというとトリック重視の作品の方が好きだったりします。
そのため、犯人当てなんかほとんど正答を出したことがないんですけど、でも売られた喧嘩は買う性格なので「読者への挑戦」が入ってると「麻耶雄嵩ぶっ潰してやんよ!」と思っちゃうわけです。
思っちゃうんだけど、アホなのでこれが難しい。
本書の収録作はどれも、考え方さえ分かれば解けるものではあるんだけど、そのとっかかりをなかなか掴ませてくれないのが上手いっすね。
推理のとっかかりを掴んだりトリックを見破る閃き力と、そこから細かい論理を積み重ねて事件の全貌を切り出していくロジカルシンキングの両方が必要になりますので、うん、難しいです。
そんな私の推理がどの程度あたったのかは各話の感想にて......。


で、本書は純度の高い犯人当てパズラーなので、ストーリー性なんてもんはほぼ度外視。その代わり、文学性を削ぎ落とした軽すぎる文章や会話によって高いリーダビリティを獲得していて、ささっと読めてじっくり考えられました。
それでも、主役の桃青コンビが「名探偵と助手」の在り方への一つのアンサーになっているあたりは麻耶雄嵩らしく、麻耶初心者にも勧めやすいと同時にファンも満足できる一冊だと思います。

では以下各話の感想。





「伊賀の里殺人事件」

BS NHKでやってた「謎解きLIVE」というリアルタイム推理番組の脚本を自らノベライズしたもの。
テレビだとキャラの顔が出てくるから把握しやすかったけど、文章で、しかも人間を描く気ない文章で描かれても誰が誰だか分かりづらく、さらにタイムテーブルとか服の色とか煩雑な要素があまりにも多かったので、私のキャパを超えていました。
よって、推理は勘!
なんとなーく、裏に流れていそうな陰謀を考慮して犯人を導き出したのですが、ハズレました。
ただ、あおちゃんの推理を聞いてみるとそこまで煩雑すぎず納得させられてしまったので悔しいです。はい。





「夢うつつ殺人事件」

夢うつつの中で聞いた会話、学校に伝わる幽霊譚、湿っぽい美術室......と、なかなか雰囲気ある舞台設定が主人公たちの騒がしさによってぶち壊しになってるのが楽しいです。

これはわりと難易度低めで、私も伏線をちゃんと拾ってとっかかりは正しく掴み、そこからロジックもほぼほぼ立てられたのですが、最後の最後で(ネタバレ→)相生が"殺人計画"を聞いた時に車坂と伊予が室内にいて、徳居だけは話の内容を知らなかったので徳居が犯人と、ズレた回答になってしまったのが悔しすぎます。もう一歩考えれば正解だっただろうに......。詰めが甘いというか、雑な性格が出ますね。

しかしシンプルなワンアイデアから辿っていくと(間違えたけど)分かりやすく解くことができる、ちょうどいい問題だと思います。





「夏の合宿殺人事件」

ここまでの2話は純粋な犯人当てでしたが、ここでは主人公2人の背景がガッツリ描かれ事件はオマケみたいなもの。読者への挑戦もまだ挟まれません。
それでも、シンプルながら手がかりの繋ぎ方が見えづらい設問は見事。私はもちろん全然分かりませんでしたよ。はい。

で、この話のメインは2人のコンビ結成秘話。
著者らしく探偵役とワトソン役の関係性の新しいパターンを提示するお話であるのとともに、それが普段の麻耶作品ほど捻くれたものではなく、2人の少女が夢を追いかける青春小説としても読めるのが良いっすね。
2人の心の裡やお互いへの眼差しをここで知ることで、ここまでの散々ふざけ倒してきた掛け合いにも時差式で愛着が湧いてきたりなんかして、若いっていいなぁと思いましたね。はい。



そんな感じで、優れた犯人当て作品集であり、青春小説的側面もある一冊。この終わり方だとシリーズ化もしそうな気がするので、楽しみに待ちたいと思います。

小川勝己『まどろむベイビーキッス』感想


そんなこんなでハマってる小川勝己先生の、まぁ代表作のひとつと言えそうな作品ですね。


まどろむベイビーキッス (角川文庫)

まどろむベイビーキッス (角川文庫)


キャバクラ"ベイビーキッス"で働くみちるは、自身のホームページの掲示板で常連のみんなと話すのを生き甲斐にしていた。
しかし、ある時その掲示板が悪質な"荒らし"に遭う。
折しも、店では他の嬢との関係が悪化し始め......。


2002年刊の作品で、個人のホムペってやつをパソコンとかガラケーを使って運営していた懐かしき時代が描かれています......と言っても、私は当時8歳なので2ちゃんとかを見出すのももうちょい後なんですが......。

ともかく、一般人が当たり前のように個人サイトを持つことができるようになった時代のワクワク感と、しかしどこか醒めたような感じ、あるいは熱狂しすぎてしまう感じ、そんな感じが滲み出るプロローグからして良くも悪くも懐かしさに死にそうになりましたね。
(自分の黒歴史なんかも思い出させられたりなんかしちゃって)。
今時のSNSじゃなくって掲示板ってとこに、今読むとなかなかの異世界感があってワクワクしますね。

一方、本作のもう一つの舞台であるキャバクラというところには私は一度も行ったことがないので本当に異世界
人間関係がどろどろしてるのなんてどんな場所でもそうかもしれませんが、客の取り合いとかで露骨にそのどろどろが見えてしまうのがこの場所なのかもしれません。嫉妬やイジメといった生々しい描写のリアリティに、読んでいるだけで心臓がドキドキして頭が熱くなってきます。
ただ、どろどろしてまで自分が上に行きたいという彼女らの意志の強さはリスペクトできる面もあるかも。


そして、ミステリとしても面白かったっすね。
冒頭からはっきりとした謎は無くて、この物語の行き先が一番の謎みたいな感じで進んでくんですが、中盤から倒叙の西村京太郎になったりとなかなかプログレな展開の意外性だけでも楽しめます。
そして、突然のメイントリックにはやられました。ミステリを読みなれていれば予想の付く内容ではあるかもしれませんが、それがそのまま本作のテーマを語っているというのが見事。
主観的な自意識の肥大と、客観的な自己の価値の低さとのギャップにやられちまうなんてのは、キャバ嬢やホムペの管理人氏に限らず現代人の宿命でありまして、そういう普遍的なテーマがあるから2000年代前半の風俗を描いていながら今読んでもエモーションが鋭利なままに突き刺さってくるんですよね。


正気という地獄あら、狂気という解放を得るクライマックスは、絶望的でありながらも、どこか爽快感も漂い、切なくも強いカタルシスがありました。

残酷にして美しい、現代の寓話ですね。大好き。

小川勝己『ロマンティスト狂い咲き』の感想ではありません。


けっこう自分としては死にたいと思って、でも怖いし本気で死なない程度に首を吊る真似をしてる時なんかに、頭の中で自嘲的にいい歳して馬鹿なことしてるなって客観視してるつもりの感覚もあったんだけど、死にたいと思わなくなってから思うのは毎日死にたいと思いながら生きてるだけで十分異常だったということですね。家に帰ってきて毎日泣いてるだけで頭おかしいでしょ。
明日死ぬから今日どんだけ間違えても構わないと。そう思いつつ、人を殺したりして本当に取り返しのつかないことは全然出来なくてただ簡単なミスをして怒られて軽犯罪に手を染めそうになってわざとじゃないんですって誤魔化して示談にしてもらったりとかしてるとますます死にたくなって今日帰ったら死のうと思いながら、意識がちょっと遠くなりかけたところでもう怖気付いて寝て起きてまた死にたくなるっていうサイクルがしんどくて。でもその程度のことで愚痴愚痴言ってる自分は恵まれてるのにこんなこと言って世の中にはもっと大変な人もいるのにって、いやこれで恵まれてる方だというなら本当にこの世が地獄じゃねえかと。



最近小川勝己の未読作を一気に読んでて、そんな気持ちを思い出します。

小川勝己の作品の主人公は、私よりよっぽどひゃくおくまん倍酷い目に遭って、追い求めたロマンも手に入れてみたら地獄の生ゴミでしかなくて......。
リビドーが溢れて、出てくるファムファタール女がエロくて、とにかく思う存分犯したくなって、そういうのを与えておいてからの、あれですから。

その自意識による内面的生き地獄の鬱屈を丁寧に荒々しく描いておいてから、最後にフラストレーションを爆発させるカタルシスがあって、でも爆発しちゃったら死ぬじゃないですかっていう、でもこうやってアドレナリン出てる時に死んだ方が得だよなとか、そんな感じで刺さります。


自分にはとても選べない人生の最終手段を代わりにやってくれるような、絶望的なんだけど爽快、いや、爽快なんだけどそれは絶望でしかないというような。
いつか私が人を殺したら部屋の本棚の小川勝己の本をテレビで流してほしい。

トマス・H・クック『緋色の記憶』感想

重いからたま〜にしか読まないクック。
代表作、いわゆる"記憶"シリーズの一冊です。


緋色の記憶 (文春文庫)

緋色の記憶 (文春文庫)


1926年。チャタムの村に赴任してきた美しい女性教師と、妻子ある男性教師との関係がやがて引き起こした"チャタム校事件"を、当時少年だった私が振り返る。


前作『夏草の記憶』と同様に、本作でも事件が起きた当時の少年時代の記憶と、それから幾星霜を経た現在の主人公とがカットバック方式で語られていきます。
起こった"事件"の全貌は最後まで見えません。巨大な岩を削って化石を掘り出すように、少しずつ少しずつ事件の様相が見えてきて、最後の最後になって読者は事件の全貌を知る......という。
ミステリとしての意外性こそそんなになものの(話がシンプルなので想像はついてしまう)、ドラマとしての読み応えは抜群なんですよね。

物語の主軸は、妻子のいる中年の教師と、世界を見ていながら訳あって田舎村の美術教師に身をやつすことになった美女との不倫劇。
......なのですが、それを、当時村の暮らしや校長を務める父親に閉塞感を感じる少年だった主人公の視点で語ることで、愛憎劇でありながら、オトナの世界の不可思議さへの憧れを描いた青春小説にもなっているのが見事。
若者らしい田舎への厭悪と自由への憧れ。それをある種無邪気に不倫の恋人たちに投影してしまう主人公に共感するとともに危ういものを感じ、その危うさが遅々として進まない物語を読ませる原動力になっている気さえします。
一方で、大人になった私からすると、主人公の両親や不倫男の妻子が立っている"生活"というものにも共感してしまい、感情が引き裂かれそうになりました。

ラスト、あの時あの村で何が起こったのかが全て分かった後でも、やはりどうしてこうなってしまったのか......と人生のままならなさへの絶望と諦念を感じます。
それでも、根底には著者の優しい眼差しが感じられるから、読後感は悪いだけではないし、他の作品もまた読みたいと思ってしまうんですよね。
著者はインタビューで、

小説に心を揺すられるのは素晴らしい体験、読み手の魂(スピリット)を高め、読み手を自身の感情と結び合わせてくれる体験でしょう。暗い物語は光を届けるために書かれるのであって、闇をもたらすためではないんです。

と語っていましたが、これがクック作品の魅力の全てではないかな、と思います。
暗い物語によって人生の大切さを教えてくれる。
本作のヒロイン・チャニング先生が悲惨な歴史を語るところにも著者のそうした考えが滲み出ていると思います。



(ネタバレ→)
主人公が実は......というオチ自体にそこまで大きな意外性はありませんが、思春期特有の思い込みの強さと独善さには私も心当たりがあるので、
刺さりましたね。はい。
キラキラした青春小説も私は大好きなんですが、こういうリアルに思春期の悪いところを描いてくれる青春小説もやっぱり良いですよね。

中西鼎『放課後の宇宙ラテ』感想

『東京湾の向こうにある世界は、すべて造り物だと思う』 の中西鼎先生による新潮nexからの2作目です。


放課後の宇宙ラテ (新潮文庫)

放課後の宇宙ラテ (新潮文庫)

  • 作者:中西 鼎
  • 発売日: 2020/10/28
  • メディア: 文庫


中学時代、超常現象に入れ込んで"宇宙人"と呼ばれいじめられていた圭太郎。
高校では普通の人になろうと決意するが、幼馴染の未想、超能力者だと噂される転校生の曖とともに廃部となった"数理研究会"を復活させることに。
曖がかつて体験した"存在しない夏休み"の謎を追ううち、彼らは世界の秘密に近づいていき......。



前作は実在のバンド名や曲名がたくさん出てくるエモエモ青春恋愛音楽ゴーストストーリーでした。
一方の今作は、バンドの代わりに超常現象超能力宇宙人UMA中二病といったモチーフが散りばめられていて、そのためか、よりライトな雰囲気になっている印象です。
ただ、『青春』という大テーマは変わらず、なよっとした男と可愛い女の子との恋とも友情ともつかない関係が描かれるあたりは同じ。
個人的に前作が刺さりすぎたせいで今作はやや物足りなかったものの、前作が好きなら確実に楽しめる作品だとは思います。


全体としての大きな魅力は、いい意味で「本筋」というものが見えづらく、先の展開がまるっきり読めないこと。

一応、曖の姉の謎というのがあるものの、それがそんなに前面に押し出されずに、少し不思議な(非)日常エピソードが色々と積み重ねられていく構成になっています。
さらには終盤では笑えばいいのか呆れるべきなのかというヘンテコな展開になりつつ、しかし結末が近づくにつれどんどんエモさが増していくのは、さすがはエモの魔術師。
よく分からないまま進み、よく分からない終わり方をする物語は、しかしはっきりと青春の美しさを描き出していて、前作同様懐かしさと憧れが相半ばする読み心地を楽しめました。
また、敵対する大人のキャラが青春を失った私に重なって、余計に主人公たちの眩しさが際立ちましたね。はい。

SFとしては、緻密な設定とかワンダーとかは弱めで、どっちかというと「少し不思議」の雰囲気を味わうもの。あくまでSF風味の青春小説って感じですね。

結末は、個人的には(ネタバレ→)甘すぎてちょっと物足りないところはありつつも、まぁこのタイトルだしこの作風だしこれくらいがちょうどいい気もしますね。

まぁ、ともあれとても面白かったです。サラッと読めるのにエモいのは良いですね。次はどうくるのか楽しみです。

スピッツ『名前をつけてやる』今更感想


1991年11月、デビュー作である前作『スピッツ』からわずか8ヶ月でリリースされたセカンドアルバムです。

名前をつけてやる

名前をつけてやる

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前作が青にヒトデというジャケ写だったのに対し、本作は赤で猫。
特に初期における草野マサムネの創作テーマである「死とセックス」のそれぞれを、この2枚のジャケが象徴しているようであり、寒々とした虚しさのあった前作に対して本作は生々しい虚しさを感じるような気もして、この2作品は対になってるんじゃないかと思ったりします。

んで、本作はサウンド的には本人曰く「ライド歌謡」。シューゲイザー御三家のライドというバンドにスピッツらしい歌謡曲感を融合させたいい違和感のある作品で、ほぼ全編にわたって歪みまくったサウンドが楽しい一枚です。
とか言ってみたけどシューゲイザーってのが何なのかも分かるような分かんないようなにわか音楽ファンなのでこれ以上難しいことは分かりません。

歌詞は上に書いたように本作では「セックス」要素が特に濃くなっているような気がして、一曲目の「ウサギのバイク」からしてそうだし、スピッツ三大名曲(と私が思ってる)の一つである「プール」もモロにセックスの歌です。えちえちです。

しかし、ラストの2曲がなんとも爽やかな感じなので、最後まで聴くと全体的な気持ち悪さが中和されていい話だったなぁ......と思ってしまうあたり、変態なのに国民的バンドになってしまった後のスピッツの下地がありますね(適当)。

では以下各曲の感想を......。




1.ウサギのバイク

ロビンソンに比べるとまだインパクトに欠ける、でもじわじわと染み入ってくるようなアルペジオのイントロからはじまり、それこそ脈拍のようなリズムを刻むドラムに連れられて草野マサムネが歌い出す......かと思いきや、歌い出しはするけど歌詞のないスキャット
意味深なタイトルの意味を明かさぬまま、ららららとぅとぅとぅとぅ......と焦らしてきます。
そして短い間奏を挟んでようやく歌詞が登場。


全体としては「ウサギのバイクで逃げ出そう」と言っているように逃避行のイメージのある曲ですが、やけにファンタジックな描かれ方をしているので逃避行自体が妄想とか机上の空論的に感じられて、実際には現状から抜け出せない諦念のようなものも感じます。

また、

脈拍のおかしなリズム
喜びにあふれながら ほら

というあたりは性的なイメージも内包していて、逃避行の風景とセックスの風景がオーバーラップする、可愛く見えてなかなか異様な歌詞です。

あと、ラストのサビでだけ女性のコーラスが入るんですが、それがまた絶妙にエロい。「ヘチマの花」とか「ハートが帰らない」とか、女性コーラス入る曲いいですよね。


ちなみに私はバイクにも車にも詳しくないんですけど、調べるとラビットスクーターってのがあるらしくって、ウサギのバイクってのはそれのことなのかな、と。
逃避行には似つかわしくない可愛いバイクですが、そういう違和感の面白さがスピッツ




2.日曜日

のどかそうなタイトルとは裏腹のハードなロックサウンドが魅力的な曲。
中学生の頃なんかはもう激しいの大好きなので1000回くらい聴いてましたね。それから大学の友達がカラオケでよく歌っていたのを思い出したり。

この曲もまた歌詞がメルヘンチックでファンタジックで摩訶不思議でわけわかめ
しかしわけわからないながらも普通では思いつかない言葉の並べ方そのものがワンダーです。
「戦車」と「日曜日」、「鬼」と「うたたね」、「女神」と「カラス」のように、甘辛ミックスじゃないけどなんとなく対照的なイメージの単語が連ねられていることでいい違和感が生まれています。

そして、よく読むとなんだかエロいことを言ってそうな感じだけはよく分かるという......w

B'zの『今宵月の見える丘に』とかでもセックスを自然の風景に見立てたりしてますが、あんな感じ。幻の森とか、エロそう。

あと、

色白 女神のなぐさめのうたよりも
ホラ吹きカラスの話に魅かれたから

というへそ曲がり具合がマサムネちゃん可愛いですよね。




3.名前をつけてやる

アルバム表題曲で、スピッツ屈指の悶々ソングですね。

イントロからしてなんとなく気の抜けたサウンドで、Aメロの歪んだカッティングが普通ならかっこいいはずなのに(いや、かっこよくもあるけど)なんか間が抜けて聴こえてしまうのが凄い。

んで歌い出してみると歌い方もまた気の抜けた感じで、私が熱血教師なら校庭3周させてるくらい腑抜けててやる気を感じません。
サビの終わりの「あ〜〜あ〜〜あーあーあっあ〜」のとこ、なんか投げやりで好き。
空間に広がっていくようにぽわ〜んと響くアウトロも良いですね。

歌詞はそう、悶々ソング。

欲望を持て余してやり場のない感じが、しかし切迫しつつも気怠く間の抜けた絶妙に分かりみが深く描かれていて良いですね。

「名もない小さな街の 名もないぬかるんだ通りで」という一言目の舞台設定からしてもう普遍的でありつつ異世界っぽくもある、奇妙な世界に迷い込んでしまったような感覚にさせてくれるから凄い。

くだらない駄ジャレ、まぬけなあくび、回転木馬回らずくす玉割れずといった爆発しそうでしきらない感じがリアル。

あと、歌詞の中で一人称も二人称も使われていないのも印象的で、僕とも君とも言わないことで、「名前をつけてやる」とイキがる語り手の自意識がより濃く現れているような気がします。

「名前をつけてやる」というのが何に対してなのか、欲望になのか、2人の関係になのか、その辺の草花になのか、ちんちんになのか......なんなのか分かんないけど、馬鹿げてて可愛らしくもありやるせなさもある絶妙なタイトルフレーズですね。




4.鈴虫を飼う

これもまた前曲に輪をかけて呑気な感じの音色。
なんというか、歌詞にも引っ張られてるけど生活感がありすぎて、質素とか貧相とかみすぼらしいとかいう形容しか出てこない、でもそんなマイナスにしかならなそうな感想がスピッツのこのアルバムにおいては正解でしかないのが凄いですよね。ほんと異色のアルバムだと思います。
そんでもうゆったりしてるんでちょっと聴いてて眠くなっちゃいそうなんですが、歌詞に滲み出る諦念のようなものが怖いくらいヒリヒリ迫ってきて安眠は出来ないっすね。

「天使から10個預かって」という冒頭のワンフレーズだけでもう、天使って何?鈴虫って「個」なの?なんで10個?預かる?後で返すの?みたいに疑問だらけになっちゃうのでズルい。

「ゆめうつつの部屋」という表現の、なんつーか、四畳半の狭い部屋それ自体がぼや〜っと霞んでいくような幻想的な感じ。
それに対して、「乗り換えする駅で汚れた便器に腰かがめ」「油で黒ずんだ 舗道に へばりついたガムのように」といった非常に現実的で小汚い感じの対比。
現実社会の生活においてどこか現実感がなくて、部屋に帰ってきて幻聴のような鈴虫の鳴き声を聴いてるみたいな、世界への馴染めなさの感覚が色濃く感じられて良いですね。

慣らされていく日々にだらしなく笑う俺もいて

つらい。




5.ミーコとギター

一転、ワウワウしたギターが激しく唸る、テンション上がるカッケェ曲。ワウワウしたカッティングがカッコいい。
ちょっとカオスなくらい全体にギターにエフェクトかかりまくってる中で間奏のギターソロだけはハッキリしてるのも良いっす。歌えるギターソロ。

しかしサウンドにも増してカオスなのが歌詞ですよね。
ファンの間でも諸説ありつつ近親相姦説なんかが主流で、そう考えると父親に犯される好きな女の子をオカズにオナニーしてるみたいな救いようのないお話な気がしちゃいますが、それをさらっと聴かせちゃうのがほんと怖いっすよね。
まぁ、あえて解釈せずとも、言葉の並びの不条理さ、語法としてはおかしくないのに内容がトチ狂ってる感覚だけでも面白くも不気味で、よく分からないながらにこんな怖い曲書いてる人のファンでいたらいけないかもしれない......と、中学生の純粋な頃にスピッツファンをやめようとしたきっかけの一曲でもあります。




6.プール

鈴のような音が祝祭のようにシャンシャンと鳴り響き、ベースは結構動き回ってて、ギターの音はぼんやりと広い空間に響くような感じで、スピッツの曲の中でも特に、イントロからしてその世界観に引き摺り込まれてしまう曲です。
このシャラシャラって音、なんつーか、夏の曲だけどクリスマスっぽさもあって、なんか夏と冬が同時に来てしまったみたいな奇妙な感覚にさせられます。私だけかもしれんけど。

浮遊感と倦怠感、このアルバムでも特に白昼夢のような雰囲気。
休みの日の午後2時くらいの、太陽が真上にあって世界が全て照らし出されてしまって、そのあまりの明るさに全てのものが偽物みたいに感じられてしまうような、そんな時間帯に聴きたくなる曲ですね。

そして、歌詞は全編モロにセックス!

君に会えた 夏蜘蛛になった

という一言目からして、4本ずつの手脚を絡み合わせる2人を八本脚の蜘蛛に喩えたエロい描写。
好きな作家のとある小説にも同じ比喩が使われていて、スピッツファンなのか、たまたま同じセンスなのか......とちょっと気になったりしてます。

いちいち挙げてるとキリがないですが、その後も直接的な言葉は一切使わず全編暗喩によって情事が描かれます。
比喩による描写の浮世離れした美しさと、内容の生々しさとのギャップが白昼夢のような、あるいはタイトルからの連想で水の中にでもいるかのような不思議な心地にさせてくれます。

でこぼこ野原を 静かに日は照らす

というところの事後感と、そっから気怠い間奏がはじまるのが巧いっすねぇ。エロいっすねぇ......。




7.胸に咲いた黄色い花

すみません、この曲は私の中でわりと存在感薄いというか......。ポップだし聴き心地いいんですけど、特に印象には残らないかな......という感じで。

そんでも今回改めて聴いてやっぱ歌詞良いなぁ、と。

月の光 差し込む部屋
きのうまでの砂漠の一人遊び
胸に咲いた黄色い花 君の心宿した花

きっと、黄色い花というのは君そのものではなく君への恋心のことで、結局のところ君は現実世界では僕のそばにはいないんですよね。

3番の同じくAメロで

明日になればこの幻も終わる

ときのうと明日で対比されてて、ここを見るに「君」は夢の中の人とかそんなところなんじゃないかなと。

なんにしろ、可愛らしくストレートなラブソングでもありつつ、その対象はおそらく夢や妄想の中の君でしかないというところがなんとも言えませんね。




8.待ちあわせ

地味な前曲からの、サイケ感もありつつ激しくパンクっぽい速い曲でハッと目が覚めます。

シンプルなリズムに乗せて、パンクらしく(?)、「だけど」という否定形から入る歌詞も面白い。
しかしギターの音はめちゃくちゃ歪んでるから爽快感よりも不穏さをやはり感じてしまうあたりこのアルバムらしいですね。
間奏とかアウトロのサウンドがもう最高っすよね。ぎゅうぃうぃ〜んみたいな。

歌詞はなんというか、運命の相手だと思ってたのは僕だけだったの系失恋ソングとでも言いましょうか。
「待ち合わせの星」「百万年前に約束した場所」といった運命を感じさせる壮大な言葉が、しかし君が来ないことで不発に終わって切なくも痛い思い込みでしかなくなってしまうのが拗らせてますね。
曲の終わりの「あーあーあー」というぼやきみたいな声を聴くと、来ないならこつちから行くような根性もなくただうじうじしてるだけみたいな情けなさも感じて、気持ち悪くも好きですね。




9.あわ

前曲のカオスなアウトロがぷつっと途切れて、ゆったりしてちょっとジャジーなこの曲のイントロがはじまる繋ぎが良いっすね。

動き回るベースに、のほほんとした気怠さのあるギター、Aメロのそれこそ泡っぽい「ほわわ〜ん」って音も凄い好き。
そして、歌い方がスピッツ史上でも屈指の気持ち悪さ。
「ほんとうはさか〜さま」のとことか、「かぁぜのなか」「だぁいすきさ」のとことか、キモいっすね。
別に寄せてるわけじゃないとは思うけど、歌い方といい、のほほんとしつつも不穏な感じといい、タイトルが平仮名なのも、どことなく「たま」っぽさがあると思ってます。

こっそりみんな聞いちゃったよ
本当はさかさまだってさ

という冒頭一言目からしてヤバい。このフレーズで始まる歌が名曲じゃないはずがないですよね。
世界に対して馴染めない感覚というか、「五千光年の夢」の「全てが嘘だったと分かった」あたりにも通じる現実に対する現実感のなさのような感覚はわかりみが深いです。
きっと、この「さかさま」感覚がとりわけ強い人だけが詩というものを生み出せるんでしょう。

何を言ってるのかはさっぱり分からないながらも、ショーユのシミや畳のにおいといった、ある種貧乏くさいような表現と、「機関銃を持ち出して飛行船を追いかけた」が共存する世界観が独特で好き。
「でんでででっかいお尻が大好きだ」なんてのが本当に歌詞なのかよ!と思ったり。まぁでも気持ちは分かるよ。

そして、1分20秒ほどもある長〜いアウトロがまた良いんです。一旦終わったと見せかけて戻ってくる感じとか。




10.恋のうた

「お〜〜〜さ〜〜〜え〜〜〜」という歌始まりが印象的な一曲。

インディーズ時代からある曲で、スピッツブルーハーツの二番煎じから脱却するターニングポイントになった曲だそうです。
陽気なリズム、ポップなメロディー、純真な歌声、わりとストレートな歌詞......と、このアルバムの中にあって素直で毒気のない曲で、ラス2の位置に置かれるとすぅ〜っと沁みるんですよね。
間奏の終わりのベースがサザエさんのエンディングのオマージュになってて、ライブ版だとそのフレーズをキーボードで弾いてたから余計「サザエさんだ......」ってなります。

あと、これandymoriがカバーしてるのがライブビデオに入ってて、andymoriバージョンもめちゃくちゃ良いんですよね。

https://youtu.be/et4w_tXeKE8

小山田壮平の上手くはないけどまっすぐな歌声が曲に合ってて。私はいつもカラオケでこの曲歌うときに小山田感を出してしまいます。草野マサムネのつもりでなんて畏れ多いですからね…(小山田くんに失礼)。

歌詞については、まぁところどころ意味深な描写はあるものの、この曲に関してはあまり深読みする気にならないですね。素直に優しいラブソングとして聴きたい。

君と出会えたことを僕
ずっと大事にしたいから
僕がこの世に生まれて来たワケに
したいから

もうすぐ結婚する(予定)ので、この辺とかもう沁みますね。沁み沁み。




11.魔女旅に出る

この曲は小さい頃に親の車で流れてた「CYCLE HITS」の青盤で聴いてて、「夏の魔物」で会いたかった〜会いたかった〜会いたかった〜と盛り上がってからこの曲の心地よさに寝るという鉄板コースをやってました。

アルバムで聴くと、「恋のうた」にも増して異色の曲で、ここまでギター歪みまくりのシューゲイザーっぽいアルバムだったのに最後でオーケストラの入った王道J POPになるのでびっくり。
とはいえ、「恋のうた」でワンクッション置いてるので通して聴くとそこまで違和感はないですけどね。

最初はわりと地味でシンプルな感じから、徐々にストリングスとかの音が増えていって最後の方にかけて壮大になっていくのはほんとにポップ。
でも曲そのものがシンプルなので、鬱陶しいほど壮大にはならないあたりも良いバランス。
あと今改めて聴くとベースもめちゃくちゃ動いててカッコよかったりします。

ちなみにオーケストラの編曲は長谷川智樹先生。私の大好きなドレスコーズというバンドの編曲にも関わってる人です(志磨遼平は絶対スピッツ大好きだと思う)。
そしてこれが次作『オーロラになれなかった人のために』にも繋がるわけですね。

あと、最近だと将棋の藤井先生が長考の末好きな曲に上げたことでも話題になりました。
藤井先生ありがとう😊

歌詞はというと、細かいフレーズは相変わらずわけわからないながらも、「旅立つ君を見送る」という非常にシンプルな内容。

ここまで身も蓋もない言い方をすればエロい妄想みたいな歌詞の曲が並んでいたのに対して随分と大人になった印象ですが、それがこのキモい曲多めのアルバムのエンディングとしてはすっきりした余韻を残してくれていい感じ。
とはいえ、あくまでも旅に出るのは君の方で僕はここに留まるしかない......というやるせなさも漂わせていて。
私はいつも残される側なので、なかなか迫るものがあったり。

今 ガラスの星が消えても
空高く書いた文字
いつか君を照らすだろう

というところがなんか好きです。