昭和12年から17年、太宰中期であり太平洋戦争前夜あたりの頃の作品を集めた短篇集。
主に半随筆的な小説と、得意の女性独白体の小説が集められた一冊です。
- 作者:治, 太宰
- 発売日: 1974/10/02
- メディア: 文庫
太宰作品は好きなものの、不勉強で本人の生涯についてまるで無知なので、各編が太宰治史においてどうなのかってのはあまり分かりませんが、そういうことは置いといて単純にそれぞれのお話が面白かったので、無知は無知なりに簡単に感想を書いてみようと思います。
(内容にがっつり触れているので一応、未読の方はご注意ください。もちらん、ネタバレしてつまらなくなるようなものでもないですが)
「燈籠」
私は神様に向かって申し上げるのだ、私は、人を頼らない、私の話を信じられる人は、信じるがいい
万引きをしてしまった娘の独白体で描かれた掌編。
丁寧な語り口が悲痛な訴えに一転する冒頭で引き込まれて、この短い話を一気に読み通してしまう、この吸引力がさすがです。
たった一度の過ちでクズのレッテルを貼られた主人公の叫びは驚くほど現代にも通じるもので、SNSがあろうがなかろうが人間そんなもんなのよさと悲しい気持ちになりました。
言ってみれば、そんな"クズ"の彼女が"訳の分からない言い訳"を機関銃のごとくに垂れ流すだけのお話なのですが、これがまためちゃくちゃ共感しちゃって......。というか、これを読んで「ただの言い訳じゃん」と切り捨てられる人とは分かり合えないと思いますね。
なんかこう、世界の方が狂ってるじゃんっていう、「天気の子」じゃないけど、そんな気持ちにもなりました。
そして、タイトルの燈籠が最後に出てくるのが印象的。
優しさ、とも言える、強がり、とも言える、諦め、とも言える、色々などうしようもない感情が全てまばゆい新品の電灯に仮託されて、不自然な明るさで読者の心に焼き付きます。これだけのものをこれだけの短さで書けてしまうのが太宰なんだなぁと、感嘆感嘆。
「姥捨」
このひとは、映画を見ていて幸福になれるつつましい、いい女だ
山奥へ心中しに行く夫婦を描いた短編。
しかし、題材の割に重々しさもなく、淡々として時には滑稽みさえ伴いながら死に場所を求めてデートをするという、その日常さがむしろリアルに感じられて恐ろしい気持ちになります。
かず枝という、この女がまたとても愛らしいんですね。読みながら、なんでこんな人を死なせなきゃならないんだろうと、主人公と同じく私まで悲しくなってきちゃって。
実際に心中するシーンも、いやに呆気ないのがリアルなのかな、と。したことないから分かんないけど、作者様は自殺未遂の名手ですからね......こんなもんなんでしょう......。
で、タイトルの姥捨の意味が分かると、主人公のあまりの弱さに泣けてしまって、まるで自分を見てるような、むしろ、太宰は私をモデルにしてこの小説を書いたんだなとさえ思っちゃうほど。
愛がどうとかなんて偉そうなこと言えないけど、愛ってこういうものなのかなと思ったり。いや、私みたいなゴミ人間にはこんな愛し方しかできないのかな、なんて、完全に自分のことのように読んでしまって結構凹みました。
私なんて、生きてる価値もないね。
「黄金風景」
負けた。これは、いいことだ
6ページとかの短い掌編。
子供の頃にいじめた女中さんと再会するっていう、ただそれだけの話なんですけど、良さがあります。
片や、過去にしたことをうじうじと気にして堕落していく主人公。片や、過去を前向きに捉えて幸せになった元女中さん。
私はもちろん前者寄りの考え方なので、最初は元女中さんが嫌味を言ってるのかとすら思いましたが、そういうところがよくないね。
彼女のように美しい人間になりたい。
で、そんな彼女に感化された主人公の独白もまた爽やかで、過去のひどい仕打ちのわりにちょっと甘すぎる気もしますが、少し晴れた気分になれる良品ですね。
「畜犬談」
赤毛は卑怯だ!思う存分やれ!
太宰の作品をいくつか読んできて、例えば『人間失格』のような重い話にさえ、しかし所々にふっと笑ってしまうユーモアが溢れているのが凄いと思っていました。
そんな、サービス精神満点の太宰がガチで笑いに振り切った小説を書いたらどうなるか......ってのが本作。
もう、読みながら始終にやにや、たまにぷぷっと吹き出して、めちゃくちゃ楽しく読めました。
内容は主人公が犬という動物への憎悪を語っていくというものですが、淡々としてやや硬い文体で大真面目に犬はクソだってディスりまくるわけですから爆笑もの。冗談って(主人公当人は本気なんですが)、ドヤ顔で言うよりしれっと真顔で言った方が面白いんですよね。そこんとこの塩梅が絶妙なのが、さすがは独白体の使い手・太宰先生。
個人的には犬がとても苦手なので、彼の気持ちにめちゃくちゃ共感して、あるあるネタみたいにわかるわかる言いながら読みました。犬好きの人はこれどう思うんでしょうね。
でも、最後まで読むと、エモすぎる活劇とともに主人公の犬へのハイパーツンデレが炸裂したりもして、弱きものの美しさを優しく掬い上げた感動作になってしまうからズルい。
それまで弛緩した顔でふにゃふにゃと読んでいたのが、ここに来てちょっと泣いちゃう。
これは、ずるいですよね。
「おしゃれ童子」
女など眼中になかったのです。ただ、おのれのロマンチックな姿態だけが、問題であったのです
おしゃれという側面から著者のことらしい主人公の半生を綴ったお話。
おしゃれといってもそれは主観的な話といいますか、人から見たら奇妙奇天烈な格好をしてるんだけど本人がガチでこだわり抜いてるところに普通じゃなさを感じますね。
こんな昔のファッションについて描写されても想像はつくもののいまいちハッキリとは掴みづらいところではありますが、それはともかく最後の恋人に会うくだりが泣けます。
ダメなんだけどプライドが高いというか、それも含めてダメみたいなところが自分と重なってつらい......。
「皮膚と心」
いい顔だと思うよ。おれは、好きだ
皮膚にできものが出来てしまった女性の独白。
さすがに、上手いですね。
私はできものとかはあんまり気にしないタチではありますが、一つの不調が気にかかって憂鬱な気分になること自体は分かるので、世界の終わりみたいな主人公の一人称に頷きながら読んでしまいました。
そして、本作は主人公と夫の夫婦関係に萌えるお話でもあり......。
お互いに劣等感を抱えた2人がとても遠慮がちながら夫婦になろうとしている様が可愛くって仕方がない。
自分に自信がないから人にも強く出られないという劣等感ゆえの優しさ。それが本作においては悪くないように描かれています。ちゃんとした人間様なら、こんな優しさは優しさじゃないと言うのでしょうが、本作ではそれが可愛く描かれてるのでちょっと肯定してもらえたようにも思ってしまい......。
そして、最後のくだりがあまりにも可愛くてにやにやしながら身悶えました。ふぇ〜〜っ!
「鷗」
どうだ。これでも私はデカダンか。これでも私は、悪徳者か。どうだ
鷗は唖の鳥だというデタラメを言うことから始まる、芸術というものに関する随筆的作品。
戦地の兵隊さんから送られてくる小説が、戦争を知らない作家が書いたものの模倣になってしまっているというくだりが印象的でした。
文学とは素直に書いて素直に読むものという読書論でもあり、内面を言葉としてアウトプットすることの難しさを吐露してもいたり、でも芸術家として生きていくという決意とも諦めともつかぬ感慨もあり、なんだかまとまりのある感想も書けませんが太宰の思索の一端に触れられる一編でした。
「善蔵を思う」
私も、いやらしく弱くて、人を、とがめることが出来ないのである
不勉強で無教養の人間でありますので、葛西善蔵という作家の名前を知らず、本作中にはタイトルの意味に関する言及がまるでないので何のことやら分かりませんでしたが、それはそれとしてもわかりみのあるお話でした。
冒頭のやりとりは、セールスの電話とか宗教の勧誘とかを断れずに時間を無駄にしてしまう私には身につまされるというか、うん、あるあるという感じ。
そして、故郷の名士が集まる会に招待された主人公が宮下草薙のネタみたいに「これ、何で呼ばれたんだろ?」と被害妄想を逞しくしていく様に笑いつつ、結局「頑張ろうと決意する」という前フリを回収するように醜態を晒してしまうどうしようもできなさにやはり共感してしまい......。
「きりぎりす」
おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました
清貧で孤高の画家と結婚したつもりが、なんかトントン拍子に売れちゃって有名になってそれにつれてどんどん俗物になってくからめっちゃディスるっていう女性独白小説。
これがめちゃくちゃ面白いです。
とにかく、画家先生が調子に乗る乗る、主人公はディスるディスる。この勢いに乗って一気に読まされてしまいます。
読んでる間は、いとも簡単に俗物になっていってしまう画家への嫌悪感を主人公と共有しながら読むんですよ。
でも、冷静に考えると、ここまで猛烈にディスる主人公の狂気もまた恐ろしく感じられます。
確信犯、という言葉、今よく使われている意味は誤用で、本当は「自分は悪くないと確信してる」っていうような意味らしくて、彼女にはその本来の意味での確信犯的なものを感じます。
こういう、語りの巧さでついつい完全に信用しちゃいそうになる危なさも太宰の魅力でしょうね。
「佐渡」
自分の醜さを、捨てずに育てて行くより他は、無いと思った
ふと思い立って佐渡へ旅行に行く話。
なんせ、佐渡に行くお話ですからね、紀行文かと思いきや、「佐渡には何もないらしいから行ってみたい!」ということで、観光もへったくれもない。寂しいとわかっている場所へ行ってなんで来ちゃったんだろうと思うっていうギャグです。
高等学校の生徒との会話の顛末には笑いました。
でも一人旅って案外こんなもんだよなぁというリアリティもあってよかったですね。
「千代女」
私は、いまに気が狂うのかも知れません
親戚に無理やり作文を書かされたのが一等に選ばれちゃって変に注目されちゃった女の子の苦悩を描いた、これも女性独白小説。
私自身、小学生の頃に自分は人間じゃないのではないかと思うようになったきっかけが作文というものだったように思うので、本作は面白く読めました。
といっても、天才作文少女たる主人公とは逆に、私は書けない側で......。
書ける人がすごい意識高そうなこと書いてるのに自分には何も書きたいことがない......ということが不思議でしょうがなかったんですね。というのも、私は嘘が吐けない人間なので、みんなが適当なこといい感じに書いてるだけだってことにかなり後になってから気付くのでした。
閑話休題、この作品は、最初は作文なんか書きたくないのに周りの大人たちがプレッシャーをかけてきてつらい......という気持ちだった主人公が、流れるような一人称の語りの中で気付けばラストのああいう風になってしまっているというスリリングな反転が素晴らしかったです。
結末の決まり方はある種ミステリーにも通じるような、言ってしまえばイヤミス的なお話ですね。はい。好きです。
「風の便り」
君は、愛情のわからぬ人だね
若い作家と大御所作家が手紙のやりとりをしてディスり合うお話。
若い方の(といってもアラフォーだけど)作家の手紙から始まるので「ははぁ、こいつが太宰の自己投影なのね」と思いながらうだうだ語られる話を読んでいくと、大御所の方のお返事がまた辛辣なんだけど「あれれ、こっちも太宰なのか?」と混乱させられます。
人間の二面性なんて言うと安っぽいけど、どっちの言うことにも一理あるというか、共感できる部分があり、書き手が交代するごとに読者の気持ちもあっちへふらふらこっちへふらふらと翻弄されます。
辛辣にディスり合う話なのに最後はわりと爽やかな後味で終わるのが良いっすね。
「水仙」
二十世紀にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ
冒頭に描かれるなんたらいう殿様の昔話が、最後まで読むと芸術についての話に重なるのが面白い。
本作では「芸術とは」「天才とは」というテーマがかなりストレートに描かれています。
最後の語り手の行動の動機は語られず、「読者の推量にまかせる」と投げかけられています。私みたいな適当に無気力に生きてる人間にはそんな天才の苦悩みたいなことは分かりませんが、境遇の違いによることや、同じ芸術に憑かれた人間としての共感と同族嫌悪......なんていう風に私の浅い読みでさえ色々なことを感じさせる、その全てがその一瞬に収束したようなラストシーンが印象的でした。
「日の出前」
裕福な家庭で息子がグレて家庭内暴力を振るうようになって家庭崩壊していくっていう重たいお話。
事件の内容自体にどうにも一言で言えないやるせなさや深読みさせるようなところがあるのがさすがですが、なんと言ってもラストの一言が凄い。
突き放されるような、それでいてもはや清々しいくらいな気もするし、まぁこの一言の印象が強すぎて他に特に感想もないんですけど、太宰のイメージとはまた違ったインパクトがありました。