偽物の映画館

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道尾秀介『月と蟹』読書感想文

はい、道尾リバイバル第4弾。
2009年から毎回連続で直木賞候補に名前の上がっていた道尾さんがついに5度目の正直で受賞を果たしたのが本作。
その当時には「あ、道尾秀介とったじゃん」と思ったものの、個人的には道尾離れの時期だったのでそれから放置していました。結果的にはその当時じゃなくてそれなりに人生経験を積んだ今読んだのが正解だった気がします。

月と蟹 (文春文庫)

月と蟹 (文春文庫)


主人公は、海辺の町に住む小学5年生の慎一くんという少年。彼は父親を亡くし、母と祖父との3人で暮らしていますが、母は最近男に会っているよう。その相手の男というのが、慎一のクラスメイトで慎一の祖父のせいで母親を亡くした鳴海ちゃんの父親なのでした。
慎一はクラスにうまく馴染めていませんが、同じような境遇の春也くんと意気投合し、毎日山で遊んでいます。しかしこの春也くんもまた複雑な事情を抱えており、2人の鬱屈した少年達はある日、ヤドカリを焼くことで"ヤドカミ様"が願いを叶えてくれる......という遊びを考案します。やがてそこに鳴海も加わり、3人の少年少女、そして周りの大人達の関係は徐々に変容していきます......。


直木賞受賞作」というご大層な肩書きはあるものの、だからといって普段と格段に変わるわけではなく、普段通りにチャレンジングな試みも丁寧な描写もある、普段通りの傑作です。

まず、序盤は正直なところ単調なんですよね。なんていきなりディスっちゃいましたが、いわば緩急で言えば緩。
ただ、ドラマチックな展開こそないものの、例えば春也と祖父と3人で遊びに行くシーンで友達と祖父が自分そっちのけで仲良くなった感じがしたりとか、子供の頃ってこういうことあるある!っていうリアリティが凄かったり。家に友達連れてきたらなんか親と話が盛り上がってつらい、みたいな。あれって親の立場からするとどういう心境なのかな。まだ分かんないすけど、とにかくこういう個人的でありながら普遍的な感情を描いてスッと読者を物語の世界に引き込む技がお見事です。
あるいは、クラスの女子と夜に散歩したりだとか、"静の舞"を見るシーンだとかには、甘ずっぱい美しさがあったり。
こういう、地味に心に残る場面の積み重ねが、後からじわじわと効いてくるんですよね。


で、こういうじわじわを積み重ねておい
てからの、第4章くらいから、つまりは本書の半分を過ぎたあたりから、物語は一気に面白くなっていくわけです。
あ、別に結末のネタバレとかはしないけど、以下で後半の展開にも触れていくので知りたくない方はご注意を。









というわけで、母への苛立ちや、春也や鳴海との関係性がじわじわと描かれていた前半から一転し、後半は一気に物語のスピード感が上がります。
といっても、外面的に起こることはやはりそこまで派手ではなく、主に慎一の内面の変化、まぁ言っちゃえば、鳴海に対して恋心を抱くとともに、鳴海が春也のことを好きらしいと感じて嫉妬に狂っていくわけです。そこに母を鳴海の父親に取られたくないという、そっちでの嫉妬も加わり、とても小学生とは思えぬ嫉妬の塊になっていってしまうのです。
ことここに至ると、もう鳴海と春也が出てくる全ての描写がつらみ成分100%配合になっちゃうわけで、オカンが出てくるところには大人の汚さが(読者からすれば大人たちの気持ちにも分かる部分は大きいのですが、三人称とは言え慎一視点で書かれているだけに......)満ち満ちているように感じられます。
特に私は初恋時代に同じようなことがあった、つまりは友達と好きな子がとても仲がよくて無理やり張り付けたような笑みを浮かべていたクチですから......もうエモ散らかしましたね。読んでる途中でため息ついて外を自転車で走り回りたくなりましたよ(自転車持ってないから未遂に終わったけど)。
伊集院静による解説には、「道尾作品の少年少女は自らが少年少女であることに戸惑っている」というようなことを言ってましたが、まさにそんな、思春期特有の気持ちを持て余して暴走させてしまうような危うさが、物質的に派手な事件は起きなくても、内面的な緩急の「急」として、後半、とくに終盤で畳み掛けてくるので、後半は徹夜必死、寝坊覚悟で読むべきでありますことよ。
個人的に特に刺さったのは、鳴海の踊りのシーンと、ヤドカリの交尾のシーンですね。セックスというものを知らないけどその気配を感じているような、この時期ならではの気持ちにノスタルジックなエモを感じました。
また、作者本人が苦労したと語る、(ネタバレ→)観念上のヤドカミ様が暴れまわるシーンも、(これは例えば『水の柩』の"解決"にも通じると思いますが)映像でやればバカバカしくなるけど小説だからこその切実さを持った名場面です。



そして、結末もまたいつもながらに過不足なくまとまってますね。
これ以上補足説明を加えれば無粋で、かと言って何も語らなければあまりにモヤモヤする。その間を縫って絶妙に狂騒の後の余韻を残してくれる、見事な幕引きでした。

終わりよければ全てよしとは言いますが、終わりもいいし過程もいいから本当に全ていい傑作でした。
たぶん中学の頃に読んでたら「ミステリ要素ないけどね」みたいないらん茶々を入れてしまっていただろうから、今読んで正解でした。