偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

ディーパ・アーナパーラ『ブート・バザールの少年探偵』感想

長年ジャーナリストをやってた著者のデビュー作。
インドの作品ですが、アメリカの探偵作家クラブ賞を受賞して話題になったようです。

インドの小説ってのを読むの自体初めてで、インドに対しても『スラムドッグ・ミリオネア』とか『きっとうまくいく』くらいのイメージしかありませんでした。
スラムを舞台に苛烈な格差社会を描いている点で特に前者には通じるところもあり、著者の筆力も相まって自分なりにですが現地の空気感を感じながら読むことができました。



スラム居住地に暮らす9歳の少年ジャイは、両親や姉、友達に囲まれ、貧しいながらも楽しい日々を送っていた。
しかしある日、クラスメイトのバハードゥルが行方不明に。
TVの『ポリスパトロール』が好きなジャイは、友達のパリやファイズを助手に、失踪事件を調べる探偵になることを決めるが......。


インドでは毎日180人もの子供が行方不明になっている......そんな衝撃的な事実を基に描かれた本作。
表紙からイメージされるような、子供たちが恋に友情に冒険にと大活躍するようなジュブナイルではなく、最後に犯人がわかってめでたしめでたしとなるミステリでもなく、残酷な社会と子供が消えた親たちの悲痛な思いを描いた重厚な社会派犯罪小説なんですね。



読んでいて上手いと思ったのは、9歳の主人公ジャイが等身大の9歳であること。
フィクションに出てくる子供って実際より大人っぽすぎることがありますが、彼は私が9歳の頃と変わりないモノホンの9歳なんです。
読者はそんな彼の視点で読んでいくので、大人になって見えなくなってしまった世界(親からお金を盗む気持ちとか)に帰ることができます。彼とその友人たちは、貧困層であるという自覚もなく、だから大人たちのように悲観的ではない、快活さやユーモアを携えています。彼から見た居住地やバザールは美味しそうな食べ物と多様な人々が溢れる活気のある街。重い物語ではあるからこそ、そんな活気が読み進めるのを手助けしてくれます。

......とはいえ我々読者はもうすっかり世の中の汚れに染まった大人でもあるので、ジャイには見えていないどうしようもない現実(貧富の差、あの向こうのマンションに住む金持ちの生活、信仰の違いによる断絶、女であることで受ける抑圧、女が性的に見られること......)もまた彼の目を通して見てしまうのです。

子供らしい、無知や残酷さを含めた無邪気なジャイが、事件に深く関わっていくことで痛みや哀しみに触れる、成長というにはあまりにやるせない、現実世界を知り子供ではいられなくなってしまう物語となっています。



一方、ジャイの視点とは別に2つのパートが並行して描かれます。

一つは行方不明になった子供の視点。
スラムの中では多数派のヒンドゥー教の家庭の男として良い両親のもとに生まれたジャイには見えない、虐待や差別に晒されて姿を消してしまう彼らの語りは、恐らく著者がジャーナリストとしての取材で聴いた話を基にしているんだと思います。このパートは聴き書きのインタビュー集のような近さで真に迫って描かれ、胸が痛みます。

そしてもう一つは「この物語はきみの命を救うだろう」というパート。
こちらは本編とは直接的には関わりがなさそうなお話として描かれるのですが、本書のテーマを端的に表したパートでもあります。
現実は悲惨で、実際には物語は命を救ってはくれないけれど、物語という名の祈りである本書がお守りになってくれて、みんながそのお守りを持ってたら世の中はもうちょっと良くなるんじゃないかと思います。
インドの社会問題を描いていつつ、日本でも、たぶん世界のどこにでもある分断や軋轢を描いた普遍的な物語でもある本書を、ぜひみなさん読んでみてほしいです。