偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

法月綸太郎『パズル崩壊』読書感想文


法月探偵が出てこない初の短編というのを含む、全8編のノンシリーズ(?)短編集です。

一応、1〜3話目と4、5話はそれぞれ同じキャラクターが登場したりと、全話がまるまる関係ない話ってわけでもないんですけどね。
葛城警部が登場する最初の3話は非常にオーソドックスで切れ味の鋭いパズラーなのですが、それ以降になると雲行きが怪しくなり、明確な解決を拒む作品や、そもそもミステリーじゃない作品まで収録されていて、前半はパズルだったのがだんだん崩壊してくみたいか短編集です。
ただ、崩壊した作品(?)もそれはそれで面白く、著者の色んな面や悩める作家たる所以を垣間見ることのできる一冊でした。

以下各話の感想を。


「重ねて二つ」

ホテルの一室で発見されたのは、切断された女の上半身と男の下半身を繋ぎ合わせた異形の屍体。容疑者は部屋で昏倒していた女の夫の映画監督。しかし、張り込みをしていた週刊誌記者は、部屋から屍体のもう半分ずつが搬出された様子はなかったと語り......。


島田荘司によるアンソロジー『奇想の風景』に所収された一編。
アンソロジーのテーマに相応しい、見世物小屋みたいな出来損ないのアンドロギュノスの屍体という"奇想の風景"にまずは心惹かれます。
ただ、雰囲気としてはおどろおどろしさは一切なく、この強烈な奇想の風景すら冷笑するような渇いた文体がこれまた素敵。
正直なところ、謎の不可能性が高すぎて逆にトリックは見えやすくなっているきらいはありますが、それでもパズルの解答としてはとても美しいトリックだと思います。
しかし、最後に葛城警部が言い放つセリフが本格ミステリというもの自体への自己批判のようで妙に印象に残ります。





「懐中電灯」

窃盗常習犯の片桐は、横領をした信金職員と手を組んでATMを襲撃する。その後、共犯者を始末した片桐だったが、現場には懐中電灯の単一電池が置き忘れられていた。
あれから1年......。


密室の次は倒叙モノ。
前半は主人公が重犯罪に手を染めていく様が描かれます。共犯者が馬鹿なせいもあって、主人公はそこそこクレバーに見えるし彼の犯罪に瑕疵はほとんど見当たりません......。
しかし、タイトルで「懐中電灯」と明記されているので、一点だけ気にかかる点があり、しかしそれがどう繋がるか分からないまま後半へ。
そして、後半ではあの人は今みたいな感じで大金を手にした主人公が破滅するまでの無常を描いていてこれも面白いです。前半の引っ掛かりが因果応報の運命のように回収され、渇いたラストの一言が倒叙ものらしい余韻を残します。





「黒のマリア」

深夜の警視庁に訪れた黒い服の女は、先日の美術商の事務所で起きた殺人事件について話があると葛城警部に切り出した。
その事件とは、3つの密室で2人の男が殺され、1人の女が監禁されるという異様なもので......。


ローカルなテレビ局で綾辻有栖川法月三氏が原作を書き下ろしたミステリードラマ、みたいな企画があったらしく(気になる)、その原作をノベライズしたのが本作です。
そのドラマとどの程度同じでどの程度違うのかは知りませんが、たしかに映像でも面白そうな作品だと思います。
夜中に訪れた女ってのがもう完全に怪談で、不穏なんだけど、どこか場違いな感じのユーモラスさもありつつで話は進んでいきます。
事件の内容自体も三つの密室というミステリ心を唆るもの。トリックは派手ではないもののバカミスっぽくて好きです。
そして、ラストがまたなんともオシャレよね。しかし法月作品っぽくない気がしたし映像映えしそうだと思ったら、これはノベライズでの変更点らしくて驚きました。ドラマならでは!と思ったのに......。





トランスミッション

作家の主人公の元へかかってきた、誘拐犯からの間違い電話。とっさに誘拐された子供の父親のふりをしてしまった彼は、そのまま誘拐犯を装って本物の子供の家に電話をするという中継役をすることになってしまい......。


さて、こっから崩壊し始めますよ......。
もう、これ、ほんとに、何だったんだろう......。でも嫌いになれない不思議な魅力がある気がしなくもない。
冒頭の、主人公がやらかすところなんかは笑っちゃうし、サブカルの教養をひけらかす感じもにやにやしちゃいますね。
からの、どんどん話が動いていく展開もいいんだけど......なんでラストそうなんねん!?みたいな。でも何だったのか分かんないけど、なんかイイハナシダナーという感じはあるのが笑っちゃいますよね。うん、イイハナシダナー以外の感想を持つことが不能であります。





「シャドウ・プレイ」

作家の友人からかかってきた、主人公への夜中の迷惑電話。友人はドッペルゲンガーが題材の新作のアイデアを語り出し......。


前話の主人公が鬱陶しい友人役として再登場し、タイトルもまたジョイ・ディヴィジョンから取ってる、この短編自体も前話のドッペルゲンガーみたいな作品なのかもしれません。
とはいえ前話の解決をここでするとかはもちろんなくて、話自体はそれぞれ単体で読めるものです。

で、これはまぁ「アリバイ」がテーマのアンソロジーに書いた作品らしいんですけど、真っ当なアリバイものではなく......。
アリバイものの短編を書こうとして、その内容について主人公に電話してきた友人、という設定から始まる、ミステリ作家の舞台裏みたいなお話(?)。
法月流のしょうもないジョークを交えながらの電話での掛け合いがとにかく面白いです。作中現実と作中作の話がごっちゃになるあたりなんか、らしいですよね。
で、作中作自体はなかなかしみじみとした余韻が残りそうな話に仕上がるのですが、その外側を見ているだけにその余韻に苦笑してしまうという独特の読後感がまた素敵。
ミステリとしてのネタはあってないようなものですが、ミステリ作家コメディとして楽しめるお話でした。





ロス・マクドナルドは黄色い部屋の夢を見るか?」

私立探偵のリュウ・アーチャーは、行方不明になったアリスという少女を捜索する依頼を受け、麻薬中毒のSF作家フィリップ・デッカードの家を訪れるが......。


ロスマク、リュウ・アーチャー、名前だけはなんとか聞いたことがあります。P・K・ディックはまさに本作のタイトルの元ネタである『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だけは読んだことがあり、『ブレードランナー』も見たことはありますが......。
しかし、そんなレベルなので元ネタが分からないのが惜しいところ。これ、オチのアレを元から知ってたらさぞかし大爆笑なんでしょうね......。ロスマクvsディックというのにもいまいち胸キュンできなかったし......。

とはいえ、元ネタ知らなくても楽しめる作品ではありました。
いかにも海外のバードボイルドものの翻訳みたいな文体(といっても海外もの読まないからイメージですが)がおしゃれ。
ラリパッパの巣窟の描写も『トレインスポッティング』とかの雰囲気があって良いですね。
事件の真相にしても、現実的な部分はいかにも海外ミステリにありそうなドロドロしたお話で好みでした。

で、最後のアレですよね。
バカミス、と呼んでも良いような気はしますが、いわゆる大胆なトリックで驚かせてくれるタイプのバカミスではなく、もうちょい観念的な"バカ"でありまして、そこにはどこか哲学的なニュアンスさえ感じられます。
著者はあとがきで「ふざけて書いたわけじゃない」みたいなことを言ってますが、確かに、バカなネタではありながら読んだ時には妙に納得しちゃうというか、探偵という存在、ひいては人間存在をミステリの文脈で鋭く抉った文学作品としてすぅ〜っと入ってくるんですね。
いや、冷静に考えたらあの光景はバカそのものですがw
てな具合に、まあぁ〜〜これもふつうのミステリとしては崩壊している作品ながら、ハードボイルドな文体で本格っぽい事件が起こったと思えば純文学になるという見所の多い傑作でした。





「カット・アウト」


日本の前衛美術の一時代を築いた桐生と篠田という2人の画家。しかし、桐生は過去のとある事件をきっかけに海外へ姿を消した。
そして15年。篠田の元へ、桐生の訃報が届き......。


本書中でも一番長く、ボーナストラックを除けばトリを飾る短編。
前衛美術に関する論文のようでいて、青春と恋愛の文学でもあり、ミステリ的な意外性もあって、なおかつ(ネタバレ→)原爆の被害を描いてもいる、非常に濃度の高い作品です。
美術に関してはズブズブの無知なので何も語れることはありませんが、ドラマ性としては、法月作品の中でも、『頼子』『一の悲劇』『再び赤い悪夢』あたりの暗澹としたエモさが好きな人には堪らない作品だと思います。
アーティストらしく激しい若かりし頃の青春模様と、それを引きずりながらもそこから遠ざかってしまった今の自分......という対比が青春ゾンビおじさん見習いとしては刺さりました。
そして、ラストはあれはずるい。盛りだくさんな要素が全てあそこに収束する様は、ミステリとしても小説としても綺麗で、本書のトリを飾るに相応しい傑作です。

パズル(オーソドックスな本格ミステリ)としてはだんだん崩壊していきながらも、お話としてはだんだん面白くなっていく良い短編集でした。





「......GALLONS OF RUBBING ALCOHOL FLOW THROUGH THE STRIP」

バーで時間を潰していた綸太郎は酷く酔っ払った男に出会い......。


ボーナストラックであり、唯一、法月綸太郎探偵が登場するお話。
書かれることがなかった長編の冒頭部分らしくて、これだけでは話は全く完結していないんですが、まぁ短いから「こんな書きかけ載せやがって!」と怒るほどのこともなく読めちゃいました。
編集者にダメ出しされたキャラクターの法月綸太郎がバーで凹むというところが、そのまま著者の方の法月綸太郎の悩みを投影しているようで。
そして、そのダメ出しの内容が、(あとがきにもあるように)法月綸太郎というキャラクターの登場しない初の短編集である本書の成立経緯にもなっているというところで、まさに"ボーナストラック"という呼び方がぴったり。
著者がクリスマスか何かに麻耶雄嵩のところに「死にたい」って電話してきた話とか思い出してしんみりしましたよ......。元気になってくれてよかった......。

ちなみにこの綸太郎が出会う男の名前、めちゃくちゃ既視感あるというか、いかにも小説に出てきそうな名前ですよね。

上田早夕里『魚舟・獣舟』読書感想文

普段ほとんどSFって読まないんですけど、これはなんだかあまりにもツイッターとかでの評判がよろしかったものですからつい買ってしまったのですが、たしかに面白かったです。

魚舟・獣舟 (光文社文庫)

魚舟・獣舟 (光文社文庫)


本書は5編の短めの短編と、「小鳥の墓」という中編1本を収めた短編集?です。

短編の方は大半がアンソロジー異形コレクション』に収められた作品であり、SFであるとともにホラーの要素も色濃く、初出アンソロジーのテーマを知ってから読むとまたテーマへのアプローチの仕方とかも面白く読むことができました。
そして、そうしたSFホラー的な世界観でありながら、芯の部分は人間ドラマなあたりも、普段SF読まないマンにも読みやすかった一因かなと思います。

以下各話少しずつ感想を。





「魚舟・獣舟」

現代社会崩壊後の、陸の大半が水没して海ばっかになっちゃった世界のお話。

とにかく設定の面白さが凄まじいです。
未来の世界のハイテクと文明社会が崩壊した後の原始的な世界というのが混在してる世界観。
そして、魚舟・獣舟というモチーフは奇怪にして異形にして悲哀。進化SFともバイオホラーとも言える一方で文学的なメタファーのようにも取れるその存在感。こいつを考え出した時点で半分勝ちみたいなもので、こいつを人間ドラマに組み込んだ時点でほぼ勝ちで、さらにあのおぞましいオチに至って完全に圧勝、みたいな、短いのに強すぎる短編です。
いや、あの期に及んであんなオチなんてずるいっしょ......。





「くさびらの道」

西日本で菌類による死にいたる伝染病が蔓延。汚染された地区ではこの病による死者の幽霊が出ると噂される。両親と妹を失った主人公は、妹の婚約者とともに隔離地区にある実家を訪れ......というお話。


これが凄い!良い!良い......。
パンデミックなパニックホラーみたいな設定ではありながら、あくまで上のあらすじに書いたことしか起こりません。そのため、壮大さは皆無どころか"隔離地区"というのも彼らの心の内面の比喩であるようにすら見える、哲学的な物語です。
そのためホラーとしての主眼になるのも感染の恐怖ではなく、"幽霊"の存在。初出の異形コレクションのテーマが「心霊理論」ということもあって、幽霊に関する一つの論考のようにも読むことが出来ます。
また、終盤の展開とラスト一行は本作が何より痛切なラブストーリー......それは恋愛だけではなく広い意味での......であることを教えてくれます。
読後にタイトルを見返すとまた一層余韻の残る名作でした。





「饗応」

出張でいつものホテルに泊まった男が、その日案内された"別館"とは......?


こちらは星新一没後10年を記念するショートショート特集の『異形コレクション』に収録された作品。
無機質な日常から始まり、豪華な饗応を楽しんだ後には......と、短い中で二転三転していく物語が面白く、星新一っぽい味わいに、しかし本書のこれまでの短編たちにも通じるSFの形を借りた叙情も盛り込まれた贅沢な逸品でした。





「真朱の街」

人間と妖怪が共生する街"真朱街"。とある事情から連れていた五歳の少女を妖怪に攫われた邦雄は、"探し屋"の百目に捜索を依頼するが......。


異形コレクションのテーマは「未来妖怪」。
ここまでそのテーマにとても忠実に従っていた著者だけに、この短編も、妖怪と人間が"特区"で共生する未来世界という愚直なまでにそのままな設定から物語を広げていきます。
後に「妖怪探偵・百目」としてシリーズ化されるだけあって、ライトなキャラ文芸にハードボイルド味を加えたような作風。正直なところキャラを押し出してくる作品は苦手なので最初のうちこそノレなかったものの、この設定を使って人間存在の哀しみを描いたドラマ要素の濃さはもちろん本作にも共通していたので、結局は面白かったです。
さまざまな要素をここまで短い分量でまとめ上げてみせるプロの技の凄さは本書でも随一。





ブルーグラス

音を吸って成長する観賞用オブジェ"ブルーグラス"。かつての恋人と育てたブルーグラスを沈めた海が近いうちに立入禁止区域に指定されることを知った伸雄は、再びあの海に潜りに行き......。


これは異形コレクションではないやつ。
なので、ホラー要素は皆無。さらにはSF要素もモチーフとなる"ブルーグラス"くらいしかないという、ほぼほぼ普通の恋愛小説です。
SF短編集に対してこんなことを言うのもどうかと思いますが、個人的にはこれが一番分かりやすくて好きでした。なんせ、この話は完全に個人の感傷を描いたものなのでそりゃ分かりやすい。
よく男の恋愛はバックナンバーなんて言いますが、その通りですよね。
今もう一度どうこうなりたいとかじゃなくて、ただバックナンバーを読み返して懐かしい気持ちになるというだけの、それだけの話だからこそ、めちゃくちゃわかりみが強いです。
で、そんな過去の恋の想い出に絡んでくるのが「ブルーグラス」。本作で唯一のSF的設定であるところのブルーグラスの使い方には驚かされました。あまりに美しく、しかし残酷な、というかその美しさこそが残酷とでも言うべき名場面ですね。
しかし、主人公に今現在愛すべき人がいることで、全ては過去の甘い感傷として爽やかに終わるのも素敵です。
やっぱり、恋は特別で、愛は大切なのです。





「小鳥の墓」

女を殺して回る殺人鬼の男。彼は思春期の頃を回想する。教育実験都市・ダブルE区に住んでいた彼は、同級生の勝原とともにダブルE区の"壁"の外へ出て非行を繰り返していたが......。


さて、本書の半分ほどを占めるのがこの中編。
ディストピアSFな設定自体の面白さ。悪友と共に逸脱していくという青春小説の要素と、しかし主人公の達観した感じからはハードボイルド風味もあり、家族崩壊ドラマでもあり、善悪とか好奇心とかいう哲学的なテーマも含んだ、非常に盛りだくさんな内容。
ただ、主軸は「主人公がいかにして殺人鬼になったか」というところにあり、そこに至るまでの心理描写が最大の見所でしょう。
ここがしっかりしてるから、主人公が殺人鬼になることにもどこか共感めいた気持ちを抱いてしまうのが恐ろしいところ。
また、終盤ではミステリー的な意外性もあり、これはまぁ分かりやすいっちゃ分かりやすいものではありますが、しかし(主人公にとっては)まさに世界が反転するような衝撃でありまして、この辺の揺さぶり方も見事です。

正直なところ、個人的にはこの中編より前の方に収録されてたワンアイデアを短いページ数で鋭く見せた短編群の方が好きだったりしますが、しかし本作が読み応えでは当然に抜群。最後にこれが入ってることで本書全体の読後感としても壮大な(それでいて内省的でもある)ものになってると思います。

ともあれ、一冊通して良作傑作揃いの名短編集でした。このくらいのSFがちょうどいいや。

西澤保彦『死者は黄泉が得る』読書感想文

たしか去年あたりに「今年は西澤保彦を読むぜ」と息巻いたものの実は3冊くらいしか読んでなかったので、今年こそはマジで西澤保彦を読むぜ!......というものまぁアテにならないけど、気が向いてるうちは......。


蘇生装置と記憶改竄装置を使って仲間を増やしている生ける屍の"ファミリー"。ある時、彼女らのアジトにクリスティンという女性がやってきた。彼女も仲間に加えようとするファミリーだったが、"私"はクリスティンに生前の記憶を刺激され......。(死後)

クリスティンの結婚を祝うための同窓会に集まった、マーカス、ジュディ、タッド、スタンリーの5人。その夜、クリスティンの弟が何者かに殺害される。さらに、事件は続いて、彼らを巻き込んで行き......。(生前)





というわけで、(特に初期の)西澤保彦お家芸であるSF(特殊設定)ミステリ長編です。

死者の復活という設定は魅力的な反面、山口雅也『生ける屍の死』という強すぎる先例があるために比較されやすくもあるかと思います。
しかし、本作では死者の復活というのが実はサイドストーリーのような位置付け。本筋は「生前」の章で起きる連続殺人事件、および、学生時代の友人同士の間で繰り広げられる遅れてきた青春恋愛ドラマの方になります。
そのため、設定を駆使したミステリとしてのトリッキーさは「死後」の章が、西澤保彦のもう一つの顔であるエグい青春ものの要素は「生前」の章がそれぞれ担うという棲み分けがされていて、それが最後にクロスオーバーすることで二つの味の融合が楽しめる......という、なかなかの力作なのです。



良かった点から。
まずはなんといっても設定を駆使したあのトリック。ネタ自体というよりも、設定の使い方とミスリードの仕方が巧妙でコロッとやられてしまいました。最近こういうトリックもののミステリを読んでなかったので久しぶりにあっと驚きましたわ。

また、トリックだけじゃなく、ちゃんと読ませるストーリー展開になってるのも良いですね。
最初の方は2つのパートの関連が気になって、中盤はキャラクターたちの情念に引っ張られて、そしてクライマックスはとにかくサスペンス性の高い怒涛の展開、ラストは怒涛の推理で、、、という具合に、常に一気読みさせるための装置が仕掛けられていて、しかもどんどん加速していくっていう話の流れがお見事なのです。

そして、私にはやっぱりこのドロドロした恋愛描写が堪らんかったですわ。『黄金色の祈り』とかにも通じる、自意識とか性欲とか純愛とかがごちゃまぜになった醜くも共感してしまう恋模様。群像劇の形でそれぞれの恋がそれぞれに色々と歪んでるっていう贅沢(?)なグロ・エモーションが最高ですやんね。
なんだろう、私自身は別にそんな酷い恋愛をしてきたわけじゃないのに、何故だかこういう話がしっくりくるんですよねぇ。こういう最悪な女に「死ねやオラァ!」と思いながら読むのが楽しい(苦しい)のはなんでなんでしょう?



......まぁとりあえず個人的にはその辺りが良ければ全てよしという気がしますが、一応批判的なことも少し書いておくと、ラストがあまりにも意味が分からなかったですね。
最初はなにか深い意味があるのかと思いましたが、著者自身もあの点は失敗だったみたいにあとがきに書いてるので、どうやら意外性を追求するあまり空回りしただけっぽくも感じられますが、しかし一点の心理的な謎さえなければあのエピローグは完璧に美しいのもまた事実でありまして......。

その一点の謎については、私の頭ではどう考えてもしっくりくる回答を捻り出せなかったのですが、一応自分なりの考えを以下にネタバレで置いときます。





































というわけで、ラストのワンセンテンスの、私=ジュディという驚愕にして唐突の真相こそが、本書の1番の謎でありました。

いや、彼女がジュディであること自体は、インタールードの描写(墓を掘って復活させられたのがジュディ?)や、スザンヌ=ミシェルというところから納得はいくのですが、それならどうしてクリスティンはジュディのことをミシェルと呼んだのか?というのが、この謎の本質になります。

なぜ、クリスティンは、ジュディに対してミシェルと呼びかけながら復讐を行なったのか。

おそらく、そこにはスタンリーの存在がちょっと絡んでくるのだと思います。
クリスティンはスタンリーと不倫をしていました。しかし、スタンリーは本当はジュディを愛していました。
クリスティンにはそれが許せなかったのではないでしょうか。

というのも、別にクリスティンがスタンリーを愛していたということではなく、美しい自分の引き立て役に過ぎない子供っぽいジュディ("お嬢さん"と呼ばれるくらいですから、子供っぽい見た目なのでしょう)なんかが自分の所有物であるスタンリーのハートを射止めてるのが許せないという逆恨み的なアレ。
そして、あまつさえそんな許せないジュディが永遠の若さを保ったまま生ける屍として生き続けていた。当時は子供っぽいとバカにしていたジュディの容姿も、おばさんになった自分には嫉妬の対象でしかなくなったのでしょう。

......というような経緯でクリスティンはジュディに復讐しようとするのですが、一方で、自分のものであるスタンリーの心を奪ったジュディはクリスティンにとって存在してはいけない罪悪であった。あるいは、自分がそんな嫉妬からジュディに復讐しているのだということを(ジュディが記憶を失っているにしても)隠しておきたかった......?
とかそういう理由で、クリスティンは一見自分が復讐する理由のありそうなミシェルの名をいてはいけないジュディにあてがった上で、自分の中だけでは昔っからほんとにイライラさせられ(文庫p.353)ていたジュディに復讐することにした........................


というのが一応の私の解釈というところになりますが、まぁこれも「そう言うなら言えるよね」くらいのもので、作者の中で用意された答えはなんなのか?そもそもそんなものがあるのか?というのは藪の中......。
しかし私の想像力ではこれが限界ですのでメモとしてここに残しておきます。



ちなみに、記憶を失ってもなおバグとして残ったジュディのマーカスへの気持ちと、お互いに記憶を失うことで現世では果たされることのなかった二人だけの世界へ旅立って行きました......というラストは、恋愛小説としてあまりにも美しすぎやしませんか?
細かいツッコミどころなんかもう気にならないくらいに素晴らしい。

エンジェル、見えない恋人

ルイーズという女性は精神病院の中で息子のエンジェルを出産するが、彼は先天性の透明人間だった。思春期になったエンジェルは、マドレーヌという盲目の少女と恋に落ちるが......。

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これはよかった!
主人公視点の青春ラブストーリーなのですが、なんせ主人公が透明人間って設定が上手い!

まず、恐らくかなり低予算だと思うのですが、透明人間視点のPOV(厳密には違うけどそれに近い)っていうエロビデオみたいなギミックが入ってくることによって映像に独特の味わいがあります。
そして、透明人間の彼が盲目の少女と恋をするという運命の人感。透明だから当然ふつうの世間には出ていけないわけなので、完全に僕と君だけの世界。完全なるふたりぼっち。
でも画面の中に出てくるのはあくまでマドレーヌちゃんだけなので、これはもう観客と美少女がふたりだけの世界を旅できる究極の妄想映画なわけです!

本作は79分と短い作品ですが、作中ではかなり長い時間が描かれています。そのため、ヒロインも幼少期、少女期、オトナ期で3人の役者さんが演じていまして、これがまた全員めっちゃ可愛い上にちゃんと同じ人が成長していってる感じに見える、なんとなく似た雰囲気があるんですね。
特に幼少期はまるっきり人間とは思えない美しさで、向こうの可愛い子供ってほんとに天使そのものですなぁとびっくりしちゃいました。
比べると大人になったマドレーヌはかなり肌がアレしてきたりするわけですが、「肌は日本人のが綺麗やな」とか思いつつも不思議とそれがとてもエロチックに見えます。
で、透明人間視点映像でほぼヒロインしか画面に出てこないだけに、女の子の撮り方のうまさが真っ直ぐに男心を射抜きます。
うまさ、といっても、なんというかこう、素人臭さもかなりあるんですけどそれだけに生々しい魅力が伝わってくるというか。大作の映画を見るときの自分と距離がある感じじゃなくて、本当に自分がマドレーヌちゃんに恋をしてるいる感覚まで想起させるような適度な安っぽさも含めて上手い、という感じですかね。
とにかく、私はこの79分の間、たしかに彼女に恋をしていたのです......。

(あと、主人公のママ役がエリナ・レーヴェンソンなのにもびっくり。童顔のままおばさんになったアンバランスさがこのママの役柄に似合ってるのと同時に、若い頃に私を魅了したおっぱいは未だに健在でこれまたびっくり)


しっかし、私はこの映画、てっきりベルギー版『小さな恋のメロディ』みたいな清純な青春ラブストーリーたと思ってたのですが、それは誤解でしたね。

前半はまだ幼少期だからそんな直接的にヤバいことにはならないのですが、それでも目の見えない少女が警察犬も裸足で逃げ出すほどの抜群の嗅覚を駆使して少年を探すというふたりだけの隠れんぼには、性が目覚める前だけど、それに無邪気に近づいてしまっているような禁忌感があり、「あなたの匂いが好き」みたいなところではもう、ひぇ〜っ!と思いましたね。

そしたらそしたら、後半の方ではもうどうしたって「これ、エロビデオで見たことあるよ!」と叫びたくなっちゃうド変態プレイには思わずおいらのエンジェルも黒い悪魔に変わりましたよ。言わせんなよ///

ところがどっこい、それでもここは誰も触れないふたりだけの国ですからね。
こんな恐るべき変態プレイすらも純愛にしかならない。なんせ誰もいないから君しかいないわけで、君しかいないならこれはもうまさに最の高な純の愛ですやんな。

で、この変態プレイのシーンの......いや、いつまで変態の話するんだって感じだけど、もう少しだけ......このシーンのおっぱいがまたもの凄まじい。どうやって撮ってるのか知らないけど、透明な手に揉まれたおっぱいがひとりでにむにむになる映像の衝撃っすよね。これを見れただけでもおっぱい好きで良かったと思いますよ。おっぱい冥利につきますね。


また、ストーリーの展開も見事。
言ってしまえば見事なまでにありきたりとも言えるでしょうが、運命の出会い→中盤で垂れ込める暗雲→最大のピンチからの......ってな具合に、こういう映画のフォーマットにきちんと沿っていく。
演出にしてもそうですが、徹頭徹尾どこかで見たような既視感がある映画ではあるんですね。でも、それが観客に疑似体験できる形で描かれることで、「そうそう青春時代にこれをやりたかってん!」という一種のあるある体験装置みたいな楽しさがあるわけですよ。
で、それに浸っていたい、「(美少女との)純愛」というファンタジーを見たいと思うからこそ、見えないはずのエンジェルの姿がたしかに見えてくる、そんな観客の心理までを見事に利用した参加型純愛ラブストーリーになってるんです。

そう、はっきり言って純愛なんてものは存在しないわけですよ。
それはもうドラゴンとか勇者の剣とか僕のことを大好き過ぎる僕だけの橋本ありなくらいなファンタジーなんですけど、だからこそここまでしてそれを見せてくれる本作のことを私は嫌いになんてなれないんです。



ちなみに、透明人間がテーマのラブストーリーといえば、浦賀和宏『透明人間』ももの凄まじい傑作なのでついでに宣伝させてください。

牧薩次『郷愁という名の密室』読書感想文

辻真先の変名で、本格ミステリ大賞を受賞した『完全恋愛』でおなじみの牧薩次。

本作は彼の2作目の長編にして今のところの最新作。平成も終わったことですし、牧氏には平成版『完全恋愛』みたいなのも書いて欲しいところですよね。

郷愁という名の密室 (小学館文庫)

郷愁という名の密室 (小学館文庫)

漫画家志望の介護師・鼎はひょんなことから介護していた老婆を殺してしまう。
ヤケを起こして雪山へ自殺しにいった彼は、しかしそこで事故に遭い、目が覚めるととある温泉旅館で高校時代に好きだった後輩に介抱されていた。ここは死に際の夢の世界なのか?
......そして、その夜、旅館で密室殺人事件が起こり......。



というわけで、牧薩次氏第2作なのですが、正直言ってこれはいまいちでした......。

まず、最初に1つ書いておかなければならないのが、本作を前作『完全恋愛』の期待値で読んではいけない、ということ。
本作も前作も「郷愁ミステリ」とでも呼ぶべき内容であることは同じですが、わりとシリアス調で昭和史と1人の男の生涯を総ざらいする壮大さと三つの不可能犯罪というミステリとしての濃さを持っていた前作に比べると、本作は全てにおいて小粒なのです。
描かれるのは35歳の小市民の現状と初恋の思い出。被害者は多いものの事件はひとまとまりのもので不可能性もそこまで。

また、夢の中の事件(?)という形式を取っているためしょうがないところもあるのですが、話があちこちに飛んで分かりづらかったです。文章自体はさすがに読みやすくユーモラスだつたのですが、それでさらさらと読み進めていくと「あれ、今何が起きてるんだっけ?」みたいに道に迷ってしまうという。なんせ設定自体がちょっとふわふわしてるものなのに、展開までふわふわしてるわけですから......。

また、ミステリ部分も捻った設定の割にはオーソドックスにすぎる気がしてしまいました。中盤で起こるある出来事を推理に組み込むあたりは特殊設定の利用法として面白いけど、それだけではちょいインパクト弱め。
オチも郷愁という言葉のイメージのおかげで美しくはなっているんですけど、ちょっとざっくりしすぎてて、もうちょい説明があるか、いっそなんの説明もないかの方が個人的には良かったかなぁと思ってしまいます。

恋愛パートにしても、初恋をそのまま引きずってるような軽さが目立って(それはそれでライトなラブコメとしてはいいのかもしれませんが)、主人公についに感情移入できぬままにあの美しいラストシーンまで読み進めてしまったので、風景としては美しいけど心情的にはそんなにっていうテンションの乖離が起きてしまったのでした......。

まぁ、そんなわけで前作が良すぎたから比べるのも酷というものですが、それにしてもあまりハマれませんでしたね。
とはいえ、上にも書いたようにハナからライトなラブコメなんちゃってSFミステリーくらいのつもりで読めばなかなか楽しめるであろう作品ではありました。

スピッツ『とげまる』今更感想

はい、スピッツ全作感想シリーズ第3回。
今回は、記念すべき、私が初めてリアタイで新作で自分のお金で買ったスピッツのアルバムである『とげまる』です!

とげまる

とげまる

初めて聴いたオリジナルアルバムは『さざなみ』、初めて(中古200円で)買ったのは『ハヤブサ』ですが、やっぱり当時高校1年生・お小遣い月5000円くらいの身分でアルバム1枚買うのはなかなか大きなお買い物。
しかも、当時はちょうどスピッツの既発のアルバムを揃え終わったあたりの一番スピッツ熱が高かった時期だけに、もう、発売前は人生で一番の「待ち遠しい」という感情だった気がしますね。
ちょうどこのアルバムはタイアップ曲が多かったり、発売前にCD屋で全曲ちょびっと試聴企画をやってたりしてましたからね。テレビから「ランチパック!」という声が聞こえた瞬間振り向いたり(「えにし」がタイアップ)、休みの日に電車で都会のCD屋に行って1時間くらい試聴したり(迷惑)してましたね。

初っ端からどうでもいい自分語り失礼しましたが、友達のいなかった高校時代の私にとって唯一の救い、いや信仰だったのがスピッツであり、その象徴がタイミング的にこのアルバムだったので思い入れが強いんですね。

......とは言いつつ、その当時めちゃくちゃ聴きすぎたせいで最近はむしろほとんど聴かなくなったアルバムでもあります......。
というのも、本作はCDより配信の時代が訪れつつある中で、アルバムとしてのまとまりよりも一曲一曲を主役にしようとして作ったアルバムなのでありまして。だから、全曲主力級であるのと同時に、通しで聴くとちょっと圧が強すぎて気後れしてしまう、いわばベストアルバムに近い聴き心地のアルバムな訳です。

とはいえ、その分一曲一曲に関してはまさに全曲シングルみたいなキャッチーさ。ディープなファンにはやや物足りなくとも、スピッツにハマり始めたくらいの人にオススメするにはちょうどいいアルバムですし、このアルバムで何が好きかで次に勧めるアルバムも変わってきそうな、布教にはちょうどいい1枚と言えそうです。

また、タイトルは丸い中にもトゲがあるというスピッツ自身を言い表した造語です。
この作品以降、『小さな生き物』『醒めない』と、スピッツ自身を言い換えたり、バンドの状態を表すセルフタイトル的なアルバムが増えたのもあって、個人的にはここからがスピッツの第4シーズンだと思ってます。第1〜3シーズンについてはいずれ......。

そして、アートワークもキャッチーなかわいさ!写真家のかくたみほさんが本作収録のシングルたちに引き続いてジャケ写を担当。日暮れの中でローソクたいて真っ直ぐ立ってる女の子の、闇が訪れる中でも希望を捨てないような温かみのあるジャケットで素敵です!

では、以下で全曲それぞれちょっとずつ。




1.ビギナー

アルバムの中からタイアップもついたことでいち早く先行配信され、その後シロクマと両A面シングル化もされた、いろんな意味で本作の切り込み隊長的1曲目。

力強いバンドサウンドのイントロで幕を開け、Aメロ1発目は歌詞を味わわせるように演奏はピアノ主体でマサムネの声の美しく澄んだ響きを聴かせ、そこからまた骨太バンドサウンドへと、アルバム1曲目らしい、でもスピッツとしてはちょっと珍しいドラマチックなオープニングになってます。

未来からの無邪気なメッセージ 少なくなったな

と、冒頭で秩序のない現代にドロップキックをかましておいてからの、

だけど追いかける 君に届くまで

と歌い上げる、ストレートな応援ソングになっててびっくり。ビギナーのまま、という言い回しからも、おっさんになっても初心忘るべからずみたいな、「まだまだ醒めないままで」みたいな、そんな力強さが感じられます。

そう、力強い。
初めてこの曲を聴いた時はまだ高校生だったので、こういう曲が沁みるということもそんなになく「メロディ綺麗やな〜(鼻ほじほじ)」みたいな聴き方してましたが、自分もついにおっさんへの道を歩み始めた今聴くとなかなか沁みますね。
そしてたぶんもっとおっさんになればもっと沁みてくるんでしょう。
私なんかは恥の多い生涯を送ってますが、せめて気持ちくらいはこの曲に恥じない歳の取り方をしたいもんです......。




2.探検隊

からの、アップテンポで軽快でちょっとダークな雰囲気のロックチューンです。
この曲はスピッツのセルフプロデュースらしいです。そのせいなのか、なかなか変な歌。
全体にリズム隊のフィーチャーされた音になっているので、探検に出かける前の高揚感と、少しの不穏さがあってタイトルにぴったり。
また、メロディはAメロがキャッチーなのにサビで音が下がって単調な(「リコリス」的な)感じになるのが面白いです。

歌詞の内容は探検について歌ったシンプルなものですが、その"探検"が何を指すのかはいろんな考え方ができそう。

アルバムのこの位置にあるので、通しで聴くならスピッツという探検隊がこれからとげまるという大冒険に出発するぜ!という開会宣言のように聞こえます。
でも、単体で聞くと、もしかしてこれエロい歌じゃね?という気もしてしまうのがスピッツクオリティ。
ただ、探検というのがとげまるにしろセックスにしろその不思議さとワクワクに満ちたステキな2曲目です。




3.シロクマ

前述の通り「ビギナー」との両A面で先行シングルとしてリリースされた曲です。
このシングル出た時も嬉しかったなぁ。なんせジャケ写は白い車のナンバープレートが4690(シロクマ)という二重のオヤジギャグがあしらわれためちゃくちゃ可愛い写真でしたからね。あのジャケ写だけでもうテンション上がるやん。
で、これメナードのCMにタイアップも付いてたので、CMが流れるたびに「はわわ〜!」と叫んでうるさがられました(ちなみに今は朝ドラを見るたびに「はわわ〜!」です)。

イントロのギターの音からしてもうスピッツ印。ポップとロックと可愛さと優しさと愛しさと切なさと心強さとYシャツと私がこの音色にぎゅっと詰まっています。

あわただしい毎日 ここはどこだ?
すごく疲れたシロクマです

と、ファンシーな皮を被って案外社会風刺のような始まり方なのも新鮮。
そこから愛らしくも気だるい感じのAメロBメロが続き、しかしサビの「まだ飛べるかな」の高音ですぅ〜っと景色が開けていくような、下ばかり見ていたけどふと空を見上げたような、そんな開放感がぐわーっと迫ってきます。
そして、印象的なのが、「まだ間に合うはず」「星になる少し前に」といったフレーズ。
星になるといえばもちろん死を連想させますが、この曲ではなんというか、死ぬまでにもっと大事なもののために時間を使おうぜ!みたいな、ひどく真っ当なメッセージが感じられます。
しかしそれでも説教臭くならないのはやっぱり「シロクマ」という気の抜けたモチーフのおかげでしょう。
高校生の時に初めて聴いた時もじーんと来ましたが、すごく疲れたおっさんに成り下がった今聴くとまた一層味わい深い曲です。たぶん30歳超えたらこれ聴いて泣きだすと思う。




4.恋する凡人

この曲の項に来て思い出しましたが、このアルバムが発売される直前の時期にスピッツはアルバムリリース前ツアーみたいなことをやっていて、そのツアーで新曲を披露してお客さんの反応を見てアルバムに反映させた......みたいなことを言ってました。
この曲は、そんな時期にリリースされたシングルの「つぐみ」にライブバージョンとして先に収録され、そのあとでアルバムに入ったというスピッツ全曲でも唯一の経歴を持つ曲なのです。
ライブ版で聴いた時はやっぱりライブの勢いもあってかバリバリに疾走感のあるロックチューンでしたが、アルバム版ではその勢いはやや減った代わりにロックでありながらめちゃくちゃポップなキラーチューンとして生まれ変わりました。

歌詞の内容は、初恋の爽やかな面を凝縮したようなものですが、その中にも「おかしくなっていたのはこちら」「君みたいないい匂いの人に生まれて初めて出会って」みたいなキモさがあるのはさすが。でもそれすらも初恋の力に変えて疾走するような、もう一度言いますがキラーチューンです。
私はこれ、『小さな生き物』の時のツアーで聴いたのですが、その時席が3階だったのもあってあんまり激しく盛り上がれなかったのですが、終盤でこの曲が来た時には思わず飛び跳ねて拳を突き上げてしまいましたね。それくらいの。
そして、歌詞の末尾に

これ以上は歌詞にできない

というメタ的な歌詞があるのですが、これはこれまでのスピッツにはない新機軸というか、今にして思えば「醒めない」とかにも繋がる自己言及のはじまりだったようにも思えます。
歌詞カードで、この部分の歌詞が掠れていってるのも芸が細かくて、高校生の時に聴き込みながらそのことを発見した時にスピッツのファンでよかったとしみじみ思いましたとさ。




5.つぐみ

そんな「恋する凡人」のライブ版が収録されたシングルの表題曲がこちら。
たしかアルバムの4ヶ月前に先行リリース第一弾として出たんですよね。その日、午前中に学校が終わって、帰りにCDを買って、親の車で買い物に行く時に初めて聴いた記憶があります。意外と覚えてるものね。

さて、曲についてはというと、これはもうめちゃくちゃシンプル!
ドラムの音から入るイントロの爽やかな高揚感、一転して一度この世界の厳しさを実感するように落ちるAメロから、サビへ向かってまた明るくて温かい気持ちが羽ばたいていくかのような、スピッツらしくもあり、しかしここまでのエヴァーグリーン感はやはり今作からの新機軸にも感じられます。
歌詞の方も、頭のサビでいきなり歌われる

「愛してる」
それだけじゃ足りないけど言わなくちゃ

という、この言葉だけを他の部分で補足説明するかのようなシンプルな強さを持っています。
初めて聴いた時は高1だったので、中学生の3年間片思いをしてて、結局何もできなかった女の子のことを思って聴いていたのですが、今改めて聴くと、これは恋人に対しての歌のように聞こえますし、シンプルで余白があるからこそその時の自分を投影できる、っていうところはスピッツの魅力ですよね。
ただ、そんでもひとつこの曲に私が答えを付けるなら、これはウェディングソングにぴったしだと思います。自分が結婚することがもし万が一あればこれを使いたい。
(でもindigo la Endの「風詠む季節」と毛皮のマリーズの「愛のテーマ」とフジファブの「ウェディングソング」とクイーンのフラッシュゴードンのやつに入ってるウェディングソングマーチも使うんだ!!)(とかいって自分の結婚式や葬式のBGMを考える遊び楽しいですよね)。

話が逸れましたが、最後にもう1つだけ。
「愛してる」という言葉でサビが始まるのは、スピッツファンならずともかの代表曲「チェリー」を思い出しますが、当時は「強くなれる気がしたよ」とか微妙に弱気なことを言ってたのが、今では「それだけじゃ足りないけど言わなくちゃ」とまで言い放つようになった、その「ほんとに強くなったんだねぇ......」という感じがとても良いです。




6.新月

からの、こちらは捉えどころのない不思議な曲。
イントロのピアノのリフや、バックでふぉーんって鳴ってるシンセの音が静謐で幻想的で狂気的な印象を与えます。
しかし、歌詞の始まりは

正気の世界が来る

月というのは狂気の象徴で、月がないなら正気の世界なのかも知れませんが、正気の世界って言い方が狂気じみてますよね。新月という言葉にしても、月がないことをわざわざ新月という単語にすることで月の存在を感じさせるような、そんな不思議な魅力がありますね。

ただ実際のところ歌詞の内容に関してはノーコメントにしておきたいくらいよく分かってないです。
なにかこう、前向きな決意を固めた歌のようにも聞こえるけど、スピッツのこういう曲だとどうしてもその決意が「死」へ向かうようにも思えるけど、それもまたスピッツへのイメージに引きずられてる感もあるし、結局よくわかんない不思議な歌、としか言えません。
ただ、幻想シューゲイザーな空気感だけで聴いてて気持ちのいい曲ではあるし、夜に散歩しながらスピッツ聞く時はけっこうこれ流しますね。だから好きじゃないわけじゃないんです。




7.花の写真

これも先行シングルの「つぐみ」のB面だったカントリー調な一曲。スピッツには珍しい一方で、相性はそりゃまぁばっちし。
イメージとしては日曜日のお昼みたいな、多幸感もありつつ終わりを予感する切なさもある曲です。まぁ私は土日仕事だから関係ないけど。
マンドリンの音が印象的なイントロからの、Aメロの途中でリズム隊が入ってくる時の「はじまるぞ!」感が最高っすね。うん、ベースとドラムのウキウキ感と、マンドリンの音のちょっと切なげな感じのバランスですよね、この日曜日感の正体は。

で歌詞も割とそんな感じで、明るいようでいて切ない、でも後味は爽やかという、スピッツらしい魅力に溢れています。
主人公が「遠くの君」に花の写真を送る話。
最初はこれ、死別の歌なのかなと思いましたが、「泣きそうな君が笑いますように」など、君が死んでるわけではなさそうなニュアンス。
となると、なんかこう、上京した彼女との遠距離恋愛みたいなイメージが湧いてきます。
それにしては、

いつかは終わりが来ることも 認めたくないけどわかってる
大げさにはしゃいでいても 鼻がツンとくる

と、ただの遠距離恋愛にしてはシリアスすぎるのが気になりますが......。
......なんて、じっくり考えていくとこんなシンプルな歌でも迷宮に迷い込んだ気分になっちゃいますね。
まぁ、好きなように解釈すればいいんですけどね。私はどうしても、このアルバム全体に初恋のあの人の思い出がちらつくからダメですね。白状すると、この曲もまた彼女のテーマでした。




8.幻のドラゴン

この曲はですね、初めてタイトル見たときにこう思ったのをよく覚えてますよ。
スピッツ、オワタ!
こればっかりはね、初めてこのタイトル見たらあまりのダサさに絶望するやろ。

でも、実際聴いてみると、このタイトルには深い意味があった......と私は思ってます。
そう、ズバリ幻のドラゴンとは、中二病のことなのです!!
......なんですが、サビの歌詞を見ると

燃えているのは 忘れかけてた 幻のドラゴン

とあります。そう、つまりこの曲は、大人になった主人公が、君に出会ってしまったことで年甲斐もなく中学生のような熱恋に落ちてしまった歌......なのではないかと私は思います。
そうとでも考えなきゃ、このダサいタイトルに説明がつかないし、そう考えれば逆にめちゃくちゃ上手いタイトルだと思いませんか?

曲調もそんな感じで、ダサかっこいいと言いますか、気恥ずかしいくらいにストレートな力強いロックです。なんかもうクイーンとかそういうイメージの。や、洋楽をクイーンしか知らないから名前出しただけでもっと他にいるのかもしれんけど......。

ちなみにこの曲、確かスタッドレスタイヤのCMソングになってたんですが、それにはめちゃくちゃ合ってました。「ザクザク坂を登る」って、CMのために書いたとしか思えない......。




9.TRABANT

「幻のドラゴン」が明るいストレートなロックなら、こっちはダークなストレートなロック。乾いた音色のギターのイントロからしてシビれますね。
耳慣れないタイトルは、ドイツ語で「衛星」「仲間」「随伴者」の意味を持ち、ドイツで1957年に作られた車の名前でもあるみたいです(ウィキペディア参照)。

さらにウィキペディア先生を見てたら、ベルリンの壁崩壊直後に、西ドイツの新しい車と東ドイツでまだ残ってたトラバント車の間でカルチャーショックが起きた、みたいなことが書いてありました。

それを踏まえると、「古い機械も泣いている」とか「高い柵を乗り越えて」とかのワードも、時代遅れとなってしまった車やベルリンの壁を思わせるところがありますね。
また、全体にディストピアっぽい歌詞の世界観も冷戦のイメージを彷彿とさせます。
個人的には、「グッバイ、レーニン!」の最初の方の主人公と彼女のシーンの切ない美しさなんかを思い出したり。

ただ、そういう雰囲気を秘めつつも、壁崩壊の壮大なドラマとかではなくて、卑小なダメ男のラブソングになってるのがスピッツらしいところ。例えばこう、低賃金ハードワーカーが高嶺の花子さんに恋をしちゃったような歌ですよね。違うバンドからいろいろ引用してすんませんけど。
いろいろ勇ましいことも言いつつ、

最高の旅立ちを今日も夢見ている

と終わる切なさがスピッツですね。




10.聞かせてよ

激しめの曲が続いた後の箸休め的ポジションの、ほのぼのとして印象に残らない曲......と思っていましたが、今回改めて聴いたらすごくいい曲ですね。

イントロの一番最初に入ってる謎の音がだんだんと近づいてくるところはなんだか眠りからゆっくりと目覚めるような心地良さがあります。
また序盤ではゆっくりと重たい音でどんどんいってるリズム隊が、終盤に向けて少〜しずつ激しくというか、跳ねるようなリズムに変わっていくところがドラマチックです。

歌詞は、

聞かせてよ 君の声で 僕は変わるから

というタイトルのフレーズを中心にした短めのもの。「臆病なこのままじゃ影にも届かない」というフレーズもあるように、臆病な"僕"が君の声を聞いて変わろうとする様を描いたシンプルでストレートなラブソングだと思います。
なにぶんシンプルすぎてまたどうとでも解釈できそうですが、私は告白をする前の日みたいなイメージで聞いてます。
臆病な僕だけど勇気を出して言わなきゃ!君が良い返事を聞かせてくれたら僕は変われるんだ!みたいな。

そういう、決意と予感を感じさせる歌詞だから、前述した演奏がだんだんとドラマチックになる演出も映えてますよね。
これは亀田効果なのかなんなのか、最近のスピッツはなんかこう、普通に上手えよ!みたいなことが多いですよね、はい......。




11.えにし

ヤマザキ・ランチパックのCMソングだった疾走感のあるポップロックチューン。
当時はCMの最初の「ランチパック!」という声を聴くと反射的に振り向いてましたね。「シロクマ」のとこでも似たこと書いたけど、まじ当時はスピッツが世界でしたから......。

さて、この曲ですが、当時はただのストレートなラブソングだと思っていたのですが、『醒めない』以降である今聴いてみると、
「醒めない」という曲のプロローグのようにも聞こえてきます。

というのも、草野マサムネがやってるラジオ番組のタイトルが「ロック大陸漫遊記」でして、ロック大陸は「醒めない」の、漫遊記はこの「えにし」の歌詞でそれぞれ使われているワードなのです。
そこから発送を飛ばすと、「ああ、この曲はスピッツのことなのかも」と気づかされました。

しかめ面で歩いた 汚れ犬の漫遊記

説明書に書いてないやり方だけで憧れに近づいて

などなど、「犬」なんてのはまさに「スピッツ」ですし、「憧れ」というのは「醒めない」でオマージュを捧げたデヴィッド・ボウイイギー・ポップ、或いはブルーハーツなんかを連想させますよね。

からの、

伝えたい言葉があふれそうなほどあった だけど愛しくて忘れちまった
はずかしい夢見て勢いで嘘もついた そして今君に出会えて良かった

というのが、そう考えてみるとリスナーに向けて、つまり私に向けて歌われてるんだ!と遅ればせながら気づいてキュンキュンさせられてしまいます。草野マサムネおそるべし。

ちなみに、サビ直前のドラムの「ず、でん!」っていう音が、こっからサビだぜ!みたいな高揚感を煽ってくれて地味に好きです。

あと、ラスサビの「そうなんだ」の言い方がやばくないですか?あれはずるいよ......。




12.若葉

シングル・タイアップの多いアルバムですが、これもそれ。本作収録曲では確か一番古いシングルで、『櫻の園』という映画の主題歌になっていました。見てないけど。......というか、スピッツが主題歌の映画とかドラマとかって一度もちゃんと見たことないと気付いて驚きました。

イントロから、なんと一番サビ終わりまでまるまるギターとベースだけの静かな弾き語り風スタイルで進む曲。こんだけ長いことドラム不在な曲ってあんまないっすよね。
でも、だからこそバンドサウンドになるところのエモの昂り方は凄いっす。
1番から2番へのブリッジ部分のベースとドラムの入り方が最高!
さらに、間奏はなかなかの高音でエモをぶち上げ、ラスサビでガーンとぶちかまして最後はまた静かに終わるという、めっちゃ綺麗な構成。

歌詞は「君」と離れ離れになってしまった主人公が君のことを思い出しながらも前へ進んでいくという、切なくも優しいお話。
3回あるサビはいずれも「思い出せる」という単語で始まるのですが、演奏のメリハリのおかげで同じ「思い出せる」でも、1番はしみじみと「思い出せる......」、2番はもうちょいハッとするような感じの「思い出せる!」、ラスサビでは忘れないことをしっかりと決意するように「思い出せる。」みたいに聴こえ方が違ってくるんですよね。

その上で、「ひとまず鍵をかけ」といて、最後の

今 君の知らない道を歩き始める

という言葉が、これまで聴いてきた歌詞の積み重ねによってとても沁みるんですよね。
ってゆーか、ベボベの「PERFECT BLUE」とかもそうだけど、君の知らないっていう言い回しが好きなんですよあたしゃ......。




13.どんどどん

スピッツの全曲の中でも屈指の名曲感を出してきた「若葉」の後は、スピッツ全曲でも屈指の遊び心溢れるこの曲。
なんせタイトルがどんどどん。聴く前は何のことやねんと思ってましたが、聴き始めた瞬間に、「あ、どんどどんじゃん」となって爆笑しました。
ぷしーっ、どんどどん!どどどどんどどん!どどどどんどどん!どどどどんどどん!

で、Aメロはまさかのお経風ラップ(笑)声にエフェクトまでかけてガチなやつです(笑)
待ちに待ってた眠らないトゥナイト(笑)天使もシラフではつらい(笑)
なんかもう、律儀なまでにカッチリ韻を踏んでる生真面目さが愛おしいです。こんなに遊んでるのに......。

そして、サビに入ると声はクリアに、メロディも美しくなって、まさに「悩みの時が明ける」感があります。

歌詞の内容については昔はただの言葉遊びだと思っていたのですが、今読んでみるとたぶんこれエロいやつだなと分かるようになったので高校生の頃はなんと純真無垢だったのだろうと驚きました。
冒頭の歌詞がまんまエロいのと、終盤の

かわいい君が笑ってる 悩みの時が明ける
やわらかな綿の上 初めての懐かしさ

ってとことかもすごい。完全に♡♡♡♡ですよね。初めての懐かしさっていう、ユニークでいて言い得て妙な言い回しが天才。
極め付けは、「終わらないで終わらないで」ですよ。
はぁ......。いつからこんな汚れちまったんだいあたしゃ......。




14.君は太陽

終わらないでと言ってた眠らないトゥナイトもやがて終わり、アルバムラストを飾るのはピーカン明るいこの曲。
シングルとしてリリースされた時には私はまだ中学生で、ちょうどラジオにはまっていたのでカウントダウン番組とかでこの曲が流れ流のを聴いて嬉しくなってた覚えがあります。
で、ドンピシャ中学生の時分ですので私にとっての太陽はもちろん初恋の君でありまして、だからこの曲に関しては未だに思春期の甘酸っぱい恋というイメージしか持てないでいます。
だから、解釈がどうこうも今回は難しいですね。

てなわけなので、いきなり変なとこから引用しますが、

こぼれ落ちそうな 美しくない涙
だけどキラッとなるシナリオ

というフレーズに、初恋というものの全てが詰まっているような気がしてしまうのです。

中3の夏。スピッツの新曲。文化祭までの間だけがあの子に頻繁に会える最後のチャンス。
こんな良い曲を聴いておきながら、それでもそのチャンスを棒に振ったから今の私があるわけなんですけどね。

と、アルバム感想の最後の最後で、変な思い入れから曲の内容にあんま触れないという蛮行を犯してしまいましたが、個人による音楽の感想なんてこういう思い出語りも込み込みでしょ?と開き直ってこの曲については筆を置かせていただきます。





というわけで、個人的に思い入れが強く、そのため一時期は毎日のように聴いてたからむしろ最近はあんま聴かなくなったという曰く付きのアルバム『とげまる』。
改めて聴いてみると、今のタームのスピッツの始まりを告げる無敵状態の最強ポップアルバムで、キャッチーにして何度聴いてもやっぱり沁みるし楽しい曲も多いし最高ですやん(ちなみにこの調子だと全作最高って言うわ)。
スピッツビギナーにもオススメしやすい最も外向きな名盤です!



さて、次はどのアルバムのこと書こうかしら......。一応今んとこハヤブサか名前をつけてやるで迷ってるんだけど......。

道尾秀介『鏡の花』読書感想文

道尾ブーム第何弾かもう忘れたけどこれも未読だったので読みました。

鏡の花 (集英社文庫)

鏡の花 (集英社文庫)

本書は同じ集英社刊の『光媒の花』に連なる連作群像劇......といっても、内容には全く関係ありませんのでどちらから読んでも大丈夫です。
共通するのは、蝶が媒介する物語、ということ。
ただし、『光媒の花』は蝶が見守る物語たちだったのに対して、本書は"蝶の羽ばたき"によって乱反射する物語たち......と言うと本書の趣向がぼやっと伝わるかとは思いますが、そうです、そういう変わった構成の短編集なのです。
とはいえ、その構成は別に奇をてらったものでもトリッキーなものでもなく、ただ人生というものを描くための手段にすぎません。
最終話以外の、タイトルが揃っている5編では、それぞれで大切な人を失うことが描かれています。それは時には優しく、時には残酷だったりもしますが、この構成であることによって、それプラスどうしようもない理不尽さがより強く感じられ、1話読むごとに「はぁ......」とため息をつきたくなってしまいます。

各話についてさらっとだけ触れておくと......。

「やさしい風の道」は、第1話だからか後の短編たちと比べると語り口は軽めであっさり。しかし、それだけに少年の"クセ"がラストの光景とともに後を引いて心に残ります。はぁ......。

「つめたい夏の針」を読むと、本書の構成が分かってきます。前の話と対になっているようでもあり、男の子と女の子の差......などといってしまうと乱暴ですが、主人公たち2人の対比が哀しみを強調します。なんせファンタジーめいたところのある前話からの現実的なこのお話ですからね。はぁ......。

「きえない花の声」は、モチーフとなる曼珠沙華インパクトが凄いです。光景として印象的なのはもちろん、美しくもグロテスクな曼珠沙華の花のイメージがそのまま物語の結末と重なるあたり、とても残酷です。はぁ......。

「たゆたう海の月」は、前話と対になるお話。ミステリー的な要素がやや入ってるのもそうだし、印象的なモチーフもどこか対照的。そして、結末の残酷さも結果の方向性は違いながらも根は同じところにあるという......。はぁ......。

ここまで2話ずつ対のようになっていましたが、「かそけき星の影」は、対ではないものの最終話と繋がる話。
ここまでの話よりは動きが少なく、とある女性と姉弟との会話劇のようになっているため、喪失感もストレートに伝わってくるここまでのピークのようなお話でもあります。そして......。



......そして、ここまでの5編とは少しだけズラされる最終話「鏡の花」
この最終話を読み終えてみると、残酷さや理不尽さが綺麗事で無理矢理に覆されたりはしないままに、それでもどこか、淡すぎるけれどもそれだけに印象的な希望が見えました。だから、それまでの「はぁ......」とはまたちょっと違う「はぁ......」の余韻とともに本を閉じました。
光があれば影があり、影があるからこそ光が輝く、などと言ってしまえば陳腐ですが、しかしここまでの喪失の物語を読んできたからこそ、最後にこうして光を見せてくれる優しさが沁みました。

それでは最後にみなさんご一緒に!

......はぁ......。







(ネタバレ→)こんなに綺麗な場所は、ここにしかない。こんなに眩しい場所は、ここにしかない。