偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

西澤保彦『夢幻巡礼』読書感想文


刑事で殺人鬼の奈蔵の元へ、10年前の凄惨な事件の際に姿を消したリュウから「事件現場の山荘にいる」という電話が来る。
嵐の中2人の女性が惨殺されたあの事件の日、リュウは確かに自分が姿を消して10年後に戻ってくることを仄かしていた。
奈蔵は上司の能解警部と共にあの山荘へ向かうが......。


神麻嗣子シリーズの番外編的長編。

というのも、能解さんこそガッツリ登場するものの、ほかのシリーズキャラたちはほとんど出てきません。
シリーズ特有のおちゃらけた雰囲気は今回鳴りを潜め、代わりにシリアルキラーの主人公・奈蔵涉の一人称で血とセックスに塗れた物語が語られていきます。
テーマも母子癒着(いわゆるマザコン)やサイコキラー精神分析、性的不能など重ためなものばかりで、やはりこのシリーズとしては異色。
とはいえ、シリーズの中では異色なものの、西澤作品としては平常運転ではあるので、特に引っ掛かりもせず楽しめました。



とにかく事件が色々起こる......いや、色々なことが既に起きてしまった状態から物語が始まり、しかし何が起きたのかは小出し小出しで全貌が掴めないまま展開していきます。
また、登場人物が多い上に全員ヤバい奴ばっかりなので、意外な過去や隠れた思惑なんかも盛りだくさん。極端にデフォルメされつつもリアルな人間の闇を抱えたキャラクターたちには嫌悪感と共に少しの共感を抱いてしまいます。

大まかな流れとしては、主人公のサイコキラーとしての成長譚(?)になっていて、家庭環境から幼少期の原罪から殺しを積み重ねていくまでをエモーショナルに描いています。
主人公が重ねていく殺人の一つ一つが印象的なエピソードになっている一方で、そんなサイコキラーの彼すらも恐怖に震える山荘での事件の異様さもまた際立ちます。
この山荘の事件だけ切り取ってみれば、陸の孤島での顔を潰された死体という実にオーソドックスな本格ミステリなんだけど、全体では全然そんな気がしないですもんね。



で、凄いのが、そんだけいろいろ詰め込まれていたら焦点がぼやけがちになりそうなところですが、しかし、大テーマがしっかり立てられているため、枝葉は多くともちゃんと一本の太い幹の元にまとまっているんですね。
(ネタバレ→)"さやか"が執着する"血"というキーワードも、メイントリックであるタイムスリップ乗っ取り作戦も、全てが親子関係、母子癒着というメインテーマに回収されていきます。
その果てにあるのが、生まれくる奈蔵と由実の息子......
という結末はアツいっすね。

というわけで、本作でシリーズ全体のラスボスが出てきて今後が楽しみになりそうなところではあるのですが、実際のところ本シリーズはもう10年以上音沙汰無しで放置されているのでどうも完結しそうな気がしないのが難点ですね......。