偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

瞳をとじて(2023)


映画監督のミゲルは、22年前に映画の撮影途中で失踪した俳優のフリオについてTV番組の取材を受ける。
それをきっかけに、自身の半生やフリオのことに想いを馳せるミゲルだったが、やがてフリオらしき男がある場所にいると知らされ......。

ミツバチのささやき』のビクトル・エリセ監督の31年ぶり、ドキュメンタリーを除けば41年ぶりの長編映画
ミツバチのささやき』しか観れてないけどあれはかなり好きだし、正直ミーハー的な興味もあって映画館に観に行ったら、ド平日なのに年配の方を中心にスクリーンの8割くらい席が埋まるほど人がいてびびりました。

はい、感想ですが、まぁ正直難しかったし169分という長尺でほぼ会話劇なので序盤はややうとうとしかけたところもありましたが、観終わった後からじわじわと余韻が広がっていくような作品で、よく分からないけどアホなりに楽しみました。

ミツバチのささやき』は子供が主人公で、未だよく分かっていない死やセックスへの興味と畏れとが幻想的で抽象的な映像で描かれたポエティックな作品でした。
一方本作の主人公は人生ももうすぐ終わりみたいな年齢で、性はもはや関心の外で死も身近なものに過ぎない......みたいな状態なので、映像も地に足のついた感じで、あの印刷して部屋に飾っときたいようなカッコよさはないんだけど、それでも地味ながら全てのカットが美しくて、登場人物の立ち位置(てか座り位置)の一つ一つを取ってもキマッてました。

中盤くらいまではマジでほとんど座って会話するだけみたいな話なんだけど、そんな会話劇の中で記憶やアイデンティティ、また映画とは何かみたいなテーマが語られていき、終盤でようやく物語が動き出すとそれらのテーマがエモーションを伴って観客に迫ってくるような感じで、それまで抑えた筆致だっただけにラストシーンはめちゃくちゃグッときました。
作中作である映画とはまた別に失踪した俳優を特集するテレビ番組も出てくるんだけど、同じ映像メディアであっても映画が特別なもの、なんかこう、魂のこもったものであり、ゲンジツシャカイの役には立たなくてもそんなことよりもっと大事な何かとして描かれているのが良かった。今は配信でいくらでも映画を観れる時代だし、家で観た映画も自分にとって特別な作品はいくらでもあるけど、やっぱ映画館で観るってのは格別だよなぁ、と、作中の映画館が出てくるシーンで思った。ある種時代遅れな映画と映画館への賛歌としても素晴らしい作品!「ドライヤーの死後、映画に奇跡は起こっていない」というセリフからの、それでも映画で奇跡を起こそうとする主人公の姿が尊い

ラストシーンは『ミツバチのささやき』に繋がるものでもあり、これが遺作になったらそれはそれで美しいなっていう構成になってるんですけど、前と後ろに顔の付いた像が過去への眼差しとともに未来への眼差しをも感じさせ、これからもまだまだ映画撮ってくれるんじゃないかな......という気持ちにもなった。
エリセ監督の次回作も楽しみにしてます。