偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

楽しいこと

最近、楽しいことがなくなりました。
いや、日々生きてて楽しいと思うことはもちろんある。私は恵まれた幸せな人間だ。
ただ、なんつーか、楽しいことが頭打ちになってるんですよね。全てが想定の範囲で、なんだか与えられた楽しさをこなしていくような感覚。楽しいことに飽きてるような。

それに比べてつらいことのなんと新鮮なことよ!
何回同じ間違いを犯してもその度に昼飯食えなくなるし、毎日目が覚めるだけでここまで新しい気持ちで失望できることに驚きます。

どう考えても、楽しいことよりつらいことのが重い。損得勘定で考えたら死んだ方が得なんですね。

そう思ってこないだ試しにドアノブで首を吊ってみたんだけど、これが思いの外苦しいのね。
最初は酔った時みたいにすう〜っと意識が遠のいて、気持ち良いという感じも分かるんだけど、途中で我に返ってもなかなか体が動かなくて、インフルエンザとかで高熱で一番やばい時みたいに目眩もぐわんぐわんして、意識も混乱する中で焦りだけがはっきり知覚されてるような感じ。

楽しいこととつらいことの天秤はおもっくそつらい方に傾いてたけど、死ぬことの恐怖と苦しみを楽しい側の助っ人として乗せるだけで、それは一気に逆転してしまいました。

どうすればいいのかしら。

三津田信三『わざと忌み家を建てて棲む』感想

『どこの家にも怖いものはいる』に続く幽霊屋敷シリーズ(?)の第2弾です。


三津田信三の元に三間坂から再び持ち込まれたのは、ワケあり物件を継ぎはぎして建てられた「烏合邸」の怪異だった......。


作中でも言及される通りウィンチェスターハウスなんかを彷彿とさせる、しかしそれよりも遥かに悍しい、"幽霊屋敷のキメラ"と呼ぶべき烏合邸の存在感がパネェっす。

1つでもヤバい幽霊屋敷がたくさん寄り集まって1つの家になってる。そのこと自体もヤバいし、そんな家をわざわざ建てる奴の神経が一番ヤバい!
そしてその首謀者が色んな人を烏合邸の各ユニットに住ませてなにが起こるか実験するっていう発想がヤバい!
その実験台になった人々の手記やらなんやらによって構成された、例によって連作短編と長編の間のような構成になっています。


各話とも、単独では結末がよく分からない......という状態にはなっています。
そのため、各話が独立した短編と思って読むとやや物足りなさはあるものの、尻切れトンボの結末も怪談においては不気味ではありますし、長編として組み込まれていくのも考えればこれでいい塩梅なのかな、とも思います。

ただ、長編としての纏まり方が、前作の大胆不敵さに比べるとちょっと弱いかな、という感じはしてしまいますね。
これだけ思わせぶりなわりには、けっこう未解決で投げている部分も多く、著者の普段のホラーミステリを読み慣れているだけにやはり肩透かしな感は否めず。


まぁとはいえいつものメタネタも盛り込まれてたりもして、ファンならがっつり楽しめることは請け合いです。

思い出が

思い出が愛なのかなと最近は思います。

昔は、好きな人の好きなところを100個言おうとしてました。
つまり、「ここが好き」「ここが好き」という相手の個性へのいいねボタンが恋とか愛とかだと思ってたんですね。

でも、そうじゃなくて、どこが好きとか言えなくても一緒に過ごした時間そのものが愛なんじゃないかと最近やっと気付きました。

あなたと一緒にどこどこへ行ったこと。なになにを食べたこと。そんなことを積み重ねていくうちに大切になっていくんじゃないか。
だからね、別に理想の相手と付き合わなくてもいいし、100%好きな状態から始めなくても、付き合い始めてから好きになってくってのでもいいと思うんです。

でも、思い出が増えるほど、別れることへの恐怖も鏡に映すように同じ量だけ増えてしまうというのもある。
だからだんだん後に引けなくなるんですよ。最初のうちなら思い出もそんなにないから忘れるのも簡単だけど、数年とかでも一緒にいるともう家の近所のどこにいても思い出がある。そんな状態で失ってしまったら、と思うと怖くて死にたくなりますよね。幸せの山があればその高さ分の不幸の谷がある。そんな巧妙な罠。
怖いなぁ、人生。

特にオチもないけど私の好きなバンドの歌詞を引用して終わります。

一緒に住んだアパートの前のコンビニは潰れたって
意味はないけど僕は家を飛び出した

考える

考えることが苦手です。

世の中の全てのことに確信が持てない。
一問一答が好きなんです。

Q.スピッツの7枚目のアルバムは?
A.インディゴ地平線

これは自分で考えなくても知ってれば答えられますからね。

しかし現実社会で必要なのは自分で考えること!!
答えが決まっていない中から、自分で考えてより良いと思われることを選ぶ。そしてその結果をひーどばっくしてまた反省したり改善したりする。は?無理なんですけど。
だって答えないじゃん。どうすればいいのか分かんない。マニュアルを用意してくれ。

そんなわけで働くことが非常に性に合わない。
「作業」は得意でも「仕事」が無理。
バイトで暮らしたい。
宝くじ当てたい。

そんな感じで宝くじを数千円買ったんだけど、100円とかすら当たらず全部帰しましたよ、水泡に。こんなことなら私も泡になって消えられたらいいのに。

話す

話すことが苦手です。

いつからそうなのか、というと、分かんねえけどたぶん生まれた時からで、先天的に何らかの欠陥があるとしか思えない。

頭ん中では言いたいことがちゃんとあるのに、口に出して言えないせいでいつも私だけが悪者にされてきた。小学生とかそんくらいの時から。
なんで口に出して言えないのだろう。まず、喋りながら文章を組み立てるのが苦手なんですよね。もしかしたら、本ばっか読むからちゃんとした文章にして話さなきゃいけないという理想の高さとかプレッシャーで逆に話せなくなってるのかもしれないけど。
あと、否定されるのが怖いのが一番かもしれない。今でこそ人類皆オタク、一億総変人みたいな世の中だからいいけど、昔なんか私みたいな気持ち悪い陰キャはどんなまともなことを言ってもノリだけ良い脳味噌ピーマン人類に声を掻き消されてましたからね。陰キャが何か言ってんだけどまじウケる〜みたいな。

声と滑舌が気持ち悪いし。
自分の声を聞くと気持ち悪くてほんとに絶望する。自分の声を聞く時が一番生まれてこなければよかったのにと思います。こんな気持ち悪い奴生きてる価値ないし、って。
それをね、人様に聞かれるのなんか苦痛でしかないですよ。この気持ち悪い声が聞かれてると思うと血の気が引きますよ。

そもそも特に話に中身がないんです。起承転結とか苦手だし、オチとか付けれないし、そんなつまんない話して相手の時間を奪ってしまうと思うと、申し訳ないというよりは、時間を無駄にさせやがってと責めるような視線に耐えられなくてつい一言ずつしか喋れないようになってしまったのかもしれません。

中学生の頃、1分間スピーチがあったんだけど、私が話してる時だけみんなつまんなそうにしてて、うんこみたいな顔した担任に毎回やり直させられて、そのたびにこいついつか殺すと思ってたし今もあいつ殺すことだけが人生の目標です。



......しかし、Twitterやブログはいいっすね。
なんせ、文章に滑舌ってないですから、とりあえず書いた分はそのまま伝わりますからね。
文章の内容はどっちにしろつまんないにしても、いつもみたいに「こいつなに言ってんの(物理)」という目で見られないだけで堂々と振る舞えます。

でも、喋るのが嫌いなわけじゃないんですよ。自分の声が嫌いなだけで、話したい欲求はあるし、飲み会とかで下ネタとかでわいわい盛り上がるのは普通に楽しい。
だからツイキャスとかもしたいんだけど、1人で話してるとまた自分の声が聞かれてるっていう絶望で血の気が引いてやれないのがネックですね。

でも、結局中身がないのが一番問題ですよ。なにも言うべきことがないのになにも言えるわけないじゃないですか。俺は空洞〜ですよ。

仕事もつらいけど、私が私であることもつらいから、なんにしろ毎日非常に消極的に死にたくて、自殺未遂未遂未遂みたいな首吊る真似事とかをしながらなんとか頑張ってます。

伊坂幸太郎『ホワイトラビット』感想

仙台市内で起こった人質立てこもり事件とその周辺のあれこれを描いた書き下ろし長編。

ホワイトラビット(新潮文庫)

ホワイトラビット(新潮文庫)


タイトルを何となく似た響きにかけてるのか知りませんが、いわゆる"ホワットダニット"もの。
「人質立てこもり事件」が起きたこと自体は分かっているものの、時系列などが微妙に操作されていることでその全貌がなかなか見えてこない......というタイプのミステリなんですね。

そして面白いのが地の文を物語る「語り部」的存在がいること。
伊坂幸太郎の作品ってのは良くも悪くもご都合主義とか言われがちだけど、言われがちだからなのか本作では語り部が出てきて堂々と「話を面白くするために時系列をいじくりますよ(意訳)」みたいなことを宣うので、もはや安心して騙されにいくことが出来るんですね。
そんな語り部による語りのフィルターを通しているからか、まるで「伊坂幸太郎らしさ」のパロディのように、いつも以上に過剰に寓話的で現実から遊離した印象を受けます。
本書全体のモチーフが「星座」というのもあって、登場人物たちが星々で、誰が主役ということもなくその間にいろいろな線を引きながら星座を眺めるように読めるのが心地いいです。

しかしその中でも一等星の輝きを放つ夏ノ目さんの存在は忘れ難く、シリーズとは言わぬまでももう一度彼の活躍を読みたいと思わされます。
もちろん、レギュラーの黒澤の魅力はいつも通り、いやいつにも増して爆発してます。

そんな風に、読み心地としてはさらっとしていながらも伊坂幸太郎らしさが詰まったエンタメなのですが、ミステリとしてはかなり連城三紀彦の影響を感じる......というか、描かれた時期的に連城への追悼とかオマージュとか伊坂さんなりの継承のような趣もあり、にわか連城ファンとしては感動しちゃいました。

そんな感じで、味わいはあっさりながらも久しぶりに自分が熱狂してた頃の伊坂幸太郎の愉しさを思い出して懐かしい感慨に浸ったりもできたし面白かったです。

夏メロ

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夏が来るので好きな夏の歌を貼ります。



アーランドオイエになりたい。
この歌の中に入りたい。このPVみたいな暮らしがしたい。この音楽に溶けていきたい。どちらもイントロから一気に夏の世界に引き込まれます。ただただ憧憬を憧憬を憧憬を抱くしかない。




真夏の暑い日の昼に部屋でクーラーかけて本でも読みながら流しときたい。でも踊っちゃって本が読めなくなる。そんなアルバムです。




これも昼間にごろごろしながら聴きたい。




透明感もありつつ場末感とか良い意味の素人臭さとか謎の強すぎるエモさとか懐かしいのに新しい感じとか、めちゃくちゃ好きな曲。




これも同上みたいなところはありつつ、中華な感じがまた横浜中華街出身者としてはノスタルジェーを感じてテンションは高めなのになんか泣けて泣けてしょうがないし、こういう感じのエモさが大好きだし大好きだった。あの夏を。



この曲もまた時計の針が止まって見える現象のことだと思います。




恋の終わりと命の終わりと夏の終わりと。川谷絵音が描く夏が好き。



スピッツの夏の歌で、いや、スピッツの全曲の中でもトップクラスで好きなのは「プール」ですがYouTubeにないから代わりにこれを。
スピッツの夏も本当に夏という感じで好き。もちろん春や秋や冬の歌も好きですが。



BaseBallBearは夏の季語だと思うけど、「べーすぼーるべあー」で9文字取られるので575に組み込むのは難しそう。
パーフェクトブルーは大学の時に1番聞いた夏の歌だと思うしカラオケでもエモさ極まってぶっ外して叫ぶくらい好きな曲(迷惑)。
いまは僕の目を見ては、その続編的な位置づけ。秋の歌だけど、夏があってこその秋を描いているので夏の歌でもある。




オメガとか山下達郎とか最近流行ってますよね。いつ聴いても最高。




よねちゃんで一番好きな曲。
重低音とかトラップとかのありきたりな洋楽の流行を取り入れつつ、感触としては日本の民謡っぽいノスタルジーしか感じないバランスがエグい。パプリカとか打上花火(どっちも米津ver)もそんな感じで好き。