偽物の映画館

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伊坂幸太郎『火星に住むつもりかい?』読書感想文

最近中学の時にハマってた道尾秀介の未読作品を補完していってるのですが、その流れで同じく中学の時にハマってた伊坂幸太郎の未読作品も読みたくなって買い揃えてしまいました。そんなわけで、しばらくは道尾と伊坂を行き来するような生活が続きそうです。

火星に住むつもりかい? (光文社文庫)

火星に住むつもりかい? (光文社文庫)


「平和警察」が設立され、犯罪予防の名の下に"危険人物"とされた一般人たちが拷問や公開処刑される世界。
平和警察制度の対象である「安全地区」となった仙台では、全身黒ずくめで謎の武器を使う「正義の味方」が現れ、平和警察へのテロ行為を開始するが......。
という設定の、監視社会と魔女狩りのような警察権力の執行を描いたディストピアSFです。

伊坂作品ではしばしば「正義」とか「勧善懲悪」というモチーフが使われますが、本作はそれらへの考察がこれまでよりもう一段 上のステージに登ったような印象の力作にして問題作です。


一般市民が警察に監視されてめちゃくちゃされちゃうってとこは『ゴールデンスランバー』にも通じるものがありますが、ほぼ主人公視点に固定されていたあちらに比べて、本作は常に三人称で書かれた俯瞰の視点で、この世界そのものが主役のような印象でした。
特に序盤は、視点人物が一段落ごとに変わりながらあちこちに話が飛んでいって、まさに神の視点からこの世界を俯瞰している印象。

そんな中で、色んなところで胸糞悪い出来事が起こります。
この胸糞悪さはまさに伊坂幸太郎の真骨頂ではあるのですが......。
ええ、今までの伊坂作品では、城山とか、ペット殺しとか、サイコパス野郎とか、1人(1組)の分かりやすい悪役が出てきてそいつが最後ぶち殺されてYeeeeeah!みたいなノリだったわけですが、本作に関してはそう単純な話ではないわけです。
なんせ、ここは無辜の一般市民が「平和警察に目を付けられた」という理由で危険人物としてギロチンで公開処刑される魔女狩りの国。そして、その公開処刑を人々が「正義の執行」だと思って見物しにくる国。
そう、その設定があるので、読者の我々もまた胸糞悪い奴が酷い目にあって「ざまぁみろ」と思うたびに、「ざまぁみろと思った自分も公開処刑を見にくる奴らと同じなのではないか」という自己批判をさせられるのです。あるいは、嫌な奴が殺されるかと思わせて殺されなかった時の「ああっ、もうちょいでこいつぶっ殺せたのに!」という感情とか。
故意にだと思いますが、そうやって読者の中にある「正義感」による制裁願望を揺さぶることで読者を野次馬の立場にまで堕として「正義」とはなにかについて考えさせるという仕掛けが本作では至る所に仕込まれているわけです。だから油断ならない。
このへんの、勧善懲悪の相対化というのがこれまでの作品と大きく異なるところだと思います。

で、そうやって読者へも鋭い刃を向けておいてから、第2部以降では徐々に主要人物らしきキャラクターも登場して、いよいよ物語らしくなってきます。
本作の一応主役的ポジションになるのが、平和警察の刑事二瓶と、警視庁から来た特別捜査官の真壁。真壁さんは、伊坂作品では陣内や西島や河崎的なポジションの、いわゆる切れる変人。一方二瓶くんは武藤や北村や椎名のポジション......ではありながら、平和警察の真面目な捜査官なので、必要とあらば何でもやるような危うさを秘めています。
そんな2人が探偵コンビのように正義の味方を探していく様は伊坂作品には珍しい刑事ものとして面白かったです。
第1部は胸糞悪かっただけに、この辺からは(もちろん胸糞事案もありつつですが)かなりエンタメに振り切っていて一気に読めましたね。
こっから先の展開はあんまり書くとネタバレになってしまいますが、変人あり、伏線回収あり、意外な展開あり、分かりやすいけど一応どんでん返しもありで、伊坂長編の醍醐味てんこ盛り。

そして、こういう話でありながら結末に後味の悪さがないのが伊坂幸太郎の良さですよね。
「正義」という大きすぎるテーマに挑んでどう話を畳むつもりなのか、どう落とし前をつけるのか、と心配していたのですが、杞憂でした。そもそも、何が正しいのかなんて答えのないことですが、答えはなくてもスタンスはある。そんな、前向きな諦めとでもいうような答えが深いです。これまでの作品より、一歩先を行くような。作中のとある台詞やタイトルの意味とともに、爽やかでありつつも不穏さもある独特な余韻が残ります。

ストレートなエンタメでありつつ、テーマ性は格段に深化した、伊坂幸太郎の新たな代表作と断言できる傑作でした。