偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

村上春樹『アフターダーク』感想

村上春樹に対しては大学時代に文学の講義でやって以来長らく苦手意識を持っています。その一方で一応本読みの端くれとしては気にかかる存在であることも確かなので、この度短めの長編で、ハルキらしさが薄いらしくて、タイトルが気になった本作を読んでみました。
面白かったです。


深夜のデニーズで本を読んでいたマリは、姉の知人の高橋と出会う。
会社員の白川は深夜のオフィスで残業をする。
マリの姉のエリは昏昏と眠り続け、ある視点が彼女を捉える......。


ある日の深夜0時から夜明けの7時前ごろまでの出来事を描く群像劇のようなお話です。

前編に渡って三人称、それも読み手の「視点」の存在を示唆する形式で描かれているため、いわゆる村上春樹っぽさ(私みたいな春樹嫌いが苦手とする)が薄い気がして読みやすかったです。
これまで伊坂幸太郎村上春樹っぽいってのがあんま分かんなかったんですが、三人称だと確かに伊坂っぽさ強かったです。

さて、本作の内容についてですが、とりあえず真夜中の空気感が良すぎました。
静かなファミレスで流れる音楽。コンビニで流れる音楽。村上春樹の小説にサザンとかスガシカオが出てくるのが新鮮な気がしました(読んだことないから普段から出てくるのかもしれんけど、ジャズやクラシックロックのイメージ)。
小洒落た冗談がまぶされた深い意味のなさそうな会話もめちゃくちゃ伊坂っぽくて良かった。

映画のカメラのように、ニュアンスは持たせながらも淡々とそこで起きることを描写していく文体も夜の雰囲気。
そんなに大きなことは起こらないけれど、人と出会い、何かがちょっと変わったり、何かが始まる予感のようなものを感じさせ、一方では冷酷な暴力の存在も示唆され、希望と不穏さを両方感じさせて終わる感じがとても良かったです。

あと、「記憶は燃料」だという言葉がめちゃくちゃ良かった。
たしかに、ふと思い出して懐かしくなる大切な記憶って実は「卒業式」とか「夏の合宿」とか華やかなものじゃなくて、「幼稚園の庭にあるツツジの花」みたいなどうでもいいような光景だったりしますものね。

私はミステリファンなのでどうしても謎や伏線のような描写が出てくると回収して欲しくなっちゃうのですが、もちろんそこは回収されず読者に丸投げされる形となっています。
私は頭悪いからよく分からんけど、たぶん伏線ぽく感じるものには暗喩とかなんか意味はあるんだと思います。

まぁとりあえず、私はたぶん分かる側にはいないので雰囲気しか楽しめないけど、逆に言えば雰囲気だけでも良かったので他のも読んでみたいと思いました。

一応、自分が思った本作のテーマとかを以下で書いてみます。ネタバレがどうこう言う作品でもないけど一応全体的なストーリーに触れているのでご了承ください。












































白川という男や、売春婦の元締めのマフィア、コオロギさんの過去など、作品全体に暴力の影がチラつきます。しかし、主役のマリと高橋自身は直接はそれを体験しない。
我々の日常と紙一重のところに、または我々自身の普段見せている顔とは紙一重のところに暴力とか残酷なことは存在している......ということ?

テレビの向こう側から眠っているエリを見つめる顔の見えない男もまた、理不尽な暴力性が常に機会を伺うように見ているということの暗示でしょうか。特にエリのような美しい女性には、そういう暴力性を含む窃視の目線が常に注がれているのかもしれない。
そしてそれは眠っているところを見つめるように一方的です。高橋やマリが、白川や中国人の少女とニアミスし関わりながらも当人は危険には晒されない一方で、エリは気付いた時にはテレビの中に引き込まれてしまっている。そういうふうに、暴力というのは一方的かつ突然のものだということかしら?

キャラ造形で言うと、マリとエリはもちろん、高橋と白川も対比されて描かれている気がします。
白川はすげえ速さで無駄のないタイピングをこなす、機械的と形容したくなる人間で、手早くことを済ませたいのに思い通りにいかず娼婦を殴ってしまうなど、効率的に物事を進めること最優先みたいな感じがします。
一方の高橋は無駄話ばっかしてて音楽をやっててゆっくり歩いてたくさん水を飲む(逆だっけ?)がモットーの、効率よりも感情優先みたいな男です。
雑に括ると彼らが現代社会における効率化重視の面と、それへの反発を表しているような。私自身、仕事中には人間の感情を無くして白川的になるし、休みの日にはなるべくコスパとかタイパとかと無縁のことをしたい高橋的なところもあるのでどっちにもそれぞれ分かりみがありました。
一方で白川も妻にジョークを言ったり、ローファット牛乳を嫌ってファット牛乳(??普通の牛乳)を一気飲みする場面では大袈裟に言えば管理社会への息苦しさを吐き出すような面も見えたりして、型にハマりすぎてるわけでもないのがリアルで良かったです。

ねえ、僕らの人生は、明るいか暗いかだけで単純に分けられているわけじゃないんだ。そのあいだには陰影という中間地帯がある。その陰影の段階を意識し、理解するのが、健全な知性だ。そして健全な知性を獲得するには、それなりの時間と労力が必要とされる。

要するに、この一文が本書のテーマの根幹なのかな、とも思う。
マリはエリにコンプレックスを抱えているけど、その逆にエリもマリにコンプレックスを抱いているかもしれない?
白川は冷徹だけど本当にそれだけか?
といった複雑な人間の有り様を、三人称の簡素な文体で際立たせているのが凄いと思います。

あとはベタだけど、物語の最後で夜が明けることが、対話を無視した白川の暴力→マリとエリ、高橋とマリが互いに関わろうとすることの希望へのグラデーションとして描かれているような気もします。

という感じで箇条書き的かつよくまとまってなくて自分でも何が言いたいかよく分からん内容になってしまいましたが自分なりの読みを書いてみました。
ミステリ的に読むならまだ鉛筆とかの伏線が回収できてないのが残念ですが、疲れたのでこの辺にしときます。
ちなみにゴダールの『アルファビル』も観たことねえから観なきゃいかんわ。