偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

小山田浩子『庭』感想

2013年から2018年に発表された短編・掌編を集めた1冊。

日常の中で感じるけどすぐに消えてしまうような気持ちを取り出しつつ、現実から少し遊離した白昼夢のような雰囲気もあり、「怖い」まで行かない不穏さにヒリヒリしつつ緊張感がありすぎない間延びした感じもあり、自然も人工物も人間もあらゆるものへの目線がフラットで常識や先入観から解き放ってくれる、まぁ要はいつもの小山田作品の良さが凝縮された短編集でした。
長さもやや長めのものから掌編まで、舞台は村から都会まで、内容もホラーっぽいのや谷崎潤一郎トリビュートもあって意外と多彩。しかしいい意味での「いつもの」的な安心感もあって素晴らしい。この人の短編はなんかずっと読んでたくなっちゃいますね。





「うらぎゅう」
地元に帰ってきたのになんかみんなが自分の知らないイベントの話をしている!?という不条理さからしてどことなく不穏なトーンで、でもうらぎゅうという響きの滑稽さもあって間の抜けたようでもある不思議な読み心地が良い。
ラストのうらぎゅうのシーンのいたたまれなさに、自分だけがちゃんと生きていないような足元がふわっとするような感覚になった。


彼岸花
義実家での義父母や義祖母との不思議な会話。表面上は穏やかなんだけど全てに毒が紛れ込んでいるような短編。義母の話と義祖母の話、現実と幻想、薬と毒、素朴にも不気味にも見える彼岸花。両極の間で自分の立ち位置がわからないまま曖昧に揺れるような感覚がこわい。


「延長」
恋人の実家に納屋の掃除をしにいく、たった4ページの掌編。ホラー映画みたいな話ではあるんだけど、そこから他人と家族になることなんてホラーだよねみたいなのも感じさせ、タイトルの回収で、え、この話何だったんだろう......と煙に撒かれるような変なお話。


「動物園の迷子」
動物園を舞台に、ザッピングしていくように色んな人の視点のお話がシームレスに繋がっていく一編で、シームレスすぎて最初は「え、なんか語り手変わった......?」と驚いたけど、昼間の動物園という明るい場所で照らし出されるそれぞれの生活のちょっとした歪みにぞわぞわさせられました。
女の子同士のカップルの話のその後がすごい気になる......。


「うかつ」
窓に張り付いたやもりという見慣れた光景から不穏な夫婦のお話になるのがすごい。こういう些細なことでの諍いこそ恐ろしいよな......というのがじわじわと迫ってきて怖いよね。お互いへの失望とか諦めとか軽視とかが心の底の方にどろっとへばりついてしまって、もしもかつて盲目的に恋した仲だったとしてももうその頃には絶対に戻れない......みたいな感覚と、そこに生まれてくる子供たち......やだやだ。


「叔母を訪ねる」
不条理すぎてもはや何を思えば良いのかすら難しいけど、そもそもこの人の作品をなにか解釈したり感想を書くこと自体野暮なのかもしれない、とも思わされる奇妙な夢のようなお話。なのにタイトルが現実的なのがまたおかしみ。


「どじょう」
新居での生活、自分の知らないうちに妻が適応して知らない世界を作っていることの、怖いとか居心地悪いとかまでは言わないけどそれに近い感じ。そしてそれは子供に対する気味の悪さ、、とまでは言わないけどそれに近い感じとも繋がっていて、「家」というものからどこか疎外されているような居心地の悪さがあります。


「庭声」
谷崎潤一郎の「鶴唳」という小説へのオマージュらしい。それを読んでないから分かんないんだけど、いつもの著者の作風とはちょっと違うような(でも著者らしくもある)短編。
疎遠になってしまった親友を想う少女の切ない物語かと思っていると鶴の異様な存在感が不気味で、しかしそれよりなにより最後の一文があまりに不気味。でもふわっと作品の世界に入り込んでしまっていた心がこのラストで私の元に戻ってくるような感じもして、どこか安心感さえ感じてしまう、不思議な結末でした......。


「名犬」
夫の実家に泊まりに行く話。冒頭の車で実家に向かうところからして不穏なのが面白く、どうやら主人公は義母に会いたくないらしいんだけどその義母が別に何も嫌なことところのない良い義母なのがまたリアルで良いです。
最後の一言は耳元で聴こえるかのようで強烈。


「広い庭」
中学生くらいの少年が母親と2人で母親の友達の家にバーベキューをしに行くお話。
というと楽しそうだけど別に楽しくないのがさすが。大人たちの関係性の不穏さと、主人公の母親への視線の冷静さの怖さ、そして庭という異界の細密な描写と息苦しそうな少女の姿が印象的。子供のバッタの描写とか引くくらい生々しくて、バッタの説明文だけでもう幼少期を思い出して強烈にノスタルジックな気持ちになりさえする。お寺の庭で捕まえたバッタを思い出した......。
あと、まだ読んでないけど小山田さんのエッセイ集のタイトルが本作にも出てくる『パイプの中のかえる』なんですよね。こちらも気になる。


「予報」
職場で食べる弁当、職場の飲み会、フードコートと食にまつわる場面が多いんだけどそこに雨のじめじめした感じが絡んできて絶妙に食欲の失せる感じになってるのがすごい。散漫なようでいて冒頭の雨の日の親子のシーンがラストとの対比で効いてきたりするし、ラストがまた良い......。毒がありつつもどこか親しみも感じさせる絶妙にもやもやした味わい......。


「世話」
これはかなり短い掌編で、庭のトマトからはじまる奇譚。他の短編もどこかしら必ず不穏さはあるけどこの話はモロにホラーなのが珍しい。しかし既視感があるほどのリアルな生々しさと白昼夢的な幻想性という著者の特徴がモロホラーでも存分に活きていてなんかよく分からんけどすごかった。


「蟹」
女子校を舞台に「女子」になりきれず周りから排斥される少女を描いた短編。なんだけど、その学校に蟹が出る。なんでや。しかし机に蟹が置かれてるシーンなんか、私も高校時代友達がいなくてこんな感じだった。多感な年齢の時期に感じる濃密な死の匂いが、なぜか陸の上の学校まで上がってきては踏み潰されたりしてる蟹たちから漂ってきて、幻想的なのにめちゃくちゃリアル。そして最後はそんな時代を乗り越えた後の主人公の姿が見られるのも良いですね。


「緑菓子」
入院している祖母のお見舞いに行くお話。
大量のウシガエルを想像するとかなり怖い。キャンプで一匹見るのさえ都会っ子の私は動けなくなってしまうのに......。緑の菓子の綺麗なんだけど得体の知れない感じが怖い。人からの好意を得たいが知れないと感じてしまう人間の心が怖いのかも知れない。これも前話と同じく死の匂いが濃密だけど、あっけらかんとした老人たちを通すことでちょっと気の抜けた感じになってるのが良い。


「家グモ」
前半は子供がいる友人との目に見えない断絶が生々しくてヒリヒリします。というか子供の有無に関わらず元から仄かな憎しみを抱いていそうで怖いけど共感してしまう。
というのはしかし序の口で、後半がエグい。私は親との仲は良好ではあるけどそんでも子供の頃から親への仄かな憎しみはあって、でもこれを読むと親も親で子供にこういう気持ちがあるのかもなと思っちゃって怖い。子供いないし作るつもりはないけどもしいたらこんな風なのかなと思ってやっぱ俺はいらんなと思う。