偽物の映画館

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永井玲衣『水中の哲学者たち』感想

1991年生まれの若き哲学研究者による、ゆるくも美しい哲学エッセイ。


著者の永井玲衣さんは哲学研究者にして、哲学対話のファシリテーターってのをやってる人です。
哲学対話というのは、学校など多人数のグループで一つの問いについて話し合うことで、「生きることの意味は?」「死ぬってどういうこと?」みたいないかにもテツガクという感じのテーマはもちろん、「なんで宿題やんなきゃいけないの?」「なんで不倫をしちゃダメなの?」といったラフなものまでなんでもおっけー。
本書では、著者がこの哲学対話を行った経験を軸に、他にも学生時代の思い出や日常でのささいな出来事から哲学の種が生まれる様が描かれています。

「哲学」っていうと、どうしてもプラトンマルクスアリスとなんとかデッガーで風呂井戸がツラスラストラがかく語って純粋理性批判が不純異性交遊で存在が存在するゆえに存在あり......みたいな、用語や言い回しが小難しくて取っ付きにくいイメージ。
あるいは、よく分からないことを言った友達に「テツガクじゃん(笑)」みたいに揶揄するみたいな使い方をされることもともすればあったり。
しかし、著者は、ヤスパース「哲学とは驚異、懐疑、喪失の意識」であるとの言葉を引きながら、要するに「やば(驚異)、まじで?(懐疑)つら(喪失)」から哲学は生まれると喝破します。
こういう、にやにや笑えるようなゆる〜いユーモアを交えながら、専門用語なども使わずに書かれていくので、「哲学推し」の人が推しの尊さをひたすら語るだけみたいな本なんですね。
だから哲学のベンキョーには全くならないし、ただのおもしろエッセイに過ぎないんだけど、でも読むと哲学へのハードルがガクッと下がってなんだか哲学くんのことが気になってきちゃいます。

また、著者が哲学対話のルールとして挙げる、「よく聞く」「自分の言葉で話す」「変わることを恐れない」「ゆっくり考える」などはそのまま現代のSNS社会における自戒としたいようなもの。

哲学対話は闘技場ではあり得ない。
だからといって、哲学対話は共感の共同体でもない。

極端で分かりやすい意見がバズり、言い争いは平行線を描いてお互いに主張をぶつけ合うだけのもの。
そんなツ××ターの世界に私もかれこれ10年は住んでいるので、ほんと気をつけなきゃなと。
私以外私じゃないの。他人は他人で完全に分かりあうことは不可能だと念頭においた上で、しかし他人と影響を及ぼし合わずに生きることもまた不可能なわけで。
フツーでヘンな著者の語りににやにや笑いながらも、そんなことを考えさせられた素敵な一冊でしたよ。