偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

十市社『亜シンメトリー』感想

『ゴースト≠ノイズ(リダクション)』『滑らかな虹』でどハマりした著者の現状では最新作となる短編集。


本書には4編の短編が収録されています。
そのうち1話目と3話目は続き物になっていて、2話目と表題作である4話目は独立した内容となっています。
全話を通じて、広い意味で三角関係を扱った恋愛ミステリとなっているため、一冊通してコンセプチュアルな作りになっているのが好きです。
意味深な表題の『亜シンメトリー』ですが、「アシンメトリー」というのは左右非対称のことで、男女一対の対称な関係性に対し、3人の関係を描いていることからかな、とか。あるいは「亜」には「次ぐ」という意味があるらしいので、「シンメトリーに次ぐもの」というニュアンスで特に3話目とかの関係性を表しているのかな、とも思ったり。
なんにしろ、装画も込みでインパクトあるタイトルですよね。

内容に関しては、正直なところ長編2作のようにはハマれなかったというか、特に後半の2話はちょっと好みではなかったかなぁという感じでしたね。ただ前半の2話は好きだし、表題作も珍しいことをやってはいるので賛否両論あるだろうけどミステリファンなら一読の価値アリだと思います。

以下各話の感想。



「枯葉に始まり」


ビル・エヴァンスの流れるジャズ喫茶に集まった大学の先輩後輩である美緒と顕。マスターの姪っ子で従業員の高校生・紫子は、高校の新聞部にもらった奇妙なインタビュー記録を2人に読み解いてほしいと依頼するが......。

テキストを読み解いていくタイプの遊戯性の強いミステリ。
言ってしまえばしょーもないようなネタではあるんだけど、細かいアイデアの詰め込み具合でしっかり楽しませてもらえました。
(ネタバレ→)テキストのあまりの恣意性にもちゃんと理由があるのが良かったです。

また、テキストの推理はオマケみたいなもんと言ってもいいくらい場外の3人の駆け引きが面白かったです。
私から言わせて貰えば全員性格悪くて、あーでもないこーでもないと理屈を捏ね回しながらめんどくさすぎる人間関係を構築していくのが、米澤穂信の『小市民』シリーズにも似た鬱陶しさがあって良かったです。若気が至ってますね。みんな社会に出てパワハラとかで潰されてほしい。




「薄月の夜に」


高校時代の同級生が失踪したという。
彼女と付き合っていた男は、彼女は出前のピザの受け取りにいってそのまま消失したと語る。一方彼女の親友は、彼女はDVに遭っていたと言う。
高校時代にはさして親しくなかったものの、なりゆきから事件に巻き込まれていく主人公だが......。

これが1番好きです。
カップル間での暴力というテーマが胸糞悪くも、主人公が当事者たちとは無関係なところにいるので少しの罪悪感と共に他人事として事件の推移を眺めていられる......と思ってたらそうでもなく、あるところから一気にハラハラドキドキのスリリングなサスペンスに化けるところが最高っすね。
長編は優しい作風だったけど本作なんかはイヤミスと言ってもいいくらいのお話なのも新鮮でした。
これは詳しくは後でネタバレ感想で書きます。



「三和音」

1話目の数年後を描いた続編。
隔てた年月を表すように一話飛ばした収録順もいいですね。
心の機微があまりにも細かく描かれすぎていて逆に人間味がない......というあたりに連城三紀彦の影を強く感じます。
内容的には西澤保彦風味が......。
「人間関係にはグラデーションがある」という言葉通り、徹頭徹尾分かりやすいお話になるのを避けているような感じすらあり、アンチ・イイハナシみたいな展開を繰り返しながらなんとか彼らなりの結末に至るのが清々しいです。
この3人の関係もまた「滑らかな虹」なわけですね。



「亜シンメトリー」


大学に勤める亜樹は、朝のバスで出会った老婦人早由里ととあるゲームをすることになる。それは会話の中でシンメトリーの漢字を使うというもの。やがて彼女はゲームの中で自らの半生を語り始めるが、亜樹はそこに違和感を覚え......。

さて、表題作にして1番の問題作。
単行本の帯に「この美しい罠を、あなたは見破れるか?」「求む挑戦者」と挑発的に書かれている通り、作中で「答え」が明示されず読者が自ら解き明かしていくタイプの物語。
しかも、単純な犯人当てとかではなく、「この物語は何だったのか?」という非常に抽象的な謎かけになっています。
とっかかりとして分かりやすいヒントはあるものの、それがどんな意味を持つのか、その意味がどう物語に繋がるのか、そもそもどこまで解けば「解けた」ことになるのか......と、抽象的な謎だけにゴールの見えないモヤモヤ感が残るんですよね。
私も一応自分なりの解釈をしてみましたが、これが合ってると自信を持っては言えないし、合っていたとしてもこれだけで全てを拾えているとも思えず、かといってどこまで辿り着けば良いのかも分からず、、、。ほとぼりが冷めたら作者によるヒントか解説付きで文庫化してほしい......。
分かりやすいものが持て囃される昨今にあって、匙を投げたくなるような分かりづらい作品を描く捻くれたところは凄く良いと思います。

ただ、正直な感想を言うと著者の他の作品に比べて物語そのものやキャラクターの魅力が乏しく、そのせいで躍起になって解こうという気になれないところもあり(なんて分からなかった言い訳ですけど)、ちょっと策に溺れた感じがしないこともない。

とはいえ掴めそうで掴めないもどかしさから読後誰かと話したくなる作品であることは間違いないです。分かった人いたらTwitterとかで教えてください〜。

以下ネタバレで解釈を書いていきます......。
























































ネタバレ。

まず2話目の「薄月」について。
この話のラスト、ぱっと見は英理との新生活のようですが、「彼女」が仕事の異動の話をするあたりで違和感を抱きました。
そう、実は保村には遠距離恋愛状態の恋人がいて、彼女と離れている間の「暇を持て余」して英理と浮気をし、その後元の恋人と暮らすことになったために邪魔になった英理を殺害した......という話なわけですね。怖すぎる。
英理が殺された、という結末が、次の「三和音」の結末の部分で仄めかされている辺りも一筋縄ではいかないっすね。というかぶっちゃけると、本編の初読時にはこの辺気づかず、「三和音」ラストの唐突なニュース記事から逆算して読み返してようやく気づきました。
気付いてないだけでこういう仕掛けが他にもありそうで怖いです。



表題作の「亜シンメトリー」については、なんとなく分かったような気がする部分もありつつ、全然それだけじゃない感じがして読み切れなさにモヤモヤします。
とりあえず、「目林」というのが「巨椋」の真ん中に鏡を置いたもの(もちろん縦書きでですよ)というのがヒントになってて、そこから「芥田」→「花田」の鏡ということも分かります。
んで、それがどう繋がるのかってとこにあんま自信がないんだけど......考えられるパターンとしては、「早由里の夫(=早夕里)の苗字が芥田」というのと、「豊田さんの苗字が実は芥田」というのがあると思います。
んで、終盤に出てくる病院で出会う老人の名前が「芥田」であることは診察券という明確な根拠があるため嘘ではないと考えられます。
そして、その芥田老人が「姪っ子かと思った」と言っていることから、「芥田老人=早由里の夫」説は成り立たないので、豊田さん=芥田老人ということなんだと思います。

東京で夫と暮らしていた早由里だったが、30年ぶりに京都に戻ってきて芥田との思い出が「目をさまし」てしまう。
早由里は芥田を見つけ出し、病院に通いながら向こうは気付いていないかつての恋人との逢瀬を楽しんでいた。
「花田」という苗字が本当かどうかも分からないが、去年まで半分は小平市、半分は「メバヤシ(=目林=巨椋)」にいたという言葉から、半分は「花田」として生きながら心のもう半分は「芥田」となっていたことを夢見て「巨椋」に想いを残していた......という感じでしょうか。
243〜244ページの、「完璧な白蓮より今も泥水に根を張る老いた花のが尊い」「鏡の中に自分を閉じこめて生きるのはやめた」「今も巨椋池はすっかり消えたわけではない。当時の蓮も」といった描写も、芥田への未練を鏡の中に閉じ込めずに解き放って再燃させている様子に見えますよね。

......という風に考えたんですが、どうでしょうか......。半分とは言わないから3割くらいは合ってるといいんだけど。

あと細かいところを拾うと、早由里が芥田に対して亜樹を「大学の先生してはるんやって」と「誇らしげに」紹介したのは豊田=芥田も大学職員だったから?


あとは、▷◁で挟まれた独白の部分の1文字目が全てシンメトリーな文字になっている(括弧も含めて)、また独白部が右から読んでも左から読んでも意味が通じるようになっている、という仕掛けは泡坂妻夫を思わせるところがあって好きです。