偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌

メンバー全員が作詞作曲を手掛け、自分の作った曲ではボーカルを務めた、個性的な4人が集まったバンドといえば、The Beatles!......ではなく、そう、「たま」ですね。
残念ながらたまというバンドは、世間一般では「さよなら人類」だけの一発屋だと思われています。しかし、実は彼らの活動期間は20年にも及びました。途中でメンバーが1人脱退するというピンチもありながらアルバムは10枚+2枚も出した、イメージより長命なバンドだったんです。
それだけの長期にわたって彼らが活動を続けられたワケは、やはりその楽曲の個性とクオリティにあると思います。
そして、そんなたまの中でも私の推しメンはベースの滝本晃司氏。変な声で変な歌を歌い見た目からしてヤバそうな他の3人とは違い、寡黙な佇まいで渋い声の色男。しかし、その曲の歌詞をよく読み込んでいくと実は彼も静かな狂気を内に秘めた紛れも無い「たま」のメンバーであることが分かります。

......本作「ちびまる子ちゃん わたしの好きなうた」では、そんな滝本晃司氏のたま時代の作品の中でもいっとう静かな狂気の煌めきを放つ「星を食べる」という名曲が使われているのです!!

https://youtu.be/oRow_mK5lxE

歌がテーマの劇場版でたまの曲が使われること自体は、アニメのエンディングもやってたくらいだから不思議はないのですが、よりによって滝本さん曲とは!!
っていうことで前々からずっと観たかったんですけどなんせDVD化すらされていない映画なので今まで見る機会がありませんでした。
今回、BSで放映されているのをたまたま見つけて「うえっ!?まぢで!?」と驚きながら録画して鑑賞した次第でございます。

ちびまる子ちゃん?わたしの好きな歌? [VHS]

ちびまる子ちゃん?わたしの好きな歌? [VHS]


前置きが普通のレビュー1本分くらい長くなりましたが、そろそろ本題に入りましょうか。(いや、実を言うと私の中では本題は「たま」というバンドの素晴らしさにあり、「みんなたまを聴け!」というのが本稿のメインテーマではあるのですが......)

静岡のおじいちゃんの家にひとりで行ったまる子は、駅で絵描きのお姉さんと知り合います。後日、図画の宿題で「わたしの好きなうた」というテーマで絵を描くことになったまる子は、再びお姉さんに会いに行き、彼女と仲良くなっていきます。

この、図画の宿題が本作自体の一つのテーマとなります。物語の要所要所でサイケデリックな映像に合わせて歌が流れる演出があるのですが、それらの音楽パートはそのままさくらももこと製作陣が「わたしの好きなうた」というテーマでアニメを作っているわけなんですね。

そんな音楽パートの中でも、滝本さんの「星を食べる」はやっぱり贔屓目に見てるからめっちゃ良かったですわ。
あのシーンのお姉さんの美しさは、そのままその後の切ない展開を予兆するものであり、そんな儚い美しさが「星を食べる」という曲が持つ死や破滅のイメージともなんとはなしに合っていて優れて幻想的な名場面になっていたと思います。
他にも、大瀧詠一のシーンのサイケ感、細野さんの「一夏の思い出」という言葉がぴったりくる切ないトロピカル感、はなわ君の意外な選曲の没入感など、とにかく音楽パートが国民的アニメの劇場版とは思えないほどエッジーで最高でした。



そして、ストーリーの方ではまる子が「めんこい仔馬」という歌に出会ってその歌を好きになることと、絵描きのお姉さんに出会って彼女を好きになること。そういう素敵な出会いと、その裏にある別れ......というのがテーマになっています。

子供の頃って、なんでもすぐ好きになるものですよね。そして、その好きな気持ちは理屈がなく、理屈がないからこそ強い。
今なんてこうやって映画のレビュー書いて「ここがこうだから好きです。ここがこうだから嫌いです」と言葉で説明できる。それは成長ではありますが、成長とは感性の退化に過ぎないのではないかと思うこともあります。
かつては理由もなく色んなものに愛着を持てました。それは歌だったりお話だったりテレビ番組だったり女の子だったり昨日見た夢だったりしたわけですが、この映画で描かれるまる子の「好き」という気持ちはそんな理屈抜きの強さを持っているから、強烈なノスタルジーと、まる子の澄んだ目と心への羨望を抱きました。

しかし、出会いあれば別れあり。
最初は、お姉さんはただ「優しい絵描きのお姉さん」で、仔馬の歌は「可愛い仔馬の歌」でした。しかし、好きになってもっと知っていくことで、仔馬の歌は別離の歌であり、お姉さんとも遠くないいつかに別れなければならないと知ります。
そして......うん......はい、最後泣けるんですよね。まさかちびまる子見て泣く日が来ようとは思わなんだわ。
これまでにお姉さんとまる子が話したこと、そしてめんこい仔馬の歌の内容、それら全てを総括して「別れること」に正面から向き合ったラストは、今後我々の人生で訪れるであろう同じような場面のヒントになってくれると思います。

......とはいえ、シリアスばっかじゃちびまる子らしくないと言わんばかりの、いつものしょーもないオチも付いててそこに凄く安心しました。

あくまで日常の延長線上から、懐かしい異界を旅してまた日常に帰ってくる、派手さはないけどやけに心に残る傑作でした。
やっぱこのころのまる子のいい意味で大雑把な味のある絵柄が好きですね。今はちょっと小綺麗になりすぎ。

多島斗志之『私たちの退屈な日々』読書感想文

『少年たちのおだやかな日々』に続く、日々シリーズ2冊目......とは言っても、どちらも全話が独立した短編集で、特に話の繋がりなどはあるわけもないということでこっちを先に読みました。

私たちの退屈な日々 (双葉文庫)

私たちの退屈な日々 (双葉文庫)


本書は「私」こと中年の主に主婦業の女性たちを主人公に、彼女たちの日常と、そこから少しずつはみ出していく様を描いた短編集です。
ミステリーでもなく、ホラーでもなく、「イヤな話」と言いたくなるけど後味はイヤ過ぎない、多島ワールドとしか言えない作品ですね。
1話目はオチがなかなか決まっていますが、それ以外はオチも弱めで、なんだか特徴を挙げていくとあんまり面白くなさそうなのですが、しかし独特の雰囲気はハマればハマる気がします。私はなかなかハマっちゃいましたね。

なんだろう、一言で言うと、「あっけらかんとしたイヤな物語」とでもいったところでしょうか。
日常が侵食されていく様を、じわじわとリアルに描いて、足元がゆっくりと崩れていくような感覚を味わいつつ、オチは「俺たちの日常はこれからだぜ!」みたいな感じで、クライマックスで唐突に終わるような......うーん、いかん、やっぱり説明しようとするとつまらなそうになりますが、とにかく多島作品の雰囲気の部分が好きならば読んで損はない一冊だと思います。

以下各話感想。





「取り憑く」

パート先の主婦仲間に半ば無理やり芝居に連れていかれた私は、彼女が追っかけをしている若手俳優のことが頭から離れなくなり......。

俳優にハマってる仕事仲間を醒めた目で「あんなおばさんが馬鹿みたい」と見ていた主人公が、実際にその俳優に会うと一気に頭がイッちゃうのが笑えます。ストーカーとしてのスキルを着実に高めていきつつ本人はあくまで節度あるファンのつもりでいるのも恐ろしくも笑えます。主人公の一人称で進むからどこか彼女の立場から読んでしまうのも恐ろしいところですね。
そして、このお話は本書の中でも最もオチが決まっていて、在りし日の『世にも奇妙な物語』を彷彿とさせます。この感じを次以降の話にも期待すると肩透かしになるので注意が必要ですが......。





「めぐりあい」

学生時代に付き合っていた男と偶然再会した私は、流れで彼と寝てしまうが......。

おばさんになる悲哀といいますか、旦那ともセックスしなくなって、ついつい昔の男に燃えてしまうところの描写から昭和の香りがぷんぷんして良いですね。
しかしそこからのイヤな展開がまた良いんですよねぇ。一度こうなってしまえばもうずるずると日常を侵食されていく、その取り返しのつかなさと後悔と......。
オチは特に意外性もないですが、このさらっと終わる感じも良いですね。





「教え子」

夫の甥の結婚式に出席した私は、花嫁を見て驚く。彼女は、私のかつての教え子......しかも少年院に入っていたこともあるような札付きの不良生徒だったのだ......。

今回は主人公vs邪悪な小娘の丁々発止のバトルが楽しめます。
小娘がほんと絶妙に邪悪なんですよね。いそうな具合にというか。デフォルメしすぎてありえないようなサイコ野郎になることもなく、学年に1人くらいはいそうな感じの悪人。そのリアルさが怖くてめちゃくちゃ主人公を応援しました。
しかしそういう奴に限って外面良くするのが得意だから、周りの誰も彼女が悪人だとは思っていなくて孤軍奮闘することになるのがかわいそう。
ただラストはあまりにあっけらかんとしているので結局この話はなんだったんだと思ってしまいます。その読後感の不思議さも多島斗志之の魅力の一つでしょう。





「預け物」

こちらは以前書いた『追憶列車』と被るので割愛します。





「記憶」

痴呆が始まった父の様子を見に、弟夫婦が住む実家に帰った私。父は時折裏山の同じ箇所を掘り返しに行くという。そこには何があるのか......?

状況設定が見事。
主人公と弟夫婦と父との関係の生々しさ。そして、ボケた親が自分の知らないなんらかの"記憶"に従って山中を掘り返している......という出来事の不気味さ。老人の奇行という、まぁなんてことない話ながら、ホラーな雰囲気がむんむんと漂っています。
そしてオチも大体は読めるものの、ちょうどよく小綺麗にまとまっていて好きです。





「旅の会話」

友達同士の女三人で旅行に来た私。しかし、経営する会社が危ない状態の友人は、「あんたたちも不幸な話を聞かせなさいよ」と迫る。それに対してもう一人の友人がした話とは......。

気の強い友達のズケズケした言い草がいちいち笑えます。こんな友達いたらちょっとめんどいけど、きっとそんなに悪い人ではなさそう。
そんな彼女のおかげでシリアスな中にもなんとなーく良い意味でしょうもない雰囲気があるので読みやすかったです......などと気を抜いているとラストでガツンとやられます。まぁこれも見え見えではありますが。それよりも、そのオチの後のどう考えても明るくはない話なのにどこか爽やかにすら感じられる締め方が良かったです。





「ねじこむ」

夫から会社をクビになると聞いた私は、その元凶の上司の家にカチこんで談判をはじめ......。

主人公の行動がぶっ飛んでいてまず笑いましたが、前半で明かされる事実にもちょっと笑いました。なんというヘンテコな状況だよ......。
「夫をクビにしないでくれ」というだけの話ですが、主人公の舌鋒の鋭さ......理屈ではなく感情で話していることのパワー......が強いですね。そうした語りの勢いだけでこれだけの話をここまで広げ、最後はぬけぬけとしたオチに持って行くところがお見事。最終話だからといって特に締めっぽいことはないですが、このあっけらかんとした終わり方は本書を象徴するようではあり、結局この本は何だったんだろうという変な余韻を残します......。

トマス・H・クック『緋色の迷宮』読書感想文

とある田舎町で、8歳の少女エイミーが突然姿を消した。
写真屋を営む"わたし"ことエリックは、息子のキースが少女を拐かしたのではないかという疑念に駆られる。その疑念はやがて、現在の妻と息子から過去の父母や兄妹まで拡散し、よく知っているつもりであった彼らへの信頼を蝕んでいき......。


緋色の迷宮 (文春文庫)

緋色の迷宮 (文春文庫)


ハマっちゃって3冊目、クック大先生です。

今まで読んだ2作よりも近年の作品で、そのためかどうか知りませんが、めちゃくちゃ読みやすかったです。
いつも通り、過去現在未来を貫く立体的な物語ではあるのですが、しかし本作では「少女の失踪事件が起こった時点の主人公エリックの語り」がほとんどで、そのなかで時々過去が物語られたりするだけなので、時間の行き来が少なく読みやすいです。
その分フォーカスの当たる人物は多かったです。父と母、飲んだくれの兄と、幼い頃に亡くなった妹。そして、美しく聡明な妻と、何を考えているか分からない息子......といった具合に、裏表紙のあらすじにあるように「自分を作った家族と、自分が作った家族」のそれぞれに対して、身近なつもりでいて実は何も知らなかったのではないかという疑念に駆られていくわけです。
少女の失踪自体はわりとフィーチャーされず、そのことから生まれる主人公の苦悩を生々しく切り取るという点で、やはり非常にクックらしい心理描写に特化したミステリになっています。

また、各章の初めに挿入される主人公の独白とは違う短い文章は何なのか?、"最後の死"とは?、"ニュースまでには帰る"と言ったのは誰か?、などなど、冒頭から思わせぶりな謎かけが連発されて読者を一気に引き込みます。
著者の作風は「雪崩を精緻なスローモーションで再現するような」と評されているとどこかで読みましたが、言い得て妙。本書なんかはその典型で、崩れることが分かっているからこそ、いっそ早く崩壊を見届けて安心したいという気持ちから一気に読んでしまいます。

そして、本作の最大の見所は分からないことの怖さ(不安)にあると思います。
とにかく、主人公には何も分からない!笑
今まで読んだクック作品では、全てが終わった後で主人公自身が情報を小出しにしながら回想するような書き方がされていましたが、今回は主人公も何も分からない。だからこっちも不安になるんですよね。
だから、例えば『夏草の記憶』では「諦念」や「絶望」の色が濃かったのに対し、本作は「疑惑」「不安」なんですよね。そういう意味では邦題の"迷宮"というワードもわりとぴったりかも。
で、読み進めていくといくつかの点については読者にはすぐに想像がついてしまうんですね。ついてしまうのですが、それだけに「早く気づいてよ!」というもどかしいハラハラと、「でも本当にそうなのか?」という不安でページをめくる手が止まらなくなる......。こういう点から、心理描写ばっかの作品なのに、非常にサスペンス色が強くなっているのが巧いなぁと思います。

また、本書はもはや名言集として手元に置いておきたいほどに、人生を言い表す名言が豊富に含まれています。
特に、生前の妹ジェニーが言う、人間に能力の差があることについての「なんて悲しいことなのかしら/それはその子たちの責任じゃないないのに」という言葉。冒頭で出てくるこの言葉が後の物語の中でも時折ふと思い返され、最初から故人で出番のほぼないジェニーの存在感が物語全体にふわ〜っと溶け出していきます。
他にも、家族や身近な人間に対する人間のあり方についての箴言に満ちた傑作なのです。

ちなみに、結末は物語としては意外な展開ですが、ミステリ的な意外性はほとんどないので、そういう点にはあまり期待しすぎず心理サスペンスとして読むのが吉ですね。




それでは以下ネタバレで全体の感想を〜。





















さて、この結末は凄いですよね。
ネタバレなしの感想の方で、本作の最大の魅力は分からないことの恐怖だと書きましたが、そこから派生して、分からないからこそ思いどんどん根拠のない思い込みを膨らませてしまうというのが本書のテーマだと思います。
終盤に至るまで、主人公のエリックの視点から、「父の言うことは本当なのか?」「妻が不倫をしている?」「兄は妹を強姦した?」といった、主観的には事実に見えるようで実は根拠が薄弱な想像が繰り広げられていきます。一歩引いて客観的に見れば必ずしもそうではないことは分かるのですが、読んでいる間は主人公に感情移入しちゃってるから彼の根拠のない思い込みにもかなりの説得力を感じてしまうのが巧いです。そして、主人公が最後にちょっと客観的になって、息子とはじめて向き合って会話した矢先............!という、、、。
ここにきて、少女の父親が、今まで主人公が捕らわれていたのと同じような思い込みーーキースが娘を犯して殺したーーに捕らわれていたことが分かります。そして、主人公はそれから逃れられたけれど、逃れられなかった者の末路は、まるでとある有名な胸糞映画のようなやるせないものになってしまうのだと......。
この、加害者と被害者が反転しつつ、その心の中に同じ闇があったという構図、これはもう間違いなくどんでん返しであり、意外な結末ですよね。
しかし、どうにもやりきれない話でありながら、最後の最後、「おまえ」に語りかける二人称の手記調のパートで、それでもあの出来事を整理して生きていこうとする2人の姿に、つらいんだけど、後味は爽やかにすら感じられます。
最後のエリックの「終わりから始めよう」という言葉が、もちろん今から語る物語(=本作)のことではありながら、これから新たに歩んでいこうという決意にも感じられて深い余韻に沈みます。ここ、翻訳はこうですけど、英語でも同じようにダブルミーニングになってるんですかね?なんにしろとても綺麗な訳ですよね。

と、いうわけで、人間心理の奥の奥、しかし普通に生きる我々にもどこか共感できるところを抉り出し、息もつかせぬ展開とどんでん返し、感慨深いラストに至るまで圧倒的に面白い傑作でした。

法月綸太郎『犯罪ホロスコープⅠ』


黄道十二宮、いわゆる十二星座をモチーフにした12編の短編連作「犯罪ホロスコープ」。本書はその上巻にあたり6編が収録されています。連作とは言ってもモチーフが揃っているだけでどれも1話完結のいつも通りの綸太郎シリーズ短編集です。

犯罪ホロスコープ〈1〉六人の女王の問題 (光文社文庫)

犯罪ホロスコープ〈1〉六人の女王の問題 (光文社文庫)


連作趣向として凄いのは、各話の冒頭に星座にまつわる神話のエピソードが紹介されていて、各話の内容がそれに対応していること。もちろん神話をモチーフにしつつ神話をなぞるだけでない意外性も仕掛けられています。さらに各話が非常にシンプルな犯人当てミステリなのですが、それぞれにダイイングメッセージ、暗号、都市伝説など違った趣向が凝らされているのも凄いですね。
そういったわけで、統一感がありつつバラエティ豊かで、読んでて楽しく後を引 かない、潔いほどにミステリの醍醐味だけを味わえる一冊になっています。個人的にはさらっとしすぎて他の法月作品よりインパクトが薄い気はしてしまいますが、傑作には違いないと思います。



ギリシャ羊の秘密」

難しすぎるダイイングメッセージの件は、さすがに死に際にそこまで頭回るのか!?と思ってしまいます。しかし、あまりにもシンプルでそれゆえ完全に見えていなかったトリックが鮮やかで、気持ちよく「やられた!」と叫べました。ミステリの醍醐味ですね。



「六人の女王の問題」

舞台劇の脚本や"イ非句"(俳句をネタにした雑誌コラム)で活躍したサブカル人のアブちゃんが、イ非句コーナーに辞世の句を載せて転落死するというお話で、この辞世の句の意味を読み解く暗号ミステリになっています。
サブカルネタ多目でいつもより作者が楽しんで書いてる感が強く、読んでるこっちも楽しかったです。暗号はキーさえ分かればシンプルなものながら、キーにたどり着くのが文系のアホには難しく、考えたけど全然分かりませんでした。ただ、種明かしされてみると、暗号そのものの出来はもちろん暗号をわざわざ作った真意まで含めて良く出来た暗号ミステリだと言えるでしょう。



「ゼウスの息子たち」

双子座をモチーフに、双子同士の夫婦が登場するお話です。
ミステリとしてはとにかくシンプル。犯人特定の決め手は被害者のタイイングメッセージだけ、綸太郎は手がかりが出揃った時点で推理もせずに犯人を突き止めるというシンプルさ。そのため、ロジックの面白さよりも、たった一つのトリックから全てが明らかになるカタルシスがメインになっていて、好みは分かれそうですが私は好きです。



ヒュドラ第十の首」

複雑な状況から繰り出される実にシンプルなロジックが気持ち良いです。一方でシンプルなだけでなく捻りも効いています。懸賞付きの犯人当てとして新聞連載された作品らしいですが、そうしたまさに真正面から読者に挑戦したミステリとしては丁度いい難易度だと思います。



「鏡の中のライオン」

プライドの高い人気女優が殺害されるという派手なストーリー展開が目を引くお話です。ミステリとしてはなかなかヘンテコな作りになっていますが(綸太郎のメタすぎる推理は酷い......)、犯人やトリックの意外さではなく事件の構図に潜む(ネタバレ→)皮肉な見立ての数々が主眼になっているのは物珍しくて面白かったです。



「冥府に囚われた娘」
都市伝説が実話だったという発端が面白く、さらにもう一つの対照的な奇抜な事件か起きるという、謎の魅力が物凄い一編です。そして、ちゃんとその謎に見合った解決の面白さも味わえます。後味の悪さも好きです。

法月綸太郎『ふたたび赤い悪夢』


法月綸太郎シリーズ5作目で、はっきりと『頼子のために』の続編になっています。そのため、本書を読む前に『頼子』を読んでいないと不都合な部分が多いです。また、『雪密室』の登場人物が主役級で登場しているので、こちらも事前に読むことをオススメします。まぁどっちも本書の半分くらいの分量なので。

ふたたび赤い悪夢 (講談社文庫)

ふたたび赤い悪夢 (講談社文庫)


法月警視の元に、『雪密室』で出会ったアイドルの畠中有里奈から電話が来る。彼女は「ラジオ局で人を殺したかもしれない」というようなことを警視に告げた。警視は『頼子』の影響で探偵廃業を考えている綸太郎を無理やり事件に巻き込むが......。

さて本作ですが、まずミステリとしてなかなか面白いと思います。600ページあってこのトリックは小粒にも感じられてしまいますが、(ネタバレ→)3つの事件全てで同じ錯誤があったという構図はミステリファンには堪らないと思います。

ただ、それより何よりやはりこれまでのシリーズを総括する物語としての側面が強い作品だと思います。
登場人物はページ数の割にはそれほど多くもなく、それ故に一人一人が印象的に描かれていて、そうしたキャラの魅力がそのまま物語としての魅力になっています。
例えば、ライターの冨樫さん。『頼子』ではよくいる感じ悪い記者という感じだった彼ですが、今回はやけにカッコよくなっちゃってて驚きます。前作からのギャップのせいでよりその辺が印象的でした。
また、今作の主役・有里奈ちゃん。『雪密室』が忘却の彼方に去ってしまったのでアレですが、なかなか酷い境遇に陥りながらも健気に生きてる姿が素敵でした。彼女は(一応→)本書の救いの象徴でもあるので、今後は幸せになってほしいです。

それから、私が本作で1番好きだったのが有里奈の事務所の社長・葛西氏です。タレントを守るために大手プロダクションから独立し、ダーティな業界の中で自分の正義を貫くカッコいいおじさんです。悪夢的な内容の本作において彼の誠実さが読者にとって大きな救いになっていたと思います。

そして、もちろん、主人公たる綸太郎も良かったです。法月綸太郎といえば、作者・作中共に「悩める作家/探偵」というイメージが付いていますがそれも全て『頼子』と本作のせいでしょう。事件に直接関係のない立場から他人の心に土足で踏み込む探偵というものの在り方について、前作で彼がぶち当たった悩みに、本作では一応の答えが出たというか区切りがついたのだと思います。

トリックなどはちょっと薄味ながら、家族にまつわる人間ドラマ、葛西社長の生き様、そして名探偵の苦悩といった物語性においてやはり紛れもなく傑作と言ってしまって良い作品だと思います。これからの綸太郎の活躍が楽しみです(本作以降の作品を『生首』しか読んでない上にあれはほぼ忘れてるので......)。

法月綸太郎『一の悲劇』

一の悲劇 (ノン・ポシェット)

一の悲劇 (ノン・ポシェット)


法月綸太郎シリーズ第4弾は、前作の後遺症からか、綸太郎視点ではなく視点キャラ・山倉の一人称という形式になっています。
山倉の元へ「息子を誘拐した」という電話がかかって来るも誘拐されていたのはご近所の富沢さんチの息子さんでした、という"誤認誘拐"がテーマになっています。人間関係は入り組んでいますが、そもそも登場人物がほぼこの山倉家と富沢家の人たちだけなので『誰彼』なんかと比べるとシンプルで読みやすかったです。
そして、その読みやすいシンプルさの中に詰め込んだアイデアの量が地味に凄かったです。早い段階で明かされるアリバイトリックはそれしかないとはいえなかなか大胆ですし、誘拐に関するトリックは更に大胆不敵。そして怪しい人たちそれぞれを物語の流れの中 で自然に犯人として名指しするところは多重解決のような趣があります。アホなので「こいつが犯人だ!」「と言ったぁこういう理由で違うので実はこいつが!」「それはどうかな?こいつだよこいつ」といった塩梅に説が披露されては消えていくだけで楽しくなっちゃいますよね。

また、前作でも感じましたが、今作も物語として面白かったです。ただでさえ誘拐事件という題材には緊迫感があるのに、主人公が抱える秘密が更にサスペンスを増していて、前作以上のスピード感で読むことができました。ラストも前作に劣らぬ後味の悪さですが、今作ではただ後味が悪いだけではなくほんの少しだけですが前向きさも感じられました。

1つだけ、残念というかしょうもなく感じてしまったのはタイトルの意味でしょうか。一の悲劇ってそんだけかい!という。この時点で悲劇シリーズにしようという構想があったのでしょうか?というか、もしなかったらもっと内容に合ったタイトルが他にあっただろうと思います。些細なことですが、全体にとてもよかっただけにそこが目に付いてしまいました。

法月綸太郎『頼子のために』

「娘の頼子が殺された。犯人に復讐して自分も死ぬ」という内容の手記を書き、それを実行した父親だが、自殺は未遂に終わる。とある陰謀に巻き込まれて事件を再調査する法月綸太郎は、手記の記述を基に驚くべき事件の真相に迫って行く......。

新装版 頼子のために (講談社文庫)

新装版 頼子のために (講談社文庫)


法月綸太郎シリーズ3作目ですが、これまでと読み心地が変わった気がします。どう変わったのか?身も蓋もない言い方をするなら、ストーリーが面白くなったように感じました。と言ってもこの作品は学生時代に書いた中編をリライトしたものらしいので、作品数を重ねて小説が上手くなったというわけではないのかも知れませんが。

まず頼子の父親の手記から始まり、いきなり激しめの内容が続くので物語に入りやすいです。そして、手記の内容で話が完結しているように見えるところから、綸太郎がどのように調査を進めて行くのかというのも見所で、クセの強い関係者への聞き込みもスリリングで面白かったです。このように、物語に惹き付けるのが上手くなって、今までになく読みやすいと感じました 。

そして真相ももちろん凄かったです。予想外とか言うよりも、予想したくもないエグさで、後味の悪いミステリとしてよく名前が上がるのも納得です。分量も短くシンプルな話ながら最後でここまで意外性の連打を見せてくれて、それが忘れがたい物語に結実しては、これはもう傑作と呼ぶしかないではありませんか。はい、傑作です。