偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

サカナクション『834.194』感想 -東京 version-

はい、サカナクション6年ぶりのアルバムです。
もうね、この6年間私がどれだけ待ちわびていたか!毎年のように「今年は出す」と言う山口一郎を信頼してその度に幾度裏切られてきたか!むかつく!
しかしそのことについての恨み言なんて、この際もう言いませんよ(言った)。

そう、今はただ、この大傑作の誕生を祝いましょう。


834.194

834.194


いや、実際本作は最高傑作とか、名盤とか、ヤバイとか、そんなありふれた賛辞では言い表せない作品なんです。
なんせ、一郎は6年間歌詞書いてましたからね。6年もの時間をかけて紡がれた作品を、たった一言で褒めるのも失礼ですからね。
私も6年とは言わないまでもそれなりには時間をかけてしっかり感想を書いていきたいと思います。



まず、アルバム全体の流れについて。

本作は9曲ずつのディスクが2枚組で計18曲という構成になっています。
うち、既発曲はリミックスも含めれば9曲。6年も待たせといて半分知ってる曲かよ!......なんて、聴く前は思ってたわけですが......。
いざ聴いてみれば、この6年間で少しずつリリースしてきたバラバラのシングル曲たちが、このアルバムのために書き下ろしたかのようにぴったりとあるべき場所に収まっていたから驚きました。
なんと言っても、単体で個性もバンドにとっての意味性も強すぎる「新宝島」という曲が本作のコンセプトに組み込まれていることには、なんかもう良質なミステリのどんでん返しを食らったような衝撃が走りましたね。やりやがったぞ......と(詳細は後述)。

で、本作のテーマは、2枚のディスクの最後に、「セプテンバー」という曲の東京バージョン及び札幌バージョンがそれぞれ収められていることからも分かる通り、東京と北海道。
それはつまり、過去のサカナクションと今のサカナクション、すなわちサカナクションというバンドそのもの、更には山口一郎という人間、そして郷愁と死とセックス......。
......みたいに、いろいろ重層的なテーマが含まれているんですが、それら全てを、東京と札幌の距離を表す「834.194」というタイトルに込めてしまうことで、2枚合わせてひとつのコンセプトアルバムとして成立させてしまうという、6年かかっただけの労作にして大作になっているんです。

また、各ディスクはそれぞれ単体でもひとつの物語のようになっていたりもして、片方だけ聴くも良し、通して聴けば感動100倍みたいなヤバいことになってます(褒める語彙が尽きてきた......)。


てなわけで、以下ではとりあえずディスク1 (通称:東京盤)について、全体の感想と、曲ごとの一言感想を書いていきます。

なんせ2枚分書くとめちゃ長くなるので、この記事は「東京バージョン」と題させていただき、ディスク2については別記事でまた書こうかと思います。





......というわけで、東京盤について。

あ、正しくは東京のスタジオの座標を表す長ったらしい数字がディスクのタイトルとしてついてますが、いちいちそれ書いてると煩雑なので東京盤という呼称で統一します(札幌盤も同じく)。

まず、ディスク全体の流れについて。

この東京盤は、山口一郎曰く「作為性」、つまり、簡単に言うとオーバーグラウンドに向けての曲、『魚図鑑』でいう浅瀬にあたる部分のサカナクションを出したものだそうです。

このディスクのテーマをざっくり言うなら、「東京から想う郷愁」と、サカナクション復活の巻!」という感じです。

まず、M1は、タイトルの通り「忘れられないの」と歌う曲で、本作の2枚のディスク全体にも通底する「郷愁」というテーマへの入り口として機能している、アルバムの幕開けにふさわしい一曲です。

続く、M2〜4までは、それぞれ郷愁を描いた短編集のような形になってます。
M2は夜、M3は日暮れ、そしてM4は昼をイメージする曲で、進むにつれて曲中の時間が遡っていくことでも郷愁を表している......と思うのですが穿ち過ぎですかね?

そして、派手な曲が続く中、ディスクの真ん中で真打ち登場とばかりにM5、新宝島パイセンが姿を現します。
丁寧丁寧丁寧に描くよ、という言葉が、シングルの時にはタイアップ先の映画「バクマン。」にかかっていましたが、本作の流れの中だとここまでの郷愁編の3曲を描いてきたことも想わされます。

そして、続くM6の「モス」という曲こそが、この東京盤のクライマックスにして肝心要な曲。
「このまま君を連れていくよ」と歌う新宝島がシングルリリースされて以降、しかし一向にニューアルバムの世界へ連れて行ってくれなかったサカナクションに我々ファンは正直業を煮やしていました。
しかし、この曲のラストの「連れてく蛾になるマイノリティ/君はまた僕を思い出せるなら」というフレーズで、私は山口一郎に惚れ直しましたよ。
いや、別にサカナクションのことを忘れていたわけじゃないんですけど、個人的な事情や、アルバム出す出す詐欺などのせいでどうしても聴いてない時期が結構あったんですね。
でも、かつてはスピッツに次ぐ大好きなバンドだっただけにサカナクションへの想いは「忘れかけていただけか」であり、本当のところは「忘れられないの」だったんです。
そんな私に、山口一郎は「君はまた僕を思い出せるなら」と語りかけてくるんですよ。
......なんかこう、例えが下手だけど、夫が海に出てしまうとなかなか戻ってこないけど、だからこそ帰ってきた時にはめちゃくちゃ安心しちゃう漁師さんの妻みたいな感覚......って伝わりますでしょうか。
とにかく、このアルバムを初めて聴いた時に、この曲のこの部分を聴いて、ようやく本当にサカナクションファンに戻れた嬉しさを実感したんですよね......。
あの、これも伝わりにくいけど、少林サッカーの「......みんなが戻ってきた」の場面みたいな。そういう気分ですよね。


そして、続くM7は、連れてく連れてくと言ってたサカナクションに実際に連れ込まれた先はリキッドルームでした!みたいな。
そういう「新宝島という曲でサカナクションを知ったファンたちを連れていく先がリキッドルーム(=NF)である」というコンセプトはこの曲が新宝島カップリングとしてシングルに入った時からあったらしいです。
しかし、その2曲の間に「モス」が加わることで3部作のような形になってより感慨深いものがあります。

そして、M8とM9は共に札幌盤に入る曲のリミックス、リアレンジ。
東京盤の最後にこの2曲が入ることで、東京にいながら札幌を想うような、あるいは、札幌にいた頃の自分が東京に染められていくような感じもあり、札幌盤へのイントロダクションのようにもなっています。
そして............と、これ以降は札幌盤の方になってくるのでまた次回の記事で書かせていただくことにします。


というわけで、ここまでは東京盤全体の構成について。
以下では収録曲それぞれについても単体で少しずつ触れておきます。




1.忘れられないの

サカナクション / 忘れられないの - YouTube

ちょっとこのPV最高すぎません?
我々の親世代だと杉山清貴じゃん懐かしいwってなるし、うちら世代だとなにこれ逆に新しい!ってなる、サカナクションらしい80sへの愛に満ちたビデオ。
お姉ちゃんと向かい合ってややニヤつく山口一郎の顔を見て、なぜか「俺はこの人のことが本当に好きなんだなぁ」と実感させられました。からの、サビのダサい振り付けがかっこよ過ぎて早くカラオケで真似したい🎤
サカナクションのPVの中でも、スローモーションに次ぐ2番目に好きなやつに既になっちゃいました。あとは多分風とかユリイカあたりかなぁ。


っていうふざけ......遊び心に満ちたPVですが、曲自体は切なさと美しさと、どこか暖かさも感じるいい歌です。なのにPVの映像が思い出されて聴いてると笑っちゃう体になってしまったやないか......ちくしょうめ......。
音的には何と言ってもベースがひゅーちゃーされてるのが最高。スラップをキメまくったベースソロはかっこよ過ぎて気が狂いそうになるし、サビに入る直前のとこも好き。
サカナクションの曲でスラップベースのってほかにほとんど思いつかない(「もどかしい日々」とかはそうだったかな)ので、新鮮な感じで良いですね。
そして、アウトロでフェードアウトしながらギターが流暢に歌い出すあのパターンも、具体的に何っぽいとかは思いつかないけどすごく懐かしさを感じます。

歌詞は夢を追って上京した主人公が、札幌に置いてきた恋人を想う......まぁ地名はアルバムに引っ張られてますが、そういう感じの歌。
最初の

忘れられないの
春風で揺れる花
手を振る君に見えた

というところでもう切なすぎて吐きました。

一人称は「僕」ですが、タイトルは「忘れられないの」という女性的な言い方。そういうタイトルにして女々しさのようなものが滲み出ていますが、それをこうやって美しい曲にしちゃうことで女々しくてもええやんって肯定されるような優しさも感じるんですね。

あと、サビの「夢見たいな"この"日を」の、「この」っていう言葉がめちゃくちゃ良い。
この曲は歌詞を180パターンも書いてようやくたどり着いた完成形ということで、文字数を削ぎ落として生きながらこういう一言のニュアンスで行間が広がっていくような、そういう洗練のされ方がとても美しいと思います。




2.マッチとピーナッツ

からの、いきなりエロい曲でびびります。

まずイントロのどエロいシンセの音と、少し遅れて入ってくるバスドラのリズムとのギャップにつんのめりそうになって、この時点でもうめちゃくちゃ好きになりました。

歌が始まるとなんかビーナスがどうのこうの言ってると思ったら滑舌が悪いだけでピーナッツの話でした(突然の悪口)。
滑舌といえば、ヴィーダン!ヴィーダン!とかテュラシタ!テュラシタ!のとことかもサイコーですよね。

しかし、この歌詞がとてもエロい。
マッチとピーナッツとか、湯呑みの水という小道具の昭和感......。
どうやらつげ義春の世界観をイメージして書いたらしいですが、つげ義春の作品を読んだことないのでさっぱり分かんなくて悲しいです。
でも、良い。

深夜に部屋でひとり座っている男......というあまりにもソリッドなシチュエーション。
でもそこに満月の光やマッチの火の仄かな明かりが映像となってハッとさせられます。
そうした明かりがあるからこそ夜の暗さが強調され、そうした火であの頃の幸せのように消えたピーナッツを探すという映像に仮託された心象の虚脱感というか倦怠感のようなものの表現がすごい。
それはまるで射精したあとの倦怠感のような、いや、ようなではなく、実際にそういう、いわゆる賢者タイムを描いた曲のようにも聴こえるし......。

まぁなんにせよ、タイトル見たときに近藤真彦スヌーピーを思い浮かべたことを謝りたいくらい、完璧なタイトルですよね。「マッチとピーナッツ」って。

そして、歌詞カードも綺麗です。
シンメトリックな字組が最後の一箇所だけで崩れているところに視覚的にもドキッとさせられて、繰り返される「心が〜」という音の中に取り残されたような気分にさせられます。

そして、なんといってもね、最後の一郎の喘ぎ声(?)ですよ。今までサカナクションにあまり(直接的な)色気とかを感じたことがなかったのでふぇっ!?って思いました。




3.陽炎

この曲が映画の主題歌になった時、私はまさにサカナクションいやいや期で、そんな中でたまたま映画館に行ったら予告編で無理やり聞かされて、不覚にもかっこいいと思わされてしまったというクソどーでもいい逸話のある曲です。

めっちゃ聴き覚えのあるイントロのモンキーマジック部分には笑っちゃいます。
そこから先は、新宝島以降のサカナクションらしい非常にキャッチーなポップチューン。
しかし歌い方は完全に新機軸で、やけにこぶしの効いた「くあぁ〜〜げろう!くあぁ〜〜げろう!」は、最初「映画バージョンだけこれでアルバムバージョンはもうちょい大人しくするんじゃね?」と思ってたけどこのままでしたね。
映画バージョンとの違いは、大サビの前の部分がちょっと追加されて1分ほど長くなっていること。映画バージョンはわりと短めだったので、アルバムの前後の曲と合わせる意味もあって長くしたんじゃないかと思いますがどうでしょう。

で、音はキャッチーだけど歌詞は説明が少なくて感覚的。
ほとんど風景描写でありながら、その具体性のなさは現実の風景というより心象風景を描いているようで、夕日とともにやってくる何か決意のようなものが感じられます。
このへんもっと聴き込めばもう少しはっきりと掴めるのかもしれませんが、掴みどころが分からない状態でもその力強さとノスタルジックな雰囲気は聴いてて気持ちいいので好きです。
気持ちいいといえば、歌として歌った時の語感の良さはピカイチですよね。ついついカラオケで歌いたくなっちまう(でもあのこぶしは無理)曲ですわよ。




4.多分、風。

サカナクション / 多分、風。 -New Album「834.194」(6/19 release)- - YouTube

サカナクションファンが風邪を引いた時に「多分、風邪。」とツイートすることでおなじみのこの曲です!

アネッサのUVなんちゃらのCMソングとして2016年の夏に放映され、さぁサカナクションが今年最高のサマーアンセムをぶちかますぜ!......と思っていたら、例の「歌詞が書けません」によって秋も深まる季節にリリースされたという経緯を持つ一曲です。歌詞書き直すついでに「渚のアップビート」というダサ懐かしい仮タイトルもちょっと落ち着いて「多分、風。」へ。

YMOくらいしか知らないけど80sテクノポップ感全開ながら今風なオシャレ感もありーのなサウンドがツボりましたね。ポポポン ポポポン ポポポンっていうドラム(シンセドラム?)の音が最高。

歌詞も頑張って書いてただけあって良いですね(笑)。

知らない女の子とすれ違う瞬間を描いた歌詞。こういう一瞬を切り取るのが詩らしくて良いですよねサカナクション
実体験とは関係なく、なんかこう人類共通の郷愁のようなものに襲われる凄まじい歌詞なんですが、私の家はそこそこ田舎で中学の頃とかには畦道とは言わないけど河原の道を自転車で走る君を追いかけたりもしてたので、個人的には忘れかけていたあの頃を思い出す曲でもあります。

とはいえ、もう昔のことですからそこまで自分を投影することもなく、頭の中では理想のショートヘアの美少女を思い描いて聴いてますけどね。

で、タイトルの出てくる

畔 走らせたあの子は 多分 風

というフレーズは、なんかこう、あの子が風になって消えていくような、あるいは最初からいなかったかのような儚さがあって、「風〜」がディレイしてくことでよりいっそう白昼夢の中にいるような感覚になります。
ちょっと違うけど、夢の中で知らない女の子と恋をするようなことが昔は結構よくあって(キモいって言わないでください)、その瞬間だけの、恋というには短すぎるけれど何か後を引くあのざわざわした気持ち。それを、「ざわざわ」という曖昧な言葉に逃げずに詩として描き出した見事な作品だと思います。

ちなみに、「連れて行かれたら」という最後のフレーズが、意味こそ違いますがそのまま次の「新宝島」に引き継がれる構成も上手いっす。




5.新宝島

サカナクション / 新宝島 -New Album「834.194」(6/19 release)- - YouTube

で、これ。
もはや説明不要ですが、インパクトのあるイントロからしてカッコよくてキャッチー。イントロの音がもうなんか揺れたり震えたりしてる感があって良いっすね。

歌詞はやはり長いこと書いてただけあって、バクマンのストーリーとサカナクションのストーリーの両立された、ある種ダブルミーニングみたいな歌。
しかしこれ、このアルバムが出るまではあまりにキャッチーだしサカナクションの延期癖の象徴のようであんま好きじゃなかったんですよ。
ただ、前述の通り、「モス」によってこのアルバムのここに位置付けられることで、ようやくちゃんと好きになれた気はします。

特に歌詞カードを見ると、字組がサビで「連れて行くと」と言ってるとこと「連れて行く"よ"」と言ってるとこで改行されてて胸熱でした。それは、今ようやく、とりあえずニューアルバムに連れて来てもらえたからというのも大きいですけどね。

あと、どうでもいいけど最初は丁寧丁寧丁寧のところを「ベイベーベイベーベイベー」だと思ってて、なんやこのキザったらしい曲!ってキレてました。




6.モス

山本リンダ感なイントロで始まるこれまた浅瀬側のキャッチーな曲ではあるんですが、歌詞が良い。

アルバムの流れにおけるこの歌詞の凄さについては前述の通りで、わりと説明的な詞ではあるのでこれ以上にあまり語ることはないのですが......。
「繭割って蛾になるマイノリティ」というフレーズがとにかく素敵ですよね。
この場合のマイノリティというのは捻くれ者みたいな意味でもあって、蛾であることをアイデンティティとして生きていこうと肯定された気持ちになります。
まぁ、正直なところを曝け出すならば、私は虫の蛾がこの世でも片手の指に収まるくらいに嫌いなので聴くたびに少しだけ「うえっ、蛾じゃん」という気分になってしまうのも事実ではあるんですけど......。

ちなみに、MVはなんぞこれ手抜きやんという気持ちが半分ではありつつ、後半の演技の上手さに笑ったのと、オチが秀逸だったのでオッケー。なにより、最後に出てくるあの人を演じてる方のことを知った時にもう一度「繭割って蛾になるマイノリティ」というフレーズを思って衝撃を受けました。そこまで含めて作品になっているのが凄いので、MV見た方は「あの可愛い女の子誰〜?」くらいの気持ちで役者さんを調べることをお勧めします。




7.『聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに』

で、これは個人的にサカナクションの曲の中でもトップクラスに好きな曲です。
今アルバムで初収録の完全な新曲を除けば、この「聴きっドルーム」と、「スローモーション」と、「mellow」が私の好きなサカナクションの曲ベスト3だったりします。

これはちょうど草刈姐さんの産休中に作られた曲で、ベースはモッチが弾いてて、だからギターはなくってリズムとキーボード主体のオシャレ感全振りな音になってます。

ファルセットのコーラスパートは、全然詳しくないけどアースウィンド〜っぽさがあって気持ちいいですよね。
あと、間奏(?)のキラキラ〜っていう音と「おお〜〜おお〜〜」ってとこもなんかこう、終わりゆく夜の特別感への愛着が湧いてきて切なくなります。

で、歌詞は「新宝島」でサカナクションを知ったリスナーを連れて行く先としてのクラブイベント"NF"のことを描いたものだと本人は言ってますが、そういう小理屈は置いといて......。夜にクラブでだけ会う名前も知らない君のことを描いたラブソング未満な儚いお話だと思います。

リキッドルームってのは東京は恵比寿にあるライブハウスで、名古屋民の私にはピンと来ませんが、キャパは900人ということだから名古屋で言えばダイアモンドホールとかあんくらいの、小さいとまでは言わないけどホールとかアリーナにはない一体感もあるような、そういうイメージですかねきっと。

そこでしか会えない君。
それは「多分、風。」で一瞬すれ違ったあの子への感情も彷彿とされ、あるいはこの歌の僕は君を待ちながら「多分、風。」のあの子を思い出しているのではないか、なんてことも想像しちゃいます。

そんな君と過ごす時間は、しかし夜明けとともに終わりゆく。
コーラスのパートで「続きまして夜は朝に変わります」「続きまして夢は朝には覚めます」と丁寧語で宣言されるのが儚くも、それを受け入れつつも最後の抵抗とばかりに「AM5時から始まるこの夜を踊ろう」と歌うのがうーん、エモい(語彙を喪失した)。

あと、「僕は東京生まれのフリをして」というとこも、地方民からすると東京という街への想像が膨らみますね。




8.ユリイカ(Shotaro Aoyama Remix)

からの、「ここは東京」と歌うユリイカのリミックスです。
こちらのリミックス版では、「いつも夕方の色 髪になじませてた君を」「空を食うようにびっしりビルが湧く街」「なぜかドクダミとそれを刈る母の背中を」といった具体的な情景描写は排され、「東京」「生き急ぐ」といった部分が強調されています。
そのため、東京盤の終盤にはぴったり。
また、この曲と次のセプテンバーで、「札幌にいた自分たちが東京に染まっていくこと」が体現されているようにも感じられてそこも感慨深いですね。

音的には、難しいことは分かんないすけど、オリジナルのギターのリフとかを印象的に使いながら静かに始まってだんだん踊らせてくる感じがカッケェすね。
ただ、私は最近は平日は車くらいでしか音楽を聴けないので、この曲の頭の方は走行音にかき消されて全く聴こえないのが悩みです。静かな車が欲しいよ......。




9.セプテンバー -東京 version-

この「セプテンバー」は、山口一郎が中学か高校かくらいの時に書いたという、初期とか以前の曲ですが、こちらの東京バージョンは打ち込み感の強いアレンジでオシャレな仕上がりになってます。
最後が「セプテンバー」というタイトルコールでアウトロもなく終わるので、そのまま札幌盤の方も聴きたくなってしまいます。

曲自体の感想は、10代の頃の原曲に近い札幌バージョンの方で改めて書くことにします。
ひとつだけ。「ここで生きる意味 探し求め歩くだろう」という歌詞の「ここ」がこの東京バージョンだと東京の街としてイメージされるのが良いですね。





というわけで、6年ぶりの新作『834.194』のディスク1=東京盤について語っただけで1万文字近く費やしてしまいましたが、長いこと待ったんだからそれくらいは語らせてくだせえ。たぶん次の感想札幌バージョンについてはもうちょい短くなるだろうと予測されるので、いずれはそちらの方もよろしくお願いいたします......(本当に書ききれるか不安やけど)。

それでは、長々とお付き合いいただきありがとうございました。ここで一旦ばいちゃ!

西澤保彦『腕貫探偵、残業中』読書感想文

『腕貫探偵』に次ぐシリーズ第2弾となる短編集です。

腕貫探偵、残業中 (実業之日本社文庫)

腕貫探偵、残業中 (実業之日本社文庫)


前作は各話で「腕貫さんの簡易相談所を訪れる語り手」という形式を踏襲していましたが、今回はちょっとハズしてオフタイムの腕貫さんが出会う人々の物語になっています。
そのため、前作もバラエティ豊かでしたが今回はさらに話の構成からしててんでバラバラで、良いか悪いかは好み次第ですが、シリーズ物っぽさが薄い短編集になってます。

個人的には1冊でサスペンスから恋愛ものから倒叙まで色々味わえるのが面白く、前作にも劣らないステキな一冊だったと思います。

以下各話についてちょいちょい。





「体験の後」

行きつけのレストランで食事をしていると、迷彩服の男たちが乱入し、店に立て篭もった。リーダー格の男は店主に恨みがあるようだったが......。


初っ端からまさかの立て篭もりサスペンスで驚かされました。
とはいえ、このシリーズらしく、緊迫感よりもゆるさと悪い意味での人間味に溢れる一編ですのでご安心を。
まず語り手が初老に近い男性なんですけど未だに学生気分というのが面白いですね。西澤さんはそういうの似合うし、私もそういうの好きだから、彼のキャラ造形だけでニヤニヤしちゃいました。そんな青い彼のキャラ造形がラストの行動にも説得力を持たせてますしね。
ミステリとしては、なんとなく読めてはしまうものの、伏線といい真相への飛距離といい、なかなか面白く、幸先のいい短編集のスタートだと思います。





「雪のなかの、ひとりとふたり」

ユリエと同じマンションに住む男が妻を殺害したとして逮捕された。しかし、ユリエがたまたま撮った写真には彼が一晩中乗り回していたと供述する車に雪が積もっている光景が写っていて......。


映画の『キサラギ』みたいな、落着した事件に改めて疑問点が出てきて推理していくと......みたいな話って良いですよね。
事件の内容こそ全然違うものの、本作もそういうタイプのお話だったのでその時点で無条件に引き込まれてしまいました。
不倫ものなのでドロドロしそうな予感はあったものの、やはり嫌な話になっちゃうのが良いですね。外枠がユリエちゃんと腕貫さんのラブコメなだけに余計、事件の構図のやるせなさが際立ちます。





「夢の通い路」

高校時代に片思いしていた女子との、あり得ないはずのツーショット写真が見つかった。当時の親友や彼女当人に話を聞くうちに、過去の火事の記憶が蘇り......。


魅力的に見えた写真の謎自体はかなりしょうもないことで拍子抜けですが、その分他の思わぬところから出てくる意外性にやられました。そして、同窓会ラブ的な(同窓会じゃないけど)、学生時代のマドンナとの再会っていうストーリーも良いじゃありませんか。読んでる間、頭の中で斉藤和義がずっと好きだったんだぜ〜と歌ってましたよ。





「青い空が落ちる」

無趣味で特定の友人もいない、いわゆる"面白みのない"タイプの元教師が自宅で病死した。その死には事件性は認められなかったが、彼女が死の間際に五千万円もの大金を銀行から下ろしていたことがわかり......。


冒頭のノスタルジックでありながらどこか不気味さの漂うモノローグからして素敵。
そこから一転、事件の謎は地味ながら、他人との関わりが薄い人物の突然死と死ぬ直前の不可解な行動というのはこれまたどこか不気味で、不可解なだけで特に事件性もないくせにちょっとホラーのような雰囲気さえあります。
そして、西澤保彦らしい歪んだホワイダニットとしての真相もまた不気味で、本書の中でも一際異端な感じの一編でした。





「流血ロミオ」

夜中に隣の家に住む想いを寄せる少女と窓越しに話すことを楽しみにしていた中学生。ある日、初めて彼女に部屋に誘われたが、その後、少女は殺害され、彼も暴行を受けて重体に。さらに同じ頃、少女の叔父と友人が不審な事故死を遂げていて......。


少年少女の青春物語自体にも男女の温度差という悪意を込めてくるあたりは非常に西澤保彦
事件の内容自体はあまりにも大惨事になりすぎてもはや誰が何をしたのであろうがみんな死んでるけどな!という謎の興味の持てなさがあったりしますが、それでも歪んだ真相はやはり西澤保彦で楽しめました。





「人生、いろいろ。」

浮気相手と共謀して同棲する女性をホテルで殺害しようとしていた大学生。計画が狂い、殺害は中止されたが、その後思わぬ小さな事件が彼の身近に起きて......。


本書の最終話です。
倒叙ものなんですけど、主人公の計画に倒叙ものらしいスマートさが感じられないのが面白いところで、こいつ大丈夫かよとニヤニヤしながらもハラハラしちゃいます。
しかし動機は大学生ながらドロドロしてて西澤ってますね。
で、そんな倒叙ものとして読んでいると、話は急展開して意外なところから謎が飛び出してきます。この奇抜な構成が面白い。
正直ここまで来ちゃうとオチはなんとなく読めちゃうけど、なんとも言えん余韻も含めて不思議な味わいが魅力的な一編です。

チャイルド・マスター

はい、今日はさっき見たB級スラッシャー的なヘンテコ映画を紹介します。


チャイルド・マスター [DVD]

チャイルド・マスター [DVD]

タイトルとジャケ写からも分かる通り、チャイルド・プレイの二匹目のドジョウを狙った売り出し方がされている本作ですが、人形はむしろアンソニー・ホプキンスの『マジック』みたいな感じで、ストーリーはもっとこう、うまい例えはないけど『ナチュラル・ボーン・キラーズ』みたいな殺人ロードムービーになってます。

主役は、話せない兄のノルベルト、意思を持つ腹話術人形のダミー君、サイコでビッチな妹のアンジェリーナの3人組。
で、ジャケ写的にこのダミー君が人を殺していくのかと思いきや、なんと妹のアンジェリーナちゃんがサイコキラーで兄と人形は彼女に怯えてるっていう謎の関係性が面白かったです。
なにより、アンジェリーナちゃんの見た目がめちゃくちゃ私のタイプでして、その可愛さを伝えたい......いや、違うな、自分のために残したいがためにわざわざブログに感想を書こうと決意したもので、つまりこの記事はもはや感想ではなく好みの女の子の記録でしかないわけですが......


しかし、この3人組、最高じゃないですか?

お兄ちゃんはお兄ちゃんで、常にこういうおしっこ我慢してるみたいな顔でおしっこ我慢してるみたいな歩き方するのが最高だし、一言で言えば、このビジュアルを見て良さげだと思う人にはオススメの映画ってことですね。

なんせ、ストーリーは別に面白くない。

彼らがゆるーく人を殺しながらベガスを目指すってだけの話で、出会った人を殺すという短いエピソードを積み重ねているだけみたいな展開だから、最初は面白いけどだんだんマンネリ化していきます。
一応途中で女の子を誘拐して子供を産ませようとするみたいなとんでもない展開にはなるんだけど、それにしてもコメディと呼ぶにはシリアスだけど、サスペンスと呼ぶには緊迫感がないという微妙な作り。
オチにしても、一捻りあるにはあるけど、その捻り方もまぁ予想の範囲内だし、ギャグのようでいて悪趣味すぎてちょっと引いた失笑しか出来ないという珍妙なもの。

まぁ人を殺すシーンはなかなか頻出する上にそれぞれ趣向が凝らされていてそこそこ面白かったっすけどね。フェラチオのやつとかは最高。

......と、こうやって書いてみると、あんましハマってない感じにはなっちゃいますが、前述の通りとにかくアンジェリーナちゃんが可愛い、それだけであり、それだけで唯一無二の存在価値を持つ映画なので、あえてここに書いてみた次第です。
なんせ、彼女を演じるペイディン・ロパチーンさんはどう探しても本作以外に出演作がなさそうなので、本当にその意味では唯一なんですね。
というわけで、けっこうキモいですが最後に可愛いすぎる彼女のスクショを貼っといてこのグダグダすぎる感想を打ち切りたいと思います。



ロリっぽいのに色っぽくもある感じ、タイプですね。



富士フィルムインスタントカメラ、世界で使われてるんですね。殺した人の記念写真を撮るサイコなシーンですが可愛い。


這いつくばらされて言葉攻めされたくなる画像。最高っすね。


それでは、ばいちゃ!(この記事なんだったんだろう)

松井玲奈『カモフラージュ』読書感想文

昔は話題の本とか避けてたんですけど、この歳になってそういうのも逆に恥ずかしいなと思い、話題書のこちらを買ってみたわけでごんす。

カモフラージュ

カモフラージュ

著者の松井氏は元SKEとか乃木坂とかに所属してたアイドルで現在は女優やタレントとして活躍してる一流芸能人。
そんな彼女の小説デビュー作となる本書はしかし、なんとなくイメージされる「自らのアイドルとしての経験を主人公に投影した半自伝的長編」......とかではなく、若い女性に限らず様々な境遇の主人公たちを描いた短編集だったから驚きました。

しかも、その振り幅も広くて、不倫を題材にしたピュアな恋愛小説から、ファンタジックだけどエゲツないホラー、等身大のビルドゥングス・ロマンに、YouTuberが題材の時流に乗ったものまで、専業作家の短編集でも贅沢なレベルに色とりどり。
もちろん、各話の内容もしっかり起承転結あった上でその先への余韻をも残すという見事なもの。
その上で、「カモフラージュ」という言葉と「食べ物」の存在が全話に緩く共通しているから寄せ集めた感じはしない。
また文章も、読みやすくい上にめちゃくちゃ共感出来るという、ツイッターとか歌詞とかに近いイマドキっぽい作風が確立されています。

褒めまくったので一つだけ欠点を挙げるなら、描きたいテーマについてちょっと説明的すぎるきらいはあるかと思います。
各話とも話の最後の方で「この話はこういうことが伝えたくて書きました」という著者の声が聞こえるようで、作家デビューだけにちょっと力みすぎな気はします。
......なんて何様目線で書いてしまいましたが、あれだけテレビとかでもしょっちゅう見かける本業の忙しい著名人が、「自伝的」というひみつ道具を使わずにあくまで小説家としてこれだけの本を書き上げたということに感動しました。
今後も注目ですよ!

それでは以下各話のちょいちょい感想。





「ハンドメイド」

不倫......というか、結婚はしてないから浮気?セフレ?モノの恋愛小説。

まず、そう、一言目にまずこれだけ言っておきたいんですが......
この男まじクソやな死にさらせアホんだらぁ!!
というわけで、クソ野郎の描写が的確すぎて読みながら要所要所でキレてしまうあたり、読者を引き込む技の巧みさを感じます。
正直、こんなクズに引っかかる女も女だわとすら思ってはしまうのですが、それでも彼女の一人称を読んでいくとそこに描かれるどうしようもない気持ちにバチっと共感してしまっている自分に気付くのでして......。
そう、部外者としてはそんな男やめときなと言いたくなるんですけど、それは当人の決めること。相手はどうあれ、恋する彼女の姿はとても素敵なんです......。
それを描き出す小道具としての、"ハンドメイド"のお弁当がまた上手いこと使われてますよね。個人的にはp16で描かれる、"ミスマッチ"なお弁当の映像がとても印象的でした。

そして、結末はとても切ないんですけど、最後までこの男はクソすぎてなんかもう読後の一言目の感想は「トホホ......」でしたよね。
まぁしかし、クソ野郎と食べ物を上手く描けるのはいい作家の証拠ですよね!





「ジャム」

小学生の少年が主人公のシュールなホラー。

子供の視点からの無邪気な世界はそれだけでファンタジーめいていて、前話との振れ幅に驚かされます。
あまりにも無垢でミクロな彼の世界にじわじわと侵食してくるモノ、そのギャップの気持ち悪さがたまらんですな。
そのへんまで幻想的なだけに、あいつの正体が意外と現実的なことには私はちょっと引いてしまいましたが......。
しかしラストはああいうエグい描写を、ただやりたいからではなく物語に合わせてやっちゃってるところのセンスは凄いっすよね。心理的にエグいスプラッタという新感覚を楽しめました。





「いとうちゃん」

からの、またもガラッと雰囲気が変わって、メイドさんになる夢を追いかけて上京してきた女の子の成長物語。

変わった設定の話が多い本書の中で、メイド喫茶という舞台こそ一風変わっているものの、最も等身大にリアルな話がこれ。
まずはメイド喫茶に行ったことがないのでその内情の描写が興味深かったです。興味本位や冷やかしのお客さんが結構くる、というところなんか、なるほどなぁと思いましたね。
そんな、夢を手にしたはずが、憧れとは違ったものだったという夢のその後を描いたストーリーがチクっと痛くて、でもそこに明太子スパゲッティという癒しがあり、最後はさわやかな読後感を用意してくれるその優しさに惚れました。





「完熟」

桃にかぶりつく女性に異様な執着を見せる男のフェティシズムを描いた、掌編くらいの本書中最も短いお話。

冒頭で描かれる桃の場面の、なんかこう、いい意味の昭和っぽさが好きです。
そこから話は一転して夫婦とは、という別のテーマが浮かび上がってくるのも面白いですね。短いページ数の中で、幻想からだんだんと現実に寄っていく展開が見事です。
そして最後に語られるこの作品の真のテーマは、どこか諦観のようでもあり、希望のようでもあり、つまりは、達観した熟年の作者が書いたようでもあり、夫婦関係に夢を見る若い人が書いたようでもあり、といったアンビバレントな揺らぎのある結末がじわじわと尾を引きます。
実は、個人的にはこれが本書で一番好きですね。





「リアルタイム・インテンション

で、実は個人的にはこれが一番いまいちでした。
YouTuberの光と闇といいますか、良いところと悪いところみたいなのを描いた作品です。

まぁ、そもそもあんまりYouTuberに詳しくないし、良い印象は抱いていないので、どうしても題材からして色眼鏡かけちゃってたわけですけどね。
しかし、正直なところ、主役となる3人組にあまり魅力を感じられず、本当になんか大学の部活内の喧嘩を見てるような内輪のノリで疎外感を感じました。
話の内容も、結局あの2人がしょーもないことするからああなったのを美談みたいにされてもなぁ......という醒めた目線で読んでしまいどうにも......。





「拭っても、拭っても」

最終話のこれは、第1話と対になるかのように、クズ男と付き合って別れた女性が主人公の恋愛小説です。

まぁこれも病気みたいなものなので悪く言うのも差別的にはなってしまいますが、それでも正直めちゃくちゃ胸糞悪くてわろえないですよこいつ......。付き合いたくない男を描かせたら天才なのかも知れませんよこの作者。
もう、彼の存在がなかなかにトラウマ級で、餃子とか絆創膏に対して嫌な感情を植え付けられそうになるわけですが......。
しかし、そんなトラウマを吹っ飛ばす、あの人の救いの言葉が素晴らしく、爽やかな気持ちで本を閉じることができました。
この終わり方は第1話のラストを踏まえてのことでしょう。こういう短編集としてのちょっとした気配りも良いですね。それのおかげで一冊通して良い本だったなぁという感慨にまた改めて浸れました。

千澤のり子『シンフォニック・ロスト』読書感想文

「いつも一緒にいたかった となりで笑ってたかった」(PRNCESS PRNCESS『M』より)



こないだオフ会に行った時に話題に上がったので気になって読みました。なんせ、Amazonマケプレで3万円とかついちゃってる稀覯本なので図書館で借りるしかなかったのですが、めちゃくちゃ面白かったので近所の図書館に本書が蔵書されてるという方にはぜひ読んでいただきたいと思います。


シンフォニック・ロスト (講談社ノベルス)

シンフォニック・ロスト (講談社ノベルス)


とある中学校の吹奏楽部。2年生の泉正博は自分と同じホルンの先輩に想いを寄せていたが、彼女が自分を蔑んでいたことを知る。そんなある日、「部内でカップルができるとその片方が死ぬ」という噂の通りに部員が不審死を遂げ......。



というわけで、本作は吹奏楽に打ち込む少年たちを描いた青春ミステリです。

「青春ミステリ」というものに、私が求める理想は、ミステリとしてのトリックが意外なものでありながら、それが物語と結びついていて、トリックが明かされると共にストーリーも一層深みを増すような作品、なんですよね。
本作は、まさにそれ。
種明かしと共に物語が一瞬にして姿を変え、綱渡りのトリックもキャラクターの心理描写によって不自然ではないものに補強されている、まさに(私にとっての)理想的な青春ミステリの一例であると言ってしまっても良いでしょう。



まず、冒頭でいきなり主人公の泉少年が憧れの先輩に「あいつアタシのこと好きやんねまじキモイわーwwてか楽器下手過ぎ最悪ww」と言われるというなかなかにトラウマな(ああ、彼は中学時代の俺なんだ......)幕開けで非モテ男子たる私は一気に引き込まれてしまったのですが......。
そこから読み進めていくと、なんとそんな泉が他の女の子たちにはモテるモテる。一気に(こいつは中学時代の俺なんかじゃない、クソイケメン野郎だ!)と気付かされるのですが、自分に気のある女の子と付き合いながらも「自分は本当にこの子を好きなのか?」と悩む彼にはやはり感情移入してしまいます。

そんな中で起こる事件自体は、ミステリファン特有の不謹慎な言い方にはなりますがわりと地味なもの。
事件の魅力だけではやや牽引力に欠けるところはありますが、そこで泉モテモテ伝説が始まることで物語に加速がかかって一気に読めちゃいました。
あと、泉の中に起こる"あの感覚"なんてのもいかにも心に闇を抱えたラノベの主人公みたいで中2心をくすぐりますね。まさに彼は中2ですし。
いや〜、しかし、私も中学時代にこれだけモテたかったっすよ!私もわりと好きな子にキモいとか言われてたけど、その分他からモテたりしてたらもうちょい自己肯定感の強い人間になれたのに!

なんて、ついつい青春エピソードに入り込んで読んでしまうのですが、最後まで読んでみると、まさに見えていた景色がひっくり返るような驚きと、ひっくり返った後の景色への感動が味わえるのでした.......。


というわけで、ラストについては完全にネタバレなしでは語れないので、以下ネタバレコーナーになります。


























というわけでネタバレ。

そう、本作に仕掛けられていたのは、奇数章と偶数章が別の時代(1990年と2007年)であったという時系列トリック+それぞれの時代で「泉」が泉正博と日向泉ということなる人物であったという人物誤認トリックでした。

どちらも単体ではありがちな叙述トリックですが、両者をまとめて使っちゃうとこれはもう、時間も人物も全く異なる話が一つの話のように描かれるという、なかなかの離れ業になってしまうのです。
実際、思い返してみれば偶数章はやけにページ数が短く人名も伏せられているところばっかりだということに思い当たりますが、読んでいる間はそこまで違和感を感じなかったので、してやられたなぁと悔しい気持ちでいっぱい。

ただ、普通ならここまでの綱渡りをしてしまうとどうしてもインチキ臭さが出てしまいますが、本作では物語としての説得力を駆使してそれを最小限に抑えているのがお見事。

例えば、吹奏楽部の様子が17年を経てもあまり変わっていないことなんかも、部に歴代の先輩が残したノートがあるなんていう伝統を守っている描写があるからこそすんなり受け入れられますし、2人の泉がたまたま(犠牲者の特徴が)同じような事件に遭遇することも、p67の時点で「偶然が重なっただけだ」という伏線が張られていることで先手を打たれてしまっています。
そして何より、日向泉がホルンに転向して母校で吹奏楽部の顧問をしているという事実に対して、これまで散々描かれてきた日向から泉正博への想いというバックボーンがあることがズルいですよね。千澤さんよぉ、そりゃズリぃよ......そりゃあ......。

さらには、部が演奏するJ POPの名曲たちの使い方も絶妙。
p101で、Mについて「男性目線の曲としても聴ける」という論をぶつことでMの歌詞に共感する「泉」の姿を自然なものにしつつ、泉が日向泉であることが明かされた時には、やっぱり女性目線の名曲としてもう一度あのメロディが脳裏に浮かんでしまうという巧さ。
もちろん、Mの歌詞も彼女の心情を読者に伝える媒介になっている。
また、平成の卒業ソングの代名詞とも言える「3月9日」という曲名で2007年という時代を印象付けたり、「浪漫飛行」の最後のサビの歌詞もなんとなくこの結末とリンクするところもあって、こうした誰もが知ってる最強のサントラたちによって感動を増幅させるのがズルいっちゃズルいけど、しかし非常に効果的です。

そうして、技巧を凝らしたトリックで描かれるのは、青春の終わりと、終わらない青春。
最近は歳のせいか、こういう大人になるところまで描いた青春小説に滅法弱くなってしまったのでね......。
青春は終わってしまったし、もう元には戻れないところまで来てしまったけど、それでもあの頃の気持ちを忘れられないの......っていう。そういうアレですよね。はぁ、エモいわ。

やみよいくよ。

サカナクションの6年ぶりのアルバムが出た。
4月に発売決定と発表されてからさらに延期したことに対して根に持ってるから言わせてもらうと、正確には6年3ヶ月ぶり、のアルバムだ。

6年と3ヶ月前、2013年の3月。
私は高校を卒業して大学に入る直前の、最も輝かしい時期であった。
そんな時に聴いた前作『sakanaction』は、大学生になって好き勝手に夜更かし出来るようになったことも相まって私の夜のお供になった。
大学生の4年間、サカナクションの新作を待ち続けた。ラジオで山口一郎が次なるアルバムの話をするたびに胸をときめかせていた。本当に、それは恋と同じであった。
しかしどんなに恋い焦がれてもサカナクションの新作という思いびとは振り向いてくれない。

そんな折、個人的に色々とあって、社会人になってすぐに、もうサカナクションのことは忘れようと思った。
CDもDVDも売り払い、iPodからもサカナクションの曲は消した。

それからsyrup16gとか聴きながら死にたい死にたい言ってたもののなんやかんやでけろっと立ち直ってまたサカナクションを聴けるようになったけど、一度醒めてしまった気持ちはもう戻らない。一時はスピッツと並んで一番好きなバンドだと公言していたものの、もはや単にたくさんある好きなバンドの一つに成り下がってしまった。そう思っていた。

忘れていた。
忘れかけていただけか。

そう、思い出したんです。
新作が出ると発表された時、収録曲目が出た時、新曲が解禁された時、そして、今日、新作を通しで聴いて。
あの頃のサカナクションへの恋心を思い出したんです。

正直、聴く前は既発曲の寄せ集めのアルバムなんか作りやがってクソがと思ってました。
それが実際聴いてみたら、既発曲がまるでこの作品のために書き下ろしたかのように、ぴったりと一つの大きな物語として再構築されている。そして、新曲たちは今までよりグッと大人っぽさを増して6年という月日を感じさせる。
アルバムの全てがディスク2のラストのセプテンバーという曲に収斂して、聴き終えた時には興奮で意味もなく部屋の中をぐるぐる歩き回ったり意味もなくストレッチをしたりしてしまいました。

いずれちゃんと感想を書きたいという気持ちと、ここまでの破格の作品の感想なんて書けないという諦めのアンビバレンツに引き裂かれつつ、とりあえずせっかくだし発売日の今日に一言書いとこうと思い立って書きました。発売日は明日ですけど。特に意味のない個人的は呟きですけど。でもやっぱり私はサカナクションに身も心も捧げてしまっていたんだと思い知らされてしまったんです。サカナクションの曲になりたい。サカナクションの曲としてスピーカーから鳴りたい。

道尾秀介『光』読書感想文

はい。ちょっとご無沙汰してましたが、道尾秀介補完計画の最後の一冊がこちら。
これで離れていた時期の道尾作品のうちで文庫になっているものは全て読み終えたことになります。

光 (光文社文庫)

光 (光文社文庫)


という個人的な事情はどうでもいいとして......。
本作は語り手の"私"こと利一が、少年時代に友達の慎司、宏樹、清孝、そして慎司の姉の悦子と過ごした日々を回想するという物語。
各章がそれぞれ1つのエピソードになった連作短編集とも呼べる長編です。

道尾作品では頻繁に"少年"が描かれますが、本書は『月と蟹』とともにその一つの集大成というか到達点とも言えそうなくらい、どストレートに少年時代というものが描かれていて、道尾版『スタンド・バイ・ミー』などとあだ名されるのも納得でした。子供達それぞれのキャラクターも、最も普通で感情移入しやすい「私」こと利一が主役で、抜けてる親友の慎司、金持ちで嫌味な宏樹に、両親を亡くして貧乏だけど強い心を持つ清隆、そして活発だけど大人な悦子と、分かりやすく立ってるのもあれっぽい。

スタンド・バイ・ミー』という作品を観た時に(映画版。原作は未読です......)、「なんで外国の作品なのにこんなに懐かしさが心に刺さるんだろう!?」と思いましたが、きっと自分の実体験とは関係なく人類共通のノスタルジーみたいなものがあるのではないでしょうか。
本作もそんなノスタルジーに満ちた作品で、実際には私は少年時代にこんな経験してないんですけど、なぜか本書を読んでると感傷が疼くことが度々あったんですよね。
例えば、第1話の冒頭にしてからが、担任の綺麗な女の先生が今日はデートなんじゃないかと友達と2人で茶化してたり。
あるいは友達のお姉ちゃんにちょっと異性を感じてドキドキしたり、または悪いことをしてしまった時の取り返しのつかない絶望感だったり。
そして、子供同士の間でもけっこう気を使ったり空気を読みあったり探り合いをしたりしてる感じもなかなかリアルだったり。
そんな、なんとなーく少年時代に経験したことのありそうな気持ちが見事に描かれているからこそのノスタルジーの強さなんでしょう。むしろ、著者はこんな気持ちをどうしてまだ覚えているんだろうというところにびっくりしてしまう、謂わば少年時代あるあるみたいな作品ですね。

また、一方で各話にはそれぞれミステリ的な捻りもあったりして、1話1話が独立した短編としても読める、非常に贅沢な作りになっています。
各話のタイトルも非常に秀逸ですよね。「光」「アンモナイト」「夢」という言葉が非対称だけど対になる形で配置され、その中に1話だけ「女恋湖の人魚」なんていう怪奇探偵小説みたいなタイトルが並んでたら気になっちゃうに決まってますもん。

そして、本編は少年時代の出来事が、「ぼく」とかではなく大人になった「私」が一人称で回想する形で描かれていることで、よりいっそう先の展開が気になる作りになってるのも上手いですね。回想と現在が交差するクライマックスではやっぱりかなりジーンときちゃったし、うん、これまた傑作でしたよ。

一応短編集的な作りなので、以下で各話の感想も少しずつ。





「夏の光」

ニコイチ的な親友同士の利一と慎司が、宏樹と清隆の喧嘩を目撃することから彼らと親しくなっていく様を描いた第1話。いわばアンモナイツ結成編ですね。
子供の時の「こいつちょっとウゼェな」みたいなやつともなんだかんだ仲良くしたり、「こいつちょっと大人の世界の住人だな」みたいな子に一目置いたりする感じが絶妙。
あと、キュウリー夫人というばあちゃんのあだ名も絶妙。ザビエルとかキュウリ夫人とかって絶対イジられますもんね。
で、話としては宏樹の父親が、清隆が犬を殺した証拠となりそうな写真を撮って......という日常の謎。その写真の謎自体はいまいち面白くないんですけど、その事件から見えてくる清隆というクラスメイトの姿が非常に印象的に描かれ、花火などの「光」もまた印象的な、つかみはオッケーな第1話でした。
ちなみに、本作はカッパノベルス創刊50周年記念の『Anniversary 50』というアンソロジーに収録された作品だそうです。まぁ「50」というテーマへの絡め方に関してはあまり上手いとは思えませんが......。





「女恋湖の人魚」

この、昭和の怪奇探偵小説かモノクロのSF映画みたいなレトロ感のあるタイトルからして良いですよね。
内容は夏の怪談スペシャルみたいな感じで、普段は寡黙な教頭先生が突然人魚伝説について語り出すという異様さが怖いっす。そして、洞窟の冒険なんていう、ザ・少年時代な展開がもう最高。けっこう小学校中学年くらいまでってまだ半分くらいは怪異の存在を信じてるんですよね。そんなものいないことを頭では分かっていても、気持ちはついつい怖くなっちゃうというか......。そういう時期の彼らにとってこの冒険はとても恐ろしいもので、それが読んでるこっちにも伝わってくるので可愛さ半分のつられて怖さ半分くらいで読みました。
そして、ミステリ的な解決もまた別の意味で印象的。とあるキャラクターの言葉が刺さりました。この辺はなんか怪談番組の最後のエピソードだけちょっと泣ける話になってるみたいな雰囲気(?)。





「ウィ・ワァ・アンモナイツ」

嫌味な宏樹に腹を立てた3人が彼を騙すために偽アンモナイトを作るというお話。
個人的にあまりカタツムリって好きじゃないので、正直読んでてちょっとつらかったですが🐌、内容は面白かったです。
まずアンモナイト作り作戦自体がめちゃくちゃ楽しそうで、こういう遊びに全力を尽くせる年代の彼らへの羨望さえ感じます。
と同時に、ここに来て利一くんの中にほのかにあった女の子への関心(初恋、というのともきっとまた違う、自分と違うモノへの好奇心と畏怖のような)がメキメキと頭角を現してくるくるのも、もう一つの見どころでしょう。
なんだか分からない欲求とコントロールの効かない嫉妬......そういった描写が、私の場合は中学の頃でしたが自分の初恋的な何かに重なって刺さりました。

そして、物語は次のエピソード以降でだんだんシリアスさを増していきます。この話はそのちょうど過渡期のような感じで、みんなで遊ぶ楽しさの中にちょっとだけ翳りの見えてくる雰囲気がやっぱり好きですね。はい。





「冬の光」

この辺からはあんまあらすじも書くとネタバレになっちゃうからぼんやり書きますが、第1話と対になる、とある"冬の光"にまつわるお話。
グッとこれまでより深刻な雰囲気が出てくるものの、前話と同様にとある作戦を立てて目的を遂行しようとするあたりは子供らしい楽しさに満ちています。
この話の内容とは関係ないですが、私も子供の頃に友達と秘密基地を作ろうって言ってあれこれやったことがありました。けっこうそういうのって未だに思い出に残ってたりするもんですので、この作品で描かれるアンモナイト作りや×××の××探しなんかにはやはり強烈な懐かしさを感じてしまうのです。
そして、クライマックスのシーンは、静かな一瞬の出来事でありながらエモエモのエモでありまして、本書の中で描かれる"光"の中でも最も強烈に印象に残っています。
道尾秀介はよく「小説でしか出来ないことがしたい」と言いますが、このシーンなんかも現実的な光景を描いているようでいて、実際に見たらきっとここまで美しくはならなくて。想像力を使って見た光景だからこそ、印象に残る。そんな、道尾作品らしい名場面でもあると思います。





「アンモナイツ・アゲイン」

続きましてはアンモナイト作りの話と対になるタイトルのこちら。ただし、内容はわりとガラッと変わって、主人公たちにとっては非常にシリアスなお話になっています。
ここまで読んでくると、(ネタバレ→)序盤で「私たちは犯罪を犯そうとしていたのだ」みたいな予告が出てきても、「ゆうて別に誰にも迷惑のかからない軽犯罪とかなんでしょ」と思ってしまいましたが、まさかのガチに窃盗未遂と器物損壊という悪意のあるもので驚きました。
しかし、これまでは少年時代の楽しい面や暖かな懐かしさが描かれてきましたが、こういう過ちを犯してしまうこともまた少年。
読んでて1番しんどい話ではありますが、こういう感情を描いてくれるお話もまた本書には必要だったと思います。





「夢の入口と監禁」「夢の途中と脱出」

この2つの章で1話分の最終話となります。
本書のクライマックスだけあって、タイトル通り利一たちが監禁されるという大事件が起こります。
彼らが脱出のために弄する作戦は、とても分かりやすいといえば分かりやすいですが、少年探偵団的な趣があって良いですね。昭和な感じ。
そこに絡んでくるのが「夢」というテーマ。みんなで夢を語り合うシーン、小学生の頃から将来の夢の欄に「お金持ち」と書いていたノー・ドリームな私には眩しすぎたのでサングラスをかけて読みました。

そして、あんまり書けないけど最後の方の構成も見事。一気に物語がぐわーっと広がりつつ、広がりの果てもまた見えてしまっているようなところにはリアリティもあります。また、(ネタバレ→)巻頭に引用された『時間の光』という小説の作者が利一だと明かされる(勘のいい人は最初から気付きそうではありますが)ことで、「光」の印象が強烈に焼き付けられて本を閉じることができました。



ちなみに帯には仕掛けが云々と書かれていますが、ミステリ的などんでん返しとかではないのでそこは期待せず、少年たちが目にする光を一緒に見るつもりで読むと良いかと思います。