偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

山田正紀『人喰いの時代』読書感想文

第二次大戦の少し前、北海道はO市。
船の上で出会った呪師霊太郎と椹秀助という2人の若者がいくつもの不可解な事件に遭遇する......という連作短編探偵小説。


人喰いの時代 (ハルキ文庫)

人喰いの時代 (ハルキ文庫)


タイトルの「人喰いの時代」というのは大戦を控え、日本が軍国主義化していって一般市民の間にも暗い影が落ちていたような時代。
本書は、そんな時代を象徴するような人間心理の闇が表れる事件から、探偵小説の形で昭和前期の歴史を描き出した作品なのです。

また、作中で当時の探偵小説の衰退が語られているように、当時は戦争へと向かう大きな流れの中で、個人の小さな事件を暴く名探偵は不要になった時代でもあり、そんな中で生き急ぐように事件に首を突っ込む霊太郎の姿から名探偵というもののありようを自覚的に描いた探偵小説でもあると言えます。

また、各話で特に印象的なのが女性たちの姿であり、2人の青年の視点から「女」を描いた作品集でもあると言えるかもしれません。

もちろん、そんなふうに重層的なテーマを含みつつ、普通にミステリとして意外性や捻りもたっぷり効いてて面白い。
そして、物語としても、各話に必ずお話に引き込むための仕掛けがあって、すらすらと読んでいくとラストで暴き出される人間心理に戦慄する......という見事としか言いようのない出来栄えなんですね。

そんなわけで、いろいろな良さ詰まっていつつも一貫してコンセプチュアルな素晴らしい短編
集でした。

以下、各話の感想も。



「人喰い船」

カラフトへと向かう船上で、椹秀助は呪師霊太郎という青年に出会う。
そしてその夜、貿易会社の社長が船上で怪死を遂げ......。


寒々しく未来の見えない舞台と時代とに引き込まれる第一話。
いくつかの謎が一つの事実から解かれ、オマケでちょっとバカミス的なネタもあり、インパクトは弱いながらも綺麗にまとまってます。読み返してみればもちろんフェアプレイにも配慮されてるし、本書全体に関わる伏線もさらっとあったり、なかなか大胆不敵な一編でもあります。
また、女の恐ろしさと人間心理の恐ろしさが描き出されるラスト数ページが印象的。



「人喰いバス」

秀助と霊太郎がとある旅館で出会ったのは、元特高警察の男と翳のある美女。旅館から帰るバスの中で、事件は起こった......。


前半は旅館でのあれこれですが、後半になるとバスの中に6人というクローズドな状況設定になります。これが舞台劇でも見ているかのようで、物語に引き込んでくれます。
で、事件が起きる場面からの緊張感もまさに舞台に見入るような感覚。
謎解きというよりは、置かれた状況を機転で解決するというところが主眼なのも新鮮で面白く、ユーモアさえ漂ってくるラストのビミョーな余韻も良いっすね。



「人喰い谷」

よこしまな恋心を持つものを飲み込むという"邪恋谷"。三角関係の果てにそこへ墜落した2人の男。しかし、春になり谷底が捜索されるが彼らの遺体は見つからず......。


薄暗い山小屋の食堂で語られる邪恋の物語。2人の美青年に挟まれた女は、清楚な美少女か、それとも魔性の妖婦なのか......という、いかにも戦前の怪奇探偵小説な趣が素敵ですね。
オチは今読むとなんとなく分かってしまうものの、伏線の巧妙さに唸るとともに、とあるホワイの意外性に戦慄しました。
悲恋としか言いようのない物語に切なくなりつつ、あの一言が強烈な余韻となって残る、よく出来たお話ですね。



「人喰い倉」

霊太郎はとある遊郭に滞在中、娼妓から恋人の死の謎を聞かされる。男は密室状態の倉で手首を切って死んでいたが、現場からは凶器が消失していたという。やむを得ず安楽椅子探偵を務めることにした霊太郎だが......。


安楽椅子探偵ものですが、かなり捻りが効いていて面白かったです。
事件自体は当然過去に起こったものなのですが、霊太郎が安楽椅子探偵にならざるを得なくなった理由付けの方でサスペンス性を演出しているので、やはり引き込まれます。
そして、娼妓の幸さんという人の姿がとても印象的。(ネタバレ→)芝居がかった幸への"解決編"のやり方自体が実は不可欠なものだったというところの捻りが見事。そして、美談が実は汚れたものだったとことのやるせなさと、そんな真相を幸の中でだけは白雪のような無垢なものにしてしまった霊太郎の優しさが沁みます
トリックのバカバカしさそのものが切なさを引き立たせているのも凄い。お話としては本書でも特に好きな一編です。



「人喰い雪まつり


老女は幼少期を回想する。思想犯として取り調べられていた父は、釈放後、雪まつりかまくらの中で事切れていた。周りの雪には足跡がなく......。


このお話では事件の何十年も後からはじまり、当時少女だった老女の回想という形なのが面白いところ。孫がファミコンばっかやっててみたいな話が本書の雰囲気の中に出てくるところで無常を感じつつ、回想の謎に誘われます。
で、その謎はというと、雪の周りに足跡はなかったけど雪が降ってる間なら犯行は可能でしたみたいなぼやっとしたもの。
だからHowではなく、あの事件は何だったのかというWhatのところから謎めいているのが面白いですね。
明かされる真相はかなり重めに切ないものですが、このお話が回想であることによって全ては遠く霞んでいってしまうような、不思議な読後感が良いですね。最後の一言が呪いを解くような軽妙さでありつつじわじわと余韻を残します。



「人喰い博覧会」

開催を目の前にした北海道博覧会の会場で、特高の刑事が塔から墜落した。被害者は墜落する前に死んでいたことが分かるが、塔の中には他に人がいたとは思えない状況で......。


読み始めてみて、あまりにも違和感が目に付くのでこの後何が起こるかってのは読めてはしまうんです。
でも、分かっちゃうからこそ「でもどうやってそんなことになるの?」というところへの好奇心にせっつかれるように読み進めたのですが......。
まぁ焦らすこと焦らすこと!
重要なシーンが出てきたかと思えば、その説明をしないままに別のパートに移るみたいなことが繰り返されてなかなかタネ明かしに進まない。なまじ何となくは読めるだけに、ラーメン屋の前に並んで匂いだけ嗅がされるような待ち遠しさに襲われます。

そして、いよいよ明かされる真実はやはり思った通りのものではありましたが、それを成立させるための演出が素晴らしい。
普通ならこのネタを、しかも方向性は読めてる上でやられたら興醒めするところですが、物語としてあまりに美しく構成されているのでやはり「そういうことだったのか!」というカタルシスと激動の時代を生きた人々の想いへの切ない感動にやられました。

そして、本書の終盤にして、一転してこれまでとは違い何の外連味もない事件が現れるのが凄いです。
これまでのいかにも探偵小説然とした空気から一転して、生活臭のあるような、あまりに身近な事件。それが読者を現実に引き戻すとともに、本書全体を覆う"人喰いの時代"という暗雲が取り払われるようなカタルシスにも繋がります。
やはり切なくやるせない結末ではありつつ、それでも悪くない読後感でもあって、短編集でありながら大作の長編のような深い余韻に浸れました。