偽物の映画館

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綿矢りさ『夢を与える』感想

綿矢りさの3作目、前の2作を中編とすれば初長編で、初めて三人称で描かれた作品でもあります。


主人公の夕子が、幼少期にチーズのCMシリーズに出演し、やがて事務所に所属して本格的に芸能活動をはじめ、ブレイクし、やがて堕ちていくまでを描いた小説です。

冒頭は彼女の両親の結婚にまつわるエピソードからはじまります。
やがて夕子が産まれ、母の意向でモデルをやったりCMに出たりと芸能活動をしつつも普通の女の子として育っていく彼女の姿が三人称で描かれていきます。
母親や事務所のいうことに大人しく従って素直で自我というものを感じさせない夕子が三人称で描かれることで伝記の中に出てくる偉人のエピソードくらいの距離感で読めて心地良いです。
しかし、中学校、高校と大きくなっていくにつれて徐々に三人称は夕子の主観に接近していき、彼女がはじめての熱烈な恋をするに至って一人称のようなエモさとスピード感が出てくるあたりが上手いと思います。同じ三人称でも神の視点からだんだん夕子の視点まで降りてくるような。

そして、彼女を取り巻く人々もまたそれぞれに印象的に描かれています。
300ページちょいの短さで夕子が生まれる前から高校を卒業するくらいまでの長い期間を描いているので内容が薄まりそうなものですが、脇役たちにもそれぞれ人生があることを思わせるエピソードが短くも強烈に差し込まれているので物語が立体的な広がりを持った一つの世界になってるんですよね。
脇役の中で準主役的な立ち位置なのが夕子の母の幹子。冒頭の夕子が産まれるまでのエピソードでは主役の立ち位置ですが、実際彼女がそのまま主役でもおかしくないような我の強さがありますよね。他人にエゴを押し付けてる感じもあって好きになれないんだけど、でもこの人も懸命に生きてはいるんですよね......。とか。
あとは3人の男の子たちの描き方も良いんですよね。彼らの気持ちもそれぞれ分かるんですよね。正晃なんかほんとクソ野郎なんだけど、気持ちは凄く分かるというか、自分に通じるところがあると感じてしまうあたりさすがに人物描写がリアルっすよね。20歳そこそこくらいの著者がなんでここまで知ってるんだ、と驚かされます。

『夢を与える』というタイトルも素晴らしいですよね。

たとえば農業をやるつもりの人が、"私は人々に米を与える仕事がしたいです"って言う?

ここすごい笑ったんだけど、「夢を与える」という言葉の嘘臭さや傲慢さ、しかし嘘の夢でも見なきゃ生きていけない人間の弱さ。
夢を与える側にいて、自分たちが人々に「与える」夢なんて虚飾だと見抜いていた夕子でさえ、終盤では恋という夢に溺れてしまう、その哀しさ。
中盤くらいからオーバーワークと世間からの誹謗中傷でしんどい上に終盤は恋愛スキャンダルで絶望的な展開になります。だけど不思議と後味がそんなに悪くないのは、一度夢を見たことである種「現実なんてこんなもん」と思い知って大人になった、という苦い成長譚のようにも読めるからでしょうか。
本作のラストでは行き場を失ったような夕子ですが、彼女はこれからどこへでも行けるんだろう、とも思いたいですね。

綿矢さんけっこう好きになっちゃって何冊か読んでるけど個人的には今まででこれが1番好みかも!