偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

小林泰三『忌憶』読書感想文

久しぶりの小林泰三......ってなんか最近読書記録を書くたびに久しぶりって言ってる気がしますね。読書量が減ったからしゃーないねん......。

忌憶 (角川ホラー文庫)

忌憶 (角川ホラー文庫)


さて、本書は3つの中編を収録した連作中編集になっています。
連作、とはいっても、第1話の主人公の、恋人が第2話に、親友が第3話に出てくるという緩やかな繋がりがあるだけでそれぞれの内容は独立したものです。ただ、そこに「記憶」というトータルコンセプトがあることで中編集としてのまとまりもある一冊になっています。
では以下各話の感想を......。





「奇憶」

とある失敗からどんどん堕落していく主人公の直人は、現実逃避のため過去の思い出に浸るようになる。しかし、幼少期まで遡ったところで、彼は二つの月を見た記憶を思い出し......。

不思議な話でしたね。
読み終わってみれば、小林泰三らしいSFとホラーとちょっとだけミステリー的な要素もある作品なのですが、とにかく前半は話の目的地が全然見えないんですよ。
奇妙な夢の光景を挟みつつ、基本的にはひたすら主人公の直人くんの堕落していく日々が描かれるだけという。でもその酷い日常パートがめちゃくちゃ読み応えあるから流石です。
一度の失敗からどんどん追い込まれていき、やがてヤケになっていく描写は作者らしい極端なデフォルメはあるものの、その心理はなかなかリアルで感情移入しちゃうとけっこうつらくなるお話でした。彼が何かをするたびに絶対悪い方にいく気しかしないという、ある種のハラハラ感さえありましたね。特に個人的に恋愛の失敗談は刺さるところが強いので、恋人の博美にまつわるエピソードは涙なしには読めなかったです。
そして、堕落の果てに突然SF的な世界が見えてくるのも良いですね。それまでは物語がどこを目指しているのか分からなかったのに最後は綺麗にまとまった感がずるい。そして、直人の閉じた世界がSF的な視点からぐわっと開けたようでいてその先にいい想像は出来ないような、絶妙な余韻の残るラストが素晴らしいです。



「器憶」

博美の新しい恋人である「僕」は、ひょんなことから腹話術を習得しようと決意する。町の古いおもちゃ屋でタダで腹話術人形を貰ってくるが、やがてその人形が意思を持ったように話しはじめ......。

前話の博美のエピソードの裏にあったのがこの話になります。
これ、ずっと昔に見た『マジック』という映画を思い出しました。といっても内容は昔すぎてほぼ忘れてるのですが、アンソニー・ホプキンス演じる腹話術師が人形との解離性障害になるような話だったような気がします。
本作もそんな感じではありますが、それを小林泰三がやるとめっちゃ小林泰三になっちゃうんですよね(我ながら頭の悪い文章だ......)。
まずいきなり音声学概論のようなことをはじめる独特の衒学趣味からして一味違うぜ小林泰三!大学でさわりだけ習ったので「そうそうわかる〜」と思いながら読めました。
からの、人形が意思を持つくだりでも、あくまでそれは主人公の無意識によって云々というSFっぽさも出してきつつ、「僕」と人形の絶妙にイラっとくる会話の面白さも著者ならでは。
そして、ルールが暴走しだすような終盤の展開から最後に至るまで、らしさ満点の、小林ファンとしては一番楽しめた一編です。



「垝憶」

直人の親友の田村二吉は、直人をチーマーから助けた際に頭を負傷し、前向性健忘になっていた。日記を頼りに生活する彼は、その日記の中に重大な秘密を発見し......。

不謹慎な物言いにはなってしまいますが、前向性健忘というのはエンタメに合いますよね。
特に何度忘れられても愛し続ける......みたいな恋愛ものが多い気がしますが、本作は『メメント』リスペクトであろう、數十分しか記憶が保たない中でミッションを遂行していくサスペンスです。
実は本作は後に『殺人鬼にまつわる備忘録』として長編化されています。それも納得で、たしかにこの題材を中編の短さで読むと正直だいぶ物足りないです。
なんせ、記憶がすぐ消えてしまうため、同じようなシーンが繰り返されたりもして、もちろん適度に省略はされているもののそういうところだけで分量を使ってしまい、結局最後は尻切れトンボで終わってしまいます。
ただ、こういう症状のあるキャラクターがどのようにして目的を遂行しようとするのか?という点の細かい工夫の意外性など面白い部分は多いので、そういう点が気に入れば長編版の『殺人鬼にまつわる備忘録』は間違いなく気にいると思いますのでおススメです。
また、"記憶"がテーマの本書にあって、テーマを最も体現している作品ではあると思います。

Apple Musicに加入しました

はい、しました。

正直なところ、これまでストリーミングってのにはちょっと反発心がありまして。
その理由ってのはまぁ、やっぱCDへの愛着だとか、ストリーミングでたら〜っと音楽流してアルバム単位とかで聴かない人への嫌悪感だとか、「作品」というものへの「単価」が付かないことへの反発だとか、そういうしょーもないけど自分の中では重要な気持ちによるものだったりしたわけです。

でも、時代は変わるものですから、きっとこのまま遅かれ早かれCDというphysicalなモノは衰退していって一億総月額定額聴き放題社会がやってくるのでしょうからね。どうせそうなるなら早いうちに始めて慣れといたほうがいいかと思って始めたわけです。
あと、どうせストリーミングで聴き始めたところで、好きなバンドの新作は特典目当てでフィジカルでも買うだろうし、ガチで好きなバンドの新作なら特典無くても手元に置きたいという執着心で買うでしょうから、結局ガチなバンドには単価を払わざるを得ないわけで......。
そうなると、CD買わずにストリーミングで聴く音楽ってのは、ストリーミングやってなくたってレンタルでしか聴かないような、例えばback nu......いやなんでもない......。
とにかく、どうせレンタルで済ますくらいならストリーミングで月1000円でも払った方が結果的にはアーティストにお金が行くのではないかという......そもそもなんで音楽関係者でもないのにアーティストの取り分を気にしてるのかって話ですけど、そこは腐っても音楽ファンなので......。そこそこのバンドに3000円は払えないけど、多少なりとも貢献したい気持ちはあるというフクザツな乙女心 a.k.a自己チューがあるわけでして。

ともあれ、はじめてみたわけですが、使ってみるとこれがまぁ便利!

気になるハンドの新作は出た日に即聴けるし、なによりレンタル屋にもあんま置いてないようなマイナーな作品なんかも揃ってたり、シングルのカップリングみたいなわざわざCDでは収集しづらい曲まで聴けたりと、開始初日にして色々謳歌しちゃってます......。



気になってたミツメ聴ける......テナーのB面曲聴ける......Denteなんて日本で知名度皆無なのに聴ける......ストリーミング最高やんけ!

そんな熱い手のひら返しをしつつ、気になる音楽が多すぎて片っ端からダウンロードしつつ聴く時間はないという、積読500冊クズ野郎らしい悩みを抱える羽目になってしまいましたとさ。嗚呼、大量消費社会の闇よ............。

2019/3/26

谷崎潤一郎『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』読書感想文

久しぶりの谷崎。書名の通りマゾヒズムが題材の短編を集めた本です。
中村佑介のイケない感じの表紙絵に惹かれて買ったわけですよ。そりゃそうさ!

谷崎潤一郎マゾヒズム小説集 (集英社文庫)

谷崎潤一郎マゾヒズム小説集 (集英社文庫)

ところで、暴露しますが、私はたぶんSでもMでもないです。それどころか、フェチとか変態性慾というものを持ってないんですよね。だから江戸川乱歩とか谷崎みたいなフェティシズムの世界というのは憧れであり分からないものでもあるという。
それだけに、本書に描かれたマゾヒズムの快楽に目覚める甘美さも一歩引いたところから「こいつぁすげえや」って感じで読んでしまいました。私もSかMだったらこのめくるめく甘美な世界にふわっと入り込めたかもしれないのにと思うと残念です。
とはいえ、どの話も読んでて普通に面白かったですけどね。
以下は各話ちょっとずつ感想。



「少年」

恐らくは明治の頃の田舎町が舞台。
寂れた町にある大きな屋敷。そこに住む普段は陰キャっぽいクラスメイト。
小学生の主人公が、そのクラスメイトのお屋敷に遊びに行くと、彼は姉や下男の息子を虐める遊びをしていた。主人公もそこに入るうち、虐められる快感に目覚めていく......というお話。

まだセックスというものを知らないであろう少年たちだからこその無垢な背徳感......。素晴らしいです。
まずは、序盤の縁日のシーンが良い。個人宅で縁日ってどんなんや!と思うけど、昔はそういうこともあったのでしょう。無料で振舞われる飲食物を目当てにする近所の貧しい子供達の喧騒。それとの対比で、主人公たちの禁じられた遊びの異様さが際立つのが良いんですよね......。
遊びの内容はMと言うにはやや易しめ(?)ですが、私みたいなSM初心者にはこのくらいが丁度いい......などと思っていたら最後のあれには引きました......。あそこまでいくともう恐ろしいやら可笑しいやらで、なんとはなしに突き抜けた爽快感というか、エグいのに後味は悪くない感じが不思議な魅力ですね。いやぁ、わけわかんねぇ......。



幇間

幇間という言葉自体、見たことあるけど意味はよく知らなかったんですが、Wikipediaで調べたら「宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる職業」らしいです。要は、道化のようなもの。
本作の主人公はその幇間の男。
周りの人々は彼のことを宴会の盛り上げ役として重宝しますが、内心では馬鹿にしたり、あるいは少し憐れんだり、いずれにせよ軽んじているわけです。そんな彼がある時とある女性に恋に落ちて......という話なのですが、これがなかなかつらいですね。
私はいわゆる陰キャで、この主人公のようなお調子者のいじられキャラの人を羨ましいと思って生きてきました。だってみんなに面白がってもらえて人気者だから。でも、こういうマスコット的立ち位置を確立してしまうともう恋愛対象としての資格を剥奪されるとともに「何をしてもいい相手」と見なされてしまう......これはつらいでしょ。
それでも、そうやってしか生きられないし、そうやって生きる才能には溢れている......そんな彼の人生を言い表したラストの英単語1つがとても印象的です。



麒麟

孔子先生が出てきます。あの、『論語』の人......はい、白状しますが、孔子、名前しか知りません。なのであんまり分かってないんですが、分かってないなりに面白かったです。
孔子が弟子たちとの旅の途中(よく知らないのでイメージは香取慎吾西遊記に出てた三蔵法師)でとある国に立ち寄ります。
そこの王様にはめっちゃエロい奥さんがいるのですが、孔子の徳の教えによって性欲を忘れます。しかし奥さんはそれにブチ切れて徳vs色のバトルが勃発するんですね。
で、そのバトルシーン(?)がまたすごい。
教養がないのでもはや何が書かれているのか分からないんですけど、直接的なことは何も書かれてないのに濃密な官能みがあります。
からの、ある種納得のラストも、谷崎らしい......なんて言うとあんまり読んでないくせに失礼な気もしますが、私の中の谷崎のイメージらしい終わり方。いやはや凄かったです。



「魔術師」

どこかあるところのとある猥雑な公園にいる、誰もがその美しさに魅惑されるという魔術師......。主人公の男は、恋人に唆されて魔術師の興行を観に行くことになる。自分たちの愛が魔術師の妖術に負けないかを試すために......。
......ってゆう、この設定にもう無条件降伏しますやんね。

まず冒頭の舞台となる公園の説明からして上手くて引き込まれます。
浅草六区という実在の場所(そもそも東京人じゃないしましてや当時の浅草のことなんか知らないから分かんなかったけど)を引き合いに出しつつあくまで無国籍で現実世界から遊離した場所を作り上げ、さらには「皮蛋」という比喩でその美しさまでも伝えきってしまう。私は皮蛋食べたことないんですが、見た目でだいたい想像はつきますからね。むしろ食べたことない方が幻想的な雰囲気は味わえるのかもしれませんしね。

で、もちろん中身も面白い。
「愛」という不確かなものが圧倒的な「美」に勝てるかどうか?というテーマは「麒麟」にもやや通じるところがありますが、南子夫人の誘惑よりもこちらの魔術師の妖術の方が私みたいな無教養なザコにも分かりやすくて面白かったですね。子供の頃はマジックとか好きだったんですけど、やがて種があると知ってしまってからは、その種の面白さを追求したミステリの方へ興味が移ってしまったのですが、しかし、本作の魔術は正真正銘タネも仕掛けもないホンモノ。だから穿ったことは考えずに目の前で繰り広げられる摩訶不思議で妖しく背徳的で奇怪でそれでいて美しい魔術に見入ってしまいました。
そして、切なくも甘美なラストシーンがもう、、、エモエモのエモってやつです。切なくも、永遠を感じて羨ましい気さえしてしまいました。



「一と房の髪」

親友同士だった3人の男が1人の女に夢中になり、やがて関東大震災の日に彼らの関係が破局するまでを描いた現代もの。
前の2つがファンタジー的な雰囲気を持っていただけに、正直この現代の愛憎のもつれみたいな短編は地味に思えてしまいます。
しかし、これもやっぱりラストがいいですよね。『きみに読む物語』という映画を見てから純愛というものを探すのを諦めてしまった私からしたら眩しいような、馬鹿馬鹿しいような純愛の形。どうしても穿った見方が入ってしまいますが、しかし私がどれだけ穿ったところで本人が幸せならそれで良いですもんね。この個人の中だけで完結した美というものが印象的でした。
ちなみに⚪︎⚪︎⚪︎〜という伏せ字がところどころに入ってるのが気になりますね。まぁきっと今だったら大したことない内容なんだとは思いますが、伏せられてると色々想像してエロい気持ちになりますよね。



「日本に於けるクリップン事件」

本書の掉尾を飾るのは実話を基にしたドキュメントのような形のこの作品。実際に本当に実話なのかどうかは分かりませんが、ともあれそういう形式が黒岩涙香だとか山本禾太郎の『小笛事件』みたいな雰囲気が楽しめます。
内容は、とある田舎の町の民家で犬に噛み殺された妻とベッドに縛り付けられた夫が発見される......というSMプレイ真っ最中の惨劇を描いたものです。
物語の筋自体も上記のような実録犯罪ものとしてなかなかに面白いですが、なにより解説にもある谷崎のSM考が勉強になりました。SMというのはロールプレイであって愛情とは関係ないんだなぁ。逆に言えば私はもうSでもMでもない以上、この先急にMになれたりはしないんだろうなぁと思うと、Mの人への憧れで切ない気持ちになります。私もSMプレイしてみたかったよ......。悔しい......。

藤野恵美『おなじ世界のどこかで』読書感想文

『ふたりの文化祭』を読み終えた足で本書を買いに行き、その日のうちに読み終えてしまいました。NHKオンラインで連載されていたSNSやインターネットにまつわる連作短編集です。

おなじ世界のどこかで (角川文庫)

おなじ世界のどこかで (角川文庫)


ネット連載のためか、1話が20ページ程度の短いお話で、内容も前向きで読みやすい連作でした。
とはいえ、そこは藤野恵美ですから小説好きがぐっと来る魅力に満ちています。
その一つは、ネットにまつわるリアリティ。本書はどの話もハッピーエンドで後味は良いのですが、だからといって馬鹿みたいに明るいわけではなく、ちゃんとネット時代に生きる我々のリアルを切り取っています。それはもう、SNSの中毒性や承認欲求など、とても身近なテーマ。そして、主人公たちは等身大にそれらと葛藤し、その上で何か答えを見つけ出して一歩前に進む......という感じで、優しい話だけど優しいだけじゃないリアルも描かれるバランス感覚。青春3部作もですが、この作家さんのそういうところが私は好きなんだと思います。

そして、もう一つ大きな魅力がキャラクターのリンク。前の話の脇役が次の話の主人公、という形でキャラがリレーしていく構成になっています。
このリレー形式が、インターネットに対して現実世界もネットワークで繋がっているという象徴になっています。また、一人一人の主人公たちが客観と主観でそれぞれ描かれるので、1話ずつの分量が短い中にもそれぞれの個性が立体的に描かれていてキャラへの愛着が湧いちゃいます。

インターネットというテーマに対しては、本作では肯定も否定もしておらず、それを使う我々人間の側の態度の方に焦点を当てています。便利な道具も使い方次第では凶器になる......というのはネットに限った話ではなく、そういう意味では現代的なテーマでありながら非常に普遍的な物語でもあると言えるでしょう。

ともあれ、短いのに読後の満足感の大きい、良い本です。
以下各話に一言ずつ。



「結衣」

はじめてスマホを買ってもらった中学生が、クラスの友達とSNSで繋がる話。

中学校というところでは誰もが、積極的にいしめる者、それになんとなく同調する者、いじめられる者、という3つのどれかに分類されますよね。それはSNSがあろうとなかろうと一緒ですが、SNSのグループチャットというものがあることで家にいる時さえそれに加わらなければいけない息苦しさがあるのかと、イマドキの子供たちがちょっと可哀想になりましたね。

本作で描かれるのは「いじめ」というほど程度の酷いものではありませんが、グループで誰かを馬鹿にして楽しむといういじめ一歩手前の行為。それに内心では不快感を持ちながらも拒否することはできない結衣ちゃんという女の子が主人公。

たとえば、だれかがだれかのことを「あいつ、クサイよね」と発言すると、結衣は自分も変なにおいがしていないか、不安になった

と、「ホントはいじわるなことしたくないけど周りに同調せざるを得ない層」の気持ちを代弁したこの文章に強いわかりみを覚えました。
そんな葛藤を抱える彼女がとあるきっかけで少しだけ前進する姿は、等身大のドラマになっています。その「きっかけ」というのもまた我々世代以降特有の印象的なもので面白かったです。



「楓」

リレーを引き継ぐのは楓ちゃん。
前の話で彼女はクールなぼっちという印象でしたが、この話では親との関わりも描かれるからか年相応の普通の女の子という感じ。とはいえ作文の内容などは思慮深く早熟な感じですけどね。

話のテーマとしては「物事には色々な側面がある」ということ。これはもちろんインターネットに関しても当てはまることで、本書をこれから読んでいく読者に対しても「インターネットのいい面も悪い面も使い方次第」という戒めを込めているのでしょうね。

あと気になったのは

目の前に誰かがいるときにスマートフォンをいじることはマナー違反だと、父親は言うのだ

というところ。私はどちらかといえばパパの意見に賛成ですが、今の人ってわりと平気でこれしますよね。私なんかはさよならって言って相手が電車に乗って電車が走り出してお互い完全に見えなくなるまではスマホ出さないようにしてるんですけど、そういうのももう古いんですかねぇ(どさくさに好感度取りにいってすんません)。



「純平」

女子中学生の主人公が2人続いた後は妻子持ちのたぶんアラフォーくらいの男性。
ゲーム会社の人事採用の面接をやってる彼が、面接に来た学生や中学生の娘との関わりの中で今のインターネットについて思いを馳せつつ自らの未来を切り開いていくお話です。

やはり私は就活で失敗した人間なので面接のシーンはこんな少しあるだけでも堪えましたね......。たぶん『何者』とか読んだら翌朝目を覚まさず冷たくなっているかと思います。
それはさておき、面接で語ることとSNSの投稿が食い違う若者を見て「どちらが本音なのだろう?」と考える視点は鋭いですよね。ギリ我々くらいの世代は幼少期はインターネットが普及し始めたくらいの頃で、あくまで現実>>>ネットという考えが根底にはありつつ、しかし大学生になった頃からはツイッターやラインでリアルの友達とも繋がるようになり、現実=ネットになってきた、その流れを体験した世代なんです。
だから、彼の思う「どっちが本音?」というのがすごく分かるんです。昔は知り合いに見られないネットだからこそ本音を語れたのが、今はもうネットが実社会になってしまっている、という。私なんかSNSで恋愛失敗したりもしてるからね......。縛られてますよね、ツイッターに。

あと、最後に出てくる個人サイトというものも、私はギリギリ見てた世代だと思います。このブログの前身である某サイトも、高校生だった私が既に下火だった個人サイトというものへの憧れだけのために作ったものだったので......。
という感じで、20代30代くらいの人ならかなり分かりみが強くて感傷に浸ってしまうお話でした。といってもラストはめちゃ爽快で未来というものへのワクワクを思い出させてくれます。



「キクコ」

あ、その人に繋がるのか、という見事な主人公リレー。
今回は主人公がYouTuber?ネットアイドル?みたいなものになっていくお話。
前話の感想でツイッターに縛られてしまうと書きましたが、その理由がまさに承認欲求というもの。本当はふぁぼリツたくさんされたいしブログもめっちゃ閲覧されたい、そんな生き物なのですよ私は。
だもんで、見た目の可愛さを持て囃されていい気になっちゃうキクコちゃんの気持ちが結構分かっちゃったり。実社会で虐げられたり生きづらい人が輝ける場所、というのもインターネットの1つの価値だと思います。米津玄師とかもそれで出てきたわけやし。
でも一方でそこで認められることに執着しすぎると簡単に常識や法を跨ぎ超えてしまう危険もあります。
キクコちゃんがそういう魔の誘惑を感じるシーンが非常にリアルに描かれているので、普段ニュースで見るぶんには「バカだなぁ」で済ませちゃうことでも「誰でもやり得る」という恐ろしさを感じさせられました。

そういうヤバさがある一方で、最後はやはり突き抜けたような爽快感を見せてくれるのが本書の良さ、ですよねぇ。まさに霧が晴れて青空が広がるような爽快感ですもの。最高。



「虎太郎」

続いてのお題は「課金」。
私はスマホゲームは全然やらないので、そのあたりはあんまりピンと来ませんでしたね......。
ただ、小学生の頃って、自分の好きだった遊びがクラスで流行ったりしていくうちにだんだん変な新ルールが出来たりして変質してしまう寂しさ、という気持ちになることがよくありました。そういう懐かしい気持ちを切り取るのがめちゃくちゃ上手くて、作者はどうやってあの頃を思い出したのだろうとびっくりしちゃいますよね。そんなノスタルジーに浸れただけでも良いお話でした。


「ゆき」

さて、虎太郎くんにとってはなかなかに羨ましい家庭のゆきちゃん家ですが、こちらはこちらで悩みがあって......というお話。

ママがブログ中毒で娘の写真を何でもかんでもブログに載せちゃう、というところを読むと、なんとも浅ましく感じられてしまいますが、しかしインターネットへの考え方は人それぞれ、という本書全体のひとつのテーマを最も分かりやすく象徴した話ではあると思います。
なんせ私も昔ですけど友達と一緒に撮った写真をツイッターに載せたりして怒られることもあったので、気をつけなきゃなと身につまされました......。
また、ゆきちゃんが洞窟で暮らす原始人への憧れを抱くのも共感しましたね。
あと、これは余談ですが、甘いものが好きじゃない人がいることへの驚きもめちゃくちゃ分かります。え?甘いのに好きじゃないの?マズイものが好きなの?みたいな。甘い=美味しい、正義、なんですよね。



「ソニア」

さて、ここにきて物語は海外へと飛躍。
作中世界でスマホ的なものを開発した男の母親の物語。
息子がどんどん難しい実験をするようになって何をしてるのかさっぱり分からんけど、それでもただ息子は息子と母であり続けるソニアさんの生き様がカッコ良いです。正直なところ私には子供もいないしましてや子供を失うなんて想像もつきませんが、深い悲しみと、その後にある境地までをさらっと描いた素晴らしいお話でしたね。



「優哉」

前話のラストとこの話の繋がりがまた良いですね。
最終話の本作は引きこもりの青年が主人公。
今までの話でも人間の嫌な面というのは描かれてきましたが、最後だからか今回は特にシリアス路線。私はここまでの体験はしたことないですが、それでもどっちかといえばクラスの中心よりは引きこもりそうな感じのキャラなので、シンパシーを感じる部分もあり。一方で、引きこもりながらもインターネットを使って自分の腕でそれなりの収入を得ている彼へのジェラシーも感じます。
そして、そんな彼の日常の中に現れる仕掛けはミステリへの造詣も深い著者ならではでありながら、それが本書のテーマを端的に表してもいるのが見事です。
そして、優哉の部屋という閉じた空間から世界へと羽ばたき、更に遠くへの予感を感じさせる壮大な、それでいてとても小さな人と人の繋がりの余韻がもうぐわーっ!(言語化を諦めた)
ともあれ、一冊の本としての美しい結末でありながら、読み終えてもなお作品の世界が我々の住むこの現実として広がっていく感覚は、ミックが開発した"無限に続く本"のようでもあり、まぁ要は完璧な幕引きなんですよね......。
藤野恵美という作家の才能に改めて惚れ直しました。

藤野恵美『ふたりの文化祭』読書感想文

ふたりの文化祭 (角川文庫)

ふたりの文化祭 (角川文庫)

本屋で新刊のコーナー見てたらこのタイトルを見つけて「え、え、え、えぇ〜〜!?」と叫びました(心の中で)。
そう、本書は完結した姉妹編だと思っていた『わたしの恋人』と『ぼくの嘘』の続編にして完結編(3部作と銘打たれているのでそのはず)なのです!

まず前の2作の以前書いた簡単な感想をリンクしときます。

藤野恵美『わたしの恋人』『ぼくの嘘』読書感想文

今回、この3作目を読む前に復習で前の2冊もぱらぱらしたのですが、まぁ刺さりますわ刺さりますわ。
この作家さんの文章って、めちゃくちゃ平易ですらすら〜っと読めるんですけど、それでいてそこにある感情の描写はめちゃくちゃ鋭いんですね。
3部作はどれも男女2人の高校生の視点を行き来する形式なのですが、彼らの全員に読者は......と言うと主語がでかいですが、私は、それぞれ何かしら少なからず共感できる部分があったんです。といっても、キャラがみんなたまたま私っぽい似たような奴らだと言うわけではなく、みんなそれぞれちゃんと個性的でありながら、その考え方の部分部分にリアルな分かりみがあるんです。だから結果的に主要キャラ全員に思い入れができてしまって巻を追うごとに「主要キャラ」は増えていくのでその分どんどんエモくなっていくんです。良いシリーズだ......。
で、このシリーズ、3冊とも結末はすごい綺麗な終わり方なんですよね。でも、そこまでの過程で描かれる感情が、嫌な部分も含めてすごくリアルで、だからこそ綺麗なラストで救われた気持ちになりつつ、綺麗事とは感じさせない絶妙なバランスで成り立ってるんです。それもすごい!


さて、シリーズ全体の感想が長くなりましたが、以下は本書について。




スポーツ万能イケメン&内気な図書委員
でこぼこコンビは、はたして文化祭を成功させられるのか!?

というのが帯の惹句。
スポーツ万能イケメンは九条潤くん。内気な図書委員は『ぼくの嘘』にもわりと良い役どころで登場した八王子あやちゃん。
実際には2人がコンビを組むわけではなく、それぞれが多少関わり合いながらもそれぞれに文化祭までの日々を過ごすお話でした。

そして、九条くんが『わたしの恋人』の森せつなちゃんと一緒に文化祭実行委員をやり、八王子さんは『ぼくの嘘』の結城あおいちゃんと仲良くしてるので、2人を通して過去の2作品の主要キャラの近況も知ることができるのもめちゃくちゃ巧いと思います。そのせいで6人分のエモが詰まっているのが、本書『ふたりの文化祭』なのです!



ではまず九条くんパートについて。
こいつがね、もう超イケメンなんすよ。顔もいいし、スポーツもできるし、リーダーシップはあるし、性格もいい、そして女にモテる、完璧超人。
彼の活躍を読んでいる私は顔も悪い、スポーツできなさ万能、性格もブスの非モテという完璧ダメ人間なので、正直なところ嫉妬98%共感2%くらいのところで読み始めて、最初はあまりいい気がしませんでした。
でもさすがにいい奴すぎて、しかし無条件に天然のいい奴なのではなく周りの期待に対して計算していい奴やってるってことだったりもするので、だんだんと応援したい気持ちの方が強くなっていきました。
ただし俺の森せつなちゃんと仲良くしてるのはまじゴミですわこの野郎💢😡
でも森せつなちゃん元気そうでよかったです。これ、たぶん時系列的に『わたしの恋人』のラストシーンより後なんだよな......と思うともうドキドキしちゃってしょうがないですよね💕はぁ、森せつなちゃん可愛いわ......好き......💕



一方、本書のもう1人の主人公・八王子さんには「図書委員のメガネ」という点でのっけからバリバリ親近感を抱いて読みました。
最近はオタクでもみんなと一緒じゃなきゃヤダという軟弱な輩が多いですが、彼女は自分の意志を強く持った正真正銘のオタクです。
どうせモテないから彼氏はいらない、友達はいるけど合わない人とまで友達にはなりたくない、文化祭とかどうでもいい......いいぞ、もっとやれ!
てな具合に、彼女はかなり私(の中学高校時代)に似てるのです。そんなこんなでこっちは陰キャの高校生活あるあるみたいに読めました。
一番「あるある」と思ったのは、中学と高校の違いですね。中学では済んでいる地域だけに拠ってたくさんの子供達が集められるので知能指数のバラツキが酷く、要はヤンキーみたいなやつらに我々陰キャは虐げられるわけですが、高校はある程度同じくらいの知性を持つ人たちが集まるので、パリピたちも中学のやつらよりいい人たちであんま虐げられない!でも一方でこれまで自分の武器であった「勉強ができること」が無効化されることもあり......みたいな、まぁ本筋にはそこまで絡まないところですが、そういう描写がリアルで引き込まれました。
あと、友達の腐女子の子と太宰治の「駆け込み訴え」の腐女子視点からの読みを語る場面は新鮮というか、こんな読み方もあるんだと蒙を啓かれましたね。
他にも、八王子さんのパートには「おススメ怪談短編」とでも言うべきリストや、太宰治への愛、さらには魅力的な絵本紹介など、「本」にまつわるペダントリーもたっぷり!私も本書を読了したあと、もっとこの作品のエッセンスに浸っていたくて太宰の『斜陽』を読んでエモ殺されましたからね。それはまた別のお話......。

そして、なんといっても八王子さんの自分も他人も見下しているような態度にすごく共感を覚えました。
そして、そんな八王子さんが主人公らしく少しずつ成長していく様には置いて行かれたような寂しさも感じつつ、応援したくなりますね。八王子パート・クライマックスのエモい展開には胸熱でした。

そして、九条くんと八王子さんそれぞれが文化祭を通じて得たものがじんわり余韻として胸に広がっていくラストも素敵です。こう、3部作のラストらしいのに変にドラマチックにしすぎず、潔く、でも感動がじわしわくる感じの、こう、絶妙なんですよ!幕引きが!
ちょっと潔すぎて寂しさもあるからまた1冊目から読み返したくなっちゃうような、そしてパラパラめくってまたエモに浸っちゃうわけでした......。



そんなわけで、恋と青春の切なさと痛みと輝きが詰まった3部作、完結。
寂しいですが、これで完全に藤野恵美先生のファンになってしまったのでこれからの動向も気になります。願わくば、いつか3部作の4作目を書いてくれないかな、なんてことも......。うん、最高でした。

若者のすべて

フジファブリックのかの名曲......ではなく、ルキノ・ヴィスコンティ監督、アラン・ドロン主演の1960年のモノクロ映画です。



若者のすべて ルキーノ・ヴィスコンティ Blu-ray

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イタリア南部の田舎からミラノにやってきた母親と五人兄弟の一家。
息子たちはめいめい働きに出て、家族の再出発と思いきや、一人の女の登場でどんどん破滅へ向かっていくっていうお話。



もうね、何を書いていいのか分かんないっすわ。
しばらーく前に見て、熱のこもった感想を書こうと思っていたのですが、何書けばいいか分からんまま放置してました。
もうどうしようもないので適当に書きます。



本作は五人の兄弟の名前が上から順に冠された五つの章から成り立っています。話自体はずっと続いているのですが、章ごとに少しずつ焦点の当たるキャラが変わっていって兄弟それぞれの人生が立体的に描き出されていくわけです。

面白いのが、当たり前ですが彼らそれぞれが全然違った個性や生き方を体現していて、男の生き様の見本市のようになっているところ。

まず長兄のヴィンチェンツォはちゃっかりすぐに戦線離脱という一番羨ましい立ち回り。
最初は彼が主役なのかと思いましたがあっさり片付いて笑いました。やっぱり人間こうあるべきですよね。

そして、次男のシモーネと三男のロッコこそが本作の主役です。
彼らはそれぞれ人間の俗性と聖性を体現しています。言い換えれば、次男はまさにゲスの極み、三男はガンジーも真っ青の聖人ってとこですかね。2人はともにボクシングの道に進み、ともにナディアという娼婦に恋します。
しかしクズの次男は結局どちらも三男に敗れる。そしてクズのクズたる所以であるところの醜い嫉妬が始まるわけですが......。
......つらいんですよねぇ。次男のシモーネが嫉妬の果てに引き起こした事件もつらくて、巻き込まれた人たちがかわいそうだし、胸糞悪すぎて昼飯の味噌煮込みうどんも喉を通りませんでしたよ。でも、そこまで追い込まれたシモーネのことを考えると、自分は産まれながらにしてアラン・ドロンじゃないのに弟はアラン・ドロンであることのつらさも感じずにはいられません。だからといってあんなことをしたのは最低だし死ねよこのクーズ!と見てる私は思うのですが......。
ここでなぜに優しいアラン・ドロン!じゃなかった三男ロッコ
彼のあまりに聖人すぎる態度は、しかし天性のクズであるシモーネには眩しすぎたのです。ああ、兄弟という関係性のなんたる悲劇か!!というか冷静に考えたらロッコも聖人すぎてクソ野郎なんですよね!ある意味シモーネ以上に......。
まぁとにかく、この聖と俗の対照的な次男三男のあれこれが本作の本筋といって良いと思います。
結局この2人は両極端でいながらどっちも最低なやつらで、シモーネのクズっぷりには吐き気がするし、ロッコのいい子ちゃんぶりにも反吐が出るわけですが、我々一般ピーポーは彼ら両方の性質を少しずつ併せ持っているものだと思うので、どちらにも部分部分で共感できてしまうわけです。ああ、しんど。

ただ、そこで終わらないのが救いといえば救いなのか、四男のチーロは我々一般ピーポーが最も共感しやすく、最も正しいと思う生き方をします。そして、五男のルーカの章が物語を締めくくります。

また、全編に渡って存在感を示しているのが彼らの母親。正直なんやこのクソババァはってしゅうしおもってましたが、

「私が悪かったのかね。家族で都会に出てきたのが。嫁いで25年間そのことばかり考えていたのに」

という言葉にはハッとさせられます。家族のために良かれと思って妄執のように念じ続けていたことが、実現されると悲劇の火種となってしまったこの残酷さ......。この言葉を聞いたら、ババァにも一抹の哀れみを感じずに入られませんでしたよね。



というわけで、3時間に及ぶ大作でありながら全編に渡ってここまでのエモがあり得るのかってくらいにエモくって見た後疲れましたが、人生というものについて描かれた超弩級の傑作でした。あまりのことに何書けばいいか分からなくてこんなグダグダになったことをお許しください。

今月のふぇいばりっと映画〜(2019.2)

はい、2月のふぇいばりっと。
2月は個人的にはそこまで忙しくなかったですが、途中2週間ほど映画観ない期に入ってしまっていたので結局10本くらいしか映画観れてないです。
そんな中からなんとか選び出したのがこちら↓




アクアマン
新婚道中記
道(フェリーニのやつ)


アクアマン

【映画パンフレット】アクアマン

【映画パンフレット】アクアマン


スーパーヒーローものを観るのはノーランバットマンとシャマランユニバース除けば人生初なんですが、まぁ面白かったです。

海底王国の女王と人間のハーフである主人公のアーサーくんことアクアマンが海底王国の王位継承問題に巻き込まれたり地上vs海の戦争を止めようとしたりするお話でした。

ジェームズ・ワンのホラーは個人的にはあんま好きじゃなくて、それは一言で言えば派手なばっかで情緒がないからなんですけど、ことこういうファンタジーアクションに関しては派手ならオッケーの世界なので楽しめました。
というのも、ホラーで怖がらせるために音でバーン!ってやるのは安直ですが、アクションで滾らせるためにバーン!はアリですからね。音でびびらすホラーの旗手だけあって話してる最中に急に敵襲どーん!みたいな演出が多くて、そのせいで会話パートの印象がほぼないまま常にアクションしてるような全力感があり、テンション上がりっぱなしですわ。

そして盛られた要素も多いこと多いこと。
半妖の身のコンプレックスを抱えた内気な少年が筋肉ダルマに成長し、さらにヒーローになるという王道ビルドゥングスな話がメインかな。
そこに、両親の愛の物語や、赤毛の美女のカッコよく可愛い大活躍や、ラッセンを超える美麗海底映像や、いろんなモンスター勢揃いの怪獣大戦や、復讐に囚われた男が仮面ライダーになるまでというサイドストーリーにインディジョーンズ的なお宝探しアドベンチャーや、ホラー的な海溝探検や、エクスカリバーや、「シチリアの浜辺の絵葉書とよく似てた〜♪」や、おっぱいなど、文字で書くだけで8行費やすほどのメガ盛り、いやもはやメガ盛り食べた後でギガ盛りおかわりするくらいの満腹感。
観た後はなんかもういっそ韓国のドロドロ復讐サスペンス観たみたいな疲労感がありました。もちろん後味は爽快なんですけど、それよりどっと疲れたわ〜っていう。

とりあえず、一言でまとめるなら、おっぱい最高です。




新婚道中記


お互いに不倫の疑いを抱き離婚を決めた夫のジェリーと妻のルーシーの夫婦。
裁判も終わり、あとは離婚が成立する日を待つだけの2人はさっそく互いに新しい相手を作るが、一方でお互いの新しい恋の足を引っ張り合い......。


もうね、これは他のみんなが可愛そうw
結局めちゃくちゃ相思相愛な夫婦の離婚沙汰にまでなった壮絶な夫婦喧嘩に巻き込まれてるだけなんだもん。
ストーリーはそんだけで、お互いに新たな恋の邪魔をして気まずい空気を作り合うという、気まずさの笑いがクセになります。
邪魔されて怒ってるようでいてどこか共犯者みたいな楽しさを共有してる2人に「なんっっっやねん!!」とブチ切れたくなりますが、災難に遭う新恋人たちも変なやつばっかだからそんなに可哀想にもならず能天気に笑いながら見れましたよ。こういうの下手に噛ませ犬に感情移入しちゃうとつらいですからね。

ラストなんかなかなか印象的で、開くんかい開かんのかい開くん開かん開くん開くんかい!みたいな、こう、むず痒くて虫唾が走る感じが最高に胸キュンですわ。時計なんかキモい......。

あ、あと、夫婦喧嘩は犬も食わないとはよく言いますが、本作に出てくる愛犬のスミス君はまさにそんな感じで、2人の喧嘩をすまし顔で見つめつつ犬史上に残る名演技をぶちかましてきてめっちゃ可愛かったです。かくれんぼのシーン最高かよ。




道 [DVD]

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しばらくの間映画見ない期が続いてましたが、サスペリア以来実に2週間ぶりに映画観ました。
カビリアの夜」がめちゃくちゃ良かったのでこれも気になっていたのですが、ちょうどよくBSでやっていたのです。

ジュリエッタ・マシーナ演じる貧しい家の娘・ジェルソミーナは、口減らしのため、粗暴な旅芸人のザンパノという男に買い取られ、芸の助手をしながら放浪する生活をはじめます。

もう、ジュリエッタ・マシーナがただただ素晴らしいですね。
最初にザンパノに芸を仕込まれる時の純真無垢なはしゃぎ方、あのよく動く表情を見てるとこっちまで嬉しくなったり悲しくなったり......ってのは『カビリアの夜』でも書いた気がしますが、ほんとにあの人の顔を見ているだけで映画一本飽きずに見れちゃうワケですからね......。しかもこれがマリリン・モンローみたいなセクシー美女とかだったらまだしも......ですからね。

ストーリーはいたってシンプルなロードムービーなのですが、そのシンプルさが素晴らしいです。
今の視点からはちょっともにょもにょしますが、知らない男の元へ売られた女性が彼と夫婦のような関係を作っていく様はそのまま恋愛観・結婚観の一つのモデルとして現在でもエモエモのエモではないでしょうか。誰しも100%の相手と結婚できるわけじゃないですが、その中で相手にどういう態度をとるのか、どう扱うのか。相手の価値をどう思うのか。
そういったことを突きつけてくるラストシーンは忘れがたい印象を残します。

あと、途中でザンパノが大きい舞台に立つシーンがあるのですが、あそこから私の中でザンパノへの印象がちょっと変わって、それがラストの余韻にも繋がっているような気がして、私はあの場面が一番好きです。あと修道院のくだりも良い......。