偽物の映画館

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日本探偵小説全集7『木々高太郎集』読書感想文


日本探偵小説全集。
大学の頃に結構読んでたんですけど、めちゃくちゃ久しぶりに未読の巻を読みました。


木々高太郎は元は大脳生理学者でもあり、本書に収録された大心池先生シリーズなどにはそうした医学知識も盛り込まれています。
また、ミステリ作家としては「探偵小説芸術論」を唱えて論理性と文学性を重視した作品を発表。後に定着する「推理小説」という言葉を使い始めたのもこの人らしいです。

全体に昔の探偵小説らしいおどろおどろしさや低俗さがなく、当時としては上品で理知的だったんだろうと思われる作風で、好感が持てます。
また、今読むとジェンダー観とかが古いと感じでしまったりはするものの、恋愛小説の要素が強いものも多く、なかなか私好みでしたね。

以下各編の感想を。





「網膜脈視症」

精神病学の教授・大心池先生は、幻視に悩む少年を診察する。少年は、3歳の頃に突然父親になつきはじめ、嫌いだった馬を好きになり、逆に小動物を恐れるようになったといい......。


著者のデビュー作で、大脳生理学者としての知識を生かした大心池先生シリーズの一作目。

まずは謎が魅力的ですよね。少年の心の中のことだけに、なんとも突拍子もなく理屈が分からない様々な症状......。
それに説明を付けていく大心池先生の診療という名の推理も面白いです。

また、それに加えて、意外と話の動きが大きく、診察する医学士の側まで巻き込んで展開していく後半がまた面白いんですね。
そして、結末では意外な方面での余韻が残ります。

短い分量で話が動きつつ綺麗にまとまる、見事なデビュー作だと言っていいでしょう。





「睡り人形」

生理学の権威だった西沢教授は、嗜眠性脳炎で愛妻を亡くしたショックで要職を退いた。そして10年後、"私"は先生の異様な告白書を読むことになり......。


これはまた酷え(褒め言葉)。

著者の作品はこの頃の探偵小説にありがちなおどろおどろしい怪奇趣味は抑えられたものが多いですが、これはちょっとそういう所謂エログロ的雰囲気があります。
ただ、それだけに医学知識に立脚したフィクションであることや、心理描写が丁寧に描かれていることで俗悪な怪奇小説にはなっていないことが際立ちます。

タイトルから、どんなことが起こるかは分かってるようなもんですが、それでも"睡り人形"の作り方と維持の仕方は強烈に印象に残ります。
なにぶん戦前の小説ですので恋愛観、ジェンダー観が原始的なのは仕方がないところでして、それでも語り手の心情をしっかり描いているのには引き込まれます。
戦中だったら検閲削除されてそうな生々しい性描写にも「うわぁ......」と思いました(ピュアなので)。
これ、発表当時からずっと一部伏せ字があったのを、本書で初めて全文公開されたみたいですね。ただ、読んでみるとそんなに伏せるほど直接にエロいことは書いてないので時代を感じます。

で、ある種の純愛モノかと思いきや終盤特にどんどん酷え展開になっていくのが恐ろしくも、ラスト1行の辛辣さがやるせない余韻として残ります。地味に良い最後の1行。





「就眠儀式」

大心池先生に学ぶ学生の親戚の娘が、毎晩就眠の前に、部屋をきれいに片付ける、腕時計を新聞で包む、刃物を包むなどの儀式を行うようになり......。


これもやはり最初に提示される心理学的の謎が魅力的でありつつ、後半ではそれとは全く関係なさそうな事件が起きて......というタイプのお話。
この新たな事件によって、序盤で披露される十分納得のいく大心池先生の推測からガラッと違う真相になるのが面白かったです。
まぁ、そっちの事件の真相自体はまるっきり分かりきってるようなものですが......。
また、学生の恋愛模様にけっこうがっつり口出しする先生には笑いました。若い2人の恋の行方も楽しめる一編です。





「緑色の目」

ベルリンに暮らす学生の金津は、下宿の娘ベアテに恋をしていた。ある日、ベアテの父親が不審な死を遂げ......。


森鴎外の「舞姫」の本歌取りのようになっているところに著者の文学への熱意を感じます。
事件の真相の方はちょっとしたネタを膨らませた感じですが、(ネタバレ→)黄疸がポイントになってくるのは面白いですね。
それよりも、序盤で明かされますが、主人公に関してちょっとした意外さがあったのが面白い。それを踏まえて読むとなかなかキモ......いや、なんでもないです。
ともあれ、2人の関係性のエモさは、今読んでもエモいですからね。はい。
接吻のシーンが好き。





文学少女

情熱を持ちながらも、貧しいために文学への傾倒が許されなかった少女・ミヤ。しかし、とある縁から有名作家に原稿を見てもらえることになり......。


非ミステリで、主人公の一生を描いた当時のいわゆる「普通小説」。
著者の文学への熱意のようなものが迸る一編です。
乱歩の批評も載ってて、著者の(そして主人公の)「情熱」と「自尊心」がすげえ、つってます。
やはり今読むとそもそも女性の社会的な扱いが酷くて、なんともいやな感じ。
それでも自分の中で文学への愛を持ち続けたのには泣けますが、こうも憐れっぽいとなんとも......。今時だったらせめてクソ野郎を文学少女素手でぶち殺してTHE ENDでしょうからね(んなこたぁないけど)。





『折蘆』

無職ながら素人探偵としていくつかの事件を解決してきた東儀は、ある女性が探偵の依頼を持ち込んだのを機に、妻を助手として探偵事務所を開く。
そんな折、銀行家が殺害される事件が起き、東儀は事件の調査に関わる。だが、被害者の妻は東儀の元恋人の節子だった......。


新聞連載された長編。
やはり連載だからかやや全体として構成が微妙なところはあって、例えば冒頭で語られる過去の事件が長らく放置されたあげくそこまで本筋にとって重要じゃなかったりとかするのはいまいち。
逆に連載だから1回分にあたる約2ページごとに何かしら新しい情報とか動きが出てくるのは良いところだとは思います。
しかしやっぱりミステリとしてはちょっと行き当たりばったり的なところがあり、ややこしいばっかりで面白味の薄いトリックや、ミスリードのためのミスリードなど、あんまり上手いとは言い難いところがあります。

ただ、恋愛小説としてはなかなか面白いですね。
主人公が奥さんに「女は馬鹿だから」とか言ったりする、いかにも戦前レベルのジェンダー観は今読むとやはりむむむと思うものの、そういう主人公の傲慢な態度がしくじりラブストーリーとしてはハマってもいます。
「男にとって最初に惚れる女は謎だ」みたいなのはすげえ分かるし、巨大な謎である初恋の女と、めちゃディスりまくってる現在の妻とへの感情がわちゃくちゃになるラストの展開は素晴らしい。まさかこんなところでエモいラブストーリーが読めるとは思いもしませんでしたね。
(ネタバレ→)手紙の誤字を心中で指摘するくだりの、学がない思考力がないとバカにしてきた妻に捨てられる東儀の哀れさなんかはしんみりと染みるものがあります。

あと、死病に侵されたキャラクターが二人出てきますが、この二人がそれぞれ印象的で良かったですね。

て感じで、木々が常々提唱していた探偵小説芸術論の通り、文学的な部分がむしろ面白い長編。ミステリとしてはいまいちですが、タイトルの意味が最後にじわっとくるのも素敵な恋愛小説です。





「永遠の女囚」

かつて結婚式の直後に夫から逃げ出し、それとは別に駆け落ち事件も起こした奔放な義妹。そんな彼女に、今度は父親殺しの嫌疑がかけられた。弁護士の主人公は、密かに愛する彼女を救おうとするが......。


これまたなんとも男の妄想を具現化したようなお話()ですが、妄想男子の一員としては萌えないとは言えませんね。はい。
妻の妹と愛し合いながらも互いにそれを言い出せるはずもなく......っていう距離感が堪らんすわ。
彼女が起こす事件の数々もハタ迷惑でありながらその奔放さに痛快な気分にすらなりますが、第三の事件によって彼女への印象がガラッと変わり、タイトルがエグい余韻となってエモ死にそうになりました。正直、好き。





新月」 「月蝕」

50代の実業家に嫁いだ若い娘が夜の湖で溺死した。父親や兄たちは、夫を疑い慰謝料を求めるが......。


......というのが、「新月」の内容。
著者の結婚観を表したような内容らしいですが、おじさんと若い娘との恋愛模様に正直キモさ半分ときゅんきゅん半分のアンビバレントエモーションに苛まれつつ、月下の湖上の場面の幻想的な美しさは忘れ難く、謎かけのような言葉の意味が分かるやじんわりと余韻が効いてくる......のですが、「月蝕」では小説の体を取ってそんな「新月」の作品解説を行っていて、正直蛇足というか野暮天ですよね。なんでも読者から「よく分からん」という意見が多かったらしいですが。
別に分かりづらいってほどじゃないし、分からなくてもいいじゃないと思うけどね。
ともあれ「新月」という短編自体は良かったです。





『わが女学生時代の罪』

プロローグはとある画家の不審死。現場を調べる捜査官や精神科の医学士の「私」は、突然に気分を悪くし倒れる。
そして本編。時は遡り、「私」がとある女性の精神分析をしていく。彼女の症状には女学生時代の同姓同名の学友との同性愛関係が関わると睨む「私」だったが、治療は難航し......。


やはり、古さを感じます。
なんせ同性愛を病気だの罪だのと言い切っているあたり、今からは考えられないっすよね。
また、先に言っちゃうとメインのトリックもなんつーか、酷いっちゃ酷いですよね。これ、早坂吝とかがギャグでやるならアリかもしれんけど、真面目に言われるとマジか!ってなる......。女を何だと思ってるんだろう......。
それは置いといて、ストーリーもなんだか前半はモタモタしてあんまり面白くないんですが、後半で動きが出始めるとやっとちょっと面白くなってきて、終盤で冒頭の場面に戻るところからはかなりアクセルかかってきてのめり込めましたね。
とはいえ、いつもの精神分析は面白いものの、しょうもない毒殺トリックとか変なエロネタとかはパッとしなく、『折蘆』のが断然面白かったかなぁと思います。





「バラのトゲ」

死の間際に犯人の名前を言い残した被害者。しかし、名指しされた当人には鉄壁のアリバイがあって......。


著者の寝取りとか寝取られ趣味はこれまでにも散々見てきましたが、これも恩師の元奥さんにちょっと惹かれるっていうとこになんともムラム......ドキドキさせられます。
ただし恋まで発展することなく彼女は殺され、後半では主人公は存在を抹消されて大心池先生の独壇場。
講義や手記を織り込んだ構成も悪くはないけど、もっとこう、恋愛ものっぽくはじまるならそっち路線で読みたかったかなぁ。