偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

樋口修吉『ジェームス山の李蘭』感想

せかいいちだれより
きみをあいしてた。

戦後の猥雑とした横浜から始まる、1983年初刊の作品です。
感傷中毒の患者なので上に引用した帯文を見ただけで強烈に惹かれてしまい楽しみに読んだら、帯のフレーズは担当さんが考えたものらしくて作中には出てこなくて脱力。
しかし、40年近く前の作品ですが今で言う「エモい」という形容詞がそのまま当てはまるような素晴らしい青春・恋愛小説であり、そのエモさの雰囲気を見事に切り取って「令和の新刊」として復活させた、良いキャッチフレーズだと思います。


神戸のジェームス山に住む片腕の中国人の女性・李蘭と、日本人の男・八坂葉介とのラブストーリーなのですが、とにかくヒロインの李蘭が出てこない!
プロローグで李蘭に触れられていたから「そのうち出てくるんやろな〜」と思えたものの、そうでなかったら間違えて別の本読んでるのかと思うくらい出てこない!

その、ヒロインが出てこない間、主人公の葉介の少年時代から大人になるまでの半生が延々と描かれていくんですが、これがもうべらぼうに面白いんです!
とにかく一つ一つのエピソードが面白くて、生々しい。
戦後すぐの混乱した時代の中で、悪友たちとワルいことすんのに明け暮れる少年時代。不良は嫌いだけど、こういう弱いものいじめとかせずに大人に反抗していくタイプの不良は応援したくなってしまいます。
やがて成長して出会う歳上の女たち。人生の転機。師匠的な男との邂逅。知恵と度胸と欲のなさで掴む成功。全てがもうどうしようもなく素敵で、自分の人生とはかけ離れているから憧れてしまっていつまでも読んでいたくなるような、なんとも言えない良さがありました。
主人公の魅力はもちろんですが、彼が出会う人々もまたそれぞれ現実に生きている感じがします。しつつ、「キャラが立ってる」という言い方もできる、ここんとこの塩梅が絶妙すぎる。

恋愛のことも進路のことも、分かりやすいエンタメならこう行くっていう王道を外していき、しかしそれが奇を衒う感じでもなく全てリアリティになっているのも凄いです。そもそもタイトルにまで冠されている李蘭が全然出てこないのも常道を外れてますしね。
しかし、李蘭と出会う前の長い人生の全てがあってこそ、彼女に惹かれ愛し合うようになったのだ、という説得力がめちゃくちゃ強くて、必要な構成なんだと思わされるのもすごい。
また、少年時代のエピソードは1日1日、1年1年を刻むように細かくじっくり描かれているのに対して大人になってからは光陰矢の如く流れるように年月が過ぎていくといった具合に、時間感覚の変化も文章の量と比例しているのも上手いと思います。
全編に渡って、葉介視点ではあるものの三人称で描かれているため、若い頃のヤンチャ自慢みたいにならず、映画っぽい距離感でちょっと離れたところから読めて、切なくもさっぱりした後味の余韻に繋がっているのも良いですね。

そして、最後のとっておきの李蘭との日々がもうめちゃくちゃ素敵で、こういうカップルになりてえわという感じです。観たことある作品は少なかったけど映画の話題が多いのも映画ファンの端くれとしてはエモさを感じるところ。


現代の観点からすると古びている部分もあるかもしれませんが、その面白さと感動は決して損なわれず、歳をとってまた読み返したいとも思わされる名作でした。