偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

道尾秀介『笑うハーレキン』短文感想。

書くのサボってましたが道尾補完計画の続き。サボってるうちに忘れてきたのでサラッとにしときます......。


経営していた会社が倒産し、家族も失い、ホームレス家具職人となった東口。スクラップ置き場で仲間たちと貧しくも自由な生活を送る彼だったが、"疫病神"に憑かれているという深刻な悩みを抱えていた。そんなある日、奈々恵という女が突然「弟子にしてくれ」と転がり込んできて......。



さて、本作ですが、なんとも評価に迷う作品でありました。
というのも、主人公がホームレス仲間たちと疑似家族のような関係を築きながら過去と向き合う様をややユーモラスに暖かく描いた作品......っていうところが、わりと『カラスの親指』とか『透明カメレオン』なんかに似てる気がするんですよね......。
さらに、終盤で明らかになるとある事実も、とっても道尾秀介作品でよく見るやつでありまして。
もちろん、だからといってつまんないわけではなくて面白かったんですけど、どうもやっぱり既視感は拭えない。

で、その既視感を打ち負かすほどの盛り上がりがあるかというと、正直前半はストーリーの向かう先が見えなすぎてあまり乗れなかったし、クライマックスも案外地味だったりと、微妙にハマりきれなかったですね。

あるいは、私が結婚したことも会社が倒産したことも子供を亡くしたことも(てか子供いないし)ないから、なのかも知れません。また、読んだ順番的にも他のが好みドンピシャだったから比べてしまうのかもしれません。


まぁ、とはいえ、ライトでコミカルな読みやすさと、ヘヴィでリアルな心理描写とが共存したふつうに面白い作品ではありました。

西澤保彦『笑う怪獣』読書感想文

またしても西澤保彦


笑う怪獣 (実業之日本社文庫)

笑う怪獣 (実業之日本社文庫)


今作は、主人公のアタル、京介、正太郎という独身トリオがナンパをしに行くたびに怪獣やら宇宙人やらといった人外のものに出くわすというユーモアSF(つーか特撮?)ミステリ短編集。さらっと1日で読めちゃって、しかし珍妙な異色作。なかなか面白かったです。

設定自体悪ふざけみたいな感じですが、内容もまぁふざけてる。しかし、解説で指摘されているように、最も奔放な悪ふざけ的真相の第1話からだんだんとミステリ度を上げていく構成のため、収録作はバラエティ豊かで、読み終えてみると意外にも「いいミステリ短編集を読んだぞい」という満足感もあったり。

裏表紙の紹介文には「爆笑必至」とか書いてありますが、むしろ脱力しながらふへへなんじゃそらと苦笑するような、でもそのことがひどく心地よく感じる、そんなタイプの一冊でした。
軽めだけど西澤らしい毒も暖かみもあって面白かったですね。

では以下各話ちょっとずつ。





「怪獣は孤島に笑う」

3人組がナンパした女性たちを孤島に連れて行ってエッチ三昧を楽しもうとした矢先、島に巨大怪獣が現れ......!

という、本書のやり口を端的に説明するような第1話。
怪獣のディテールの描写に思わず苦笑が漏れます。
しかし、本当の苦笑はあの真相でさぁね。
ミステリファンが大好きなアレ系を、批判しようにも出来ないくらいしっかりと伏線を張った上であそこまで下らないやり方でやってのけちゃうっていう......もう爆苦笑ですよ。
こんなに下らないアレを読んだことないけど、アレってだけで嫌いになれないのがまた、ミステリファンの業 -karma-なのかもしれませぬ。





「怪獣は高原を転ぶ」

3人組は京介の別荘の近くに別荘を持つ元女優を引っ掛けるために高原へと向かうがそこにまたも怪獣が登場し......。


第1話のあまりのハチャメチャさに比してこちらはだいぶまっとうなミステリらしくなってます。
最後まで読んでみると話の筋自体はめちゃくちゃシンプルだと分かるのですが、それを怪獣が掻き乱すことで無駄に謎が生まれてしまっている状況が面白かったです。





「聖夜の宇宙人」

イブの夜にひとりの美少女をナンパすることに成功した3人だが、彼女は実は......。


著者の某作を読んでいると、「これがあれに繋がるのか!」と笑ってしまう、オマケ的な掌編。そのリンクこそがメインのネタみたいなところがあるので、知らずに読むとなんて意味不明な話だろうと思っちゃいそうですが、それはそれで面白いかも......。
しかし、よく食べる女の子って素敵ですよね。私も読んでてついつい彼女の虜になっちゃいそうでした。





「通りすがりの改造人間」

正太郎に彼女ができた!?悔しがる京介とアタルだったが、次第に正太郎が不自然にやつれていくのに気づき......。


エログロ怪奇小説の雰囲気がムンムンと漂う、本書でも1番アダルティな作品です。
SF.....てか特撮の部分はめちゃくちゃ面白くて、クライマックスは脱力コメディなのにホラーっていう不思議な読み心地が楽しかったです。
ただ、あまりにもミステリ部分がどうでもいいのが......。





「怪獣は密室に踊る」

京介が結婚した!?悔しがるアタルと正太郎だったが、ある日2人の元に京介から「監禁されている」と電話がかかり......。


監禁された京介の視点を追って話が進むためサスペンスとしてのドキドキハラハラがありつつ、しかし微妙に脱力系な犯人たちとのやりとりなどのギャップが笑えます。ピザのくだりとかしょーもなくて好き。
また、ミステリとしては本書中で最もオーソドックスに面白かったですね。なんせこれ怪獣がいないくてもミステリ短編として十分成り立ちますから。しかし、そこに怪獣がちゃぶ台返しを加えることでなかなか皮肉なオチになっちゃうのも面白いところ。





「書店、ときどき怪人」

書店員のプロンド美女に一目惚れしたアタルは、慣れない読書に勤しみ彼女にプロポーズをするところまで漕ぎ着けるが、折しも近所では凄惨な首切り事件が連発していて......。


宮部みゆきだの小野不由美だのという名前が出てくるだけでも楽しい、本屋さんにまつわるお話。
アタルくんの恋愛を描いた物語は思いがけず真剣なラブストーリーになっていきます。そして2人の恋の結末は、本書らしいバカバカしさと切ない悲恋とを融合させた、ちょっと泣きながら「とほほ......(笑)」と言いたくなる感じの見事なオチでした。某有名古典文学を彷彿とさせますしね。

また、ミステリとしてのネタはミッシングリンクについてで、なんとなく読めてしまうものの「共感できる狂気」の描き方がこれまた見事で、犯人の姿がいろんな意味で印象に残りました。個人的には本書で最も偏愛する作品です。まぁなんせ恋愛ものだからね。





「女子高生幽霊綺譚」

アタルの部屋でぐだる3人の前に女子高生の幽霊が現れる。彼女は自らが殺された時の状況や、犯人の奇妙な言葉について語り......。


幽霊が語るスリーピングマーダー。
そもそも"幽霊"ってのが元は人間なわけだし人間の心を持ったままの存在なので、今までの人外どもに比べたら全然普通で幽霊が出るくらい日常の範囲内くらいに思えてしまいます。
そのため、最終話にして最もオーソドックスなミステリに仕上がった作品となっています。
分かりやすい論理展開、推理合戦のような様相、イヤな味の真相などなど、普段の西澤保彦らしさが前面に押し出されつつ、本書ならではのノリの軽さで読後感はむしろ爽快になってるのが素敵ですね。

今月のふぇいばりっと映画〜(2019.5)

こんにちは。
今月は割と新作多めでお届けいたします。





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怪怪怪怪物!
クーリンチェ少年殺人事件
ヘレディタリー/継承




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Search/サーチ  (字幕版)

Search/サーチ (字幕版)



妻を亡くし、男手ひとつで娘を育ててきた主人公。しかし、その娘が失踪。親身になってくれる刑事とともに行方を探すが............というサスペンスを、全編PC画面だけでやってのけた異色作、です。


まず、本作の内容とは関係ないことですが1つだけ言っておきたいのが、全編PC画面で展開する趣向なら少なくとも2014年の『ブラックハッカー』で既にやってるから、「全く新しい手法!」みたいな煽りには反感を抱いてしまいます。観てないけど『アンフレンデッド』とかもそうらしいし。


まぁそれはそれとして作品自体はめちゃくちゃ面白かったです!

趣向はゆっても新鮮味のあるやり方ではありますが、ストーリーはむしろリアルで地に足のついた印象。
普通な主人公と普通な娘。母親がいなくてちょっとギクシャクした関係ってのも普通で、失踪事件だけは普通じゃないものの、映画の設定としてはありふれたもの。
決して奇をてらうわけではなく、趣向を目的ではなく手段として、「親が知らない子供のこと」という普遍的なテーマの現代における在り方を描いているのです。


だから、あんまり派手な展開はないものの、知っていると思っていた娘のことを実は何も知らなかった、という心理サスペンスとして地味にめっちゃ引き込まれるわけです。

で、展開はまぁ詳しく言わない方がいいですけど、ところどころでツイストも見せつつ締め方も引くくらい上手くて、引き込まれたままエンドロールまでは帰ってこられないこと請け合いの傑作でした。


惜しいのは、私がバカで英語が読めないから、字幕で出る部分しか分かんなかったこと。なんせ、PC画面上で展開される物語ですから、文字数が多い。母語で見れないことが残念です。




怪怪怪怪物!

怪怪怪怪物!(字幕版)

怪怪怪怪物!(字幕版)


もんもんもんもんすたー。なんなんなんなん七不思議。なーなふしぎっ!なーなふしぎっ!
すごいぞ強いぞ孫文パワー!
いじめられっ子の主人公はいじめっ子たちとともにボランティアに行き、そこで怪物の子供を見つける。いじめっ子たちは怪物の子供を監禁する。


てなわけで、主人公のおっぱいマンが初期の草野マサムネ風でした!やっとひとつわかりあえた〜そんな気がしていた〜♪
そう、おっぱいを触ってしまったことから全てが始まったのです......(違)。
それにしてもおっぱい触られる女の子のクソ小生意気な感じとかめちゃくちゃ可愛いですね。YEN TOWN BANDとか聴いてるのもステキ。

さて遅ればせながら映画の内容はというと、まあ面白かったです。
演出がめちゃくちゃダサいしエフェクトとかもめちゃくちゃチャチいし正直映画のレベルじゃない気さえするんですが、そんな徹底的な安っぽさこそが人間存在というものを的確に抉り出しています。
とともに、この安っぽいアホくささが、エグい話をポップに観やすくするのにも貢献してます。これ、フランスとかで撮ったら相当エゲツなくて目を背けたくなるような作品に仕上がりそうですが、なぜか本作はコメディみたいになってるのが不思議な魅力。

だって、老人をいじめるシーンとかなんか、やってることひっでえのにフリーザ様とか出てきたらちょっと笑っちゃわざるを得ない。でもここで笑っちゃうことで観てる私もいじめを黙認するサイレント加害者に名を連ねさせられるわけでございます。上手い。そして、主人公が自分がいじめられてる時以外はにこやかに老人とかいじめるのに加担してるのもリアルっすね。

グロ描写にしても、あえてオシャレチックにしたりコミカルにしたりして生々しいエグさはなくってポップな悪趣味さが強調されています。
そして、終盤で「お前の最期を見てやる」みたいな顔をするマサムネ......じゃなかったおっぱいマン!元気100倍おっぱいマン!クライマックスの彼のクレイジーな活躍は清々しく、チィパ チィパ チィパチィパでした。

そんな感じで狂騒的なスプラッターとして話が進みつつも、怪物の方が人間味を持って描かれて人間の方が怪物のように描かれている......という「人の心が怪怪怪怪物だったんですな」というお約束の風刺から、さらに実は怪物みたいな人間にもそうなってしまう理由が......みたいなところまで持ってきてからのラストシーンのやるせないインパクトが凄かったです。
B級ホラーでありながらメッセージ性も秘めつつあくまで徹底してエンタメとして作られた良作。とりあえずひとつだけ言っておきたいのは、スピッツファンの皆さんごめんなさい。でも主人公の目つきの気持ち悪さがすごい草野マサムネなんですよ!





クーリンチェ少年殺人事件


60年代の台湾が舞台。
夜学に通う小四は、同じ学校に通う小明という少女に恋をする。しかし、小明は、不良グループ"小公園"のリーダーで今は失踪しているハニーの女だった。
やがて、小公園とライバルグループ"217"との対立は激化し、小四や小明らもそれに巻き込まれて......。


4時間という長さとこのタイトルなので、最初は『人狼城の恐怖』みたいな何十人と人が死ぬ大長編ミステリかと思ってましたがまるっきり違いましたね。
当時の社会状況を背景に少年少女らを描いた青春群像劇......といった感じでした。

内容は、一番ミクロなところでは主人公の小四の、ヒロイン小明への恋心というのがメインになってきます。
そこから少し視野を広げると、不良グループの友人達それぞれの青春模様。さらに、グループ同士の対立や少年同士の中での社会。そしてさらにマクロなところでは台湾の歴史的、政治的な部分と、4時間もあるだけに様々なレイヤーのお話が1つになってます。
また、映像もリアルな生活感と、映画らしい陰影の芸術性が混ざり合って独特なよさがありました。ずっと観てれる。
という具合に、いろんな意味で見どころの多い作品なのだとは思います。

まぁ、ゆーても一回観ただけではせいぜい後半からなんとなく誰が誰か把握できてくるのが関の山で、知りもしない社会派的側面なんかは分かるはずもなく、きっと何度も見ることで少しずつまた見え方が広くなっていくのだろうと思います。

ただ、そんでも最も分かりやすいところの主人公の恋愛という点ひとつだけ見ても、本作は紛れもない傑作だと言い切っちゃえます。
主人公が、いかにして一人の人間を殺害するに至ったか。その過程が丁寧に描かれていくので、最後の"殺人事件"のパートは唐突ながらも説得力が凄かったです。
あえて卑近な言い方をしてしまえば、これって拗らせ童貞の末路、みたいな話であるわけですからね。私自身恋愛拗らせマンたったのが行き過ぎて恋愛を辞職した人間ですので、世間や家庭や学校の環境が平和でなかったらこうなっていたかもしれない......などと思ってゾッとするわけですよ。
なんせ、彼のあの気持ち、たぶん非モテ男子なら全員めっちゃ共感できると思うし、主人公に向けられる「何様のつもり?」というセリフもめっちゃ刺さるはずですから......。

なんて、俗っぽく安っぽい感想を書いてしまいましたが、要は重層的な社会派映画にして案外共感できるトラウマ恋愛映画でもあるというところで、恋愛拗らせマンにはぜひ観ていただきたい一本であります。




ヘレディタリー/継承


アニーの母、エレンが亡くなった。確執があった親子だったが喪失感は強かった。アニーは夫のスティーブンと息子のピーター、娘のチャーリーと悲しみを乗り越えようとするが、エレンの死後、家では不可解なことが起こるようになった。そして、一家を悲劇が襲う......。



これは、なんだったのか。分かりません。理解できている気はしなく、自分が理解できているかどうかさえ分からない。何を見たんだろうという戸惑いを抱えつつ、さらに強く残ったのはとんでもないものを見てしまったという興奮と恐怖でした。
1つだけ言えるのは、私が本作を好きだということ。


ここんとこ、オーソドックスなというか、古典的なというか、いかにもホラー映画でございというホラー映画が復権しているように思います。
本作も一見その一つ。謎の多かった母親の死によって現れる怪異。エクトプラズム、交霊会、そしてほにゃほにゃの存在と、今が本当に令和なのか疑いたくなるほどに古典的なホラー映画の道具立てを取り揃えております。
そしてデカい音でびびらせる演出なども少なく、あってもそこに必然性があったりとなかなか上品な怖がらせ方も乙なもの......。

......なんていう古き良きホラー要素を隠れ蓑に、とある決定的なシーン以降、本作は見たことのないような恐怖をバシバシと投げつけてくるようになるのです。

まず、その問題のとある決定的なシーンですが、ここはまだ若い私でもさすがにおしっこ漏らしたレベルで怖かったです。それは、びっくりとかグロいとかそういうのとは次元の違う、心理的な、あまりに心理的な恐怖。
ホラー映画の怖さってのは、自分には関係のないところで起きているからこそ無責任に怖がれる面白さでもあるわけですが、このシーンはもう冷や水を浴びせられたような、現実世界で最も怖い出来事なわけですね。一瞬のグロいシーンや怒号のような悲鳴などのホラーらしい演出もここではもっとエグく忌々しいものとして描かれています。

この奇妙な嫌悪感は何なんだろう?と思ったのですが、監督が本作を作る際に『ローズマリーの赤ちゃん』などの古典ホラーと一緒に『普通の人々』を念頭に置いていたと知って納得しました。
そう、この映画は家庭崩壊ホームドラマをホラーという鋳型に注いだもの。だから怖さの質が普通のホラー映画とは根本的に違うわけなんです。
なんせ、入り込んじゃいますからね。
起こる出来事自体は、ホラー映画では普通のことなんですよ。でも登場人物たちがきちんと人間として描かれていることで、怪現象も自分の身に起こっているかのような近さで感じられる。普段ホラーを見るとき、キャラクターたちに対して我々は俯瞰の見方で「次は誰が死ぬかな」とか「こいつうぜえな、早く死ねよ」などと考えながら見ますよね。でも本作にそれは通用しない。だから、怖さが本当に忌々しく起こってはならないこととして感じられるわけなんです。



あと、もっと根源的な、頭悪そうなことを言ってしまうなら、登場人物の顔が怖い。

まず主人公のアニーは完全に『シャイニング』のオカンの再来。しかもシャイニングのオカンは悪い人でも憑かれてるわけでもないのに顔怖くて役柄に合ってなかったのに対して、こちらはもうぴったし。度重なる悲劇に見舞われ怪現象に襲われと散々な目に遭ってるから顔が怖くなるのにも納得ができちゃって、そのことも怖いです。"あの"シーンなんかはつらすぎて思わず巻き戻してもう一回観ましたよね。つれえ。

娘のチャーリーも顔が怖い。
たしかローティーンの設定だった気がしますが、5歳くらいの幼女のようなあどけなさと、30代の女性のような妖艶さと、人生の終わりにさしかかった老女のような全てを悟ったような老成までもがこの少女の顔には同居しているのです。恐ろしや。

あと、地味に息子のピーターくんの気弱そうな顔も見てるこっちまで不安になって別の意味で怖いです。



で、ほとんど最後の方まで、だんだんエスカレートしながらこの異質の恐怖は続くんですが、最後がまたわけわかんないっすよね〜〜。
いや、なんとなーく何が起きたのかは分かるものの、たぶんこれかなり宗教的な知識が必要系と思われ、きっと知識があった上でここまでの伏線を回収すると見えてくるものがあるんでしょう。
ただ、わからなかったらわからないなりに、なんかもう超展開すぎて笑えてきちゃいます。ここまでガクガク震えて観てたのに、最後だけ「ぷふっ、なんぞこれ」とアイスコーヒー吹いちゃいましたよ。ウケる。



















































コッ

イット・フォローズ

例によってフィルマークスに書いたのを流用ですが、なんせ支離滅裂な文章になってしまいながらこれ以上どう書けばいいのかまるっきり分からないのでとりあえずそのまま置いときます、という感じ。
推敲したいのはやまやまですけどもう眠いからそのまま載せて私は寝ますよ。





本作は、性交渉によって人から人へ感染、というか、鞍替え?をする悪霊?みたいな何か(= It)に怯える少年少女を描いた青春ホラー。
もっと言えば、ホラーの文法を使って描いた青春映画です。
言ってしまえば、これが「ホラー映画」として消費されて「あんま怖くなかった〜」とか言われてるのに憤りを感じるくらいに、青春映画。



まず、導入が良いです。
何かから逃げる少女の末路。怖いとかグロいとかとは異質の、何か見てはいけないものを見たような禁忌感、畏怖感。これが映画全体のテーマを暗示するようでもあり、単純にホラー映画のオープニングとしても素晴らしいです。
始まりがめちゃ良い映画ってだいたい良いですもんね!


で、本編に入ると、しかし淡々として常にややダレてる感じになるわけです。
しかし、映像が魅力的だから、その気怠さすら刺激的。それは、映像が綺麗ということでもあるし、冒頭から全編を覆う禁忌的な空気感も出ていたり、あるいは青春の甘さと苦さとがリアルタイムで封じ込められたような匂いもして、まぁ便利なお約束の一言で言えば、映像自体がエモい!わけです。。


ホラーとして恐怖が動き出してからも、キメるシーンはバシッとめちゃくちゃ怖いんだけど、一方で毎度姿を変える"それ"にどこか滑稽味もあり、例えば裸のおじさんの姿で出てきたりするのにはぷっと笑っちゃったりもして、上手いと言うよりはなんか情緒不安定にすら思えるメリハリの利かせ方も怖いし、青春的でもあるし、エモでしょ。
それと戦う方法なんかも、それの存在さえなければ完全に青春映画でしかないというか、アメリカン・スリープオーバーでしかないというか、要するにこの監督の作品全部プールでてくるしどんだけプール好きなんだよ青春かよ。
それではここで一曲お聴きください。BaseBallBearで、「Transfer Girl」。


......はい、お聴きいただいたのはプールのことを考えるとき真っ先に思い浮かぶ曲でした。
それではレビューの続きを。


そうやって、ホラー映画としての体裁を整えておきつつ、終盤は完全に青春映画にシフトしていきます。
ここ以降はネタバレなしには語れないのでネタバレ感想に突入しますが、とりあえず観てない人でベボベ好きだったりなんか青春というものへの強い想いや呪いがある人は観てくれ!!
































はい、というわけでネタバレしますけど、"それ"とのツッコミどころ満載なバトルシーンが終わって以降くらいは、一気にそれまで目立たなかった(でも一番感情移入しちゃってた)童貞感の強い少年が前面に出てきます。

もうね、一気に恋愛ものになるわけですけど、この純愛には泣きますよね。切ないんだけど、めっちゃ憧れてもしまう、こんな恋、したい。
ラストシーンは私としてはハッピーエンドと捉えたいですね。



で、"It"とは何か?というのが本作の1番の謎であり見所でもあります。
これ、性病とか色々説があるようですが、私の印象ではこれは「死」と「生」ではないかと思うのです。

と書くと「どっちだよ!?」って感じですが、要は生きるということ自体が死へ向かうことだから、死ぬその時だけではなくて生きること自体にも死の恐怖が纏わり付いてる、という意味での、「人生」というものの怖さ、を描いているのかな、と思いました。

作中では「それは時に知人に時に他人に時に愛する人にも姿を変えるが実体は一つだ」とか言われたりもしてますが、それも人生には色んなことがあるけど結局は死という一つの結末へ向かうものに過ぎない、という意味にも思えます。
あるいは、"それ"が時にはやけに滑稽味を帯びて描かれていたのも、「人生」のメタファーと捉えると納得がいく気がします。


セックスによって"それ"が連鎖していく、というのも象徴的。
セックスとは「愛」という人生の意味とされるものの象徴的な行為でもあり、命を作ることでもあり、命を作るということは一つの死を作ることでもあり......つまりは「生」も「死」も内包するものであります。
だから、セックスによって繋がっていく"それ"というのは、死のことのようでもあり、生の連鎖のことのようでもある。

あるいは、ラストシーンで2人が"それ"のような、あるいは通行人かもしれない人影に追われながらも前に歩いていくところを見ると、命を繋いでいくことへの責任、というのも"それ"なのかな、とも思ったり。

ともあれ、人生についてひとつだけ言えることは死へ向かっているということであり、それは自明のことでありながらも人が新たに作られていくことは愛し合うということの中だけに辛うじて人生の意味があるから......というよりは、人生の意味を見出す余地があるから、なのかなぁと。
そういう何か消極的なというか、「生まれてしまったからにはどうしようもないからせめて」という諦念から入る希望のようなものが、ラストシーンの2人の歩いていく先に見える気がするんです。
それは、青春が終わり、人生が始まる、ということ......。



と、ここまで書いてきて改めて読み返してみると、自分でも何を言ってるのかよく分かんないですね。これを人に理解してくれというのもおこがましいですが、何となくでも伝わればいいかな、と。

まぁ一言で言うと、この映画は人生そのものだ!!!!!



では、最後に私の好きなindigo la Endというバンドの「ココロネ」という曲の歌詞を引用して終わります。

詩のついたメロディー 与えあっても
死のついたメロディー 奏できるまで
多分途切れない悲しい連鎖が 産声を上げたあの子を巻く

西澤保彦『殺意の集う夜』読書感想文

またしてもの西澤保彦ですね。

殺意の集う夜 (講談社文庫)

殺意の集う夜 (講談社文庫)



友人の園子に無理やり連れられ嵐の山荘を訪れることになってしまった万理。そこには、一癖も二癖も三癖もある変人たちが集結。そして、万理はひょんなことから山荘に集った人々を次々と過失致死させてしまい......。(殺人の××)
刑事の三諸は、酔った勢いで操作中に知り合った美女を犯そうと彼女のマンションを訪れるが、そこで彼女が情交していた男に殺される場面を目撃してしまい......。(もうひとつの殺人舞台)



というわけで、2つの関わりの見えないパートが徐々に絡み合っていくという新本格ミステリによくあるワクワクするパータンのやつ!!!
しかも、メインとなる、主人公の万理の視点の『殺人の××』パートでは、主人公が人々を惨殺......いや、惨過失致死させてから、唯一自分の仕業ではない友人の園子殺しの犯人を推理していくというメチャクチャな設定!!!
これで胸が踊らないミステリファンがいましょうか。いや、いないでしょう。



裏表紙のあらすじに「ジェットコースター・ミステリ」と謳われていますが、読んでみると思った以上にジェットコースターでびびりました。常に一気読みですよ。

まず、事件が起きるまでは、癖の強すぎるキャラクターのオンパレードが面白くて一気読み。
主人公の友人である園子ちゃんの身勝手っぷりがエゲツなくて、もう全然「わがまま女」みたいなレベルじゃなく、人間のエゴの醜さを結晶させた邪悪な存在とでも言うべきで、ここまで来るといっそ逆にフィクションとしてなら可愛くさえ見えてきます。まぁ実際に友達にこんなのいたら殺さずにいられる自信はありませんが......。
しかしこの園子ちゃんのキャラ造形、かなりエゴの塊としてデフォルメされているのでそのままこんな人がそこらにいるとは思えませんが、人間存在のどうしようもなさを誇張する形でリアルに描き出していると思います。というか、西澤保彦と言う人は、(以前読んだ『殺す』でもそうですが)こういうタイプのクズを描くのが上手すぎませんか......。
で、そんな園子ちゃんが際立っているものの、主人公の万理だって私からしたら友達にはなりたくないレベルでなかなか性格悪いし、山荘に集まる他の面々にしろ戯画的なまでにクセツヨだけどどこかリアルにもいそうな感じで、そういうキャラ描写を読んでるだけでもめちゃくちゃ面白かったです。


そして、事件自体はもう、ドミノ倒しとかピタゴラスイッチと同じものなので一気読みする以外に方法はなく、事件後の推理パートではとにかく怒涛のように伏線や新事実や謎解きが出てきてミステリファンとしてはやはり一気読みせざるを得ない。
また、合間合間に挟まれる刑事の三諸視点のパートも、よりリアルな人間のエゴの醜さが出ていて面白く、視点が切り替わることで飽きも来ないので、本当にもはや小説ではなくジェットコースターでした。



ただ、過程はそうやってめちゃくちゃ面白いものの、真相というか結末は賛否が分かれそうですね。
個人的には多少の整合性のなさや御都合主義を犯してでもとにかく大量のアイデアをぶち込んでくるこういう作風は好きなので面白かったですけどね。
特に、(ネタバレ→)殺意の集った理由が"占い"だなんていうクソほどバカバカしい冗談にしても酷いような真相には大爆笑。
一方でそれ以外の部分は詰め込みすぎてるゆえになんとなく「ここはこう繋がりそうだな」というのが読めてしまうのはちと残念なところ。
最後の最後のちゃぶ台返しみたいなアレは、この狂騒的な暴走ミステリには合っていてあれはあれで良かったと思います。
ちと分かりづらいですが、要は(ネタバレ→)万理は最初は女装してたからおっさんにも間違えて襲われたけど終盤は雨で化粧が落ちたりウィッグとかしてても取れたりして満身創痍の男の姿に戻っていたからああなったということでいいんでしょうか?このタネの明かし方は面白いものの、目立った伏線がないのが残念なところ。
まぁそもそもが主婦歴30年のベテラン主婦によるピーマンの詰め放題ばりにあれもこれも詰め込まれた作品なので、その上さらに伏線まで詰め込めなどと言うのは読者のわがままかもしれません。


まぁともあれ、西澤保彦らしい地持ちの悪い人間描写と、ミステリとしてのアイデアの物量が贅沢にぶち込まれた、傑作とは言いがたいけど愛さずにはいられない怪作です。

indigo la End『藍色ミュージック』の感想だよ

2枚目と4枚目を書いたんだからということで、今回はindigo la Endの3枚目のフルアルバム『藍色ミュージック』の感想だよ。もう私はメジャーデビュー以降のindigoのアルバムの感想を書くのをライフワークにしますよ。


藍色ミュージック(通常盤)

藍色ミュージック(通常盤)

  • アーティスト:indigo la End
  • 発売日: 2016/06/08
  • メディア: CD


さて、本作がリリースされた時まず衝撃的だったのはアルバムタイトルですね。『藍色ミュージック』、つまりはindigoの音楽という、ほぼセルフタイトルアルバムと言ってもいいタイトルですから。さらに曲目を見れば1曲目とラスト曲がそれぞれ「藍色好きさ」「インディゴラブストーリー」という"インディゴ"推し!これにはスピッツファンとしても嬉しくなっちゃいます。

また、本作からドラムの佐藤栄太郎が加入して、現在のindigoメンバーが揃った作品ということにもなります。
川谷絵音も色んなところのインタビューで後鳥氏のベースと佐藤氏のドラムを絶賛しているので、最高のメンバーが揃いましたよという宣言の意味での疑似セルフタイトルでもあるんでしょうね。

内容としても、「失恋」をテーマにした前作の流れを組みつつ、もう1つ「命」という、より根源的なテーマを表現することに挑んだ野心作/問題作になっています。
そして、最後まで聴くと、その2つのテーマが渾然一体となって「生きることとは、愛することであり失うことでありいつか死ぬことである」というテーマとして合流して迫ってくるのが凄えです。
その点では、『藍色ミュージック』とは、切なさや虚しさを孕みながら、それでも動き続ける心臓の鼓動のことなのかもしれません。「ココロネ」(心音)という歌も入ってますしね。

川谷絵音の普段のアルバムには、インディゴでもゲスでも幕間としてポエトリーディングの曲が入っていることが多いです。しかし、本作は幕間っぽい「シノブ」「風詠む季節」の2曲も、落ち着いたピアノ弾き語り風ですが、がっつり「いい歌」です。
そのためか、アルバム全体に良い意味での(=詞の内容に即した)重厚さがあるのも特徴的です。単純に曲数も多いし。

あと、これは単に私の妄想ですが、収録された14曲が、「1曲目と14曲目」、「2曲目と13曲目」、という線対称の形で対になっているようにも見えます。
1と14はどちらもタイトルがインディゴだし、2と13は雨、3と12は性と生、5と10はしっとり弾き語り風、みたいな。
もちろんうまく噛み合わないとこもあるし牽強付会に過ぎないとは思いますが、なんとなーく前半のテーマが反転して後半でリフレインしているようなところにも、アルバム全体の統一感を感じるわけです。


っつーわけで、本作は歌謡曲やJ POPとしての前作から、音も詩もより深遠なところへと踏み出した一歩目の名盤になってます。

ちなみに、どうでもいいですけど歌詞カードの最後のスペシャルサンクスに「ありとあらゆるラーメン」と書いてあるのがめちゃ気になります。ラーメン食いながら歌詞書いたのかな。

では、以下全曲感想をば。




1.藍色好きさ

前作の1曲目のイントロでは加入したてのベースの後鳥さんをフィーチャーしていたように、本作の1曲目であるこの曲のイントロでは加入したてのドラムス佐藤栄太郎をフィーチャーしてます。
イントロのシンプルなドラムとギターのスピード感がいきなり切なさをこう、、、ぐわーっと、、切ないんです!(語彙)

歌詞の内容としては、

君が好きだってこと以外はこの際どうだっていい

と、真っ直ぐなラブソングなのですが、続いて

藍色になった君が好きなんだ

と来るのが味噌ですね。
藍色ってどう考えても明るいイメージより切なかったり冷たいようなイメージが強いですよね。そうすると、僕への気持ちがもう冷めてしまったということでしょうか?
ただ、その後

藍色になって迎えに行くよ

と、僕も藍色になるぜ!という流れになるのが一筋縄では行きません。私の経験則からの考えでは、これはそのまま「僕も恋愛感情を冷ましたい」という風に解釈してもいいんじゃないかな、と。
だってあれですよね、別れた2人が一番会いづらい状況って、片方だけが未練タラタラな時ですから。お互いに冷めてしまって友達に戻ればまた会うことも出来る。それなら自分のこの気持ちを冷ましてでも君を迎えにいきたい......とか言ってる時点で冷めてないんだけどね(。・ ω<)ゞてへぺろ♡みたいな恋愛感情の複雑な矛盾を言語化した歌なのかなぁ、と思いました。まぁ厳密じゃない部分的な解釈なので作者の意図には合っていないと思いますが。




2.雫に恋して

「忘れて花束」と両A面でシングルリリースされた曲です。
『雫に恋して/忘れて花束』ってめちゃくちゃ美しいシングルタイトルでしたね、はい。

そんな美しいタイトルのイメージ通り、「夜汽車は走る」「瞳に映らない」あたりに連なる、歌詞から映画を一本撮れそうな歌謡曲になってます。インディゴのシングルのテッパンと言えるかもしれません。
ただ、音的にはかなり大人っぽくなってるというか、これまでのポップロックからオシャレミュージックに変化した感じがしますね。これまでの曲も好きだからこれを「進化」とは言いませんが、メンバーが強くなってる感は凄くあります。
優しいギターイントロから、かなりシンプルな演奏が続いて聴いてて疲れないです。が、三回のサビの後でそれぞれベース、ギター、ドラムがフィーチャーされて曲自体がメンバー紹介みたいになってるという遊び心もあってシンプルにして飽きない、素晴らしい音楽です。

また、この曲は歌詞もシンプルで、要するに主人公が泣きながらうろうろしてるだけの話です。

ざらしの古いバス停で
行き交うモノクロ街を眺めてる
今の私はどんな顔してるの

と、お得意の情景描写による掴みはバッチリで、そこからBメロでは

ただただあなたに恋をしてた
(略)
片時も忘れずにあなたを思い出しては落ちる 雫に恋して

と、心理描写に移りながらサビ前でタイトルコールをするという完璧なポップさ!!
この曲の歌詞の中には「涙」という言葉は使われておらず、「雫」で統一されています。私みたいなひねくれ者からすると「自分の涙を良いように言いやがってナルシかよ!」と思ってしまいます。
が、恋愛ってのは自分の気持ちに浸るものでありますからして、恋愛系の歌詞ってこういうちょっと自分に酔ってる風なものの方が共感できるんですよね。そしてインディゴの歌詞はだいたいそんな感じだからここまでハマってしまったんでしょう。

閑話休題。この曲の歌詞はこうしたシンプルな内容です。
「主人公が元カレ的な人のことを思って雨の夜に泣いている」こと以外の詳しい情報は明示されておらず、ただ情景描写だけが続きます。
しかし、「また思い出す あの光景を」のように、2人の恋を想像させるキーワードは配置されているので、歌われている情景の中に、リスナーひとりひとりが自分を投影しやすい作りになっているわけです。
だから曲の内容自体については実は特に言うこともないのですが、共感性を最大限まで高めてきたシングル曲及びアルバム二曲目らしいキャッチーな名曲です。




3.ココロネ

生きていくこと、愛し合うこと、命をつなぐことという、このアルバムから新たなテーマに据えられた『命』について歌ったアルバム全体を読み解くキーとなる一曲です。

音はダフト・パンクっぽさのある、さらに言えばこれまでなら絶対ゲスの極み乙女の方でやりそうな感じのダンスミュージックになっていて初めて聞いた時は驚きました。そもそも私は昔からダフト・パンク結構好きでよく聴いてたんですけど、音は最高だけど歌詞が英語で分からないからめちゃくちゃハマるということもなかったんですよね(洋楽に対してはだいたいそうなる。こないだ川谷絵音が「洋楽も聴かず嫌いしないで」と言ってたので反省しましたが......)。
でも、ダフト・パンクさん音は最高だから、もしもこういう音で日本語の素敵な歌詞が付いてたらめちゃくちゃハマっちゃうのになぁ......と思っちゃう、そのもしもがこの曲です。

歌詞については前に(『Crying End Roll』の感想でも書きましたが、ストレートに死とセックスについての歌。
「いつか死ぬ時まで苦しみ続けるだけの人生になんの意味があるの?」
「生きるのは苦しいから命の連鎖は断つべきじゃないの?」
という問題提起をして、それに対して消極的で諦念さえ交えつつ、しかし真摯でただ1つしかない答えを見出した、セックスの効能についての歌なんですよね。

この曲の歌詞の中では一人称が使われていません。インディゴの曲って大抵は「僕」とか「私」が独白する物語のような歌詞になっているので、こういう語り口は珍しい気がします。
これによって、個人の情念を超えた普遍的なものとして、絶望的な悲しみと唯一つの小さな救いが描き出されています。
この曲が前半に入っていることで、このアルバムのすべての曲の悲しさに普遍的な説得力が付されているように思います。

そして抱きしめ合えたら救われる
先に意味を持たせなくても 安らぐ心があるだけで他に何もいらないはずさ

その"先"が「シノブ」や「風詠む季節」に繋がっているようにも読めます。
また、後半の「ダンスが続けば」「インディゴラブストーリー」もこの曲と呼応して聴こえます。まさに色んな意味でアルバムのキーとなる曲なんじゃないかな。




4.愛の逆流

indigoイントロが好きな曲選手権大会本戦出場選手です。他の本戦出場者は「X day」「花をひとつかみ」「プレイバック」あたりですね。
"逆流"というタイトルに合わせて、排水溝が詰まって逆流してくるようなベースの音からはじまります(比喩が下手すぎる)。

歌詞の構成としては、川谷絵音お得意の最初に具体的な映像を描いてそこから内面に潜っていくパターン。

まず最初に歌われる二人の付き合い始めた馴れ初めのお話が良いんですよね。告白するシーンのみが短く語られているだけなのに、不器用な男の子と猫っぽい女の子の姿が鮮明に思い浮かび、二人がどんな感じで付き合っていたかまで想像できちゃいます。すごい。
そして、そのシーンの後にすかさず

戻れたら戻るけどそうはいかないから
あなたならわかるでしょ もうやめて

と、一気に不穏な方向へ持っていかれるので、ぐわーっと思います。
そしてこれ以降、相手からの未練を受けながらももう戻らないと主人公が歌い続けるわけで、それを端的に表した1サビ後の

でも愛は逆流しないだろう

という言葉が象徴的です。
愛を川の流れに喩えることで、その不可逆性を印象付ける見事な歌詞だと思います。
さらに最後の最後も絶望的なフレーズで締めているので、第一印象はまぁ暗い曲やなぁという感じでした。


しかし、曲中には

隔たりは矛盾して互いの声を届け合う

というフレーズがあります。なーんだかこの曲の中でこの部分、「届け合う」という言い回しだけがちょっと希望の見える雰囲気にも思えるんですよね。
そう考えると「でも愛は逆流しないだろう」も、「だろう」と言いつつそれでもしてほしい、という逆の気持ちを歌っているようにも取れます。
まぁ、愛なんて時や水の流れに比べればまだ可逆な気もしますからねぇ。なんともどう受け取っていいのか悩む歌ですが、ともあれ、愛は逆流しないというフレーズが強烈で、そこから反対に逆流してほしいという切ない気持ちも呼び起こされる深い曲ですね、はい。





5.シノブ

ここで弾き語り風の(一応)幕間に当たるこの曲です。
短い曲ですが、川谷絵音による男性目線の歌の中に、ワンフレーズだけコーラス隊による女性目線の歌が挿入されています。
順番的にはおかしいですがまずはこの女性の歌の部分を見てみましょう。

考え事をしていたら私はもう掴まれていた
命を抱えて立ち上がる
膨らむ声を想像していたら
後ろに愛を感じました

と、そう、ここではっきりと彼女が子供を身篭っていることが分かります(たぶん)。
後ろに感じた愛とは、自らの母性か、子供の父親からのものか、それとももっと大きな何かか......または全部かも知れませんが、とにかく、日常の中でふと、そのことを実感した瞬間を描いているのでしょう。私は子供いないからよく分かりませんけどね。はは。

さて、そうすると、男性パートの部分も読み解きやすくなります。
冒頭の歌詞の、「誰かに見逃されながら命を磨いた」「心の部屋に入り込んでは 気づかれないように息をした」という部分は孤独の閉塞感を、そして「愛し愛され 僕らは もっと深く息をつく」というところで、愛し合うことで心の部屋の壁が崩壊して風通しがよくなった感覚になります。

そして、最後で

隔たりを壊したこの命を 僕らは守れるなんてこと 言い切らないとかっこ悪い ただそれだけの話です

とあるように、新しい命を守ろう、守ると言おう、という決意を等身大に歌った、それだけの歌です。それだけなのが泣けるんです。
ここで「隔たり」という言葉が出てくるのは、コンドームを「隔たり」と表現したMr.Childrenの「隔たり」という曲を連想させます。川谷絵音ミスチルファンらしいので、もしかしたらミスチルの「隔たり」の続編のような気持ちで書いたのかな......?なんて想像もしてしまいます。
また、前の曲「愛の逆流」にも「隔たり」といワードが出てくるので、それも踏まえているのだろうと思います。




6.悲しくなる前に

ドラムの佐藤栄太郎がインディゴに正式加入して、初めて出されたシングルの表題曲がこちら。
新メンバーのお披露目をするかのように、加入初楽曲からもう容赦なくドラムの見せ場だらけの曲になってます。なんせ曲を再生して一番最初に耳に入る音がイントロのずちゃずちゃずちゃずちゃというドラムの音。
しかも、アルバムで聴くと「シノブ」の余韻をぶち壊すようなドラムの入り方なのでまた一層インパクトがあります。ここの繋ぎ、良いなぁ。
で、凄いのはAメロに入ってからで、この辺はもうドラムの音だけ聴いてると気が狂いそうになります。カッコよすぎる。

歌詞に関しては、アップテンポな演奏と

悲しくなる前に あなたを忘れちゃわないと
無理なのわかってるの と夜更けに向かって走った

というサビが象徴するように、公式の言葉を借りれば「喪失と疾走」というテーマで描かれています。
歌詞の中に具体的な表現は少なく、全編に渡って失うことに耐えられない心情が歌われていますが、面白いのはこの曲の歌詞が、シングルの時のB面曲「渇き」と対になっていること。女性目線のこの曲に対し、「渇き」の方は男性目線で、

「夜更けに向かって走った」⇔「君が切なさを纏って走り去っていくのを見て立ち尽くした」
「抉るような声でまた呼びかけてよ」⇔「喉が擦り切れるくらい叫んだ」

というようにモチーフとなる動作がリンクしていたりして、一つのカップルの終わりを男女それぞれから描いたようになってるんですよね。
というわけで、2曲一緒に聞くとまた違った感慨が湧きますが、もちろんこの曲だけでも泣きながら走るタイプの切なさを味わえるつらみの強い曲です。でもカッケェ。Yeah。




7.忘れて花束

テレテッテー テッテー テーテーテーという短くも印象的なフレーズから始まるこの曲は、「雫に恋して」と両A面シングルとして発売された曲ですが、「悲しくなる前に」の潔いアウトロの後でこの潔いイントロが流れるのもまたカッコイイです。

この曲も1番のABメロあたりで情景が描かれそこからどんどん内省的になっていくやつ。
それにつれて演奏も一番より二番の方が、さらに大サビの方がとどんどん激しくなっていって切なさを増していく歌詞に呼応してるのが良いっす。

あなたを愛そうとした時から
離れようとする心に気付いて

私は愛したいはずなのに
あなたは愛されたいわけじゃない

あなたが愛そうとしてた時に
心を向けてたら 気付いてたら
叫んで言葉を拾う

と、愛の矢印についてなかなかややこしいことになってますが、こういうハタから見たらどーゆーことやねんという微妙な距離感というのが恋愛の全て。花束や窓といった歌謡曲的小道具を使いながら端的にそれを描き切った名曲と言えるでしょう。

「忘れて」って言おうとしたあなたの顔を思い出そうとしても
何故か忘れたいなんて思わないの

そうよね、あたしもそう思うの。




8.eye

冒頭の「初めて見た世界」という歌詞に引きずられているかもしれませんが、生まれる前のような、水の中に浮かぶような印象の、深く懐かしく、どこか恐ろしさもある音色のイントロ。
その恐ろしさはいきなり裏声の歌、またラララだけのサビからも漂ってきます。サビがラララだけで不穏な怖さといえばスピッツの「水色の街」なんかも連想し、水のイメージもそこにも繋がる気が。
一方で「ヨボヨボのおじいさん」というのは死の象徴でしょうか。人は生まれながらにして死を内包している、みたいな話かな。

そして、2番では、寝る前にうだうだと考えちゃうことを語るようなポエトリーディングの体で、

でもさ 続いてくし続いちゃうから
何かが待ってるとか待ってないとか関係なく
僕は生きていくんだろうな

と、希望でも絶望でもなく、強いて言えばやや諦念を交えながら他人事のように、しかし生きていくことを宣言しています。
そして、最後には

意外とさ 自由なんだよみんな

と、全然押し付けがましくないけどなんとなく応援ソングみたいですらある結論に至ります。
不穏なようでいて、明るいようでもあり、なんてことない独り言みたいでもある、不思議な曲です。アルバムの真ん中でひとまずこうして生きることを肯定しているのも「命」というテーマを考えると納得ではあります。




9.夏夜のマジック

不穏さのある前曲から一転して、めちゃくちゃ切ないけどその切なさの中に「君」への想いの暖かさも感じられる超名曲です。

この曲に関しても「ココロネ」同様リミックスが収録された次作『Crying End Roll』の感想でも触れていますが、改めて。

まず、この曲はシングル『悲しくなる前に』の3曲目として収録されていた曲で、indigo la Endにとって初となるブラックミュージック調の曲でもあります。
リミックス版はピアノの音が気持ちよくインストっぽく聴けるアレンジでしたが、原曲は歌を前面に押し出しつつゆったりと左右にゆらゆら揺れちゃうリズムと間奏に顕著な歌うような長田さんのギターフレーズの良さもまたビンビンでコーラスも最高やしなんかもう最高!!(個人的にindigo la Endの曲で一番好きなもののうちの一つです)。

切なくも暖かいメロディやサウンドと同じく、歌詞にも君のいない喪失感と、しかし君の思い出を大切に思い返す暖かさが溢れています。

記憶に蓋をするのは勿体無いよ
時間が流れて少しは綺麗な言葉になって
夏になると思い出す別れの歌も 今なら僕を救う気がする

という部分にはどことなく死別の歌なのかなという感じもあります。なんというか、普通の失恋の歌ならもっと『幸せが溢れたら』の収録曲のような激しさとか過剰な耽美さがあるような気がして。それがこの曲は悲しみすらありのままに受け入れる諦念のようなものがある気がして、それは普通の失恋では辿り着けない感情なのではないか、なんて思ったり。
個人的には醜い失恋しかしたことがないので、こういう美しい曲に対しては一種の羨望のような気持ちを覚えてしまったりもして、好きでしかないんですよね......。

夏が来ると聴き始めて、夏の終わりまで常に聴いてしまう一曲です。




10.風詠む季節

「シノブ」と同じく、弾き語りではないけど雰囲気的にはピアノ弾き語りっぽさの強い幕間的な一曲。

手紙を書いたあの日には 今日が来るなんて思ってなかった

というフレーズから歌が始まります。
「今日」という日が何か特別な1日であることを最初に匂わせつつ、その理由はもう少し先にならないと分からない......いや、正確には、曲の中で「今日」が何の日なのかは明言されず、聴く側に「たぶんそうだよな」と想像させるに留めています。でも自分で「たぶんそうだよな」と気付くことで私はまだ未体験なのに、まるで自分のことのように入り込んで嬉し泣きでもしそうになりながら聴けるんです。

......そう、この曲は、(私の解釈では)ウェディングソング。 今日、というのはおそらくプロポーズをした日のことなのでしょう。と思います。
「手紙を書いたあの日」というのは、きっと付き合い始めたその日。結婚という人生最大のイベントを前にして出会ったあの日から今日までの日々を想う歌なんですねぇ。こんなん泣くじゃん。泣いたよ、私は。

で、凄いのが、「どこが好きかと聞かれて横顔と答えたら怒られた」という実際のエピソードや、「選ぶ権利は僕にないとか冗談も言わないでね」という「君が言いそうなこと」の描写からなんとなく「君」という女性のちょっと強気な性格が見えてくるところなんですよね。一方、「僕」は手紙で告白するようないわゆるちょっと女々しい感じで、人物描写がすごくリアルに感じます。
でも、「恥ずかしそうにしながらしょうがないと言う」君の横顔を眺めている僕と言う光景からは、2人のまた違った面も見えてきたりして......。うん、めちゃくちゃリアル。こういうディテールの描写のうまさはさすが現代の恋愛マスター・川谷絵音です。

そして、2番の終わりくらいまでは弾き語り風のほぼピアノのシンプルな演奏だったのが、Cメロで一気にバンドサウンドになって幸せが溢れる気持ちを表現し、最後のサビの「もう離さないなんて」のところでピアノの鍵盤を手で撫ぜるピューンって音(よく聴くやつだけど技法の名前が分からん)でさらに眩しいほどの多幸感を、そして最後のコーラスでダメ押しのようにエモーションの嵐を巻き起こす......。
冒頭の静けさから、思えば遠くに来たもんだなぁというサウンドの盛り上がりが、そのまま付き合い始めた頃からここまで来た僕と君の姿に重なって、私の目からも雫が溢れ落ちますよね。はぁ、好き......。この曲大好きなんです!!!結婚式で流す!!!

ちなみに、「涙が止まらなくなった キラリと光る溢れた温度を〜」というところはもちろんスピッツの「涙がキラリ⭐️」へのオマージュでしょう(?)




11.music A

さて、エモ散らかした後のマイ・エモーションをクールダウンさせてくれる、「ダンスが続けば」のイントロ的な役割のエレクトロチューン。
まさかゲスならともかくインディゴでこんなエレクトロな曲が出てくるとは思いませんでしたが、しかし雰囲気は完全に藍色。こんな曲でもゲスではなくインディゴでしかないのが凄いです。

歌詞は、

惹きつけられた理想のミュージック
歌ってよ 歌ってよ

だけなのですが、後ろでどうやら「ミュージック・スタート/ストップ・ミュージック」みたいなことを言ってる気がします。あるいはスタートだけかな?なんせ裏声だから聞き取りづらくて。

で、このmusic Aってのはたぶんですけど、藍色のAってのもあるし、「通行人A」みたいなニュアンスの、とある音楽をやってますみたいな、そういう自然体宣言のようなものなのかなとも思います。だから言い換えれば「a music」でもありそうな。




12.ダンスが続けば

......からの、この曲。

エレクトロ感はないものの、踊れるところはmusic Aから続いてる感じがあります。

ただ、踊れるとは言っても

幸せは当たり前に踊ることさ 一度きりじゃなく

というサビのフレーズは、イケイケなダンスではなく、生活感のある比喩としてのダンス。それに合わせてサウンドもどこか郷愁や暖かさやそれこそ生活の臭いを感じさせる音になってます。

とはいえ、そこはインディゴですから生活感はありつつめちゃくちゃカッコいいんすけどね。
もう、イントロからして、全ての音が気持ち良い。入りの一瞬のギターの音も良いし、何よりベースのスラップの仕方がエゲツなく好きです。インディゴの曲はスラップベース多いけど、スラップの入り方が一番気持ちいいのはこれだと個人的には思います。
あと、サビの「ダンスダンスえ〜え〜〜」みたいなコーラスも最高。あと、間奏のジャッジャッっていうキメと歌うようなギターソロも最高。というかもうなにもかも最高やんけ!
というわけで、インディゴの曲の中でも、1番を決めるのは無理だけど、10曲選ぶなら入るくらいに好きなんです......。

で、歌詞の方はというと、上には生活感と書きましたが、恐らくここで言うダンスってのはセックスのことだと思います。
明かりを消してダンスダンスダンスなんて言われたらそりゃもう、そう思っちゃいますよね。
で、「ココロネ」のところでちょっと書きましたが、「そして抱きしめ合えたら救われる」の実践編がこの曲とも言えるでしょう。
また、「一度きりじゃなく」というのは、いわゆるワンナイトとかセフレとかではなくっていうニュアンスで、それは「風詠む季節」で結婚した2人のその後の生活、という風にも読めます。あるいは、「シノブ」の前日譚のようでもあり......とまぁ、ココロネとこの曲とを軸にしてアルバム全体を生と性の意味というテーマが乱反射していくようなイメージがあります。
そして、アルバムはクライマックスへ......。




13.心雨

はい、これですよ。
おっそろしく美しいメロディとおっそろしく切ない歌詞。indigo la Endというバンドと川谷絵音というミュージシャンの凄さが端的に現れた名曲です。
また、この曲は5枚目のシングルとして発表されましたが、1枚目の「瞳に映らない」から連なるシングル曲群に通底する歌謡ロック路線の集大成のような曲でもあるかと思います。

ゆったりしたテンポで、派手なアレンジもないですが、しかしピアノとギターの音がシンプルに良すぎる。刺さります。

そして、なんといっても歌詞。

ごめんね、あなただけ
1人にさせてしまうかもしれない
左心房の炎が少しずつ消えかけてるの

という衝撃的なカミングアウトから始まる、死を目の前にした女性から恋人への歌なんです。
......もう、語ることなんてないですよね。ただただ切ない。
「あなたの触れた温度が 消えてゆく」ってとことか、ズルいよね。

で、私の中ではこの曲の後に「夏夜のマジック」で"あなた"が"私"のことを回想してるんですよね、実は。
そこまで関連させて作ったわけでもないでしょうが、なんというか、そうだったらいいなという、そんな気持ちになるんです......。そうしたら少しは救われるかなっていう。




14.インディゴラブストーリー

はい、心雨の余韻も冷めやらぬ中、ギターのジャコジャコいうリフの印象的な音で始まる最後のナンバーです。
タイトルを見たときには、インディゴらしい失恋ソングの集大成みたいなイメージをしていたんですけど、聴いてみたらまさかのそっち!?みたいな驚きのあった曲ですね。

まだ分かりやすい歌詞の曲が多かったこのアルバムですが、この曲は100回くらい聴いてるけど歌詞の全体像はなかなか見えてこず、次作『Crying End Roll』に通じる難解さがあると思います。

ただ、

切り取った一部の悲しみ
それをまだ知らずに生きる子供たち

愛し合う術を見て 小さな命を知る
それだけのことを 幸せに続けれたら

というところは、「ココロネ」や「ダンスが続けば」のテーマを再演しているようでもあり......。

そして、最後の「それくらいは 幸せであってほしい」というのが、もはや願望の形で結論というには消極的ですが、しかし切実なこのアルバム全体の答え、なのでしょう。

また、切り取った悲しみ、というのは、このアルバムのこれまでの1曲1曲のことを指しているようでもあり......。
長い長いアウトロのカッコよくも生き急ぐようなリフの音を聴き終えたその後の無音の中で、これまでの13曲の余韻が走馬灯のように駆け巡り、「アルバム」という表現形態が、フィジカルな"盤"というものが消えゆく現代にもまだ生きていることを教えてくれます。





というわけで、いわばセルフタイトルアルバムとも言える、『藍色ミュージック』の感想でした。
改めて聴くとサウンド面では曲と曲がアルバム全体を通して流れるように繋がりつつ、歌詞を見ると一直線ではなくあちこちに乱反射しながら曲同士の関連が浮かび上がってきたりと、何度聴いても一枚通して楽しめる傑作ですよ。

例によって長くなってしまいましたが、まぁ一言でまとめるなら、名盤です。

西澤保彦『小説家 森奈津子の妖艶なる事件簿 両性具有迷宮』読書感想文


『両性具有迷宮』を改題、『小説家 森奈津子の華麗なる事件簿』と同じく実業之日本社文庫から新装文庫化された、森奈津子シリーズの2冊目です。


宇宙人の手違いにより男性器が生えた体にされた、小説家・森奈津子を含む女性たち。
ちんちんによる新たなプレイを楽しむ奈津子だったが、やがて、彼女と同じように男性器を生やされた女子大生らが惨殺される連続殺人事件が起こり......。



なんやねん、それ。
こんなん何て感想書きゃええねん......。
はい、というわけで、アンドロギュノスSF官能ミステリーです。なんだよそれ!
うーん、参った......。

まぁ、とりあえず適当に書き始めます。

本書はセンス・オブ・ジェンダー賞という、名の通りジェンダーSFに贈られる賞の特別賞か何かを受賞した作品らしいです。
そんなこともあってか、フザけたおしたギャグエロ小説でありながら、ジェンダーにまつわる真面目な話もしっかり入ってるのが面白かったです。

私もまぁギリギリ平成生まれの今時の人間なのでLGBTが何の頭文字かくらいは知ってるんですが。
例えば......外見上同じ女性同士のセックスでも、女性として女性が好きなレズビアンと、自分のセクシャリティは男性であってヘテロ的に女性が好きな人とは違うとかなんとか......。
喩えが不謹慎かもしれませんが、数学で習った組み合わせの問題みたいにパートナーの数だけ性の組み合わせというのがあるんだなと目から鱗でした。

そうした性の多様性を説きながら、射精だけを目標とする男根主義的セックスの貧しさを指摘し、度重なる濡れ場を使ってセックスの奥深さを描き込んでいく様は、男としてはなかなか身につまされるものがありましたね。
しかし、畢竟一発出したら終わりな男の身としては女の体が持つ可能性の途方もなさに嫉妬してしまうのも正直なところですね。
男の場合はどこをどうしたって結局は性器に意識が集中し、その上射精しちゃえば賢者タイム発動ですから、引き出しが少なすぎますやんね......。


などと真面目に読むこともできますが、しかしロマンポルノよろしく一章ごとに必ず濡れ場を入れなきゃいけない構成(初出が雑誌連載の作品だからでしょう)のため、内容の半分くらいはエロいシーン。さすがにこうも続くと食傷してしまい、濡れ場を削って分量を減らしてほしかったと思ってしまうのもまた正直なところではあり......。


そして、SF百合ミステリだのとのたまってはいるものの、ミステリとしてはまぁ適当。
「女性に男性器が生え、一度射精すると消えるが寝るとまた生えてくる」という設定ながら、それを『七回死んだ男』とかみたいにパズラーとして唸ってしまうような使い方をするなんてこともなく。正直もう事件の謎とかどうでもいいよと思ってきてる終盤に至って、しかし予想以上にどうでもいい真相だったり。あげく説明しきれずに「心の闇」みたいに投げ出す始末だったりなど。
まぁお世辞にもミステリとして面白いとは言えず、これならいっそ最初から事件とかなくしてただのエロ小説ですという顔をしててくれればこっちもそのつもりで読めたものを......とか思っちゃうのもまあ正直なところではありまして......。


まぁとはいえ、ジェンダーとセックスについてひとつ勉強になる内容ではあり、面白かったとは言いづらいものの読んで損はしなかった作品だとは断言できます。
あと、倉阪鬼一郎など実在の作家たちが登場するのも笑える。倉阪鬼一郎の著者近影を見ながら読みたいですね。あの人の著者近影もギャグなんだよなぁ......。