偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

小川勝己『ロマンティスト狂い咲き』の感想ではありません。


けっこう自分としては死にたいと思って、でも怖いし本気で死なない程度に首を吊る真似をしてる時なんかに、頭の中で自嘲的にいい歳して馬鹿なことしてるなって客観視してるつもりの感覚もあったんだけど、死にたいと思わなくなってから思うのは毎日死にたいと思いながら生きてるだけで十分異常だったということですね。家に帰ってきて毎日泣いてるだけで頭おかしいでしょ。
明日死ぬから今日どんだけ間違えても構わないと。そう思いつつ、人を殺したりして本当に取り返しのつかないことは全然出来なくてただ簡単なミスをして怒られて軽犯罪に手を染めそうになってわざとじゃないんですって誤魔化して示談にしてもらったりとかしてるとますます死にたくなって今日帰ったら死のうと思いながら、意識がちょっと遠くなりかけたところでもう怖気付いて寝て起きてまた死にたくなるっていうサイクルがしんどくて。でもその程度のことで愚痴愚痴言ってる自分は恵まれてるのにこんなこと言って世の中にはもっと大変な人もいるのにって、いやこれで恵まれてる方だというなら本当にこの世が地獄じゃねえかと。



最近小川勝己の未読作を一気に読んでて、そんな気持ちを思い出します。

小川勝己の作品の主人公は、私よりよっぽどひゃくおくまん倍酷い目に遭って、追い求めたロマンも手に入れてみたら地獄の生ゴミでしかなくて......。
リビドーが溢れて、出てくるファムファタール女がエロくて、とにかく思う存分犯したくなって、そういうのを与えておいてからの、あれですから。

その自意識による内面的生き地獄の鬱屈を丁寧に荒々しく描いておいてから、最後にフラストレーションを爆発させるカタルシスがあって、でも爆発しちゃったら死ぬじゃないですかっていう、でもこうやってアドレナリン出てる時に死んだ方が得だよなとか、そんな感じで刺さります。


自分にはとても選べない人生の最終手段を代わりにやってくれるような、絶望的なんだけど爽快、いや、爽快なんだけどそれは絶望でしかないというような。
いつか私が人を殺したら部屋の本棚の小川勝己の本をテレビで流してほしい。