偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

ラストナイト・イン・ソーホー

ベイビー・ドライバー』で私の中の一世を風靡したエドガー・ライト監督の最新作。さっそく観に行ってきました。

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製作年:2021
監督:エドガー・ライト
主演:トーマサイン・マッケンジー、アニャ・テイラー=ジョイ


ウ〜〜〜〜〜〜〜〜ン。
賛否両論ですよね、これは。自分の中で賛否両論。

単刀直入に行ってしまえば、男による女性への性暴力を描いた作品で、監督らしいポップさはあるもののかなり生々しく描かれているので鑑賞の際には注意が必要だと思います。

ベイビー・ドライバー』は、いわゆる男に都合のいい女がヒロインとして出てくる童貞による童貞のためのファンタジーで、めちゃくちゃ好みドンピシャだしぶっ刺さったし一番好きな映画だし私のために作られたような作品なんですよ!......というのを世界中のオタク男子が感じたと思うんですけど。
現実にはその後『ベイビー』に出演していたアンセル・エルゴートケビン・スペイシーの性的暴行疑惑が明らかになりました。もはや今『ベイビー・ドライバー』を観てもあの頃のようには感動できないかも......。まぁ、もちろん好きな映画をそう簡単に嫌いにもなれないので好きだとは言い続けますけど、なんとも悲しい気持ちで......。

そんな中で作られたのが本作。
ショービズ業界に蔓延る性暴力をテーマにしているあたり、かつて一緒に『ベイビー』を作った彼らへの批判なのかとも思いますが、その辺のテーマに関しては後でネタバレ感想に書くことにして......。

あらすじ!
ファッションデザイナーを目指してロンドンに上京した少女エロイーズ(トーマサイン・マッケンジー)は、曰くありげの下宿に住むことになる。霊感のある彼女は、夢の中で60sにその部屋に住んでいたサンディという歌手志望の少女の人生を視るようになり......。

という感じ。

表面的には、『ベイビー・ドライバー』と同じく青春もので、音楽もの。プレイリストをザッピングするように色んな国やジャンルや年代の音楽が流れたベイビーとは異なり、60年代の音楽がメインのようで、登場人物が言うように「今の音楽より良い」と(少なくとも本作を見ている間は)思ってしまうような音楽の使い方はやっぱ良いっすね。
そして、新境地なのはスリラー要素。いや、ショーンとかホットファズもぽいところはあったけど、こんだけガッツリ、コメディの皮も被せずにサイコホラー、スラッシャーをやったのはやっぱ新境地ですよね。
ホラーとしての演出もやっぱり音楽っぽいというか、ミュージックビデオっぽい感じで、細かい辻褄とかよりも視覚と聴覚に直に恐怖や嫌悪感を訴えかけてくるところは、これまでの作品で言うアツさやエモさの伝え方の技法みたいなものだと思います。

また、主演2人もやっぱり魅力的。これも後述しますが、とりあえずは美しいアニャ・テイラーと可愛らしいマッケンジーの2人の共演は眼福だし、マッケンジーさんの田舎臭さからの大学デビューからの真の垢抜けという変化の軌跡も凄かった。

そんな感じで、私はエドガー・ライト大好きマンなので、基本的には彼のゴテゴテと趣味をぶち込んだ映像を見てるだけで楽しいし、ベイビーからさらに大人になった感じもして、頑張って作ったんだなって気がして好きではあるんですね。
ただ、このセンシティブな題材を扱うに当たって、「頑張って作った」だけで良いのかというと、ウ〜〜〜〜〜〜〜〜ンってとこもあって。

また、お話としてもあまりに要素を詰め込みすぎていて、「これ要るの?」みたいな回収されない設定や描写も多々ある一方、素材を投げかけているだけで回収は観客がやるものと言えばそんな気もします。
観る側の立場によって感想が異なるし、感想を書くことで立場を表明することにもなる映画であり、そこも怖いんだけどとりあえずは現時点での自分の感想を以下でネタバレとして書いていきたいと思います。





























というわけでネタバレですが。

何から書けばいいのかわかんないので最初の方から。
まず、冒頭は夢を抱く少女が上京(言葉の綾で、上ロンドンですが)するも、都会の悪意に晒されて折れそうになるという筋立てで、この辺はもう共感しかできませんでした。
私もそこまで酷いいじめに遭ったことはないとはいえ、中学高校大学でちょっとずつ嫌な思いをしたこともあるし、働き始めてからだって上がらない給料と減らないサービス残業と楽しい休日出勤といった社会の理不尽を舐めさせられているので、彼女をほぼ自分として見ていました。クソルームメイトが本当にスマホがある時代に生きてる奴かよって思うくらいクソで、戯画化しているようにすら見えるけど、本当にいつだってこういう奴はいるんですよ。
そしてこういう無駄に自信に満ちて他人を貶めることに何の疑問も抱かない奴に踏みつけにされてる間、踏まれる方は怒りや憤りよりむしろ自己嫌悪に陥ってしまって誰にも相談できなかったりするわけで、そういう流れがプロローグ的な軽さでサラッと描かれるのでこの辺でもう苦しくて観入ってしまいました。

そこから、60sのカルチャーに逃げて行って辿り着くのが夢?の中のレトロなロンドン。
その煌びやかな美しさ、今やビデオでしか観れないあの映画もリアタイで上映中!
そこで主人公の視点が入り込むのが歌手志望の美しい少女サンディ。サンディがやり手のプロデューサーと出会い歌手デビューするまでの道のりと、学校やソーホーの町に居場所のないエロイーズが居場所を見つけていくまでを重ね合わせた勇気をもらえるサクセスストーリー!......になりそうな期待を破り捨てるように、夢という餌をチラつかされながら体を売らされて、徐々に心を壊されていく様が痛々しく描かれ、ポップな音楽や映像との対比がより一層グロテスク。
やがて娼婦として毎晩男を客に取らされるサンディ。「嫌なら逃げればいいじゃん」という感想を見かけてお前みたいな奴がいるから......と思いましたが、私としては逃げられない閉塞感までしっかり描かれていたと思います。
あのオールバックのプロデューサー氏の外見めちゃ怖いですからね。男の私から見ても、あれに凄まれたら抜歯されて飼い慣らされてしまう気しかしないです。
そして、前半のクライマックスとなるサンディ殺害のシーンに至って、完全に「ジャーロ」「スラッシャー」というジャンル映画の撮り方で、あれらの作品で男の殺人鬼がペニスのメタファーであるナイフを使って性に奔放そうな女を切り刻んでいく......という構造を痛烈に批判しています。
ただ、ここで凄いのが、あるいは難しいのが、エドガー・ライト自信、そして私もまた、ああいうジャーロやスラッシャーが大好きなんです。大好きだったんです。その上で、それでもあれは違ったんだと、好きなカルチャーに刃を突き立てるわけです。
それを観客として観ているエロイーズもまた憧れていた60sの文化の背景にあったものを知り、それをさらに観客として観ている我々も同じように突きつけられる。
いわば、60sの出来事と本作を見る観客の両者を繋ぐ媒介がエロイーズなのかもしれません。
サンディの身に起きたことを目撃してしまったためについに夜の夢の中だけでなく白昼他人がいるところでもパニックに陥ってしまうエロイーズの状態は、性暴力がその場限りのことではないというフラッシュバックを表すものであり、実際にそうした被害に遭ったことのない私のような観客も、(分かったつもりになってはいけないですが)多少なりともその苦しみを想像する端緒にはなるかと思います。

また、アニャ・テイラーとマッケンジーの共演ということで「美女2人を拝めるなんて眼福だぜ〜!」という気持ちで観にきた観客を返り討ちにするあたり、こないだ読んだ『囮捜査官』じゃないけどこの2人の容姿を囮にしてぶん殴ってくる感じうまいと思いますけどね。

そんな感じで、あくまでエンタメ作品として広い間口を持って性暴力の悍ましさを伝えていこうという意図にはそれなりに真摯なものを感じますが、一方でそこに実際に経験したことのない男が自分なりにフェミニズムについて考えてみました、みたいな重みのなさがあるのも事実で、そこにモヤっとしている人が多いのもまた分かります。
ただ、かつて『ベイビー・ドライバー』のような男のファンタジーを作ったエドガー・ライト監督が、そこを超えて自分と自分の好きなものの加害性に目を向けたのは大きな成長だと思うし、このくらいのやんわりした言い方の方が素直に受け取れるっていう面もあるかなとは思います。
のっぺらぼうのゾンビの男たちに顔が戻って「助けてくれ」と言い出すあたりは、アンセルやケビン・スペイシーといった身近な人間がそういうことをしていたことを描いているんだと思うし、それにエロイーズが「嫌!」と叫ぶのが監督の今の気持ちだったのかな、と思います。

最後、過去と決別してハッピーエンドのようになるのが安易だ、という見方もあるとは思いますが、一方で序盤のサンディが登場する以前のシーンから、タクシー運転手や「君の中にペニスを埋葬したい」の男や、それを拒否すると「ノリが悪いわね」とか言ってくる女といったものが現代にも女性を性的に見ることは当たり前という価値観が残っていることを表していたりもして。
最終的には「過去のカルチャーは素晴らしいものだけど、その背景にあった酷い考え方は変えていかないとね」という想いを込めたとりあえずのハッピーエンドなんだと思います。

結局のところ被害の当事者でも何でもない私みたいな人間が感想を言うことも失礼な気はしつつ、でも当事者じゃないつもりでも無意識にそうした意識があったりもすることを考えるきっかけとしてはこのくらいの軽さの方が届くのかな、という気もして。
男性人気の高い男性作家が男性向けにこれを作ることにも意義があるのではないか、という男性の意見、ってわけです。

上手くまとめられないし難しいけど、とりあえず今の私の感想ということでこんな感じっす。

余談だけど図書館のシーンでハサミを途中で止めちゃったのは惜しかった。刺せばよかったのに。