偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

ザ・バニシング 消失(1988)


オランダからフランスへと車で旅行するレックスとサスキアのカップル。しかし、立ち寄ったドライブインでサスキアが姿を消してしまう。
そして3年後、サスキアを探し続けるレックスの元に犯人を名乗る男からの手紙が届き......。



1988年の作品ですが、4年前に日本で初上映されて話題になりました。その時はなんか名前は聞こえてきたものの観に行こうとは思わなくてもったいなかったなと。観に行けばよかった。
キューブリック震撼......とか書いてあるからびびりながら観たけど、ガチで今まで観た映画でもトップクラスに怖かったです......。

とりあえず映像からして好み。黄色とかベージュを基調にした地味な色合いながらも陽光の当たり方とかで鮮やかに見せる色使いが好き。BGMとかもほぼなくて淡々と進んでいくところや登場人物が別に美男美女じゃない普通っぽさもインディー感というかカルト感というかがあって好きな雰囲気。

序盤でトンネルの中で車がエンストして主人公のレックスと彼女のサスキアが喧嘩するシーンがあるんですが、このシーンからしてただの喧嘩にしては緊張感があって一気に引き込まれてしまいます。
てっきりここでサスキアが失踪する流れかと思ったらそうではなく、その後仲直りしてイチャイチャしてからいなくなってしまうのでレックスの喪失感に共感して恋人(妻?)が突然消えてしまうことの恐怖がひしひしと伝わってきて既にしんどい。

......んだけど、そこから一転して妻と2人の子を持つ平凡そうな男が突然出てきてなんだこいつって思います。
思うんですが、その男レイモンが女性を誘拐する練習をしているのが写され、どうやらこいつがサスキアを攫った犯人らしいということがわかります。
このレイモンという男が誘拐の練習をするシーンが、頑張ってるのに失敗ばかりでこれが犯罪じゃなくてただのナンパくらいだったら微笑ましく思えるくらいのノリで描かれているのがとても不気味。あまつさえ、踏んだり蹴ったりの彼をどこか応援するような気持ちにさえなってしまうのが悍ましいですね。

一方でレックスはサスキアの失踪から3年が経っても新しい恋人と共に独自にサスキアの捜索を続けています。孤独を埋めるために新しい恋人を作らずにはいられないけどサスキアのことが心の真ん中を占めていて新恋人に愛を注げない辺りが残酷だけどとてもリアルでかなり感情移入してしまいます。

そして、後半からはこの2人がついに対峙するわけですが、この対峙すら淡々として表面上冷静に友好的に進んでいくのにかえってヒリヒリさせられます。
結末自体は別に意外性があるわけではないですが、そこに至るまでにさらっといくつもの印象的な伏線が張られていることで、何か大きな運命(別名:偶然)というものに握りつぶされるような、逃れられない恐怖を感じました。人間が怖いんだけど、運命も怖いというダブルパンチみたいなもんで、演出のうまさや私の個人的な理由まで含めてどんなホラー映画よりも怖くて、マジで今まで観てきた映画でも1番じゃないかってくらい怖かった。怖すぎる。ぴえん。
作中でも触れられていますが、この犯人のようなサイコ野郎と私を隔てるのは倫理とか法律という線を踏み越えるかどうかだけではないのか?というのも怖い。

という感じで、あとはもうネタバレなしには語れないので以下ネタバレありで書いてみます。










































































はい、というわけで、私が個人的に閉所恐怖症なこともあって、主人公レックスの最期には観てるこっちまで息苦しくてパニクりそうでした。

作中で伏線をいちいち示すような無粋なことはしませんが、観終わってみればあれもこれも伏線だったと感嘆させられますし、そうやって丁寧に伏線を積み上げているからこそ「生き埋め」という怖いは怖いけど安直でもある結末にも新鮮に恐怖を感じられるんだと思います。

まず、冒頭のレックスとサスキアがトンネルで言い争うシーンで、サスキアが危険を顧みずに狂ったように懐中電灯を探す様から彼女が暗所恐怖症か何かだと分かります。
一方で、レイモンとレックスが車で山荘に向かう途中でポリス👮‍♀️に車を止められるシーンでレイモンが閉所恐怖症であることが示されます。
このことから、レイモンはサスキアが最も怖がることをしたと同時に、自分が最もされたくないことを他人にしてるクソサイコ野郎なんだと分かり胸糞悪い。「殺人は1番酷いとは言えない」と語っていたレイモンですから、まぁこうなるよね......という感じですけど最低最悪すぎる。

また、本当に最初の最初にナナフシの映像が映るんだけど、これは木の枝に擬態するナナフシに家庭を持つ普通の男に擬態したレイモンを重ねているのでしょうか?


そして、本作のもう一つの怖さポイントとして、様々な偶然が重なり合った結果としてサスキアがレイモンの餌食になってしまったこと、また、サスキアが見た「2つの金の卵」の夢の通りに現実が進んでしまったことへの運命的な恐怖があります。
最後に2つの柩に入って土に埋められてしまったことが2つの金の卵に入るというのに呼応しているわけですが、ドライブインでのサスキアの「8が好き」というセリフも8の字が2つの卵を思わせますし、2つの缶飲料もそのイメージがあります(そして1つはその場で潰されるし......)
あとドライブインで「決して離れない」という誓いをしているのがめちゃくちゃ悲しくて見返すと泣きそうになるし、最後まで同じ運命を辿りながらも別々の棺に入って死んでからすら離れ離れなのもつらすぎる。

そして、レイモンが様々な失敗をしまくる結果としてサスキアのところにいわば順番が回ってきてしまったというのも恐ろしい。顔見知りじゃなければ「知り合いをナンパかよ」とか言ってた女性だったかもしれないし、くしゃみが出なかったら車に乗るところまでいったあの女性だったかもしれない......という「かもしれない」がいくつも示された後でついにサスキアの番になってしまうことが怖い。
決め手になったのは「R」のキーホルダー。これ、字幕で見るとちょうどキーホルダーに字幕がかかって見えづらいのですが、レイモンが娘から誕生日プレゼントにもらったもの。そして、サスキアもレックスに対して「このダサいキーホルダーを変えたい」みたいなことを言っていて、レックスとレイモンが同じRからはじまることなど、数多くの取るに足りないような偶然の積み重なりからあの結果になってしまったというのが細かく細かく描かれているんですよね。
これによってレイモンがサイコパスなことへの怖さだけじゃない運命の悪戯への恐怖までもが喚起されて今まで観た映画でも1番かもと思うくらいの怖さを産んでいるんですね。

ちなみに、最後の最後で地面が意味深に映されながらも特に穴を掘ったり埋めたりした跡がないように見えたんですけど、これは全てがレイモンの嘘か妄想だということを示しているのか?
......みたいな深読みもできそうですが、これだけ巧く作り上げた末に妄想オチではしょうもなさすぎるのでうーん、という感じ。ここの意味分かる方いたら教えてください。

あと余談ですが、先日見たタランティーノ監督の『キルビル』に生き埋めのシーンがあって本作のオマージュかと思ったのですが、キルビルでは生き埋めにされた主人公が超人的なパワーで自力で脱出していて、これは後のタランティーノの歴史改変モノに連なる本作のバッドエンドに暴力で救いをもたらしたものなのかなとも思いました。そうなるとキルビルはイングロやギャンゴやワンハリの予兆......?みたいな。