偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

綿矢りさ『しょうがの味は熱い』感想

こないだ結婚したので、結婚にまつわる本作を読んでみました。

表題作と「自然に、そしてスムーズに」の2編が収録されていますが、続きもので実質合わせて一つの長編です。

同棲していながら結婚には至らず少しずつズレていってしまっている男女、奈世と絃のそれぞれの視点から語られる物語。


等身大、なんて言うと陳腐ですが、私が書いたんじゃないかと思わされるくらいに主人公たちどちらにも共感してしまう部分があるあたりはさすが現代の太宰治です。

一方でどちらにも気に食わない部分もあり、例えば絃の几帳面さには虫唾が走りますし、奈世の甘ったれなところもぶん殴りたくなりますけど、それもまたリアリティであり、「おいおいそんな男やめとけよ!」「あの女まじムカつくよな!」なんて勝手に行間に出演してしまいたくなるほど。

そんな中でもやはり私が男だからか、基本的には紘の側に立って読んでしまいました。
いびきのくだりとか私も最近よくやってるので「なんで知ってるの」って思いましたし。
奈世の視点を読んでなかったら、この突然結婚しようと迫ってくるなんてのは恐怖でしかないですからね......。
まぁそもそも男が結婚したくないのは仕事の悩みのせいがほとんどなので、働きやすくてちゃんと報酬のもらえる世の中になれば全部解決なんですけどね。うん、世の中のせい。2人とも悪くないよ!

そんな感じで、「しょうがの味は熱い」の結末で変化の兆しが見えつつ、「自然に、とてもスムーズに」に入っても停滞してて、停滞しながらも変質していきつつ、結局最後まで劇的に何かが変わることもなく......というぐだぐだ加減が非常にリアル。
私も結婚するのしないの戦争をしてた時にこうなってたかもしれないと思うと、価値観の合わせられる程度の相手でラッキーだったなと思います。こいつらはもう無理だわ。

もちろん、綿矢りさらしいハッとさせられる表現もてんこ盛りだし、後半のですます調の中に言い放つような語尾が垣間見える奈世パートの語りなんかはやっばり太宰の女性独白小説を思い出してしまいます。
一つ一つの文章を読んでいるだけで楽しくもヒリヒリしたり切なくなったりして、ストーリーとは関係なく読んでるだけで楽しかったです。いつもだけど。

深水黎一郎『最後のトリック』感想

第36回メフィスト賞を受賞したデビュー作『ウルチモトルッコ』を改題・改稿した文庫版。


作家の主人公の元に届く、「ミステリ界最後のトリック"読者が犯人"のアイデアを2億円で買ってくれないか」という手紙。
果たしてそのトリックとは......!?

といった具合で、デビュー作にして「読者が犯人」という離れ業に挑んだ野心作です。

まず先に言ってしまうと、読者が犯人のトリック自体は「うん、まぁ......」といった感じのものです。
だって私がやってないことは私が1番よく知ってますからね。
どうしたって読者に本気で「俺がやったんだ......」と思わせるのは無理筋ですから、そしたらもうどう頑張ったって意外性やインパクトの方に振り切るしかないわけで。
そのインパクトの点で、例えば国内のコージー歴史ミステリで有名な某作家の某長編(ネタバレ→)鯨統一郎パラドックス学園』のようなインパクトはなかったかなぁ、と。

ただ、本作の面白さはトリックそのものではなくその扱いであり、その点においてはめちゃくちゃ面白かったです。
序盤の、特に何の変哲もない作家の日常が描かれつつ、謎の手紙が挿入されていくあたりの「これから何が起こるのか?」、また中盤からの挑発的な展開への「何が起こっているのか?」というホワットダニットのような興味で読ませてくれます。
また、私がどうやって被害者を殺したのか?というハウダニット的な側面もありますね。
その辺の引きの強さでぐいぐい読ませてくれます。
と言いつつ、終盤までわりと関係なさそうな話が続くのですが、それをどう本筋に絡めるのか......?というところもまた謎の一つですよね。
そして、トリックが明かされることでここまでの物語の意味が分かり、それと同時に隠されていたもう一つの物語が浮かび上がってきて実は結構泣けるんですよ。
この辺の人間ドラマ部分、「読者が犯人」というイロモノっぽい趣向とは正反対で驚きましたが、それこそが本書の面白さの眼目だと思います。
なんというか、イロモノだと期待してたら真っ当に面白い小説だった......というところを是とするか非とするかで評価が分かれそうですが、私は好きですこれ。
デビュー作にして、ミステリの新たな可能性を切り拓こうという挑戦的なところと小説としてのソツのない巧さが併さった良作。
そんなに読んでないけどこれが後の作品に繋がっていくんだなと分かり、ほかの未読作品も読んでみたいと思わされました。ハマるかも。

麻耶雄嵩『メルカトル悪人狩り』感想

2011年、雑誌『メフィスト』に掲載された「メルカトル悪人狩り 第1話」......しかし、その後第2話が出ることはなかった......。
そして、昨年あたりからようやくまたメルカトルものの短編がちょいちょいメフィストに載りだして、10年越しにようやく本になった待望すぎるメルカトル・シリーズ最新作!


嬉しいサプライズとして、本書には1997年に雑誌掲載されて以来、本に入る様子のなかった「愛護精神」や「名探偵の自筆調書」も収録され、もはやファンブックのような趣もあります。
そして後半からは近年の作品が並べられているので、前半が待ちに待ったファンへのサービスと初心者へのキャラ紹介、後半がちゃんとしたミステリ短編みたいな構成になっています。
全体に前作『メルカトルかく語りき』ほどの大きなコンセプトはないものの、「囁くもの」というワードに代表されるように、銘探偵というものの在り方が描かれていき、最終話に至ってそれがとある極点に達するようなところはやはりこのシリーズらしいエッジの効き方でした。

メルカトルものということで期待しすぎるとアレですが、待った甲斐あって普通にしっかり楽しめる一冊でした。

以下各話感想。



「愛護精神」

短いながらメルカトルの超越性を見事に描き出した短編です。
普通のミステリならこの推理をしてもせいぜい「起こるかもしれない」程度のことでしかないと思うんですけど、メルカトルがこの推理をしたことによって事件の方が起こりに来たような印象があります。
また、えちえち未亡人が咬ませ犬にもならず、ひたすらメルと美袋がイチャつくだけのお話でもあり、ファンとしてはニヤニヤしちゃいます。
タイトルの回収は笑った。



「水曜日と金曜日が嫌い」

「七人の名探偵」という、多分に新本格ファンへのファンサのようなアンソロジーが初出なのもあり、メルと美袋のキャラ紹介のような側面もある短編です。
一見不運に見える幸運により美人と温泉と殺人事件に同時に遭遇しちゃう美袋くんと、長編には向かない探偵を自称するメルカトル。
というか、本作は長編に向かない銘探偵が長編らしい事件に遭遇したら......という『ため殺』の名台詞からの二次創作みたいなお話なので、そりゃファンサでしかないよなぁ、と。

事件関係者たちのネーミングをはじめ、いかにもすぎる事件の様相自体が古き良き本格ミステリのパロディみたいになっていて、(ネタバレ→)これまで全く登場していない人物が犯人だったり、博士の秘密が明かされなかったりという釈然としなさもまた悪質なミスパロなのかもしれません。
そして、釈然としない読者へのサービスのように、絶望的なラスト一言が放たれて思わずウケケケケと爆笑しちゃいました。



「不要不急」

でもわりとしれっとしてるあたり美袋くんらしいというか、そもそもメルカトルにあんだけボロクソ言われてもあんま興味もなさそうなサイコ感が美袋くんの面白さですよね。
てなわけでコロナ禍における新語・流行語を全部載せてキャラ萌えショートショートを描いてみましたみたいなお話で、特にオチもないんだけど2人の会話を読んでいるだけで幸せな気持ちになれるので好きです。



「名探偵の自筆調書」

これが載ってる『IN☆POCKET』をわざわざAmazonで注文して読んだくらいハマってた時期もありましたが、待望の単行本収録......というかこんなんまで入れるとは思わなかった。読みたいっていうファンの声が届いたんですかね。
「ミステリの犯人はどうしてわざわざ容疑者の限定されたクローズドサークルなどで事件を起こすのか?」という野暮なツッコミに対する冗談めかした反論になっていて、ラストの一言はメルカトルシリーズらしい身も蓋もないブラックジョークみたいな味わいで好きです。
1番最後のとこの「君が僕がどうこう」ってセリフの意味がよく分からなかったんですが、誤植ですかね?ファンなら分かるの?
ちなみに調書部分はカットされてましたね。



「囁くもの」

とある会社社長の邸宅で主人が不在の間に起きる殺人事件。
メルカトルにしては非常に地味な事件ですが、そのオーソドックスさゆえにメルが邸宅で繰り広げる狼藉が面白くなります。あと美袋は今回も存在が面白い。
ロジックはとある一つのものから着実に犯人を特定するもので面白かったです。どうしても頭が悪いのでこれくらい分かりやすいロジックがありがたい。
そして事件が解決した後の対話の方で銘探偵という存在のヤバみがじわじわと滲み出てきて良かったです。
それを言うなら、山道で迷子になったり、わざわざ鳥取まで来てメルカトルに偶然出会ったりしてしまう美袋もまた......。
あ、あと、動機が無駄にエグいのも麻耶みですよね。取ってつけたようなわりにはエグいっていう。



「メルカトル・ナイト」

タイトルからしてクソわろですが、中身も面白かったです。
トランプによるカウントダウンの脅迫ってのがもう現実にこんなことやるやつおらんやろって感じでミステリっぽくてわくわくしちゃいます。
犯人の動機ももちろん現実離れしたもので「ああ、人間の描けていない新本格ミステリだなぁ」と嬉しくなっちゃいますね。
そして明かされる真相ににっこり。これぞメルカトルシリーズの銘ですね。
そんなメルカトル氏ですが、前話に引き続きウザ絡みおじさんに成り果てていて面白かったし、美袋の扱いも面白かったです。
ただ変な文学論みたいなところはあんま面白くなかったです。
ちなみに、美袋が言うライバル的存在とはあの人のことでしょうね。エモい。


「天女五衰」

天女伝説の地で起こる事件に2人が挑むわけですが、美袋の三文作家な部分がガンガン出てると同時にメルとのいちゃつき具合がやばくて一部のファンにはご褒美だろうなぁと思います。
事件の謎解き自体はシンプルすぎてあんま印象に残らないですが、某過去短編を彷彿とさせる黒い結末は印象的。
ちなみに、美袋が参加したアンソロジーで優勝したのはあの人なんでしょうね。エモい。


「メルカトル式捜査法」

最後の話にして、いつもと違うメルの姿が見られるめちゃくちゃファンサービスみたいな話......かと思えば、それを使ったあまりにもめちゃくちゃなロジックには唖然......。
『メルカトルかく語りき』のトリを飾った「密室荘」の話題が出てきますが、本作もまた「密室荘」に通じる内輪ネタとも呼べそうなエッジの効き方してます。

(ネタバレ→)
「囁くもの」では、神か悪魔か麻耶雄嵩かがメルカトルに囁いているというモチーフが現れましたが、トリのこの短編に至ってはその「囁き」そのものを手掛かりとして採用してしまうという倒錯が起こっています。
これによっていよいよ銘探偵メルカトル鮎という絶対的に見えた存在さえも糸に繋がれた操り人形にすぎないような印象が与えられます。
また、メルカトルをマネキンに!という作中のギャグもこの印象を補完しています。
思えば本書全体でもメルカトルが愚痴ったり居眠りしたりと人間的に見える部分が強調されている気がしますが、それもこの作り物めいたラストとのコントラストを上げるためでしょうか。
ともあれ、徹底的に「人間を描かない」ことで何か詩情のようなものが溢れ出て
くる見事な最終話でした。

小川勝己『葬列』感想

横溝正史ミステリ大賞を受賞した、小川勝己のデビュー作です。



場末のラブホテルで働く明日美は、障害者の夫の医療費に逼迫される生活を送っていた。
九条組の構成員である青年ヤクザ史郎は、気弱な性格から組でも軽んじられていた。
人生に行き詰まる彼らが出会った時、一世一代の大勝負の幕が上がる......。


デビュー作ですが既にいつもの小川勝己らしさが確立されています。
言ってしまえば、著者の作品はほとんどが「社会の下層にいる人々が破滅と引き換えに最後の花火を打ち上げる」みたいな話であり、本作もそれです。
デビュー作だから大人しいのか、後の作品ーー例えば2作目の『彼岸の奴隷』なんかと比べてもエログロは控えめ。
一応えっちな人妻は出てくるけど、彼女とどうこうなることもないし、クセ強ヤクザさんたちも出てくるけど常識的なヤクザの範囲に留まり(?)人肉を食べたりはしません。
なので後の作品を知っているとやや刺激が足りない気はしてしまいます。

ただ、お話はやっぱりべらぼうに面白いっす。
大袈裟な描写や都合の良い展開などが多いことが、著者の場合は瑕疵には思えず、むしろストーリーを牽引する勢いとなって圧倒的なリーダビリティを生み出しています。
そして、その辺でリアルさを犠牲にしている代わりに心理描写はとてもねっとりと描かれるので、誇張されつつもリアリティはあるという独特の読み心地になっています。
登場人物たちのやってることはめちゃくちゃなんだけど、共感できちゃう。気持ちは分かるよ......とかじゃなくて、読んでる間はもう「やれやれ!ぶっ殺せ!」くらい前のめりに共感できちゃうんです。
それだけに、クライマックスのどんぱちやるところなんかもサイコーに上がるし、サイコーに上がりつつも逆転劇というよりはやけっぱちのマリアなノーフューチャー感に泣きそうになったりもしちゃいます。

そんな激エモなクライマックスの後のミステリ的な解決は正直要らない気もしちゃいますが(わりと見え見えなので......)、エモからのサプライズというのも後に通じる作風であり、『まどろむベイビーキッス』なんかを思い出してしまいます。

そんな感じで、デビュー作には作家の全てが詰まってるなんて言い方をよくしますけど、本作に関してはそう言ってもいいんじゃないかなって感じの傑作でした。

ラーメンズ第17回公演『TOWER』

しばらく間が開いてしまいました。
というのも、本作が(今後再結成とかがなければ)ラーメンズの事実上最後の本公演ということになるので、なんかもったいなくてしばらく放置して映画とか観てたんですけど、そうすると今度はラーメンズ不足でイライラしてくるので結局観ちゃいました。


収録内容
タワーズ1/シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ/名は体を表す/ハイウエスト/やめさせないと/五重塔/タワーズ

前回の『TEXT』をはじめ、ここんとこのラーメンズの公演は話同士の繋がりがあるものが多い印象でしたが、今回に関しては繋がりというのはほとんどありません。
その代わり、ほぼ全てのコントが「タワー」にまつわるものなので、統一感というか、コンセプチュアルな感じはやっぱりありました。
そして、前回はシリアスで知的ぶった感じだったのが、今回はその反動なのか、もうちょいシュール寄りで馬鹿馬鹿しい感じの面白さでした。
以下各話感想。



タワーズ1」

塔のように聳え立つ象徴的な2人の姿から公演が始まります。
一つずつフレームを外していくように発想が、世界が広がっていく様は意外にして爽快。広い意味で叙述トリック的と呼んでもいいかもしれません。
そして知育玩具になっていくところの、知的でもありつつ無邪気で感覚的な面白さがまた心地よかったです。
ここからラーメンズの世界が始まるという期待に満ちた開幕です。



シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ」

からの、わけわかんない系()。
ドアの話とあやとりの話が噛み合わないまま並行する様は前回公演の「モーフィング」をもうちょい分かりやすくしたみたいな感じでもあり、翻弄されつつも面白かったです。
あやとり、懐かしいですよね。めっちゃ苦手だったのであやとりできる人すげえと思います。



「名は体を表す」

ラーメンズらしい言葉遊びネタですが、途中からかなりアクション要素が入ってくるのであまり知的っぽくないというかむしろアホっぽくて面白いです。
こういう、小林さんが賢そうな顔で実は変なこと言ってるやつ好きです。
あと、片桐さんがどんどん暴走してくやつも好きなので、ラーメンズの好きなところが詰まった好きなお話でした!



「ハイウエスト」

これはわけわからんかった。
ハイウエストそのものの見た目の面白さと、ハイウエストという言葉の響きの面白さと、小林さんの顔の面白さ、それだけのお話です。
最初は基礎編みたいな感じで思った通りのところに来る笑いで、そこからだんだん応用編みたいに予想を外してくる面白さにシフトしていく構成が良いっすね。



「やめさせないと」

個人的な好みでは本作で1番好きなのがこれでした。
親友が他の友達と遊びに行ってしまう......という友達がほとんどいない陰キャ特有の悩みに共感しちゃった時点でもう好きになること確定。
話の筋はシンプルなはずなのに、途中でトリッキーなことをしはじめたり、某チェーン店のネタがやけに長かったりと脇道の部分でめちゃくちゃ楽しめます。
そして小林さんがとにかく卑屈で卑屈で、ハッピーエンドっぽいラストですら実はそんなに前進してない感じとかも見ていて痛々しくて凄く好きです。



五重塔

久しぶりにこんな馬鹿馬鹿しいものを見たってくらいに馬鹿馬鹿しいやつでした。
もはや会話も成立していなくて小林さんが訳わからんこと言うのに片桐さんが勝手に突っ込んでるような感じで、もはや勢いだけのネタなんですけど、その勢いが凄いからなんとなく笑っちゃうのが悔しいです。



タワーズ2」

アウトロダクション的なやつ。
これまでのコントに出てきたものや人が勢揃いしますが、繋がるとか伏線回収とかではなく、カーテンコールとかrepriseみたいなもの。
ベタな笑いを織り交ぜつつもオシャレに公演が終わっていく感じで個人的にはこの終わり方は好きです。
最後のパントマイムとかまじでめっちゃシャレオツですやんね。

今回、ほとんどの話にタワーというワードが関連はしてくるけど、正直その絡め方は無理くりな感はあったんですが、これがあることでさもかっちりしたトータルコンセプトだったように錯覚させられてしまうからズルいです。

グレアム・グリーン『情事の終り』感想

『第三の男』などで知られるグレアム・グリーンによる、2度映画化された作品です。
私も2度目の映画化である1999年ニール・ジョーダン監督による『ことの終わり』の方は観ていて、結構好きだったのですが、やはり小説で読んでみると終盤が特に結構違ってたり、単純に心理描写が細かく描き込まれていて分かりやすかったりしたので、映画だけじゃなくて原作も読んでみるの大事ですね。



作家の主人公モールスは、友人のヘンリーの妻であるサラと1年半前まで不倫の関係にあったが、サラは突然彼の元を去る。
そして現在、ヘンリーから「サラに男ができたようだ」と相談されたモールスは、サラと通じている"第三の男"を突き止めるために動き出し......。


読みやすくも読み応えのある傑作でした。

というのも、不倫を題材にしていて、疑惑と嫉妬、愛と憎しみ......といったラブストーリーらしいテーマも描かれつつ、後半では特に「信仰」というテーマがそこに重なってくる深みのある純文学でありつつ、ストーリーの展開に関してはかなりエンタメ性も高く、ミステリのようにも読むことができるんですよね。

実際のところ、ミステリでいうところの「解決」にしても、描き方によってはかなり意外性のあるどんでん返しにすることも出来そうなものです。
本作はそこに重きを置いていないので特に「えー、びっくり!!」みたいにはなりませんが、それでも非常に良く出来たお話なので驚かされてしまいます。
また、構成も視点や時系列の組み替えが多くてとてもミステリ的。特に中盤のとあるシークエンスでそれまでぼんやりとしか見えていなかった物語の全貌が分かっていくあたりはエンタメとしてめちゃくちゃ面白かったです。

ラブストーリーとしては、愛ゆえに嫉妬や疑惑が生まれてやがて憎しみになっていく様にはかなり感情移入してしまいますし、語り手が作家なだけあってか文体が理屈っぽいのでこうでこうでこう、という感じに心理描写がされてより納得しやすくなってます。すげー雑な言い方ですけど日本っぽいドロドロさがない代わりに、いかにも海外文学っぽい比喩表現も多用されていて、異国情緒みたいなものも感じます。普段海外の小説をそんなに読まないだけに。

そして、後半から信仰というテーマが色濃くなってきます。
普段宗教を扱った作品を観たり読んだりしても日本人だし無宗教だしいまいちピンと来なかったりするんですが、本作に関してはあまりそういう感じがしなかったです。
というのも、本作で描かれるのは聖書の内容とかではなくて、神を信じる、あるいは信じないに至る心の動きだからです。
人間、特定の宗教を信じていなくたって運命とか正義とか愛とか何かしら信じるものがなければ生きられないものなので、彼らの気持ちは分かるというか。
終盤の(ネタバレ→)サラを失った男2人で暮らすあたりなんかは、そういう経験はないけどなんか分かる感じがしていいんですよねぇ。
また、終盤から脇役たちもまたいい味を出し始めてそこらへんも良かったです。

そんな感じで、旅行中に読んだから余計に良かった気がしちゃいますがそれを差し引いてもめちゃ良かったです!

道尾秀介『スケルトン・キー』感想

道尾秀介サイコパスを題材に描くエンタメスリラー。


サイコパスを自認する少年・坂木錠也くんが主人公。
恐怖を感じない性質を利用してゴシップ雑誌の追跡調査の仕事をしているが、ある日児童養護施設時代の友人から自身の出生の秘密を教えられ......。
という感じのお話です。


一度ミステリから足を洗った著者ですが、最近はその辺のこだわりも捨ててまたミステリをしょっちゅう書くようになってまして、本書もそんなミステリ寄りの作品の一つ。

良くも悪くも、ライトなノンストップサスペンスって感じ。
サイコパスという題材自体が(この程度の扱い方をする場合)軽いですが、サイコパスらしく余計な感情の入り込まない淡々とした一人称が読みやすさを増していて、まさに一気読み必至。
またサイコパスだけあって、いつものような心理描写は鳴りを潜め、とにかくどんどん出来事だけが進んでいく、ゲームみたいな、とも言えるくらいにエンタメ性に全振りした内容になってます。
ミステリとしても、分かりやすい驚きが一発ドーンと来る感じで、少し前の著者ならこういう意外性だけが取り沙汰されるような「ミステリ」は避けただろうなと思わされるものでした。
「オチだけで評価されたくない」というこだわりを捨てて、こういう作品も書くようになってくれたのはミステリファンとして嬉しい反面、もはや道尾秀介にそういう作品は期待していない......とも思ってしまうワガママ読者なのです。
とはいえ、(ネタバレ→)章の番号を示す数字の反転という綱渡りにして遊び心あふれる伏線なんかの巧さは流石だし、こういうのに気付いて悔しがらされてしまうあたり、どんでん返しの醍醐味分かってらっしゃるなぁ......と楽しませて貰いましたが。

という感じで、肩の力を抜いて書いたような、そして読者も肩の力を抜いて完全にエンタメとして読めば良い作品。普通にとても面白かったけど、他の作品の重厚さに比べると物足りない気はしてしまうかな、というところですね。