偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

ヴァージン・スーサイズ(1999)


13歳から17歳の年子のリズボン家の五人姉妹。ある日、末娘のセシリアが手首を切って自殺を図る。それが彼女たちの初めての自殺への幕開けだった......。



2回目ですが、このたびフォロワーさんとソフィア・コッポラ会をやることになり見返しました。
ソフィア・コッポラ監督のデビュー長編にして既に個性が確立された作品です。

冒頭の『ブルーベルベット』オマージュ感のある水撒きのシーンからの、「切断」という貼り紙でちんちんの切断を匂わせつつ、直後にセシリアの手首の「切断」が起きて、そこにガーリーな手書きの題字と半透明のキルスティン・ダンストが出てくるオープニングの流れがめっちゃ好き。
このオープニングをはじめ、ファッション、小道具、ロケーションに、俳優の顔も含め映るもの全てがエモい感じの映像の可愛さはもう完成されてますよね。(特にキルスティン・ダンストは『エターナル・サンシャイン』を観て好きになりましたが本作でもめちゃくちゃ良かった......車のシーン、えっちすぎます......)。
あと音楽もいちいち良いですね。ノスタルジックなロックの挿入曲と、エールによるエレクトロな劇伴。どちらも青春のキラキラと焦燥や憂鬱のどちらにも寄り添ってくれるようで素敵です。


「まだ人生の辛さを知ってる歳じゃない」
「先生は13歳の女の子じゃないもの」

序盤で自殺未遂を起こした末娘セシリアと医師のこんな会話があるのが印象的。
本作全体においてもリズボン家の四姉妹を主役にしつつ、それを同年代の男子たちの目線から描いていくことで、Teenage Girlsの分からなさを分からないまま観せられるようなストーリーになっていて、女の子ではないしもう随分前に10代でもなくなった私にはよく分からない......よく分からないままに彼女たちの刹那さに憧れと嫉妬のようなものを抱いてしまいます。

「彼女たちはもう『女』で、愛や死を理解していた。僕らは騒がしいだけの子供だった」

そう、本作全体、というかなんならソフィア監督作品全体に通底するのはこの刹那さの感覚だと思っています。本作だと例えば文化祭?(プロムみたいなやつ)でラックスちゃんとイケメンが過ごすキラキラした夜と翌朝のギャップとか、イケメンの当時のイケメンさと現在の姿のギャップとかに、もう戻れない煌めいた時間の終わりを感じさせて切なくなってしまいます。
ヴァージン・スーサイズ」とはその煌めきの終わりの究極の形みたいなものであって、あの時に人生を終わらせずに体も心もどんどん磨耗しながらも生きながらえている私には、彼女たちの去り方は羨ましく思えてしまうんですよね。

まぁあと、少女たちが自殺するまでというシリアスな題材ながらもところどころにユーモアが交えてあってポップでキャッチーなのも好き。テレビの自殺のニュースに出てくる女の子の悲しすぎて笑っちゃう話とかは『グレムリン』のヒロインのパパの話とかを彷彿とさせてめっちゃ良かったです。