というわけで、前回の記事に書いた『忌憶』所収の「垝憶」という中編を長編化したのが本書です。
- 作者: 小林泰三
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2018/10/10
- メディア: 文庫
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とある事件に巻き込まれた時から新しい記憶が数十分しか保たない"前向性健忘"になってしまった田村二吉。自分の現状をノートに記し、記憶をなくすたびにそれを読んで過ごしていた二吉だったが、ある時ノートを見ると「今、自分は殺人鬼と戦っている」という記述があった......。
一方、"他人の記憶を改ざんする能力"を持つサイコパスの雲英光男は、その能力を使ってさまざまな悪事を行なっていたが、ある時妙な男に出会う......。
てなわけで、本書はこの記憶を保てない男・二吉と、記憶を操る男・雲英との対決を描いたサスペンスです。
元となった中編の「垝憶」には分量が少ないゆえの物足りなさがありましたが、長編化されたことで雲英という敵役が新たに登場し、著者には珍しい(一見)ストレートなサスペンスになっています。
本書の魅力はなんといっても主役の2人!
まず、主人公の二吉。
彼は記憶を保てない症状を持ってはいるものの、元来相当な切れ者であり、論理的思考力と咄嗟の判断力はズバ抜けています。
だからこそ、「記憶が失われていく状況でどのようにして殺人鬼と戦うか」という特殊設定ミステリのような条件付きの頭脳戦としての面白さが凄まじいわけですね。
一方、敵役の雲英はというと、これが絵に描いたような悪役なんですよね。知らない方には申し訳ないですが、私は伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』や『死神の浮力』に出てくるサイコ野郎どもを連想しました。しかし、その人格形成において彼の持つ特殊な能力が相当の悪影響を与えたことは想像に難くないので、「作者氏〜はよこいつぶち殺して〜〜!」と叫びながらもどこかでただのクズとして切り捨てられないような魅力をも放っているわけです。いや、もちろん最低だし読んでる間中早く死ねとしか思いませんけどね......。
まず、序盤では2人のキャラ紹介がてら彼らの日常が描かれるわけですが、この日常描写がまた我々からしたら圧倒的な非日常なわけですからね。彼らの特異な生活を疑似体験できるだけでもう掴みからしてバッチリなんですよね。
で、そんな2人が出会うわけですが......。
この2人、どう見たって圧倒的に不利な記憶障害の主人公と、特殊能力を持つ最強の敵......なのですが、実は圧倒的に不利な健忘者の二吉だけが、圧倒的にチートな殺人鬼の能力を無効化できるのだ!......という展開がもうアツいわけですよ!!!
そこからはとにかくただでさえ殺人鬼と戦うなんてドキドキもんなのに、毎度起きるたびに「自分は殺人鬼と戦っているらしい(ただし記憶はないし相手がどんなやつかも分からない)」という状況ですからToo muchハラハラもんですよ。
そして終盤や結末に関してもサイコーなのですがそこらへんはネタバレになるのでちょっと改行を入れて下の方で話しますね〜👇
はい、じゃあネタバレ。
終盤の、対決に持ち込むあたりからは、お互いの能力をどう活かし弱点をどうカバーするかという異能バトルもの少年マンガのような趣になってきて、特に直接向き合って戦うラストは前のめりになって読んでしまいました。まぁ比喩ですけど。なかなか前のめりになって本読む人いないですよね。
さらには二吉が巧妙な作戦で雲英を騙すあたりや、徳さんという名のどんでん返しなどは心理バトルもの少年マンガみたいで興奮しかしない!
しかし、本書で私が好きなのがその後の結末の処理だったりします。
ここまで最悪な悪役が出てくる以上は、主人公がこいつをやっつけてくれないとさすがにスッキリしないし、かといって単純な勧善懲悪ものではちょっと著者らしさに欠けて「いい子ぶって売れる本書きやがって!」という気持ちになってしまいます。さて、こんなワガママな読者の期待に応えられるのか......?と心配してましたが、杞憂でした。
雲英との対決では伏線回収ととっさの機転ですっきり勧善懲悪エンド......なのですが、その後の徳さんというあまりにつかみ所のないジジイの存在で不穏な空気を漂わせ......と思いきや、まさかの「そういえばそんなこともあったなぁ」というところからの暗澹たる気分にさせられるラスト。すげえっす。
そう、ラストに出てくる女は北川先生......ではなく、序盤でいきなり二吉の部屋に襲来(?)した夏生という女でしょう。
そして、以下では「垝憶」の内容にも触れるので未読の方はご注意いただきたいのですが......。
そう、「垝憶」のリメイク版だと思っていた本作ですが、ラストに至ってまさかの「垝憶」の前日譚であったことが明かされるのです!
......とまで言い切れるほどはっきりとはしてないのですが、「垝憶」に出てきた冷凍庫の中の死体が夏生という女ならば、本作のラストの後で二吉と夏生の間に何かがあって(もちろんこんな女だから殺したくなっても不思議はないどころか当然な気さえしますよね)、「垝憶」の発端につながる......のではないかと想像されます。そう考えると、本書のラストはかなり酷いバッドエンドでもあり、痛快さと鬱エンドを両立させちゃってることになりますよね。その発想がもうドSですわ。
なんせ主人公の記憶がないわけだから真相は藪の中でしかありませんが、パラレルワールドだとかただのパイロット版とリメイク版の関係と考えるよりはその方が面白いではないですか!
願わくば、今後このシリーズ(?)の続きが読みたいものです。なんたって、私の仮説が正しければ、二吉のその後は「垝憶」のラストのなんか中途半端なところで途絶えてるわけですからね......。
※ちなみに同じく二吉と徳さんが登場する『大きな森の小さな密室』はめっちゃ前に読んだのですが内容忘れてるので触れられませんでした。ぱらっと読み返そかな。