偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

笹沢左保『暗い傾斜』感想

トクマの特選笹沢左保100連発。


経営危機を迎えた製作所の若き女社長・汐見ユカに2つの殺人事件の容疑がかけられた。
しかし、一つは四国高知、もう一つは東京で同日のほぼ同じ時刻に起きたもので......。


アリバイもののミステリにして、著者曰く「ムード小説」でもある作品。
ムード小説のつもりで描いてここまでミステリになるのは流石ですが、やはり他の傑作群と比べるとちょっと落ちるかなぁという印象。

とりあえず、謎の提示があまり魅力的に感じなかったです。
2ヶ所で同時に起きる事件......というのが謎なんですが、動機からヒロインの女社長のユカを両方の事件で疑うから不可解なだけで、片方は犯人が違ったり共犯とか考えれば別に謎でもないですからね。それを除くと、このドロドロした愛憎の人間関係の本当の形はどうなってるのか?という、まぁ魅力的ではあるけどボンヤリした謎だけで、牽引力に欠く気がします。
そして、真相もメイントリックはまぁそんなこったろうと思ってたもので、ドカンっていうインパクトがないんですよね。
ぶっちゃけ、著者の別の某作品とトリックやや被ってて、そっちのが面白い、ってのもありますし。
そんでも伏線の見せ方、特に心理的な面での伏線は見事。現代からするとあまりに古臭くはあるものの、当時の価値観を思えば非常に説得力があって唸らされました。

そして、ムード小説を指向しただけあってドラマとしては面白かったです。
当時にどう読まれたのかはちょっと分かりませんが、現代の感覚だと、ヒロインが女社長であることからも見て取れるように男社会の中で生きる女(たち)の強さと哀しさを読み取ってしまいます。
ヒロインのユカはもちろんのこと、主人公の松島の妻である律子さんも、強かで奔放な顔の裏に普通に弱い部分が透けて見える印象的なキャラクターでした。主人公が普通にクズだと思うので律子さんには頑張ってほしい。
あと、タイトルはさすがですね。作品全体を象徴するような詩的なワードチョイスが絶妙。「招かれざる客」「空白の起点」「突然の明日」などに連なる名タイトルです。