偽物の映画館

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陳浩基『13・67』読書感想文

超話題作です!

13・67

13・67


作者は香港人のミステリ作家で、島田荘司推理小説賞を受賞した経験もある華文ミステリの旗手......らしいです。

本書は主人公のクワン刑事が1967年から2013年までに携わった6つの事件を描いた連作短編集になっています。第1話が2013年、そこから時代を遡り最終話が1967年の話という年代記(リバース・クロノロジー)の形式になっているのが特徴です。

ツイッターで本書はあまりにも評判が良く、評判が良いというより大絶賛以外の評判を見かけませんでした。ここまで「凄い」と言われている短編集って連城三紀彦の『戻り川心中』とか横山秀夫の『第三の時効』くらいしか思いつかないくらい。私って文庫派だし海外ものはほとんど読まないんですけど、連城や横山に匹敵するかもしれないならこりゃ読むしかないぜ!と思い、今まで買ったことのない海外ものの単行本を買ってしまった次第です。

結果は、高価な単行本でわざわざ買った価値がある、むしろそれくらいお金出さないと作者に申し訳ないくらいのド傑作だったのでドケチな私としてはホッとしました。

以下、各話の感想&まとめ。



第1話「黒と白のあいだの真実」

2013年。末期ガンに侵され言葉を発することすら出来ない状態の名刑事・クワンは、病室で機械に繋がれている。機械は画面と音で「Yes」「No」の意志だけを伝える。病室にはクワンの弟子のロー警部と部下たち、そして先日起きた大企業の経営者殺害事件の関係者5人。そう、ロー警部はこれから、名刑事の「Yes」「No」の意思表示によって事件を解決しようと言うのだ......!


病人に繋がれた機械が放つ「ピッ(Yes)」と「ブブッ(No)」の音だけで安楽椅子探偵をするという設定がもう抜群に魅力的ですが、もちろん設定倒れにならず十二分に活かされています。Yes,Noで答えられるような質問からどのように事件の真相に近づくかという過程はそれ自体ミステリとしての遊戯性が強いんですよね。
事件自体は企業の経営者が自室で殺害されるだけの一見シンプルなものですが、そんなシンプルな事件への意外性のくっつけ方が凄いです。というのも、ミステリーの醍醐味って隠れていた意外な事実が明かされることだと思いますが、この短編ではその意外性の隠し方が絶妙なんですよね。
(ネタバレ→)見かけの過去のエピソードの裏に黒幕側の謀略があり、それと同時に見かけの現在のエピソードの裏に探偵側の謀略もあるという......。
そして、それによって(ネタバレ→)YesとNoしか意思表示が出来なくても物凄い存在感を放っていたクアンが、YesとNoの意思表示すらしていなかったと明かされることで却って更に存在感を増すところとか凄いですね。
第1話でこれだけ名刑事クワンの格好良さを見せられたら、この後の話を読むのが楽しみで仕方なくなりますもの。ミステリと物語、どちらの面白さも完全に熟知していないと書けないシロモノだと思います。



第2話「任侠のジレンマ」

2003年。ローは、"アンタッチャブル"とされる裏社会の黒幕・左漢強が率いる"洪義聯"というマフィアを捕まえたいと考えるが、その端緒となる作戦に失敗してしまう。その矢先、左漢強が運営する芸能事務所所属のアイドル・唐穎が殺害されるシーンを撮影した動画が警察に届く。警察は、唐穎を殺したのは、左漢強のやり方に反発して洪義聯から独立した任徳楽の手のものではないかと踏むが......。


作中で"アンタッチャブル"という言葉が使われて且つマフィアの話なので、どうしても映画の「アンタッチャブル」を思い浮かべてしまいますが、刑事が巨悪に挑む格好良さは通じるものがありますね。なかなかエモい話です。
一方でもちろんミステリとしても一級品です。前話では寝たきりだったクワンがちゃんと歩いて喋ること自体に感慨があると同時に、現役(一応退職後ですが)時代のクワンの凄さを思い知らされました。そこまでやるか!という。連城三紀彦のようなやりすぎ感と、島田荘司のような力技で何度もねじ伏せられる、そんな感じのこれまた傑作です。



第3話「クワンのいちばん長い日」

1997年。クワンが警察を定年退職する前の最後の出勤日。部下たちが彼の退職を祝おうとした矢先、半年間鳴りを潜めていた連続硫酸爆弾事件がみたび起こる。さらに同じ日に入院中の囚人・石本添が病院から脱走。2つの事件が、クワンのいちばん長い日の始まりを告げる......。


正直なところ、(ネタバレ→)逃亡事件、硫酸事件、火災事故と3つの出来事が起これば、それらが繋がるだろうことは分かってしまいますが、それでもなお伏線と大胆不敵な謀略には驚かされました。意外な事実が明かされるシーンで読者が「え、なんでそうなるの?」と思わされますが、その時には既に読者にも伏線がきちんと提示されていたことに後から気付いて驚きました。この辺になって来ると事件の構図自体はなんとなくパターンで方向性が分かってきてしまいますが、それでも小手先の驚かせだけに頼らず伏線の上手さもあるのでちゃんと面白いあたり凄いなぁ。



第4話「テミスの天秤」
1989年。警察は指名手配犯の石本勝を挙げるため、石が身を潜めているビルをマークしていた。しかし、万全の張り込み体制にも関わらず石の一味はビルから逃走を図り、阻止しようとした刑事と銃撃戦を繰り広げ、大勢の市民を巻き込んだ大惨事に発展してしまう。石たちが逃げようとした裏には何者かの密告があったようで......。


前半はサスペンスアクションといった趣で、張り込み、突入、銃撃戦というスピーディーな展開が楽しめます。そこから作戦が最悪の結末を迎えてからはミステリパートに入りますが、こちらもまた凄い。要は(ネタバレ→)死体を隠すなら死体の中というシンプルな話ですが、それだけに上手く決まった時のインパクトは絶大で恐ろしいです。とはいえそれだけではあまりに捻りがないなと思っていると更なる大胆不敵な細部の仕掛けに唸らされます。そしてそんなあまりに狡猾な犯人を更に上回るクワンは頼もしいと同時に一抹の危うさも感じます。行動原理が正義だからいいものの、一度悪に染まって仕舞えばたやすく完全犯罪も成し遂げられますからね。

犯人との対決の最後にクワンのその後を暗示するくすぐりがあるのも読者を楽しませることを分かってますよね。



第5話「借りた場所に」

1977年。ステラ・ヒルは眼が覚めると息子のアルフレッドが家にいないことに気がつく。そこに、「息子を誘拐した。返して欲しければ身代金を用意しろ」という電話がかかってくる。夫のグラハム・ヒルはイギリス人だが、香港警察の汚職を暴く廉政公署の調査員として、一家で香港に移住してきたのだ。今回の誘拐も彼の仕事に関わる怨恨によるものなのか?
グラハムは身代金受け渡しのため、犯人の指示に従って奔走するが......。


誘拐ものです。本作は今までこれだけレベルの高い短編揃いだったから、どうしても誘拐ということで連城三紀彦レベルのものを期待してしまいますが、この短編に限ってはちょっとイマイチだったかなぁと思います。
誘拐事件が集結した段階であまりの伏線の露骨さに大体のことは分かってしまいますからね。それでも事件自体とは別に(ネタバレ→)クワン闇堕ちか!?と思わせる窃盗シーンとその意味で驚かせてくれるので面白かったんですけどね。また、犯人の無茶ぶりに被害者が振り回される前半は誘拐という緊迫感も相俟ってスピード感があって良かったです。



第6話「借りた時間に」

1967年。世間では反英暴動が頻発し、香港警察は暴力と収賄で腐りきっていた。
雑貨屋の店番として働く貧乏人の私は、隣の部屋の住人が爆破テロを企てているような話し声を壁越しに聞いてしまう。正義感に駆られながら、腐った警察に訴えたら自分まで疑われると考えた私は、唯一善良な街の警官・アチャに相談するが......。


最終話となるこの話はサスペンス色の濃い話で、二十歳ごろのクワンがこれまで読んできたあの名刑事になったきっかけとなる話です。なので事件の意外性などは弱いですが、それでもテログループの計画をきちんと論理的な推理によって暴いていく、というのが全編にわたって続くので、衝撃こそ薄いもののしっかり本格ミステリになってます。また、雑然とした当時の香港の空気が飲茶店やマーケットの描写から感じられたり、テーマ自体が反英暴動を真っ向から扱っていたりと、これまでの話より香港の現代史小説としての側面が強いのも魅力的です。





まとめ

と、いうわけで、評判に違わぬ傑作でした。
ミステリとしては後半でやや減速した感はあるものの、1人の作家がなかなか生み出せるものではないレベルの傑作がゴロゴロと入った稀有な短編集であることには間違いないと思います。クワンという名探偵の人間離れした活躍を描く名探偵小説であると同時に、犯人の凄すぎる策略を描いた名犯人小説でもあり、名探偵VS名犯人の対決が毎度圧倒的な凄みと余韻を読者に叩きつけてくれます。
ちなみに個人的なお気に入り順としては
「黒白」>「テミス」>「任侠」>>「長い日」>「時間」>>「場所」
といった感じです。

また、1人の刑事と1つの都市の歴史を描いた小説としても素晴らしかったです。
人は真っ直ぐに並んだ点を見ると、その間を補足して線を想像します。この作品も、だいたい10年ずつの時間の隔たりを挟んで、クワンが20歳ごろから60代までの間に関わった事件を点として描くことで、その間にあった出来事に読者が想いを馳せて線を引いてしまうような仕掛けが随所に施されているわけです。だから、個々の話は時間的に限定された短編でしかないのに、一冊に集めることで1人の男の人生を描いた壮大な大河ドラマになるんです。
その点では特に最終話が印象的で、読了した時に意識が第1話まで飛ばされ、そこから新たな感慨を持ってこれまでの物語を思い返してしまいました。

というわけで、言われ尽くしてるとは思いますが、本格ミステリと社会派警察小説の両方を非常に高いレベルで融合させたド傑作で、個人的にも今年読んだ本で2番目に面白かったです。1番は浦賀和宏の安藤直樹シリーズ初期三作。うへへ。
あと、警察小説ということでかなり重苦しいものを思い浮かべていましたが、ユーモアもありキャラも立っていて、絶妙な軽妙さと重厚さのバランスだと思います。
海外ものといっても人名も漢字が多く日本人には読みやすいと思うので、評判を見て気になってる方は必ず読んでください。

私はこの後同じ作者の『世界を売った男』を読みます。
I'm face to face
With the man who sold the world!!